「こりゃあ、ゴルシちゃん大ピンチって奴だぜ……」
その日、ゴールドシップは焦っていた。
それには勿論、来年のカレンダーの日付に星印を付け忘れたことや、マックイーンに対して高カロリーしりとりをけしかけ損ねたことは関係ない。
ましてやさっき、一晩寝かして美味しいなら、一ヶ月寝かしたカレーってどんな味がするのかしらね、というキングヘイローの発言を聞いてしまったからでもなかった。
何せ彼女は昨日もぐっすり眠ってぴんぴんしているし、サイレンススズカに誘われチームに入ってきた新入りへの歓迎(使わなかったズタ袋をプレゼント)もばっちり済ましてメンタルも万全。
そして、そもそも普段から天衣無縫、怖いものなしのゴルシちゃんである。ゴミで作ってみた玩具にほろりとしてしまうセンチなところもあるが、それだって愛嬌。
かの皇帝ですら手がつけられないな、と評するしかなかったその抜群ぶりに、危機なんてそうそう訪れるものではないはずだった。
だがしかし、彼女にだって天敵というものが存在する。それはカエルに対する蛇、ドードー鳥に猫ちゃん、お婆ちゃんにつきたて餅、のように出逢えば敗北確定といった間柄。
そう、この時代で唯一ゴールドシップに伍しえる存在が視線の先に存在していたのだ。
「ん。今日も綺麗な空」
そう、それは――――という、モブでしかないはずのウマ娘。
彼女は、まとまりきらなかったお下げを気にしながらも、今日も大きな目をお空に向けて開きながら、満足そうにしている。
ルーティーンから外れない、それは彼女の当たり前の普通で、傍から見てもおかしいのはそれをおかしいと思うゴールドシップばかり。
だがゴールドシップは前を歩む少女の呑気の後ろに鬼を見つけ、慄くのだった。
あれはヤバい。正しく彼女は天然至極の化け物である。それが、今もキューティクルを輝かせながらのそのそしている。
朝っぱらからラスボス遭遇かよと、思わず、恐怖に震えるゴルシちゃんだった。
「こんなところに負けられない戦いがあるなんてよぉ。思わないじゃねぇかっ……」
思わずにじむ視界に、目薬の蓋が映る。演出のための突然の点眼に驚く通りすがりのウマ娘を気にせず、ゴールドシップは再び前を向く。
そしてどこかぼやっとしている好敵手を視界に入れた彼女はゴミ箱に空の目薬をナイススローしてから相手、――――というウマ娘に絡み出すのだった。
「ようよう、アタシを怖気づかせようとは、ナイス度胸してんじゃんかー」
「あ、ゴルシちゃんこんにちは。今日も元気そうだね」
そして、突然目の前に現れた大型ウマ娘(作業員姿)に対して、――――は至極普通に元気そうだという感想しか覚えない。
いつも通りでいいね、今日のお空みたいで良かった、という感想すら覚えているおとぼけ少女に、敗北を恐れながらゴールドシップは絡みを続けるのだった。
「――はどうだー? 毎日ラジオ体操は欠かしてないかー?」
「ん。そういえば、ここに入ってきてからあまりやってないかな。ゴルシちゃんはよく女神像の前でラテンダンスを踊ってるみたいだけど」
「いやー……そりゃ、ヒラメ筋が不安になっちまうな。ヘイ、そこのエビィなウマ娘ちゃん。アタシの部屋から聴診器取ってきてくんないかー?」
「え、エビって私のこと? それに聴診器? えーと……ゴールドシップってそもそもどの寮に住んでるんだっけ?」
ゴールドシップが背水の陣で臨んだ会話の最中、彼女の舌鋒は通りすがりのセイウンスカイにも飛び火する。
通学路にて何故か作業着で愛しの――――と会話をしている珍妙ウマ娘に首を傾げるセイウンスカイ。
だが、右手を左手の上にぽんと置いて納得をしてから、――――はゴールドシップと本人にとっては普通で、しかし傍から見たら不通な会話を続けていく。
「スカイがエビって……海老で鯛を釣るってことかな。そういえば、お母さん聴診器で血圧測ってくれたことあったよ。博識だね、ゴルシちゃん」
「えー、マジで? お前ん家、デストロイヤーなん?」
「違うよ。お医者さんじゃなくて、お母さんが看護師さんなんだ」
「へー。そりゃすげぇ。しじみ汁飲み放題じゃん」
「ふふ。病院にはビールサーバーはないよ?」
「そりゃー知らなかったぜ! ちなみにゆで卵のお好みは?」
「それはやっぱり半熟かな」
「かぁーっ、やっぱりカレーといえば沖縄だよな!」
「そうだね、一度は行ってみたいよね、北海道」
うんうん。訳知り顔で頷き合う二人。しかし彼女らが結論付けた場所は北と南で随分と離れている。
そんな内容を隣で聞いていた、策士というある種真面目な人種であるセイウンスカイは。
「えぇ……何て会話してるの、この二人……」
正しくドン引きする他にない。
両者、普段他の相手とする時はちゃんと会話になっているのに、どうして二人揃って意味不明をぶつけ合っているのか。
そして、会話すればするほど何故か少し疲れてきているような様子であるゴールドシップに対して、――――は満面の笑みを崩さないのか。
可愛いが、だが意味不明を続ける彼女はちょっと怖いなともセイウンスカイは思う。
しかし――――は、笑顔のまま尚も続けた。
「それにしてもゴルシちゃん、貴女のところのトレーナーさんが言ってたよ? あいつはもうちょっと確り練習してくれれば完璧なんだが、って」
「んぁ? そりゃ、スーパーゴルシちゃんが足りないところと言ったら、一に睡眠二にサッカーで……」
「良かったね、ゴルシちゃん。それってあの人がゴルシちゃんのことほとんど大好きっていうことだよね!」
「ぬぁっ! そ、そんなことねーし! 第一、あいつが前に寝ている時に髪刈り上げたの、アタシだぜ?」
「でも、あの人、ゴルシちゃんに怒った後、いい感じに決めてくれたって喜んでいたよ? 愛されてるね」
「くぁー……ためらわないことさー、っていうことでスタコラサッサだぜ!」
ツーカーの後は、褒め殺し。慣れない、やって欲しくないことを重ねられたゴールドシップはボケきれずに一筋の汗をかいた。
だが、流石に彼女もさるもの。自分の顔色どころか旗色の悪さをも敏感に察したゴールドシップは、更なる追い打ちをかけられる前にその持ち前の俊足を持って去っていく。
どしどし、と迫力のある走りをする上背のある彼女が、――――という小さめの少女から脇目も振らず逃げていくのはある種滑稽であった。
「うわぁ……なんか凄いの見ちゃったなぁ」
呆気に取られるセイウンスカイを他所に、続けたかった会話を続けること叶わなかった――――は。
「そういえば、ジャス……あ、行っちゃった」
風のように去っていくゴールドシップの背を見ながら仕方ないなあ、という風にはにかむのだった。
朝の登校時間は、実のところセイウンスカイにとって数少ない――――を独り占めにする機会である。
早朝トレーニングをこなし、同級の二人を起こしてからのんびり朝ご飯を食べて学園へと向かう。そんなルーティーンが――――というウマ娘にはあった。
大体は遅めで、この時ばかりは他の彼女を慕うウマ娘達も遅刻を恐れて共に居ない場合が多い。
それを知っているセイウンスカイは、当然のように今日も登校時間を遅くして、――――に合わせていた。
「……まあ、そういう感じ」
「ん。そうなんだ。良かったね」
「んー、まあ、良かったかな?」
だが、念願の二人きりの時間に、挨拶の後にセイウンスカイは話を上手く広げられない。
それは、先の大好きな彼女とゴールドシップの謎の一幕が気になって仕方がないから。
正直なところ、この子の前で他の子の話をしたくはないけれど、まあゴールドシップだからいいかと思い直し、セイウンスカイは切り出してみるのだった。
「えっと、――は、ゴールドシップと仲、いいんだね」
「ん。ゴルシちゃん、いい子だから」
「へ、へぇ……ちなみに、馴れ初めって話してもらえたりする?」
「そうだね……」
そして、通学路の短い間にされたのは普通の話。普通すぎて、相手が本当にゴールドシップなのか疑わしいと思えてならないくらいに、ありきたりのものだった。
それは、――――が伸び悩んでいた頃、どうしてだかゴールドシップが絡んできたようである。
色んな手口で声をかけてくるそれを、――――は自分を元気づけてくれているものと判断。
少し元気が出たからありがとうと背を伸ばして頭をなでたら逃げられた。そんな思い出が彼女らの最初だったらしい。
「……最初はゴールドシップから近寄ったんだねー……それにしては、苦手そうにしてたけど……何かその後に色々あったりした?」
「それは……ん。まあ、初めて会った時にゴルシちゃんが背負っていた男の人のことを覚えていたから、トレーナーさんだったみたいだけど私その人にも話を聞いてみたんだ。あの子のこと、気になっちゃって」
「ゴールドシップ、トレーナー背負って人を元気づけに行ってたの……それで、――はゴールドシップの何が気になったの?」
「それは勿論……」
ふと、彼女は指を唇に当てた。ゆっくりと桃色に沈む白磁の指先。それにセイウンスカイの目は惹かれる。
あの日――――も一人でチームを率いているという凄腕だろう男性トレーナーに、一人で声をかけるのはそこそこ勇気が要った。だが、それでも聞いてみたいことがあったのだ。
ちなみに今の――――の記憶の中にあるのは、しきりに脚を触ろうとする変なトレーナーという評価だったが、全回避に成功している彼女には特にそれに対する禁忌感はない。
ただ、今も当たり前のことを聞いたその時の彼の反応、驚きの深さばかりは印象強く覚えていた。
「あんなに幼い子を皆と一緒に走らせちゃって大丈夫なんですか、って気になっちゃって」
「へ?」
そして、聞いたセイウンスカイはそれと殆ど同じ反応を見せる。
どういうことだろう、と首を傾げる――――。セイウンスカイも、よく分からずに反対に首を傾けた。
疑問に疑問が重なり、二人の脚も止まる。
そして。
「え、皆ってあの子のこと、幼く感じないんだ」
しばらく経って、――――はようやくそう理解をするのだった。
――――という少女にとって、ゴールドシップは背が高いだけの可愛い小さな女の子だ。
だから、ふざけにも真面目に乗るし、その上で褒め称えてあげたりもする。
勿論、賢いゴールドシップは、――――というあり得ざるウマ娘がそんな勘違いをしていることには気づいているが。
「ったく、アタシでも怖いもんってあるんだなぁー。……そりゃあ、未知の怪物は、誰にだってUMAか」
そういやウマとも読むな、そんな言葉を零して。
未来の優駿は、過去の今にて――――という相手を嫌いか大好きかどうかを日々決めかねるのだった。
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