話は、少し前から遡る。
それは、彼女がはじめて登校したその朝から。
彼女は見定めるかのように、彼女を見つめていた。
どの学校だろうと転入生というのは話題になりやすいもの。
それがまた、ある種実力主義のトレセン学園での転入生であるならば、尚のこと。
バレンタインという素敵なイベントが終わった後の教室は、未だにそわそわとした雰囲気に包まれていた。
新しいウマ娘が面白い子なら嬉しいし、またこんなもうすぐクラシックの本番という中途に学園に入るのを許されるなんてどれくらい速いのだろうか。
ざわめきが、擦れ合いの中に満ちる。実のところ年が明ける前からCクラスのクラスメート達はスペシャルウィークという少女と会うのを楽しみにしていた。
「――ちゃん、この教室? うわ、ウマ娘さんがいっぱい……」
「ん。でもスペちゃん、皆優しそうでしょ?」
「そ、そうかも……――ちゃん、ありがとう!」
だが、皆が予想していたよりもずっとその子は全体可愛らしくて、尚且つとてもびくびくしていた。
おどおどしながら入室してきたスペシャルウィークの手の平は、――――の小さめな手に包まれ、引っ張られている。
そして、先導され優しく引かれ惹かれるスペシャルウィークは真っ直ぐ――――に花の笑顔を向けていた。
それを確認して内面を察した大多数は思う。ああ、これは大変なことになったと。
何故か――――という少女が、クラスの上澄みの子達にやたらと懐かれているというのは、クラス全体が周知している事実。
その中でも明らかに少女に対する執着が強い一人に多くが恐る恐る視線を向ける。
「うふふ」
すると彼女、グラスワンダーは、笑っていた。
笑顔は動物が牙を剥く所作に由来する等の話もあるが、とりあえず彼女は微笑みながら呟く。
「あらあらー。新しい子ととっても仲が良さそうでなによりですねー。でも――ったら、私が転入した時には握手もしてくれなかったのに、意地悪ですー」
「私やグラスの時は、クラス委員の――ちゃん、先生から任された他のことで忙しかったですし、仕方ないデス……」
「ふふ。今はあの子に繁忙期ですか。目移りが激しいのは困っちゃいますねー」
「なんか上手いこと言ってますが、グラスの周りのシリアスな空気はどうもうまくないデス……」
友からあふれ出すギスギスした雰囲気に嫌な顔したエルコンドルパサーの隣でぶつぶつしながらもとりあえず、グラスワンダーが転入生に食ってかかるようなことはないようだ。
ほっとする周囲。
今日は昨日――――にチョコを誰が先に渡すかと探り合っていた、綺羅星ウマ娘達の心理戦による謎の緊張のようなものを味わうことがなくて済むのかと、多くのクラスメイトはほっとした。
だが、そもそも空気なんてどうでもいいと、ここで王が前に出て二人に声をかける。
指先で癖髪を指先で一度ふわりと後ろに、そして胸を張り華と立つ。
わ、明らかにお嬢様っぽい子が来たと、何故か怯えるスペシャルウィークに眉根を寄せながら、キングヘイローは自己紹介を始めた。
「――さん。この子が転入生? 私はキングヘイロー。貴女は?」
「あ、はい。私スペシャルウィークと言います……よろしくおねがいします!」
「ん。キングもよろしくしてあげてね」
「――さんの後ろに隠れて、随分へっぴり腰の挨拶ね……まあ、いいわ。私としても、よろしくしてあげるのはやぶさかじゃないけれど……」
「けれど?」
「私の目がないところでどうここまで貴女たちが仲を深めたかは、気になるところね」
「それは……」
キングヘイローの問いに、――――は、そう言えばスペシャルウィークがこんなに自分に身を預けてくるような、そんな理由はあっただろうか悩んで口ごもる。
背中に隠れてしまった少女を見つめると、望めるのはキラキラと親愛輝く二つ星。瞳を見つめただけでもう、懐かれてしまっているのは明らかだ。
――――からすると、帰り道に迷った初対面のスペシャルウィークを送っただけで、再会時にはハグされるほどの好感度になっていたという謎。
まさか自分が直接対面したはじめてのウマ娘で殆ど一目惚れされてしまっているとは思えない。
「ん」
「あ……」
ひょっとして、この道産子ウマ娘って実はチョロすぎなんじゃあ。そんな考えは言葉にさえ出なかったが、心配には繋がる。
嫌に自分以外のウマ娘にびくびくしているところと言い大丈夫かな、そんな心配は庇護欲へと変化した。
つい、スペシャルウィークの手を言葉が漏れるくらいに改めて強く握った――――を見て、とうとう横で見ていた彼女も居ても立ってもいられず、声をかける。
「あ、それセイちゃんも気になるなぁ。今日昨日会ったにしては、二人とも随分仲よさそうだし、ひょっとして何かあった?」
「わ。スカイまで……そんな大したことはないんだけど……」
「ふふ。大したことすらしないで、心を奪ってしまうなんて、――ったら罪な子ですねー」
「次はグラス? 心って……大げさ」
「大げさではないデース! ――ちゃんは、もっと自分の言動を見返してみるべきだと思います!」
「わ、エルも来た。え、私、そんなに悪いことしてたかな……」
やがて、――――とスペシャルウィークの周囲にはクラスで誰より早くGIの冠を戴いたグラスワンダーを筆頭に優駿が揃っていく。
彼女たちは、全員揃って新人ウマ娘よりも――――の普段ばかりを気にした。
よそ見しすぎだの、誰に彼にも全力を出す必要はないだの、もうちょっと周囲に気を回した方がいいだの鈍感少女にはよく分からない言葉ばかりがかけられる。
首を傾げつつ――――はそっとスペシャルウィークを流し見た。すると、いかにも彼女は萎縮しているようだ。これは分からずとも場を収めたほうが良いとして、取り敢えずはと少女は頷く。
「……ん。気をつけるね」
「……全く、本当に、分かってるのかしら?」
だが――――に向けられた言の葉は、彼女らの本気の心配で、婉曲的な想いの吐露。要は、私はこれだけ貴女を見て思っていますという言葉たちである。
だがそんなの、認められなかったがために死に絶えた魂を胸に秘める――――には理解の外。
良くはわからないけれども、注意は大切に。そう考えて――――は。
「大丈夫。私は私がいい子じゃないってのは、知ってるから」
「――ちゃん……」
「貴女は……」
笑顔で、本心を暴露するのだった。
それが、また重くって間違っていて、思わず周囲は頭を抱えざるを得ない。私たちは、ばってんに想いを向けているんじゃないのに、と哀しく思って。
だが、――――にとって、自分が悪であるのは当たり前。
そもそも、ウマソウルが歩んだ歴史が正しければ自分は中央にてこうして立てることすらあり得ない。だから、自分が活躍することこそが間違いで、そうなろうとしている私は悪。
未だ、女神像が笑みを向けてくれていることが不思議なくらいに、私は罰当たりで正当ではないと――――という少女は知っていた。
「――ちゃん……」
勢い失い困るウマ娘達を――――の背の後ろで伺いながら、スペシャルウィークはその言を殊更理解に困り不思議に思う。
分からない。――がいい子ではなければ、誰がいい子なのか。
だって、この子は私の弱さを自然と肯定し、未だにクラスメートの視線から隠れることを良しとしてくれている。
思わず、甘えたくなるような優しいこの子が、いい子じゃないなんてそんなこと。
なにか声をかけようと口を開いた直ぐ後に、呑気な声が辺りに響いた。
両目をぱちくり。ハルウララは、どうして皆――――の周りで困った様子になっているのだろうと首を傾げながら、えへへとスペシャルウィークという新顔に朗らかに声をかけるのだった。
「んー。皆、――ちゃんの周りでどうしたのかなー? えっと後ろに隠れてる君はスペちゃん、でいいかな? 私ハルウララ! スペちゃんよろしくねー」
「ウララ……」
「あ……うん。ウララちゃん、でいいかな。これからよろしくね!」
「いいよー。あ、でもそろそろ時間だから私自分のクラスに帰るねー。また今度の休み時間に来るよ」
「え、ウララちゃん、別のクラスなの!?」
「またねー!」
「ん。またね」
「あ、うん……またねー……」
ぱたぱたと去りゆく早めの春一番。
柔らかな彼女に周囲の空気は簡単に解されて、のんびりした何時もの朝に戻る。
「チャイムだ……席に着こうか」
「あ……うん!」
そうしてちょうどチャイムが鳴って、朝のホームルームが始まる、そんな手前に皆慌てつつも尻尾をぶつからせないように、己の席に着いていく。
空いている窓際後ろの席が自分に用意されたものと聞いていたスペシャルウィークも、いそいそとその席へと向かう、その前に。
先に居た彼女、グラスワンダーから静かに声をかけられるのだった。
「貴女、スペシャルウィークさん、と言いましたか」
「えっと、うん。そう、だけど……」
「貴女は、何時まで――の後ろに隠れるつもりなのですか?」
「えっ?」
微笑みながら言うだけ言って、美しい所作にてそれこそしゃなりしゃなりとグラスワンダーは自席に戻る。
名前も知らないウマ娘にかけられたよく分からない言葉を、スペシャルウィークは理解できない。
これは、ひょっとして嫌味を言っていたのかと後になって思えども。
「えっと、今私は別に隠れていない、よね?」
やはり、彼女の言葉の真意は彼女に理解できないのだった。
「……スペちゃん、速いね」
「ううん! ――ちゃんの方がずっと速いよ!」
「はは、お世辞ありがとう。スペちゃんの前でずっと追い抜かれないことに必死になってた私が速いなんて、そんな……」
「ううん! 私ずっと――ちゃんの背中を追いかけていて思ったんだ、格好いいなって! 私も――ちゃんみたいに走ってみたいなー!」
「私はただ逃げてるだけだけど……ん。スペちゃん、じゃあ次前で走ってみる?」
「えっと……それは……」
額から汗を流しながら――――は、たっぷり大きなお尻と長い尻尾を追いかけ回せてニコニコ笑顔のスペシャルウィークと語らう。
五百メートルの全力に近いランを既に七回。しかしウマ娘である彼女達にはそれほど疲れた様子はないようだった。
合間の二分休憩に二人は感想を話し合って、互いを称賛し合う。逃げる――――にそれを差さんとするスペシャルウィーク。
現状実力伯仲ということもあり中々互いに刺激があって、二人にとって良い練習になっているようだ。
気持ちも乗り、思わずそのままストップウォッチの時計を忘れて話が続きそうになった、そんな時。流石に今回のトレーニングの監督をしているスピカのトレーナーから注意が走った。
「おいおい、お前ら何やってんだ。まだレペティション後三本、終わってないぞ? 全くスペ。お前のわがままで――――をトレーナーから借りて来てるんだから、あんまりサボるな」
「あ、はい! 分かってますー!」
「なら、休憩は終わりだ。続けていけるな?」
「ん、分かりました」
「はい!」
「よし、行って来い!」
トレーナーの声に応じ、芝から立ち上がる二人。
だが元気いっぱいのスペシャルウィークと異なり、追いかけられ続けた――――は少し削れているようだった。起き上がりが若干遅い。
後輩から借りてきたウマ娘を気にし、スピカのトレーナーも鋭くその様子を認めるが、しかし足の運びから疲れているだけだと判断。
再び彼女らが五百メートルという距離をあっという間に走破するのを眺めるのだった。
「……しっかし、完全に手ぇ抜いてやがるな、スペの奴……本人にそのつもりはないのかもしれないが……」
真剣にトレーニングに打ち込んでいる――――は良いとして、とトレーナーは自分のウマ娘のやる気の足りなさを残念がる。
彼はゴールの付近にてタイムを測りながら、やはり何時もと違うと確認した。
本来、その才能分だけスペシャルウィークの方が速い筈なのだ。
それは、後輩から借りてきた――――のベストタイムと先日サイレンススズカと走らせてみた際のスペシャルウィークのタイムを比べれば分かることだった。
だが、現在の結果は真逆。一度たりとて、満面の笑みで駆けるスペシャルウィークは――――を抜かすどころか隣り合うことすらないのである。
走り重ねても余裕が見える様子と言い、トレーナーには彼女があからさまに全力ではないように見えた。
「闘争心がない、って訳じゃないんだろうが……参ったな」
トレーナーからすると、スペシャルウィークはそのトモの優れで判断出来ただけでなく、闘争本能に優れたウマ娘であると見て迎え入れたところすらある。
そして、スピカの優駿達と競う際にも、相手が前にいる時更に彼女の脚が伸びていくという事実から、彼もそれは正しく感じていた。
だが、この友達と遊ぶように駆け回る様はなんだ。まるで、子供のごっこ遊び。とても真剣なものではない。
そして、これを彼女が――――とどうしてもやりたいと頭を下げてきたというのが、またトレーナーにとって悲しかった。
「スペ……お前は、日本一のウマ娘になるんだろ? なら、何時までも――――の背中を追いかけてばかりじゃ、ダメだ」
男は白い、柄を噛む。甘いだけの筈の口内の飴すら、どこかトレーナーには苦いものに感じられた。
「ああ、やっぱり――ちゃんは速いべー」
「……ふふ。スペちゃん訛ってる」
「あ。ふふ、つい出ちゃった。でも、何度やっても――ちゃんには追いつけないや」
しかし、そんな彼の想いを知らず、スペシャルウィークは自分に勝ち続ける――――を歓迎して、ニコニコ笑っている。
デッドヒートすらない、笑顔の練習。それは、彼女が彼女が勝つ姿を何より望んでいるから。それこそ、自らの勝利よりもずっと。
だから、全力になんてなれず、つまりそれは正しく何度も勝たせてあげていることに他ならない。好きだから勝利を、友に差し上げている。
そんな、健気というか、最早哀れですらある自らの行いをスペシャルウィークは気づいていすらいない。
「ったく、拗らせてやがるな……友情ってもんは依存と違うもんだが……と」
スピカのトレーナーは、どうすればいいか悩んで眉根を寄せ、そして。
「はぁ、ここまで、ですね」
ついに、彼女は彼女を見限った。
どうしてもと、自らのトレーナーに請い、わざと彼女らが伺えるくらいに近くで練習していたグラスワンダーは、真っ直ぐ迷いなく近寄ってから、言う。
「ダメ、ですよ」
「え?」
「ん?」
「それじゃ、ダメです」
指を一つ持ち上げ笑顔でグラスワンダーはダメ出しをした。長い長い彼女の真っ直ぐが、風になびいて光を梳く。
短めの休憩中にやってきた強豪チームの彼女が、自分たちの練習に文句をつけた。そのことに、遅まきながら気づいた――――は、ゆっくり立ち上がって、彼女に話しかける。
「グラス、私達の練習が、どうかした?」
「ふふ……さっきのは練習だったのですか? 私はてっきり……」
「……てっきり?」
「二人して追いかけっこを楽しんでいるのかと思いました」
それは強い揶揄。意地悪にすら思える言葉を笑顔で友は自分に向けている。
理解し――――は、しかし傷つくことなく考えた。これは、何か自分が間違っているのだろうなと、自らを反省して。
「むっ」
だが、はじめて知った友愛を追いかけ縋り付いてばかりの少女には、言葉の棘に痛む友が幻視されてしまう。
私達の頑張りになんていうことを言うのだと憤ったスペシャルウィークは。
「……確かに、グラスちゃんは私達より速いのかもしれないけれど、そんな……」
「あらあら。スペシャルウィークさんは、何か勘違いしていますね」
「え?」
「練習をただの追いかけっこにしてしまっていたのは、貴女です」
この場の誰よりも怒っていたグラスワンダーに一蹴された。
そう。何よりライバルとして見ている友の後ろに隠れて、ずっと強さを見せないでいるのなら、それはただの邪魔。
競うことすらない、遊びをこれ以上続けられるのは、きっと誰のためにならない。彼女はそう判断して。
「あんまり、――の足を引っ張らないで下さい。貴女は――に相応しくない」
最後の一本、私も参加させていただきます、いいですね、と様子を見ていたトレーナーに告げ、グラスワンダーはついに真剣な表情になるのだった。
「はぁ、はぁ……」
「っ、はぁ」
「あらあら」
そして、五百メートルというウマ娘にとっての短距離未満を駆け抜けた彼女ら。
最後尾から一重に抜いていったグラスワンダーのあまりの圧に急かされ出した本気に、――――とスペシャルウィークは息も絶え絶えだ。
反して既にG1という修羅場を一番にくぐり抜け、誰よりも早く《《領域》》にたどり着いていた彼女には、余裕が見える。
やがて、彼女の目の前では、疲れ切って倒れ伏す――――にスペシャルウィークが手を伸ばす姿が映った。
彼女は、彼女に頭を下げ、言う。
「ごめん、ね」
「っ! ……謝らないで」
勝者に勝利を謝られる。それはどれほどの侮辱になるのだろう。でも、スペシャルウィークは本気だった。
後ろから来る彼女が怖くて、そして《《それだけで》》私は彼女を抜いてしまった。そして彼女のものの筈だった勝利を与えられなかった。
それが悔しくって、涙が出そうになっていたスペシャルウィークに。――――は。
「っ、くぅ……」
「――ちゃん……」
友と思っていた相手に裏切られたことが悲しくって、泣いた。
ああ、自分は勝ちを譲られていて、そしてそもそも勝負にすら値しない存在だとされていて、そんなの。
ああ、これじゃあ私は――――無価値な私のままじゃないか。
少女は空を見上げる。今にも雨が落ちてきそうな空は、どう見たって綺麗じゃなくって、涙は止まらず景色は歪んで汚くなっていくばかりで。
「ちょっと、独りに、させて」
「あ……」
爆発しそうになる想いを抑えながら、一歩一歩のろりと少女はその場から去っていく。
スペシャルウィークの伸ばした手は、だらりと下がった。
そんな、傷心の彼女に、尚グラスワンダーは言い募る。遠ざかる背を見つめたまま、少女の唇は更なる問いをかけた。
「スペシャルウィークさん。分かりましたか?」
「……分かんない、わかんないよ! さっきまで――ちゃんは笑ってたのに! どうしてグラスちゃんはこんなに酷いことが出来るの?」
「いえ、酷いのは、貴女ですよ。貴女がやっていたことは、――を泣かせて当然なくらいに、酷いことです」
「そんなっ!」
まだ、レースに出たことすらない、ウマ娘の本能を遊ばせてばかりいたスペシャルウィークは分からない。
グラスワンダーというウマ娘が、どれだけ勝利に焦がれているかということを。
そして、彼女が欲しているのはただ一つの勝ち星でしかなく、だからそれを汚しかねなかったスペシャルウィークをこうして正そうとした。
「ふぅ」
それが、大切な誰かの痛みに成ってしまっても、辛いが覚悟はしている。口を閉じ、一つ息を吸ってから、グラスワンダーは語った。
「スペシャルウィークさん。貴女は、速いです。だから、本気で走るべきなのです」
「でも……それで、あの子を踏みつける結果になるのは……嫌っ!」
子供のようにいやいやをしてから、少女は悲鳴のような声をあげる。
一度の夢に見ただけ。しかしスペシャルウィークの脳裏にはズタボロのウマ娘の姿が焼き付いている。
――――という少女があのようになるのは、許せない。だから、彼女には笑っていてほしいのに。でも、自分は泣かせてしまった。
それは、目の前のどこまでも正しい撫子一輪のせいで。きっと瞳鋭くさせて、スペシャルウィークは問った。
「グラスちゃんは、グラスちゃんは……――ちゃんが負けるのが良いっていうの?」
「いいえ。でも、私は彼女を負かしたいです」
「それは……」
矛盾している。だがしかし、グラスワンダーの瞳にはとんでもない熱量の炎が宿っていた。
そう、それは誰よりライバルとして――という少女を尊重しているグラスワンダーだからこそ持ち得た思い。
負けて、でも決して心折れない彼女に勝てたなら。それを想って、彼女は微笑む。
「前に言っていた通り、貴女は、日本で一番になりたいのかもしれません。でも、私は……」
日本で一番。それは素晴らしい夢である。笑えない、大望だ。
だが、そんな大げさでなくても、私にだって夢がある。それは、彼女のためであり、自分のためでもあって。
「それより――の、一番になりたいのです」
何より、それがグラスワンダーというウマ娘の愛の形であった。
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