日差しというものは直線的であっても熱に足りなければどこか柔らかだ。
しかし、時期によって極まったそれは痛みすら錯覚させるほど力に満ちていた。
「暑いな……」
夏の候。これまで若さという振り返ってみればひどく頼りないものを用いてそれを乗り越えてきたもう大人が、陽光に振り返る。
彼は、毎日のように走る楽しさに感けてばかりのじゃじゃウマ娘である――――のトレーナー。
知らぬ仲の人間には拍車なしとも揶揄されている、少しばかり頼りなさの残ったままの二年目社会人だ。
「だなぁ……あいつら、トレーニングに飽きてふざけたことやっていないといいが」
「はは……でも先輩の方は適度に抜けていて良いじゃないですか。こっちは真剣さこそ少し緩みましたが、あの子は結局走り回ってばっかりで……」
しかし、先日エルコンドルパサーを手放したことに周囲から理解の色を上手く得られなかった彼の独り言は、当たり前のように受け容れられて会話となる。
スピカというおとめ座の一等星の名を冠したチームを纏める、辣腕。そんな実力を一切感じさせない緩い表情でキャンディを咥えながら、先輩トレーナーは後輩を隣に覗く。
チームトレーナーの彼からして、この新人で殻を未だ足に引きずっているようなトレーナーはまだまだ頼りない。
いやむしろ、トレセン学園に見学に来たひよっこウマ娘達におじさんと呼ばれることにすら慣れてきている彼には、隣り合う若者が幼くすら思えていた。
この若さはウマ娘らにも共感を得られる良い要素でもあるだろうが、しかし――――という純粋を前にこの青年は共鳴し過ぎているようなきらいがある。
彼女が全力に倒れた時なんて、彼から仕事を取り上げるのにすら苦労した程だ。真面目一徹、とまではいかなくてもあまりに自分を追い詰めるトレーナーとウマ娘だなというのが男の一番の感想である。
そして、正直なところ扱いきれてなさそうな、しかしバランサーとすら採れるほどに安定した少女であるエルコンドルパサーを少し前にこの青瓢箪は失ったのだ。それに喜びより不安こそ、真っ当な周囲は覚える。
だからこそ、彼を嫌いながらも少し気にしている諸先輩方から、下手をすれば悪口にすら思えるような捻くれた頼んだという言葉を飲み会にて受け取ったスピカのトレーナーは、言われなくてもと見守りに努めていた。
「はっ。走り込みに付き合ってたスズカが音を上げたっていうんだから、まあ筋金入りだよな――は」
「ええ。本当に、手間のかかるいい子ですよ」
とはいえ、実際のところ怪我にて心境に変わりがあったのか、――――という少女は奔放な言動を目立たせつつも危険域の暴走は行わなくなっているし、若きトレーナーも専任にむしろこの頃効率を上げて実力を発揮させているようだった。
他所の心配知らぬ当人は今ものほほんと、愛バの話題に締まりの無い表情をしている。ほとほと、この青年は気配りは出来ても察するのが下手な小利口なだけの子供のようだ。
真に、そっくり。スピカのトレーナーは、全くお前ら揃って手間がかかる良い奴らだよ、という内心の文句を面に出すことすらなく、こう返す。
「練習熱心はいいことだ。とはいえ、そろそろ夏休みだってのに、走り回らせるばかりってのも芸が無いな。というか、それだけで満足しては、トレーナーとしてイマイチだ」
「と、言いますと?」
「なあに。合宿だよ、海での夏合宿。チームスピカとしては、もう旅のしおりまで出来てるってくらいの――どうしてゴールドシップは何も伝えてないのに予定日時まで把握してたんだろうな――この夏の目玉だが」
「はぁ……いや、なるほど場所を変えてみるというのは、いい刺激になりそうですね」
「だな。で、単刀直入で悪いが、お前らも来るか? 俺としては――――が居るとスペやスズカに良い影響が期待できそうだし、それにお前だって先輩つきで面倒な合宿の申請のし方を学べるってのもアリだと思うだろ?」
「はぁ……」
提案を突然に感じ、口をぽかんとしてから思案する――――のトレーナー。
それに、こいつ夏を本気で勝たせるために使うことしか考えてなかったのかと、思う先輩。
放っておいたらこの後輩もおハナさんらのような真面目一徹ルートへど真っすぐ進んでしまっただろうことに、ため息飲み込む代わりに飴玉を口内にてころり。
ウマ娘って言っても、学生で子供だってこと忘れんなよなとスピカのトレーナーはこの頃またよく思うのだった。
しばらくしてから、顔を上げ日向に真っ直ぐに立ち、そうしておもむろに深々頭を下げながら彼はこう返す。
「ありがとうございます、先輩。――の為になりそうなそのご提案、お受けします」
「そっかい」
四角張った年下のこの受諾に良かったとも決めつけきれずに、しかしまあこれもアリかと男は決めた。
誰のために頑張る。そんなのだって嫌いじゃなければ悪いわけもなく、心配なら近くに置いておけばそれだって解消できる。
それに何より。
「よっし。そうと決まったら終業後に一杯どうだ? 先輩とサシってのもつまらないかもしれないが、奢ってやるぞ?」
「……先輩の行きつけってどこもディープ過ぎるんですよね……もっと気軽に駅近くの居酒屋とかダメなんですか?」
「なあにい? ガキンチョだなあ、お前は本当に。呑んで騒ぎゃいいってもんじゃないってくらい、これまで連れてってやって勉強出来なかったのか?」
「いや、先輩はマスターと知らない仲ではないかもしれないですが、正直ばしっと決めたクールな年上の方々との会話は緊張して……」
「あー、こりゃ今日も勉強だな。マスターの愉快さをお前が知るまで一緒に行くぞ」
「えっ。あの渋い人のどこに愉快な要素が……」
「バカ。人を一辺で見るな。ああ見えてあの人元芸人でもあってな……別にお笑い芸人って訳でもなく、話芸じゃない方の技芸持ちで……」
「へぇ……」
愛バの元へと向かう道中、ライバル足らずと連れ合う男は愉快を満面に表していて。
そう。
可愛い後輩のために、塩を送ってやるのだって意外と楽しいものなのだと先輩はよく知っていた。
春のあの日――――という少女が奏で損なった歌の影響は、夏の頃合いの今もまだトレセン学園に深く僅かに残っていた。
陽炎のようにしか憶えていない大勢の中、しかし鮮烈に感じたそれを抱いているウマ娘が一人。
彼女は、彼女の蚊帳の外だったことを後悔して、だからこそ今その元へと毎日通っているのだった。
「ふぅ……」
「はぁ、はぁ……」
伴に疾走るのは、珍しくも二人きり。
だがそれは、二人が炎天下にて誰より走り続けたための結果でしかない。
遠く水分補給に勤しみながら羨望の視線を向ける少女たちを他所に、彼女らは並ぶ。
同じステイヤーの素質を持つもの同士として心より称賛の気持ちを持ちながら――――は短くこう言った。
「はぁ……早いね、ライスさん」
「ううん……ライス、――ちゃんには及ばないよ」
「それは、今だけはそうじゃなきゃ私が困るかな。何しろライスさん、デビュー前だもん。その間くらいは私も勝ってないとやだよ」
奔放な栗毛の少女の隣に黒く静かな少女が付かず離れず。
夏を前にして、そんな光景がこうしてしばしば目につくようになっていた。
強い日差しから右目を隠すように深々と一房の前髪を垂らすライスシャワーは、大きくはない――――よりも小柄。
けれども年齢は上(なんと高等部)であり、しかし本格化が遅れたのかデビューはこれからというレースに関しては後輩でもあった。
「よし、っと」
「はぁ……」
目標にたどり着いた彼女たちの足は次第に止まり、でも弾みすぎる心は緩まなかったから、彼女は彼女の隣で呟く。
「ライス、本当にデビューして、大丈夫かな……」
「うん? ライスさん去年の私よりずっとタイム良いのに、心配なの?」
「ライスは――ちゃんみたいに走れないと思うから……」
「そっか……」
生真面目で引っ込み思案な性格もあり偉ぶらない、むしろ恐縮ばかりする年上という普通なら少し与しづらいライスシャワー。
だが、そんな彼女を前に――――はただただ笑みを返すばかり。
しばらく前にあの皐月の走りに惚れたのだと頬を紅くして熱く語ってくれた可愛らしいお友達に対して、少女は先達としてこう語るのだった。
「ライスさん。私はライスさんの頑張る走り大好きだよ」
「うう……――ちゃん、ありがとう」
「だから、それでいいよ。ライスさんはあの日の私みたいにはならなくて良いんだ」
「――ちゃん?」
眩しさに目を細める――――を見て首を傾げる、ライスシャワー。
彼女は極めたがっている者である。ああなりたいと思い、そうなるためにはと既に一歩踏み出している子だ。
ライスシャワーにとって、少女の魅せたあのレースの最後の一歩以外の全てが叶わぬ理想。
脚質異なる彼女は故にこそ――――の歪を星と捉えて目標に掲げていたのだったが。
「あ」
風一つ。前髪を攫うばかりの緩いそれに、でも気を取られるおしゃまな少女。
それを愛らしい、認められて欲しいものと見るのは彼女の自然。
美しき、祝福されるべき乙女を今目の前にしている駆け抜けられなかったただの女の子は。
「ね、ライスさん。今度私が走って、そうして……幸せになるのを見て」
秘めた拭いきれぬ慚愧を他所に、ただあの子が成れなかった幸せに届かせるためにと星に手を伸ばすことを夢として。
今を生きて、そんなものを求められる嬉しさに、今日も微笑むのだった。
「う、うん……」
夏の暑さと無関係に熱を持つ、頬。ライスシャワーは、己をあまりにまっすぐ映し返す年下の柔和から覗く鳶色の瞳に見惚れる。
無冠の、でも憧れ。あの日の走りは私は皆を不幸にしてしまうという、そんなジンクス、経験から来る諦観でも止められなかった程の衝撃があった。
――――♪
地べたから努めて後ちょっと。そんな誰よりも星に近づいたどこにでもいるような少女こそ、夢見る彼女の理想像。
未だ幸せを与えられない私と違って、この子は何もかもに必死という強い印象を与えてくれた。それが、どうしたってライスには素敵にしか思えなくて近寄ってみてからもう、離れがたく。
「羽根はなくても、私はそれでいいよ」
遠くを見つめながら、少女は意味深にうそぶいた。
一人の自分に頷きながらもしかし、精神にて限界を超越した、そんな嘘のようなお手本を前にライスシャワーはここのところずっと私なんかと卑下することなく。
「が、頑張って……」
「うん!」
我がことのように、その青いバラの幸せを願うのだった。
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