番外話④ 朝倉涼子の望外

ハルヒさん2025 【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

俺がもし余所の誰かにSOS団が何をしているクラブかと問われたら、きっとただの仲良しサークルみたいなものだと答えるだろう。
実のところ国木田にも似たような説明はしているし、実態もまあそのようなものだしな。

ハルヒが世界の中心かどうかは知ったこっちゃないが、いやSOS団の団員には心のど真ん中にハルヒを置いちまっている奴の多いこと。
凡人仲間の谷口については語るまでもないが、他の【ただの人間ではない】面々だってハルヒの一挙手一投足に釘付けだ。

それこそ涼宮ハルヒ観察会みたいになっているSOS団。その中でハルヒを半ば珍奇な生物として見ているのが俺だけってのは不思議なもんだ。
だがあの脳天気乙女の口にしたカニさんって何時からカニ歩きをはじめたのかしらなんていう疑問に、古泉がまるで用意していたかのように即座にどこぞの大学の研究成果を披露した時なんて、大層脱力したね。
おかげで俺のきっと大して灰色がかってもいないだろう脳の片隅にあの延々チョキを出し続ける生き物の横歩きが2億年も前から続いてるって情報が、カニさんってとっても真面目なのねと大きく口を開けたハルヒのびっくり顔と共に刻まれちまったのには困ったもんだ。
ただでさえ限りある俺のリソースを確実に奪われたってんだから、こりゃ明日のテストの際に数式の一部でも忘れちまってたら古泉に文句の一つでもつけなきゃならないだろう。

と、そんな風に下らないなことを考えながら黒板消しをどれだけ真っ直ぐ上下させるかなんて酷く退屈な挑戦に興じ続けていたところ、俺の背中にそろそろ耳馴染んできた声がかかった。

「うん。こっちの方は大分片付いたわね……そっちは、どう?」
「黒板のほうも掃除終わったぞ」
「そう、ありがとう」
「おう」

きっと谷口に古泉よりは達者な筆致で日直欄に「山根と柳本」の名前を書き込みながら振り返れば、そこには学級委員長朝倉涼子の姿がある。
まあ、谷口が見た目だけならAAランクプラスなんだけれどなあとほざいてたくらいであるからには、朝倉は美人だ。
しかし、その笑顔と同じくこいつの一体全体が宇宙的存在の作り物だっていうのだから世の中分からないもんだよな。
もっとも俺だってきっと神様――ハルヒでは勿論ない――的存在が生み出した歪んだ被造物の一つだろうから、そこを特に気にすることはないが。

ちなみに放課後の今にこの朝倉との一対一の状況が作り出されたのは簡単だった。
今週の掃除当番四名のうち風邪で荒川が早退して、谷口まで面倒を嫌がってどこかに逃げたせいだ。
残ったのは流石に女子一名にやらせるのは流石にどうかと思った俺ときっとサボるなんて考えもしないだろう朝倉の二人。
この少数精鋭で役割分担をした結果、上段まで手が届く上背があるからと俺が黒板としばらく向き合うことになったのはやはり面倒だったが。

「それにしても、掃除当番なんて時代錯誤よね。それこそ北高なんて土日に清掃業者の手が入ってるんだから止めてもいいのに」

掃除用具入れのロッカーにモップを入れてから、珍しく少し嫌そうな表情をしてから朝倉はこんなことをぽつりと言った。
地味に業者をこの高校が雇っているというのは初耳だったが、それ以上にこいつがそんな感想を持つこと自体が意外だ。
つい、俺の返事も漫ろなものになってしまう。

「ああ、それは俺も思うが……」
「なあに。わたしらしくない言葉とでも思ってる?」
「まあ、岡部教諭直下の委員長様にしては不真面目な言と感じなくもないな」

ふざけた調子で話しを続けながら、俺はそういえば少し前に朝倉がこの教室にて刃渡りのあるナイフを持ってハルヒと対峙していたことを思い出した。
大事はなかったし過ぎたことではあるがやんちゃじゃすまないことをこいつはしでかしていたのである。
すると、むしろこの宇宙人がどうして真面目ぶってモップ清掃なんてしていたんだろうとすら考えてしまうのだから不思議なもんだ。

俺のうろんになっているだろう表情を知ってか知らずでか、朝倉はおもむろに真面目委員長の仮面をずらしてから嗜虐的な部分を披露しつつ、こんな返しをしてきた。

「ふふ……わたしだって、硬直した状態を歯がゆく思うことはあるわよ? ましてや、有機生命体の非効率をただ呑み込むばかりなんて疲れちゃう」
「そういうもんか」
「ええ。そういうものよ」

そんなもんは何とかならんもんかとは思うが断言されちまったら仕方ない。
俺としてはむしろその苛立ちのために、朝倉と長門が得意としているらしい情報操作によってこの特に意味のなさそうな掃除にかける面倒な一五分間がなくなってくれたら嬉しくもある。
だが、そう思う反面俺にとっては気がかりが出来てしまった。

効率非効率で語れず、最早無茶苦茶でしかない涼宮ハルヒという存在。
それを間近で監視しているのはこの宇宙人にとって或いはストレスではないのか。
そのせいで刃物を持ち出すなんていう暴挙に走ってしまったのではないかと今更に考え至った俺は、ついこんな疑問を口走ってしまう。

「じゃあ今は退屈か?」

決してハルヒが《《良識ある突飛》》を繰り返す日々は俺等にとって平凡ではない。
だが、それでもビックバンとか宇宙的な規模の現象に比べたら小さいだろう。
もしかすると、長門がすらすらと繰り返し語ったもんだから忘れられなくなっちまった情報統合思念体とかいうこいつらの親父さんだって、ひょっとしたらさっき朝倉が口にしたように歯がゆさを抱いているのだろうか。

よく分からん。しかしだからといって、クラスメートのことを考えてやらんほど俺だって狭量ではない筈だ。
七夕からこの方付き合いが悪くなってきた谷口を想起しながら、俺は何となくこのSOS団いち人間くさい宇宙人を慮ってしまったのだが。

「……不思議なことに、そうでもないのよね」
「そうか」

だが、胸元を押さえながら自らの言葉に驚いたかのような表情をして朝倉はこう返してくる。
スカートを円に。俺の目の前でははじめて彼女の長髪が空に遊んで、薄暗闇を引っ掻いた。
その場でくるりと一回転してみせた一年五組の委員長は、こう続ける。

「長門さんはね、最近食べることも楽しむようになったわ。わたしも彼女におでんだのオムライスだのを毎日せがまれるものだから、料理が得意になっちゃったの」
「それは、良かったな」
「ええ。良かったのよ。ここには生まれてからの大事な三年間をアパートの片隅にて情報収集にあてていた端末も、工作のためだけに他者と対話するばかりの人形だってもういないの」

朝倉涼子は望外の今に嬉しそうにしながら、ありきたりの高校の特別な誰かのための机の上を指先で撫でるようにさらう。
彼女の瞳の中には、目的とする先のことではなく今の平凡も確かに映り込んでいた。
きっとそこに俺だって入ってくれていることは、幸甚なことなのだろう。
《《うたう》》ように、朝倉は語る。

「現状は退屈ではない……この結論に、わたし達がハルヒの力によるダウングレード……陳腐化の影響を受けているのは間違いないわ――――でもそれがどうしたのかしら?」

俺らから見たら宇宙人なんてものは特別だ。
ハルヒだってつい恥ずかしがりながらも欲してしまうくらいにはロマン溢れる存在だっていうのは間違いない。
だが、当の宇宙的な彼女らの大きすぎる括りからしたら、朝倉や長門のような一人一人はでかい意思の末端でしかないらしい。
大きく異を唱えたいそんな自認に、しかし今は変化の兆しでも生まれたのだろうか。

この朝倉涼子はまるで朝倉涼子の身体を大切に抱くようにしながら。

「わたしの神様は【友達を信じてくれている】のだからわたしもその恩恵を信じて……」

蕩けるような表情をしてから、ハルヒのその無垢な信を貰ったその身を捩る。
そうして、一転俯いてから朝倉はこう結ぶのだ。

「だからこそ、わたしはあの子に愛される大切な私の命だって懸けて、ハルヒを守るの」

朝倉涼子のその手にはあの日の白刃は影形もない。
だが何よりぎらりと輝く真剣がその心の奥にあるのだろう。
漆黒の仮想敵を暗がりに見ている様子の彼女の瞳は当然のように昏く据わっていて。

 

「痛いっ」
「はぁ。何言ってんだ朝倉……」

だから俺は、そんな誰も望んでいない覚悟をするクラスメートの頭を軽く叩くのだった。
ぱんといい音が鳴ったことで、一気に真面目な雰囲気は霧散する。
そして器用にも涙目を作った朝倉は、恨めしそうにこんなことを零した。

「あなたって酷いわ……わたしだって無駄に命をかけるとか言ってないのに」
「はぁ……やっぱり委員長って属性持ちは頭が固いんだな……お前も言っただろハルヒは【友達を信じてくれている】って」
「そう、だけど……」
「はぁ」

属性って何、とか小さく呟いて首を傾げる朝倉に俺は更に溜息一つ。
なるほど長門が前に朝倉のことを見てあげてというようなことを短く喋っていたのはこのせいかと俺は理解した。
曰く朝倉涼子は急進派。つまり常に前のめりってことで、そんなこと続けていたら多少改善しようと視野狭窄に陥るのも仕方ないか。
俺は、もう一人の三歳児に有機生命体の死生観を改めて教えるために、端的にこう伝えた。

「あいつ、ハルヒが自分のためにお前に【じゃあ死んで】、とでも言うと思うか?」
「あ……」

そして今にも気持ちを急かして足を取られてぶっ倒れそうだった朝倉は、俺の中のハルヒを目に入れたことで立ち直る。
彼女は再び柔らかな光をその目に宿してから、俺を見直した。
やがて今までで一番それらしい笑顔になった朝倉涼子は、まるで幼子そのままに続けて問いを重ねる。

「なるほど……その通りね。でも、どうしてこんなことを、あなたはわたしに教えてくれたのかしら?」
「知らん」
「ふふ。ひょっとして……あなたがわたしを友達だと認めてくれているから?」

疑われていると思っていたけれどだったらとても嬉しいわねと素直に話す朝倉に俺はどう返したものかと少し悩んだが。

「……やれやれ」

結局、そんなの言うだけ野暮ってもんだろうと、古泉の真似して両手の平を上にしながら曖昧に苦笑するばかりだった。


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