第二話 ゆうじ

口が裂けてもいえないこと

第二話 ゆうじ

たとえば。そう、たとえば人探しの最中に、街から人影が失われてしまえばどうすればいいのだろうか。

影すら見当たらなければ、何も見つけることはできない。周囲は不気味に静まり返っているような、そうでもないような。ごう、と吹いた隙間風に振り向けば、そこには夕闇が引き伸ばした物影があるばかり。どこをどう見ても、辺りには人っ子一人ないようだ。

そんな、たとえ話でしかないような現実が目の前に広がっているのが、無情である。慌てて気持ちを露にしてしまえばそれが吸い込まれていってしまうような広さを、小路において感じてしまうのは不思議だった。人で塞がっていない街は、こうまで寂しいものかと初めて感じ取る。

「いつもは人ごみがあれば避けるのに、なければそれはそれで不安になるんだなぁ。困った」

少年は、そう独り語ちる以外になかった。返事は、当然のようにありえない。

 

非情で不思議で寂しい現実に直面しているこの少年の名前は、足立(あだち)勇二(ゆうじ)といった。異常に困惑して馴染まない彼は、もちろん人間である。ついでに言えば勇二は成人するには四年ほど足りていない学生であって、そもそも薄暗い街の至る所をうろつく様なまねは不相応なものだった。

勇二は不良でなければ優等でもなく、一般の範疇から漏れないような人間だ。強いて異色な部分を挙げるならば、境遇が悪い意味で変わってきていて、それがどうやら今ピークに至っているようであるといったところだろう。

以前勇二は、一般人らしくそれなりに幸せで平凡な日々を送っていた。しかし、今や過去に幸せであったことは落差を生むだけであり、また日々をただ繰り返していただけでは対応力なんてまるで育ってもいなかった。だから、勇二は有事に振り回されるばかりだ。どうすればいいかも分からなくて、街をさまよい歩いていたらこうなった。

「誰か、いますかー?」

誰もいないのは、分かっている。でも、静寂の中で目をさ迷わせるだけではサボっているようで、ついつい声を張り上げてしまっていた。

騒音すらないビルの谷間に、勇二の呼び声はよく響く。こんなにも五月蝿くしているのだから、届いてくれるのだと彼は期待した。しかし、直ぐ後の沈黙に期待は裏切られる。矢張り、こんな人気のない街中には、誰もいなかったのだ。その事実がとてもおかしくはあったが。

「はぁ……ないものはどうしようもない、か。幸いこれなら、思い切り騒いでも平気だろうし」

そう、誰もいないのならば迷惑はかからない。今ならば、大声で呼んでも構わないのだ。そう、いなくなってしまった妹の名前を何も気にせずに、大きく叫べる。

「華子(かこ)ー、華子ー。いるなら返事をしてくれー!」

誰もいない場所で、誰かを求めることは間違っているのかもしれない。しかし、有象無象で溢れる場所を幾ら探しても見つからなかったのならば、まだ誰もいない場所で見つかるほうがありえるような気もする。

正直なところ、勇二は混乱していた。いや、そも、いつでもうざったくなるくらいにまとわり付いてきた家族がなくなってからこの方、その内心は混乱し通しであったのだ。まともな判断は既に期待できない精神状態で、ただ目的のみは見失うことができない。

まあ、人気のないところにたむろしているような連中に聞き込みをしたりするのは一般人足立勇二にとっては重労働で、嫌なものだった。だから、ある意味この状況は楽になったといってもいいかもしれない。誰も居なければ、歩くしかないのだから。考えすぎてごちゃごちゃになった頭を休めるためには丁度良かった。そして、いかにも人が居そうでも実は居ないような場所で声を張り上げるのは、疲れるけれども鬱憤晴らしにはなっていたのだ。

「華子、はなこー、華子、はなこー。いないのかー?」

しかし大して根気のあるわけでもない勇二は直ぐに徒労に飽きて、呼び声に普段のあだ名を混ぜリズムを揃えることで暇つぶしを始めるようになった。返事も期待しなくなったために歩みも速くなり、注意が散漫になったことにすら気付かない。

無闇やたらに進んでいては、一寸先は闇ということわざすらかなたに置いていってしまう。有事に油断は命取りのようなものであるというのに、それすらも分からなくなっていたのかもしれない。頭を空にしすぎていた。

ただマンションやら工場やらの谷間に分け入るばかりでは、遠くしか望めなくなってしまうのだろうか。右も左も壁ばかり。その向こうに何があるかは分からない。

だから、そこに妹が居て、声が届くようなことがあってもいいのではないか。そんな夢想ばかりで、勇二は現実を忘れていた。

「はなこ、はなこー……ん?」

途中にカコ、と足元で音がしたのに気付いて見下げてみれば、そこにはにごった中身を溢れさせる小汚い空き缶が転がっているだけだった。周囲のすえた香りの中にコーヒーの強い匂いが広がって、鼻腔を情報過多な気持ちの悪い空気が通過する。そんなものが肺臓を満たしてしまうのは嫌だったから、思わず勇二は鼻をつまんでいた。つま先に被った汚水をアスファルトの地面に擦り付けながら、勇二は自分が調子に乗りすぎていたことを少しだけ反省する。

それにしても、歩いている間に随分と汚い場所に着いていたようだ。袋小路の狭いビルの合間には、行き場のなくなった腐れた物ばかりが積もっている。最深部にはまだ遠慮があったのかゴミ袋に纏められてあったが、その上に上にと裸で積まれたゴミはその姿を風雨で更に濁して汚れていた。頂にあるのが鳥か何かの死体であって、黒い羽の中から骨の白さを僅かに露出させている様が、また象徴的である。

「そうか。誰かが見つけないと、こんな風になってしまうんだ……」

そのゴミ捨て場を見たとたんに、勇二の中では浮ついた希望が一つ塗りつぶされていった。絶望するくらいの衝撃を受けるほどではなかったが、それでも目の前にある無意味に乗っかった死の姿は酷くおぞましい。更には、そんな嫌なものが恐らくは今の今まで見て見ぬ振りをされ続けてきたのであろう事実がまた、勇二の胸を詰まらせるのだ。

妹が無事であるという根拠のない希望は、行方不明になってから十日目の今日に至っては大分磨り減って、幽かにしか残っていなかった。その代わりに、警察に親戚近所にと駆けずり回る両親にただ一人家に取り残されていた勇二の焦りは、相当に積もっている。

「そうだ。早く、早く見つけないと……でも、こんなやりかたで見つかるわけ……」

焦燥感が勇二の腕を動かして、役に立たない咽元を強く引っ掻かせる。汗で少し湿った肌に溝ができて、底から赤黒い血液がじわりとあふれ出した。ずきりと、痛みが走って勇二の眉は歪む。でも、そんな八つ当たりの自傷行為ですら、焦りを焚きつかせることにしかならなかった。

「ああっ、俺は本当に何をしていたんだよ! でも、どう……すればっ」

何もできないからといって、何かをしているだけでは意味がないことには勇二も薄々気付いていた。逃避していても、楽しくありはしない。その間、ただ色のない時間が過ぎていくだけなのだ。だから、自分はただ問題から目を逸らすことで、無意味な空白を作っていたのではないかと、結論づけてしまうのも無理はなかった。

その無意味な空白こそが自分を休ませている唯一の時間であるということに、勇二は気付けない。寝てもうなされて、起きれば不甲斐なさに悩むばかりであっては、その内に壊れてしまうのは明白なのだから。

空気のように自分に纏わりついていた妹を失って、勇二は陸で溺れていた。腐臭溢れる不味い空気を取り込むことしか出来ない咽が苛立たしい。だから、めかし込んだ妹を早々に出かけさせるため最後に振った右手でもって、つい咽を掴んでしまうのだ。藁をも掴むように、という言葉に留めるには強すぎる、締まってしまうほどの力を込めて。

 

「あは」

しかし、そんな行き過ぎた自罰は、痛々しくもどこか滑稽である。

「あははは」

そう。【ゴミ捨て場】の前で自ら首を絞めている、そんな奇妙な少年が面白かったから、少女は声をかけてみたくなったのだった。

「ばぁ」

「うわっ」

「あはははは」

そして、勇二が衝動的に今一度咽を爪でなぞってしまうその寸前に、少女は勇二の前に降って沸いた。滴り、指先に乗っかった血液を気にしてから、少女はまた大げさに笑う。

「ねえ、おにいさん。私ってキレイ?」

次に、驚き固まった勇二に、お決まりの文句を問いかけた。

「え? えっと……大丈夫」

「だい、じょうぶ?」

「うん。あ、怪しいものじゃないから」

しかし、その質問があんまりに突飛なものであったために直ぐ様二人が噛みあうようなことはなかった。だから、こんな所にいて相手を驚かしてしまった時のために用意しておいた文句が、つい勇二の口から出てしまったのだ。

そう、勇二は驚かしに来た怪人にわざわざ釈明したのだった。確かにただの人間ですよ、と答えずに応えたのである。

「あ、あはははは。おかしい。おにいさん、面白い人だね!」

「はは、そう、かなぁ……」

落ち込む肩に、腹を抱えて少女は嘲った。誰の意図も通じなかったために、平和な間は起きる。高く上がった笑い声は耳朶の呻き声を掻き消していくから、少女はさらに愉快になっていく。

一方、勇二は小学生くらいの見た目の少女に、最初はただ愛想笑いを返しているばかりであったが、やがてそのニヤケ顔も自然に治まった。大分ボケた頭でも、その口元の痛々しさには気をひかれるものなのだろう。しかし、そこに気を留められないことが、勇二の悪い流れを助長していた。

「はぁ……」

少女の大きな口の両端はジグザグに糸でとじられていて、その裂け目を目で追っていくと耳のすぐ近くにえくぼが出来ていることに気づく。よく笑い、よく泣くのは子供の特権である。少女の稚気が、幼さが、一々同年代の妹を思い起こさせて、勇二の目に毒だった。

「ねえ、おにいさん」

「え?」

しかし、だからといって一度でも目を瞑ってしまったのはやりすぎか。パーソナルスペースはあっという間に侵略されて、笑顔の少女は眼前にある。

「私のこと、呼んだ?」

上気して朱色に染まった僅かな頬が、釣り上がって大きな弧を描く。そんな、とても嬉しそうにして、少女は尋ねていた。

「うっ。えっと、多分呼んでいないと思う。……聞き間違え、かな。君の名前は?」

「あは。私は、ハナコって呼ばれていたわ。きっと、多分」

はなこ。その言葉ばかりが勇二の脳裏で一際響いた。少女、ハナコの曖昧な物言いを訝しく思う間もなく、反射的に彼の目は大きく開く。

「ああ、それなら……そうだ。確かに同じ名前を呼んでいた。でも、それは君のことじゃあないんだよ」

「ふうん。そっか、そうなんだ。……ね、ならおにいさんは誰を呼んでいたというの? こんなに寂しい場所で」

互いの身長差により、勇二は間近のハナコに下から覗かれる。

人気のない路地裏のゴミ捨て場なんかに、少年少女は似合わない。だから、彼女は面白く感じたのだろう。興味を孕んだハナコの瞳はぱちくりと瞬いて、勇二に先を促した。

「ああ、俺の妹のあだ名が、はなこって言うんだ。本当は華子って名前なんだけれど、いくら本名で呼んでも出て来ないから、色々変えてみていたんだよ。阿呆らしいよな。でも一週間以上前から行方不明なものだから……やることも尽きてきて」

「ふーん。そんな風に、色々とやってもどこにも居なかったから、ここに着いていたっていうわけなんだ」

「うん」

肯定の言葉を聞いて、ハナコは少し呆れた。ハナコには家族というものがどれだけ大切なものなのかは分からないが、それでもそんなもののために行き着いてしまった勇二は面白すぎる。確かに愉快ではあるが、嫌に過剰だった。

「まあ、人それぞれ、っていうことなのかな。どこにもいなかったからゴミ捨て場を探すというのも、別に悪くはないと思うし」

「……ゴミ捨て場?」

「そ、ここは愛されないヒトガタたちの居場所。見向きもされない寂しいところ。もしもこんなところに妹ちゃんが紛れ込んでいたとしたら、確かに外からじゃ分からないかもしれないね」

そしてハナコがついと上げた指先は、勇二の後ろにある汚物の小山に向いていた。もう二度とまじまじと見ることはないであろうと思っていた、そんなものに。

「ねえ。俺はここがどこになってしまったのか何なのか正直分からないんだけれど……君は、ハナコちゃんは、ここがどこなのか分かっているのかい?」

「分からいでか、って感じかな」

応じ、ハナコは軽く胸を張って、ポンと叩く。その小さな頼もしさが、勇二にとっての光明だった。

「なら、少し俺に手を貸して欲しい。お願いだよ。頼む」

そう、例えばゴミ山の中に妹の身があったとしたら、勇二が見つけることは出来ないだろう。誰だって、廃棄物の中身は不案内だ。

しかし、もしハナコがそれに長じているとするならば。

「なにをして欲しいの?」

「一緒に、華子っていう名前の女の子を探して欲しいんだ。探せる場所全部回っても俺じゃあ、見つけられなかった。だから、俺の知っているはずなのに知らないゴミ捨て場っていう所もちゃんと調べたいんだよ。そのためなら……なんでもする。大事なんだよ、妹なんだ。ムカツクことだっていっぱいあるけど、でも失くしたくはないんだ」

不明な場所で、不思議に出会ったからこそ、どこか信用してしまえるのだろう。それに、藁にすがるくらいならば、子供に頼った方がましだ。

現実逃避していても、夏の虫は火の中に飛び込んでしまうのだろうか。またこの子は変なことを言っているなと、少し引けていた勇二の気持ちも、どうやら焚きつき始めていたようだった。

「そうねえ…………うん。ここでやることが見つかるってことは珍しいことだもんね。案内するくらいなら別に、いいよ。もちろん、それだってただではやらないけれど」

「ああ、そりゃそうだ。手伝ってくれたら幾らでもお礼はするよ、絶対。何がいい?」

勇二は最早、夜な夜な幼子に連れられる青年男子という実に不審な光景を、脳裏に思い浮かべることすら出来ていない。

おかしいと思うのは、全て後へと回す。妹への心配のために思考は占められているがために、何故、どうして、等はもうどうでもよかったのだ。

そして、そんな一杯一杯の内心は、いくらか傍からだってうかがえた。最初からずっと、今ひとつ焦点の合っていない視線を享受しながら、ハナコはちょろい勇二をどう使ってやろうかと、顎に人差し指を当てて考える。

「欲しいものはたくさんあるけど……今、一番に欲しいというと……」

そして、ハナコは勇二の姿をまじまじと見てみる。無造作に頂点で一房跳ねたボサボサ髪、目の周りの隈を中心にうっすら青い顔の色、二三度転んだのか白いシャツに付着しているアスファルトの油汚れ。そのどれをとっても、見逃してしまうには勿体ないものである。

勇二のくたびれた総身が、ハナコにとってはどうしようもなく魅力的に思えた。

「うん、そうだね。私が妹ちゃんを見つけられたら、でいいんだけれどね」

「なんだい?」

「おにいさんを、いただきたい。かな?」

搾り出すように言葉にしたのは、本音。その成就した先を思って、一際ハナコの口の端が大きく持ち上がる。

しかし、疎かに勇二はその歪みを見逃した。

「……どんな意味か分かんないな。でも、まあ、何でもいいか。俺なんていう大したことないものは何の役にも立たないだろうけど、欲しいっていうなら勝手にしていいよ。アイツを助けてくれるなら、もうどうだっていいんだ」

そうして、勇二は言葉の真意について考えもせずに、役に立たない自分を投げ売りするのだった。

「なら、いいんだね。ふう……やる気が出てきた。そっちに居ないのなら、間違いなくこっちに妹ちゃんは居るの。だから、おにいさんは安心して私に任せばいいよ」

約束を取り付けて、ハナコはご満悦。そして、勇二は僅かに我に返った。

「そっち、こっちか。やっぱり誰もいないここは変なんだよな……まさか夢ってことはないだろうけれど……よっし。ハナコちゃん。ここでは君しか頼れる人はいないし、お願いするよ」

「うん。私もやることが見つかって良かったよ、【勇二】おにいさん」

そして、言葉の終えた一拍後に向けられたハナコの愛想笑いに、勇二もくたびれた笑みを返し、続けて吐露する。

「あぁ、本当に良かった……正直、帰ろうか迷ってたからなあ。もっとも、どこに帰ればいいのかも分からないけれどさ」

もちろん、ハナコがどこから自分の名前を知ったのか、という疑問を勇二が持つことはなかった。

元々、ふらりと現れた怪人に、いくら姿形が幼くあったとしても大変容易にかどわかされてしまうほどの危急である。綻びにはもう、気付けない。綱は確りと張らなければその上を渡ることなど出来ず、そして気を限界まで張り詰めさせた勇二の綱渡りは、今始まったばかりである。

「じゃあ、まずは手を貸して?」

「ああ」

かくれんぼの鬼は、まず手近なおにいさんを捕まえる。促され、まるで妹とのいつものように、勇二はハナコと手を繋いでいた。

「あはは、温いね。人と触れ合うなんて、久しぶり」

「久しぶり? あ、そう言えば親御さんは……こんな時間だし相当ヤバイんじゃ」

「あはははは」

口裂け女に親なんているのだろうか。そんなの誰にも分かるはずがない。そんな当たり前のことを聞く勇二が面白かったから、またハナコは愉快気に笑った。

「いや、大事な事だけれど……」

「そんなこと、気にしなくていいの。ないしょ、だから」

「うっ、そう、なんだ」

ないしょ、と聞いては質問できずに、勇二は口ごもる。しかし、後で聞いて連絡しなければならないと思って忘れぬように少しだけ気を入れた。

手だけで繋がっている少女の背景が空っぽであることを知らずに。

「そう。ないしょ、だからいいの」

たとえ先に何がなくとも、勿体振るから、引っ張れる。そうして、ハナコは彼を夜道に連れ込んだ。

 

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