第四話 うさぎ≠ウロボロス

ハルヒさん小説の表紙 【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

「いやあ、書道っていうのも意外と面白いものなのね! 習字の宿題のつまんない思い出しかなかったけれど、勝手に書いていいとなると、途端に自由になれるって驚き!」

最初は、正直なところ大して実りを期待しなかった、連続仮入部。でも、私、とってもハマっちゃったわ!
よく考えたらそりゃあ、多くの学生達が青春の大事な一部である、放課後を捧げてもいいと思う程には中毒性のある活動達なんだもの。どれもこれも楽しくって、当然よね。
そして、何だか古式ゆかしさに囚われて身動き取れないくらいに窮屈なんじゃないかな、と思っていた書道部の活動も、中々に私を楽しませてくれたわ。
いや、用紙これ一枚じゃなくてでっかく繋げたら凄いの書けるんじゃないかしら、という私のインスピレーションが書道に収まっていたかは疑問だけれど。
まあ、周囲からは白い目線が多いわね。でも、多くの呆れの視線の中で、私に付いてくれた上級生の女の子――鶴屋さんっていうらしいわ――は、笑顔で私の力作を認めて、こう言ってくれたわ。

「いやあ、それはハルにゃんのスーパー発想にも原因があると思うよ? 好き勝手していいって言われた途端にわら半紙をくっつけて、筆先の墨汁擦り切れるまで自分の名前を引き伸ばした挙げ句にウロボロスを召喚したのには、あたしも驚きっさ!」
「違うわ、鶴屋さん。この子は、自分の尻尾を掴もうとしている猫さんよ!」
「おぉ、これが正しくハルにゃんって訳だねっ! めがっさおっもしれー!」

鶴屋さんは、腹を抱えてケラケラ笑ったわ。うーむ。ちょっと猫にしては細すぎたかしら。でも、二度書きはいけないって聴いたことがあるし。難しいわね!
私は新聞紙の上で一回転繋がったわら半紙――後でこれ涼宮サークルって名付けられたみたい――を回収しながら、あれこれ悩んでいたら、再びやたらとテンション高い鶴屋さんが声をかけてきたわ。
いや、どうにも鶴屋さんは好意的ね。彼女も私みたいに何か特別を隠しているとかあったら面白いのだけれど……まあ、流石にそれは望み薄ね。彼女がSOS団のメインメンバーという記録は私の中にはないし。
だからまあ、とにかく明るいこの気が合う先輩とは、普通に関わりましょう。一緒に楽しく、ね!

「いやあ。こっちもこっちで噂の仮入部してきた子を楽しませてあげようと、書き初めイベント用のでっかい筆を用意してたりしたんだけど、こりゃ先に一本取られちゃったなー」
「なら、三本勝負にしたらどうかしら? 景品はそう……そこの、何だかビクビク私から隠れているけれど、色々と隠せていない女の子とかどう?」

そして、私は明らかにお尻とか大ぶりのおっぱいとかを女の子部員達の合間からちらちらさせている朝比奈さんを指差したわ。彼女、こんなところに最初は入部していたのね。驚き。
私が示すと、朝比奈さんはびくっと大きめに震えたわ。ごめんね。でも、私が貴女を欲しているのは本当なの。
私がにこりとしたら、朝比奈さんはさらに引っ込んでしまったわ。いや、だからいくら小柄でもそんな隙間に入るの無理だってのに……あ、やっぱりおっぱいが引っかかった。
ガタガタやってる朝比奈さんを見て、鶴屋さんは大きく目を開いたわ。そして、感嘆に似た声を上げたの。

「んー? ああ、みくるかぁ。ウチ一番の踊り子を見初めるなんて、ハルにゃんはつくづくお目が高いっさ!」
「えっ。やっぱりわたしなんですか~!」

鶴屋さんは、どうしてだか震える少女に向けて、私よりも上手な子守のするような笑顔を見せたわ。そして、彼女は朝比奈さんをかばうように手を広げたの。
むむ、これじゃあ私が悪役みたいね。私、【涼宮ハルヒ】は多分、主人公か何かだと思ってるのだけれど……違ったらいやだわ。

「みくるは安心するんだねっ。幾らハルにゃんと言えども、そうそうこの子を渡してなんか、あげないよ! 鶴屋流の技の数々、今見せてあげるにょろっ」
「ふふ、鶴屋さんのお手前、拝見するわ!」
「わわわ。な、なんだか大変なことになっちゃいましたー!」

驚く朝比奈さんを尻目に、私達は発奮する。
鶴屋流が何か知らないけれど、私にだって涼宮流のやり方というものがあるわ。条件は互角なはず。
おもむろに取り出した大筆を、剣のように鶴屋さんは構えたわ。私はセロテープで繋がった半紙を広げてヌンチャクのように変えてみる。

さあ、先手は譲るわ。かかってらっしゃい。私達の戦いは、これからね!

……………………。

「続きは」

私が少し前の戦いで起きた情動を思い出して、思わずそれに浸って黙していると、隣を一緒に歩いてくれている有希が、そう言ったわ。
ああ、いけないいけない。何だか普段よりも意思の光を覚える黒い瞳を覗き込んでから、私は続ける。有希が、ちょっとでも話を楽しんでくれていたら嬉しいんだけれど。

「後は、そうね。先ずは鶴屋さんが部室カンブリア紀染めで私から一本取って。その後鶴屋スプラッシュと、涼宮サイクロンの激突が引き分けたことで、戦いは終わったわ。……二人してびちょびちょの部室を片付ける役目を任されたのを引き換えとしてね」
「ユニーク」

有希の口からユニークが、また出たわ。私の前だとよく言うのよね。口癖なのかしら?
それにしても、鶴屋さんは強敵だったわね。戦慄とともに、数十分前の光景を思い出さざるを得ない。
鶴屋さんが大量の大筆を存分に使って、書道室に太古のウミユリを再現したことには、本当にたまげたわ。そうしてから彼女が真似したハルキゲニアを合わせると、最早部室はカンブリア紀そのものだったわね。
しっかし、ハルキゲニアは鶴屋さんがやったみたいにガオーって鳴くのかしら? 一度直接見てみたいものね。朝比奈さんは知ってるかしら……あれ、そう言えば三年だか前の過去に時間断層があるとかいう情報もあったような……むむ、だったら無理かな。

その後、和紙っていうデリケートなものを扱っている部室で水と新聞紙のぶつけり合いという、やりすぎたおふざけを演じてしまった私達は、職員会議から帰ってきた顧問の先生に大いに叱られることになったのよね。
なんでか、トロフィー役をしていただけの朝比奈さんまで怒られることになってしまったのは申し訳なかったわ……そりゃ、私も片付けを真摯に行うってものよ。
まあ、スケスケになっちゃった制服を体育着に着替えるのはちょっと手間だったけど。その時に鶴屋さんの中々のグラマーさに益々ライバル心を滾らせたのは、蛇足かしらね。

そんなこんなで待ち合わせに十分ばかり遅れた私を快く許してくれた有希には友情を禁じ得ないわ。揺れる小さなボブカットに抱きつかんとする衝動を抑えるのは大変ね。
いや、私だって彼女が思惑を持って私と付き合ってくれているのだろうというのは分かっているのよ。友達になろう、というのをOKしてくれた理由が興味でしかないのは、しようがないわ。
でもね、いくら今は形だけだって、友達になったからには楽しさを分けてあげたいと思うのは、自然じゃない。私はこのまだ冷たくカチカチなはじめての女友達に、何気負うことなく笑顔で続けるわ。

「ふふ。今日は引き分けだったけれど、何時かあの子を手にしてみせるわよ!」
「……手段と目的が変わっている」
「なあに、有希ったら目的とか手段とか、そんなちっちゃなことを考えてるの? 確かに、より楽しむために持ち出しただけの朝比奈さんだけど、そっちも抱きしめちゃっていいじゃない。私は強欲なの」
「そう」

それにしても有希ったら、饒舌とはいかないけれど、意外と相槌を打ってくれるから助かるわね。自分のことを言ってくることさえないけれど、私の言葉に耳を傾けてくれているのは間違いないのが、嬉しい。
あ、そういえばこの子、宇宙人っぽい何かすごいののインターフェイスだったわね。今やそんなこと、どうでもいいけど。私は、普通に有希のこと、気に入っちゃったし。

でも強欲な私はもうちょっと、と考えてしまうわね。物理的な距離だけじゃなく、心近くあってみたいもの。何しろ遠慮無しで、付き合って喜ぶのも、友達同士のたしなみじゃない。
私も友達は少ないけれど手本を見せられたらなあ、とか考えていたら、偶々なのかしら……いいや、あいつストーカーの気があるからきっと狙い通りなのかしらね。校門を出たら近くに、谷口が居たの。
私を見た谷口は、門柱に預けていた背中を退かして、へらりと笑って手を振ったわ。相変わらず締まりのない口元ね、と思いながら、私は手を振り返してあげた。有希も、そんな私達の様子を見ていたわ。

「よう、涼宮」
「あ、谷口。なあに、前にもう大変だから良いって言ってたのに待っていてくれたの?」
「ちげえよ。たまたまだ。ん? その隣に居んのは……」
「…………」

その時、男女のデートの待ち合わせの言い訳みたいに嘘くさいことをほざいた谷口の茶色い瞳が、横にずれた。ずっと私の隣に居たのに遅いわね。やっとこいつは有希を見つけたの。すると、彼の眉が嫌な風に歪んだわ。
あ、そう言えば当たり前に備わっていたから今まで口にすることも気にすることもなかったのだけれど、私って実は読唇術を軽く修めていたりするのよ。遠くのは流石に分からないけれど、これくらい近かったら、間違わないわ。

そう、谷口の口元は私に聞こえるまでの言葉紡がずとも確かに、なんだそっちかよ、と動いたの。
どういうことかしら?

「何?」
「いいや、なんでもねえよ。うさぎの世話、精が出るな」
「何、それって有希のこと? たとえ下手ねー。有希はとっても可愛いけれど、うさぎさんっぽくはないわよ」

私の質問を素気なく切り捨て、谷口は何かこう、強い感情籠もった瞳で有希を見てる。何よこいつ、と思って私はその視線を体で遮るわ。
それにしても、どこから谷口は有希をうさぎさんと評しているのでしょうね。
男の可愛いいのたとえって、皆うさぎさんになっちゃうものなのかしら。それともこいつの趣味? バニーさんはちょっと……色々足りなくて似合いそうにないし、有希を彷彿とさせないわよね。
訝しがる私に、しかし、谷口はその話題を引っ張るわ。切っ先を有希に向けて。

「似たようなもんだろ? なあ」
「……貴方の認識には、大いに齟齬がある」
「そうかい」

応じ、私の後ろからずいと出てきて、有希は反論する。それに、軽く矛を収める谷口は、それはそれでらしくないわ。
有希の黒い瞳を受けて、谷口は、ニヒルに笑う。むむ、似合わないわね。もっと、アホらしくしているのが合っているのに。

「お前らの邪魔してもアレだし、俺、帰るわ」
「そう? じゃあね」
「おう」

やがて、至極あっさり谷口は踵を返して戸惑い立ち尽くす私から離れていくわ。一体全体何か、気にかかるわね。
私がその丸まった背中にどんな声をかければ良いのか悩んでいたら、代わりに有希が平坦に声をかけたの。

「……気をつけて」
「お前に言われるまでもねーよ」

それは、どこか険のある声色だった。何だか普段のお友達と離れてしまった谷口に、告げる言葉を迷っている間に私は彼を見失う。青年の姿は次第に低く、坂の下に消えていった。
何だか誤ってしまったような気がしながらも、私は何だか訳知り顔……とは見えない感情一つも無さげな何時もの表情ね、でも先の言動は谷口と以前から関わりありそうに見えたわ……の、有希に聴いたわ。

「何、あなた達、知り合いだったの?」
「別に」

しかし、有希はあいつとの関係を否定したの。まあ、あいつと一緒にされるのが業腹なのは、何となく分かるけれど……ま、そんなことじゃないか。
喋りたくないのかしら。それなら、いいでしょう。そういうことにしてあげる。

「うーん……何だか釈然としないけど……有希がそう言うなら、信じるわ」
「……何故」

そうしたら、意外にも有希に小さな反駁が起きたの。私はその疑問に、幼子の感情のきざはしを見つけて大いに笑んだ。

「そんなの、決まってるじゃない!」

私の笑みは太陽の満面ではないだろうけれど、月には届いてくれるかしら。そう考えながら、私は肩に両手を置いて、顔をずいと有希へ近寄せてから言い張るわ。
その、真っ黒な無垢に自分を溶かしてあげるように真っ直ぐ、好意を向けて。そうして伝える。

「私が有希を、信じたいから」

そう、結局、私は好きに従いたいの。それは【涼宮ハルヒ】らしいとはいえないかしらね?
ウロボロスのようには、うさぎは自分を齧れない。故に何の相手もなく、彼女はそこで独り、辛さも知らずに待っていただけ。そんな、無垢を感じ取れるような、有希が私は好きだった。
本当は有希が嘘を吐いていても、黙っていても、そんなの知らない。私は強欲にもありのままの彼女を呑み込むの。私が傷ついたって、ちょこっと辛いだけ。好きなら、そんなの我慢できる程度でしょう?

「ユニーク」

ぽつりと言う有希にはやはり、表情というものはなかったわ。けれども彼女はまた一つ、私を受け容れてくれたようだった。

だって有希は初めて、私を【視て】くれたから。

そこには、自己完結したぐるぐる無限機関じゃなく、月どころではない遠い宇宙(そら)から落ちた一羽のうさぎがぽつんと座っていた。
寂しくも、彼女はただ三年もずっと、そうしていたのだ。


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