第四十話 スーサイド

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

紅魔館を特に覆っていた紅い霧はフランドールの一撃に出来た空隙にて殆ど晴れて、夜空は今とても高い。
星星満ちる中、何処か赤褐色をした満月が冴え冴えと。そして、そこに力の輝きを伴って争う二筋が流れていく。

動き円かで遅い方――霊夢――は直角に高速移動する方――レミリア――を見定め、符で誘いながらも時に鋭い針を投じた。

「っ、そこっ!」
「甘いわ」

だがしかし、死角を上手に通ったその一投も金属の煌めきを覚える速度でしかなければ、夜の王には届かない。
強き蝙蝠を模した翼膜でばさり。見向きもせずそれだけで数多の悪妖を串刺しにしてきた退魔針の弾幕の意味は無に帰した。
避けもせずに、ただ扇ぐだけで負ける。それほどの力の差を見せつけられた霊夢は、しかし次の一手の時間を稼ぐためにもこう問いかけるのだった。

「何よあんた……目が頭の後ろにでもついてるの?」
「そんなことはないわ。ただ思考回路が人のものとは違うだけ。唯物論なんて巫女と同じくただの時代遅れよ?」

とんとんと、大きなナイトキャップのようなものに包まれた小ぶりの頭を指先で突く、レミリア(悪)。
実際、人間原理を基にした妖怪である彼女に脳なんて物理的なものは存在しない。もっと曖昧で恐ろしい何かがそこに詰まっているのだろう。
しかし或いは現在半分こになっている彼女は少し短絡になっていてそれがむしろ功を奏しているのかもしれなかった。

どちらにせよ、霊夢から見たこのレミリアは明らかな悪のカリスマ。
どこまでも余裕ぶっているところが癇に障るが、しかし弾幕ごっこのルール内でも中々退治の方法が見当たらないことは間違いない。
怖じる心は、たしかにある。とはいえ、先から霊夢にとってはどうにもムカつくほうが上だった。
挑発には、負けぬ言葉を返すことが心情である彼女は、むしろ旧きから連綿と続く今をこそ誇ってこう叫んだ。

「そ……でも私は間違いなく迷いなく、今代の博麗の巫女だっ!」
「そんな旧臭い覚悟なんかじゃ、私の敵ではないわね」
「言ってろっ!」

しかしそんな人間らしさに向けられるのは、非情な紅き瞳。
最初から、ただひたすらにつまらなさそうにばかりしているレミリア。
霊夢は直ぐにその鼻を明かしてやろうと、五色の目出度い光を携えながら、改めて発奮するのだった。

 

「えっと……私って、あんなに強かったっけ?」

それは、プラナリアのように二つに分かたれて存在を続ける善の部分のレミリア・スカーレットの本音だった。
正直なところ彼女の目算では、半分になった私でもあの巫女相手だったら健闘できるがそのうち落とされてしまうのだろうと思えていた。
というか、運命的にも負けなければならない。だというのに、余裕を持ってあの悪意満々のレミリアはむしろ霊夢を追い詰めていた。

「というかあいつ、やり方がどうも汚いのよね……」

計算高いとはこのことか。あのレミリアが行っているのは初心者のそろばん計算相手に電卓を叩いているような、そんなずるいくらいの先読み。
そしてどの弾幕も苛烈で何より容赦がない。善のレミリアがちょっとこれお私の力使いすぎじゃないかしらと思えるくらいに、それは殺意に満ちている。
第一人者の霊夢だからこそ捌けているが、うわこれスペルカードルールの弾幕ごっこの限界ギリギリを攻め過ぎじゃないの、というのが善のレミリアの正直な感想だった。

「力の殆どは向こうに持ってかれちゃったみたいだけど……嫌ね」

総じて、これは誇り高きスカーレットであるレミリアが行うべき決闘ではない。
それを当たり前のように行ってしまうあれはなるほどレミリア・スカーレットの面汚しである。
なんだか聞いていれば刺々しい言葉しか吐かないし、感じが悪すぎるとレミリアが思わず頭を抱えたその時。

「――――貴女の親はよほど出来損ないだったのね」
「……はぁっ?」

そんな、聴き逃がせない言葉が彼女の耳に入ったのだった。

 

全世界を悪夢の紅に染める。
こいつはそれがまるで可能であるかのように思えるほどのタクトを持っている。
それがこれまでレミリアと戦ってきた霊夢の理解だった。

「やりにくいわね……」

先から披露されているのは紅符「スカーレットマイスタ」という紅に紅を広げるとても理解しがたい弾幕。
なにそれ私作ってないという声がどこかで聞こえたような気もするが、実際レミリアが空を疾走る度に同色の大小の弾幕が数多入り混じって広がるこれは、避ける難易度がとても高い。
高速に閉じられる、逃げ道。翻弄されるとはこのことかと、少女は学んだ。

つい先程霊夢もたまらず緊急回避用に霊符「夢想封印」を一度使ってしまったくらい。
予定にない行動を取らされた、このことは少なからず霊夢の矜持を傷つけていた。

飛び交うレミリアは、しかし酷くつまらなそうに急に止まって静かになってから、こう呟く。

「はぁ……つまらない。第一人者がこの体たらくでは、この遊びも程度が知れてしまうわね」
「言ってなさい。次は当てるわ」
「その次は何時になるのかしら……霊夢。貴女は諦め知らずで学びが足りない。総じて、身の程を知ることがなかったようね」
「そんなことないってのっ。私はしっかりあの人から学んできて……あれ?」

人形のように表情の欠けたレミリアから発せられたのは安い挑発、とは感じる。
だが喧嘩は幾らだって買い続けるタイプの巫女である霊夢は、巫女になるまでのこれまでの手解きを受けた相手を思い出そうとして。

「変ね」

感じたのは自分の過分なまでの《《彼女》》に対する感謝と愛。そしてわずかばかりの怒り、それだけだった。

今更ながら記憶の中のそこに、誰も何もないことに気づいて、驚く。
大切な忘れてはいけない縁。それを何もかもが失われていて、でもどうしたってあの孤独な後ろ姿だけは忘れられず。
霊夢の柳眉は深く寄る。

『また――――私に会いに来てくれたら、嬉しい』

ああ。別れの際にあんなに涙してくれていたあの人は。あのうるさい他人によく似た彼女は。私の何より大切なおかあさんは――どこの誰?

不明。あまりのことに混乱する霊夢。だが悪意はそれを親の不足と取る。故に、このレミリア・スカーレットはせせら笑って。

「あら。ひょっとして思い出せないのかしら? 記憶にすら残れないなんて――――貴女の親はよほど出来損ないだったのね」

「はぁっ?」
「……はぁっ?」

一度に虎の尾を二つも踏みつけてしまったのだった。
いつの間にか並んでいた隣から聞こえた異口同音。それに振り返った霊夢は、またレミリアを見つける。
先に憎たらしく睨んでいたものと同じそれは、しかし異なる怒りに燃えた目をしていて混乱するが、だがその善たるレミリアは有無を言わせず霊夢にこう告げる。

「行くわよ」
「え? あんたもレミリア? これってどういうこと?」
「そんなのどうでもいいでしょうっ!? 私達の母を否定した、あいつを一緒にやっつけるわよっ!」
「……いや、多分アイツの言ってるあいつは私の母でもないと思うし、あんたなんて種族も違うけれど……」

正直、霊夢は現状に対する理解が今ひとつ出来ていない。
果たして、どうしてレミリアが酷く強弱ついて二人もいるのか。そして自分を拾い育ててきた先代巫女はどこの誰なのだ。また何で私の母をこいつが母としている。
そんな疑問達をしかし、少女は今一度どこかに捨てる。

それは、この胸に沸き起こるマグマのような熱によるもの。愛と正反対のそれを持つのも随分久しいなと他人事のように思いながら、霊夢は険を更に深めて。

「でも、あのレミリアの言葉がどうしてか許せないのは私も一緒。やっつけるわよっ!」
「そうこなくちゃっ!」

博麗霊夢らしくない、いいや何より彼女の娘らしい家族への悪意に対する怒りを燃やすのだった。

「やれやれ。図星付かれて怒るのは人間らしくとも、妄想してばかりの私の欠片まで同調するとはなさけないわね」
「言ってなさい! 私の要らない部分がなんて言おうと私の怒りは変わりはしないわっ」
「癪だけど、同意ね。あんたに似たこいつ、本当にムカつくわっ!」

当然のように更に煽るレミリアの悪意に燃え上がる、彼女たち。

そうして吸血鬼と巫女という似合わぬ二人は、しかし全く同じ怒りを持って、目の前の分からず屋に立ち向かうのである。

 

『壊れちゃった』
『何が?』
『私が』

フランドール・スカーレットは、殆ど生きるつもりのない稀有な妖怪である。

天才、天鱗を持って生じた彼女は早々に生きることは悪であると、理解した。
そして、何より自分の同類達が悪すぎたためにそれを反面教師のようにした彼女はああはなりたくないと、妖怪として生きることをこれまで殆してこなかった。
生きるのは地下の片隅それまで。糧だって最小限であって、小さくミニマムに姉らが望むからとその命を続けてばかり。

木にたわわに実ったクランベリーは美味しくても、それをもぎ取る行為は好きになれない。
そんな好き嫌いこそが、生きることとも知らずに、フランドールはずっと滞留し続けた。

「ああ。なんだ、貴女――――」

そうそんな、呆れるくらいに優しい彼女が、此度今更にこうまで妖怪をしているということは、つまり。

「とっても強いのね」
「そのようだ」

悪因悪果に因果応報。生きるということは居場所を奪い続けること。
そんな事実ばかりを大事にしていた少女が今ここで、死にたくなってしまったというそれだけのこと。

「貴女は私の救いじゃないわ」
「だが、見捨ては出来ない」

いつもの破壊行動、きゅっとしてどかんとなるばかりの必殺の攻撃。
瞬く間。それすら許されないのが巫女として培ってきた慧音の機先だった。判断の前に身体が自ずと動き出す。
向けられた手のひらから血が床にこぼれ落ちるその前に繰り出された強かな蹴り上げが、「昇天蹴」という博麗の業の一つであることをその場の誰も知らない。
だが確信持って、もっと愚かにも優しげな慧音は首を振るのだ。

「だから、自棄になるのは止めなさい」
「っ」

言われこちらも諦めたくなくともあまりの威力の蹴撃に痺れた手のひらは上手く握れず、そしてその間に何時しか角掲げて神獣よりになって尚更力を増した上白沢慧音の掌が自らの胸元に。
とん、と優しく当てられた清浄なる力を秘めたその温度の温かさに、フランドールはむしろ困惑ばかりを覚える。
これは私を殺して余りある力を持っているのに、どうしてそれを容易く使ってくれない。愛があるなら、正義を成して当たり前だと言うのに、どうして私なんて悪の隣に寄り添おうとするのだ。

そう私なんて、私なんて。フランドール・スカーレットの悩み続けた495年の、そんな|結論《QED》は果たして何か。

七色の宝石は、少女の背後でチリンと擦れ合って。

「なら、貴女が私をここで殺して」

息を吸うというそんな一歩目から間違えていれば、命なんて穢れたもの。
潔癖にも、女の子はそう信じてしまっていたのだ。

そうこれは、レミリア・スカーレットという狂った妖怪のスーサイドで。

 

「――嫌よ」

そして、それを否定することこそ、上白沢慧音という過った人間にとっての|博麗《魂》そのものだった。


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