貴女と共にある

モブウマ娘 それでも私は走る

時は、まだ冬休みも終わっていない一月七日の昼過ぎ。
そういえば購買はまだやっていないのだと遅れて気づき、食事を近くのコンビニで買ったパン三つで終えたばかりの若きトレーナーは、しばしトレーナー室(チームを作成していないトレーナー達が共有している広い一室)にてゆっくりしていた。
どちらかといえば職員室に近い様相のトレーナー室も、年明け直ぐの今では席はほとんど空いている。
例外があるとすれば、それはこの時期にウマ娘の出走予定があるトレーナーばかりか。
その中には希望に溢れてクラシックの戦線へと駒を進める者もいれば、反して最後の足掻きのようにウマ娘を出走させ続けている者も居た。
そして、足掻きも過ぎれば痛みともなる。トレーナー室の片隅で今日も一人、泣きそうな顔で癖毛のウマ娘が背の高いトレーナーに相談を持ちかけていた。

「だから、私、もうきっとこれでオシマイで……」
「いや、君ならまだその才能を輝かせることが出来れば……」
「それって、何時になるんですか! 私がお婆ちゃんになってからですか? それじゃ遅いんです!」
「いや、だからって……」
「私だって、頑張りたいです! でも、私もう、頑張れなくて……」
「そうか……それも辛い、な」

「ふぅ……」

勝てず、負けに落ち込み過ぎて退学を希望して担当へ押しかけてきたウマ娘への応答に苦慮している先輩を横目に、――――のトレーナーは静かに温く甘い缶コーヒーをあおる。
彼もルーキーと言われながらもトレーナーになって半年はもう過ぎていた。だから、このような辞める辞めないの担当とウマ娘の激しくなりがちな会話にも慣れてしまっている。
それは場所を選ばず、ことクラシックへの希望に燃えて、そして折れてしまった少女らが続出する年末に至っては、新人の彼にすら相談が舞い込むくらいに多かったほどだ。

また、今年は若き理事長の念願叶いトレーナーなしでも記録走のタイム次第でレースへの出走は可能ということになった最初の年。
だがトレーナーに見てもらうこともない、或いは見るには足りないとされたウマ娘たちの挑戦は、一握りの輝石以外の大概が夢破れさせる結果に終わった。

トレセン学園の影に蔓延したのは涙に、叫びに、虚しい笑顔。
今年はキツかったな、と言ったのは果たして誰だったのだろうか。或いはトレーナー全員の総意だったのかもしれない。
故に、――――らのトレーナーも彼女らの懊悩する姿ひとつひとつを全て特別視することはどうしても出来なくなってしまったのだが。

「はい……私、もう少し頑張ってみます」
「俺も胸を張ってお前を送り出してこれなくてすまなかった。これからはもっと、お前の頑張りを信じることにするよ」
「はい……どうもありがとうございました」

「彼女は辞めないのか。良かったな……」

他人事に、しかし安堵の言葉は自然と漏れる。
幾ら慣れてしまったとはいえ、冷たさに痛みに麻痺してしまうくらいに残酷な勝負の世界で、彼女らが少しでも長く夢を追い続けていられるというのは歓迎したい。
――――のトレーナーは、横に聞いていた先輩達のカウンセリング地味た会話の逢着点が望ましい場所であったのに、ほっとするのだった。

「あー……よう」
「……お疲れ様です」

だが確りと担当が去るまでを見送った件の先輩トレーナーは振り向いて――――のトレーナーを見つける。
いや、それは見つけてしまった、という方が正しいか。偶に目が合ったというそれだけで、こうして声をかけるのも決して本意ではない。
この先輩トレーナーは自分が苦労していることもあり、出来が悪い後輩にはよく構っているが、妙に出来の良いこの後輩に対しては関心が薄い。
酒の席では少し話したこともあるが関係もそれくらいで、後輩を嫌うダメなトレーナー仲間に色々吹き込まれようとも好きも嫌いにもなっておらず、路傍の石とそう大差ない認識だった。

だが、二人には最近できた縁がある。
それは、昨日の白梅賞の1600メートルの競争に互いのウマ娘を出走させたというそれだけでは、ある。
しかし、そこでついた勝敗によって、自分の担当ウマ娘を泣かされた先輩トレーナーは、思うところがあった。
そして、そんな思いなど大人なら蓋をしなければならないと頭は考えども、どうにも先のあの子の涙が忘れられず通りがかりに彼はつい、盛大に躓かされた石ころに声をかけてしまう。
小さく、男は言った。

「……お前は、余裕そうだな」
「いえ、そうでもないですが……」
「まあ、確かに二人抱えちゃキツいだろうが……」

そこで、先輩トレーナーはぐっと、堪える。続けようとした言葉は、どれもこれも良いものではないからだ。
毎年、どこぞのチームの選抜から零れた子たちの面倒を看続けていた彼には、それなりに自分の中で芯としてきたものがある。
決してそれは誇りではなく、むしろ敗者の強がりのようなもの。だが、だからこそ、負けてここから消え去るまで自分を信じてくれた彼女らに誇れる自分でありたいと、この先輩は思っている。
だから、これ以上の悪態など彼女らのためにもつけるものか。

だが、しかし。それでも負けて負けても頑張り続けた、そんな彼女らの思いは心は、果たして捨て置いて良いものだろうか。
ぐつぐつと、煮えたぎって煮凝って、焦げ付いた感情が男にはある。きっとそれはコールタールのように黒いものであったのだろうが。

「勝ったお前らは……簡単に、負けんなよ」

そこからひと掬い、綺麗なものだけを吐き出し、先輩トレーナーは眩しい後輩から背を向けて己の職務へと戻っていく。
それきりで、それだけで、彼らの会話なんて以降もろくになく、関係だって薄弱なまま終えるのだが。

「分かって、います……」

しかし無視などできるか、彼女の涙を彼の我慢を、そして心よりの激励を。
小利口にも先輩の想いを察してしまった――――のトレーナーはまた一つ、余計なものを背負ってしまうのだった。

「はぁ」

最後に一口。逆さにした缶の底から零れたシロップ地味たその甘い一滴が、どうしてだか彼には重いものに感じられた。
手元に目を落とせば、担当ウマ娘の昨日の必死の結果がタイムとなって表れていて、差されかけ再び焦りに苦しむ彼女の姿が目を瞑っても忘れられずに。
思わず、手のひらで顔を覆う。

「……苦いな」

ああ、ハナ差の勝利の味は、どうにも苦い。

 

一番人気のウマ娘が、一番に速く駆ける。
それは、多くにとって望ましいことであるだろうし、妥当だろう。
だが、本当に私は彼らの期待通りに走れていただろうか。そう――――という少女は自問し続ける。

私たちは弱く、でもそれでもこれまで必死で食らいついてきた。その頑張りが見目麗しいものにならなかったのは悲しい。けれども。

そして、彼女が出した結論は、一つ。

「無様でも、負けない」

栗東寮の自室にてベッドに寝転び、――――は、決意を拳と共に天に差し出す。
弱々しく響いたそれは、誰が拾うこともなく、虚空に消えた。

だからきっと、神様もそれを認めてくれないのかもしれない。

 

昨日、――――は勝った。二着を視界の端に入れ、連れ立ったかのようにギリギリで。

そもそも距離の選択肢が少なかろうと、白梅賞の1600メートルは――――という少女の距離ではない。
だから、普段のベストタイムなどを鑑みても、厳しい勝負になるとは思っていた。それでも今のうちなら勝てるからと、勝負に望んだ。

だが、蓋を開けてみれば逃げ切れず差されかけて、思わず啼きかけたところで、レースが終わった。
勝ちは勝ち。だが、もう少し距離があれば――――は負けていて、誰のかもの期待を裏切ることになっていた。

――――という名前に期待をかけてくれた全て、そして何より――――という自分の中に燃え盛る命を失望させることになる。

「それは、嫌だっ……!」

想起の終わりに思わず立ち上がり、歯ぎしりをする――――。
彼女は、辛い勝利がこれほどまでに苦いものとは知らなかった。
焦りは、己の心の火に薪を焚べていく。まるで胸の奥が熱く、燃え盛るようだ。

知り合ったばかりのウマ娘(スペシャルウィーク)を応援する余裕なんて、本当に自分にはあったのか。そもそも、こうして身体を休めていることに意味などないだろう。
もっと、もっと。自分は足りなく、そして何より勝利の際に自分の目の端に映ったあの彼女は。

「あんなに、悔しそうだった……」

届かなかった事実を理解し、元の美しい顔が台無しなくらいに心より悔しがっていた。
そんな彼女の想いだって、捨てられない。いやむしろ――――という少女は、捨てたくはないのだった。

だって、あれは私のもしも。――――という勝っていることが本来と違う存在の、あり得た可能性。

それを知っていてだから、なんだかんだ心優しい性根と相まって、彼女も他人の負けまで背負ってしまう。
あの子達に間違って勝ってしまったのだから、これからも勝たなくては。

「ダメ……」

そう思い込んでどうしようもなくなった――――は布団を跳ね除け立ち上がり、電気を点けて寮を抜け出しトレーニングで全てを発散させようとして。

「――さん!」
「っ……キング?」

開けようとした扉が先に開いたことで、驚きに止まる。
見ると、向こうにはノブを掴んで呆気にとられた様子のキングヘイローが。どうにも普段の彼女らしくなく、髪を乱して息も絶え絶えの様子であるが、間違いなく―――の前に居た。

「えっと、おかえり?」
「っ!」

明日、帰ってくると聞いていたのに。ひとまずあいさつをし、しかし予想外に固まる――――に、キングヘイローは。

「――、さん」
「あ」

名前を呼んで涙を一つ零し、強く、強く――――を抱きしめるのだった。

どうして、キングヘイローは早帰りしたのか。それは、簡単な話。母親と仲違いをしたから。

そもそも、キングヘイローの母親は、娘がウマ娘としてレースの道を志すのを快く思っていなかった。
どうせ、きっと。その予想に、更にこの子が傷ついたら可愛そうだからという親心を隠して、彼女はキングヘイローを信じなかった。

そして、先日の重賞での二位。それをキングヘイローの母は悪い兆しと捉えたらしい。
貴女の代は素質のあるウマ娘ばかり。そんな中で、もう躓いているのは貴女ばかりよ、と変わらず彼女はキングヘイローに辞めるよう言葉をかける。
勿論、自分と自分の母から貰った素質を信じるキングヘイローは、そんな言葉一つで道を変えることはしない。
だが、彼女だって子供の内。親から否定されて悲しく思わないことはない。

故に、キングヘイローが続けたのはちょっとした文句。
だったら、どんな相手とだったら私は走るのを許されるのよ、というそんな言葉。
勿論、返答に上等な答えが返ってくるとは思っておらず、むしろどうせ見当違いのことをささやかれてがっかりさせられるに違いない、とすら考えていた。
そして、果たしてキングヘイローの母の、返答は。

「あの人は、全員が、貴女の同室の子くらいだったら良かったのにね、と言ったのよ!」
「それは……」
「あの人は、私達の何ひとつも知らず、私の貴女にかける想いも知らずに、そんなことをっ、何より私の母親が――さんを、下に見ていたのが、悔しくってっ!」
「……そう」

抱きついたまま、火が点いたように喋り続けるキングヘイローの背を摩りながら、――――は、しかし彼女の母親の言葉に納得をする。
私は確かに、勝てない筈のウマ娘。つまり、負けるために存在する筈のモブだ。そんなの、アレ程の実績を持ったキングヘイローの母が分からない筈もなかった。

「っく、でも私は――さんを信じてるわ。貴女は強い」
「ん。ありがとう」

でも、子供はそんな事実に首を振って嫌がり、モブウマ娘に夢を見る。
あんなに頑張っている子が弱いわけがないと、心より。
そして、他人のために涙を流しながら、先の――――より熱く熱く心燃やして、キングヘイローは続けるのだった。

「だから、負けてもいいの。止まってもいいの。そうしたら、私が、キングが貴女を背負うから」
「それは……」
「ええ」

貴女のために私はある。それは、何より重い告白であり、何よりも深い信の表れ。

きっと友達よりも、親友よりも好きだ。
それは、この子が誰より歯を食いしばって、自分たちに追いすがってくれていることをキングヘイローは昨日の――――のように横目に見て知っていたから。
ああ、私は彼女を見捨てたくないと、キングヘイローはずっと思っていた。だから。

「あの人に言われて思い知ったわ。……私の心は、貴女と共にある」

その抱擁は、熱を想いを伝えるための接触は、しばらくの間続いたのだった。


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