第四十八話 世界とは、結論として白

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

世界とは、結論として白である。
雪はまるでそう断じるかのように世界を純な輝きばかりに変えていた。

世に暖冬が叫ばれれば、幻想郷の雪は深く重く、みっしりと積み上がる。
あまりに密なそれはまるで底をシャーベットのようにしていたるところにへばり付く。
木々に、家屋に山に空。至る所が白く汚れた。
里人や獣だけでなく妖怪ですら芯にまで迫るほどの寒さを丸まって堪えるのがこの頃の自然である。

「ふぅ……」

もっとも昼にもなれば雲間から陽光が降り注ぎ、雪の結びも弱くなってそこかしこで落雪が重い音を立てた。
重い白き荷を落とし続ける視界のほとんどすべて。そんないっそ気が遠くなるような冬という季節の恐ろしさを思いながら、陽気の中慧音はふとつぶやく。

「妖夢はその……寒くないのか?」
「はい?」

ぶかぶかパンツルックの着ぶくれした彼女の眼前には、当然至極のように日差しのもとに素足を晒す妖夢の姿があった。
半分幽霊の少女はそれこそ雪のように白くて下手な氷柱よりも細い足をしているが、とはいえ人の生身。
しかしその出で立ちで、慧音がレティ・ホワイトロックから助けるまで探索を行っていたというのだから驚きである。

だが真剣少女はむしろその背に帯びた二刀の様子を気にしていたばかりだったので、己の足元へとこの頼りになる同担年上の視線が向いていたことに気付いたのは今更。
零度に近い温度を運ぶ風に、まあ少し冷たいとは感じながらも妖夢はにこりとしてこう返すのだった。

「いえ。このくらいなら平気です! 私はその……体温も半人前ですから」
「故に適温も低いということなのだろうか……まあ、妖夢が気にならないなら別にいいけれども、そうだな」
「えっと……わっ……この薄手の羽織は……」

急に出で立ちを気にされて不安になってしまった妖夢。彼女のその身に慧音は《《馴染みの道具屋》》で購入したよく物が入る鞄から取り出したそれをかける。
ふわりと、優しく少女の両肩に乗っかったそれは、毛糸で出来た心地の良い軽さがあった。
白と赤で構成された柄模様は中々センスのあるもの――冠る変な帽子とは異なり――であったため見た目も悪くはない。
そのうち温さを保ってくれるようになるだろうそれを、妖夢の間合いをさらりと抜けて被せたのは驚くべきことだったが、むしろ下手人たる慧音が優しさを持って行ったことなので、少女には嬉しい気持ちのほうが大きかった。

とはいえ、なんだかむず痒い気持ちになるのは、贈られることに慣れていないからか。
思わず上目遣いになってしまうことは避けられず、だが果たしておずおずと見上げられた彼女の笑みは満面だった。慧音は、壊れ物に触れるかのように優しく妖夢の肩に手を置く。

「ケープさ。この換えとして用意しておいたものだ。羽織りなさい」
「いや……ありがたいですが、お借りする程私も鍛え方が温い訳でもなく……」
「でも、あの冬の権化には敵わなかったな。私と同じく」
「それは……」

あの時私は冬に負けて、この人に助けられた。その事実を突かれると、弱いなと妖夢は思う。

レティ・ホワイトロックという妖怪の何が恐ろしいか。それは、彼女の持ち前の寒気を操る程度の能力に冬場だとキリがないというところだろう。
弾幕ごっこは動きの遊戯。しかし、あまりの寒さに半分幽霊の妖夢ですら、避けるどころではなく震えるばかりに努めることになり、そのままろくに動けず弾幕に沈んだのだ。

『あら。貴女は寒気を斬れるのね。すごいわー。でも………貴女はそのちっぽけな刀で冬を斬り捨てることは出来て?』

妖夢が愛刀の、妖怪が鍛えたとされる楼観剣を持ってすれば、冷気だって一息に斬ることは可能である。
しかし、押し寄せる寒気が止めどなく続けば、そんな絶技も蟷螂の斧。

「くっ……」

私が凍えに負けた。その事実を今更ながら思い出した妖夢はつい助けを求めるように赤と白のやけに目出度い色をしたケープに爪を立てながら抱く。
自然とは倣うものであり抗うものではないという師の教えを忘れた結果が、友である慧音すら巻き添えにした敗北。
地蔵の妖怪に助けられなければ果たして自分はどうなっていたか。それこそ薄氷に自分の命が載っていたことに今更ながら身震いをしてしまう妖夢。
彼女に慧音は熱を伝えるためにと手のひらを肩に添えたまま言った。

「何も気にすることはないさ。それになあに。いくら我慢できても体を冷やしていいことはないだろう?」
「それはまあ、そうかもしれませんが……綺麗に作られていますけれどこれ全部手作りですよね? 私が着てまさか汚すわけには……」

白い風に、愚問が途切れる。
それは、眼の前の賢そうな年上がぽかんとした表情に切り替わったためであった。

そう、着物を預けたということはそれを汚しても構わないのだと、そんな意がちっとも伝わっていなかったため。
なるほどこの子は真剣であり、それはつまり他と馴染んでいないためであるがための緊張もあるのだろうなと慧音は理解した。
いっそ面白くなって微笑みながら、彼女は揶揄する。可愛らしいなとその白きボブカットに手を伸ばしつつ。

「ふふ。全く。真面目だな君って子は」
「はぁ……」

撫でられてながら、妖夢は不思議がる。
別に、この人の気安さが嫌な訳では無い。むしろ、友とは言え他人にこんなに遠慮なく触れられて嫌でないこと私が不思議だと思ってすらいた。

しかし思えばよく、彼女の主も撫でてくれる。自分はそんなに可愛らしいものではないのに、どうしてと妖夢は考えた。
だが、熟れた慧音の指先が心地よければ悩みすら次第に融けてなかったようになって、後は。

「何。そんなもの、着せるほどの恩にもならない一枚さ。それでも気が引けるというのならば……」

何より間近の彼女のどうしてか続けるほど《《哀しげになっていく》》様子の方が気がかりだった。
やがて、妖夢からつと離れた慧音は誤魔化すように、こう続ける。

「私の代わりに貴女の【お嬢様】にも同じように少しだけ気を遣ってくれれば、それで満足だ」
「っ」

その言に、妖夢は驚く。なにせあげた恩を他所の人に渡してもらってそれで良しとするのは、おかしい。
だが、眼の前の賢そうに見えていた年上は、自分のところに恩義なんて何も残らないことの方を嬉しく思っているかのように真剣で、むしろそれはひょっとすると妖夢なんかよりずっと頑なで。

胸元に詰まる感情を覚えた妖夢に、けれども実際それも何でもない言だった慧音はこれから向かう予定の空の遥か彼方を見上げて見通せず目を瞑ってから。

「さあて、妖夢。君のお嬢様は何のために幻想郷から春を持ち去ろうとしたんだろうね」

冥界の白玉楼の人。見知らぬ春を待つ永遠、西行寺幽々子の迷いを遠くの今に感じたのだった。

 

「大丈夫ですか!?」
「……なんとかっ」

冥界は空の彼方に在る。
ならばと雲を抜けて向かおうとした慧音と妖夢だったが、偶にそれは少しタガの外れたくらいに発達した代物だったのが不運。
耳朶に響くは雷鳴に、視界を奪うのは雪とは比べ物にならない程大粒の氷の数々。

これはと逸れぬよう手を繋いだ二人。
慧音も文字通り道を切り拓いていく勝手知ったる冥界の住人の背中に有り難みを感じながら、遅れぬように付いていく。

「慧音さん、もう少しですっ」
「ああ……これは、抜けたか?」

そして、全てが拓けたのは一瞬だった。

雲の合間に柱立つ。それだけで荘厳な景色であるが、その向こう側に巨大極まりない扉が鎮座しているのであれば最早非現実的である。
そして、ここが幻想郷の彼方であるからにはまああり得るかと慧音も頷かざるを得ない。
もっともそれを美しいと思う心に違いはないが。つい呆気にとられてしまった慧音に、先導する妖夢は指を真っ直ぐ伸ばしてから。

「はいっ。この先に見える扉が結界であり、その先に……あれ?」
「ん? あそこに居るのは……」

目を惹くのは巨大な木製扉を覆うように大きく輝く八芒の陣。
それが強力な結界であるというのは元博麗であった慧音には理解できたが、果たしてその前にぽつんと浮かぶ彼女のことを彼女は。

「やはり、来たのね」

理解することが出来るのだろうか。

幽明結界の前には亡霊が、ふわりと浮かぶ。
花はなくともそれは華。ありとあらゆるものを死なせ得るからこそ誰より何より美しく。

あの世で最もこの世の美に近い、西行の娘。
死して尚、愉しく。そんな言葉を軽やかな笑みで顕し続けていた西行寺幽々子その人はしかし今。

「……■■慧音」

心の冷ややかさから笑えずに、まこと亡霊らしく怨めしそうに上目遣いしながら、呪わしき相手のかつての名前を呟くのだった。

「君は……私は……」
「幽々子様?」

やがて疑問は言葉にて眼の前にこぼれ落ちても。

「さあ――――今日は死ぬには良い日よ?」

それを前にして問答は無用。

「くっ」

胡蝶は決して花故に可憐な訳でもなければ、ひとひらでなくても別によい。

生まれた紅の死蝶は、音もなくぞっとするほど夥しく辺りに広がった。

 

 

「さあ冥界にようこそ。私の友の、友だった者」

世界とは、結論として白である。灰の、白。

まるでそう断じるかのように死は大きくその手を広げるのだった。

 


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