第十九話 私と同じ

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

博麗霊夢には、親はない。
いや、正確には棄てた産みの親に育てた先代の巫女が居る筈なのだが、それらを彼女は親と見做していなかった。

顔も名前も知らない覚えていないそんな実父母は勿論のこと、没する前まで確かに衣食住を用意してくれいただろう先代の巫女のことですらどうしてだか霊夢には朧。
むしろ、彼女にとってはよく試練としてちょっかいをかけてきた妖怪、八雲紫の方がそれっぽいとすら思ってしまのだった。

「ま、そんな紫ですら必要じゃないし。あーだこーだ言う奴が居ない私って、意外と幸運なのかしらね」

親がなくても子は育つ。自分はその一例なのだろうと霊夢は考えていた。
また彼女は、親を妖怪に喰まれるなどの《《事故》》によって人里にて共同で育てられた悪ガキ共と比べるまでもなく、自由な己は幸せであるとも思っている。
そして、あんな捻くれ者たちだって真っ当に生きてさえいればいずれ幸せになれるに違いないのだ。
なら、一人の軒下を持て余す、そんな今も良いのだと素直に霊夢は思えた。

「さて……とはいえ、一人で生きるのは面倒といえば面倒ね……まあ、仕方がないか」

縁側でゆっくりするための、茶葉は十分。ときに茶飲み友達の誰彼が融通してくれる上、まずまず日持ちするものではあるのだから。
とはいえ、菓子の減りは如何ともし難いところである。霊夢は苦味には甘味で、逆も然りな女の子。
先まで風雅にも若芽が縁取る皐月晴れにて気を紛らわせようとしてはいたのだが、しかしただ暇に緑茶を呑んでばかりでは流石に口が寂しい。

「さて、人里でなんか甘いものを買ってきましょうか」

霊夢はそもそも耐えるのが得意でなければ、即断即決こそ慣れたもの。
故に長髪を背に流しながら、彼女は飛んで行くことにした。

「ふわぁ」

欠伸一つでもう私は自由。そう、彼女は能力に拠ってそれこそ《《ありとあらゆるもの》》から浮かんだ。
何一つに囚われることもなく、ふんわりと微笑んだ霊夢はこう呟く。

「天生、ねぇ……」

天生、天才。その言葉に裏打ちされる事実として、博麗霊夢はただ一人の幻想郷の博麗の巫女である。
幻想郷という異界の軛。何より大切な摂理のための人の子。それを担うに足りて、むしろ余ってしまいゆっくりしているのが彼女だ。

才に恵まれ神に愛された。それだけで、他の不足を補うに十分。
愛も恋も過分で邪魔で、友情にすら隙間風。それでも、博麗霊夢は身震い一つせずにこう述べるのだった。

「孤独が得意ってのも悪くはないわ」

寒さとて、それに気付かなければ平温である。震えとそれを噛み締めるための強ばりだって慣れてしまえばいつものこと。
空は青くて広くて吸い込まれそうだけれども、それにすら心寄らないたった一人でとっても上手に生きている。

そう、博麗霊夢は親愛を知らない。

 

人里は、幻想郷唯一の人間が生きるための地である。
たとえ裏に狐狸だの魑魅魍魎が存在していようが、そんなのただ生存するためには何ら問題はない。
まるで生け簀の中の魚のように、抜け出すことさえなければ命のまま飛び跳ねるくらいは許される、そんな囲われた場所。

「特に問題は……なさそうね」

だが今日も今日とて眩いくらいに日は昇って忙しないくらいに風は吹き、街中はうるさいくらいの喧騒に包まれる。
たとえそこに博麗の巫女様が投じられようとも、人間たちは擦れ合って仕方ない。
しかし、せっかくだから買っていきなよ、博麗様がいらっしゃるとはこりゃめでたい、最近見なくて寂しかったよもっと顔を見せておくれよ、等などの言葉に霊夢は笑みも返さず通り過ぎていった。

「元気ね」

向けられるは、裏のない健気な元気。当然、これらは博麗の巫女にとっては護るべきものである。
だが博麗霊夢個人はどちらかといえば人里の者たちには管理対象としての認識をしていた。故に好き嫌い以前に、深入りをしない。
下手をして処断を行う際に手心を加えることになってしまっては面倒だから。

故に、愛想のない子だとは里の皆の霊夢に対する共通認識。
とはいえ実績から頼りになるとは知っている。そのため、少女の物足りなさも大勢には精々が浮世離れとして多くは悪く取らなかった。

「勘定、これで足りる?」
「おや? 博麗の巫女様は健啖家だと思っていましたが……本当に饅頭は一袋で十分で?」
「……なに。おまけでもしてくれるっての?」
「ええ! そりゃあ勿論でさあ! むしろ巫女様におまけしなかったとなりゃあかかあになんて言われるか……むしろ、本来ならお銭の方も要らないと言いたいくらいですが……」
「対価くらいちゃんと払うわよ。って……おまけどころか倍じゃない! 全部……食べきれるかしら?」
「まいどあり! またおまけしますから、ぜひまた来てくんなせえ!」
「……はぁ……気が向いたらね」

むしろ、彼らなりに若き巫女の頑張りを愛して何かあればそれを示そうともする。
しかし和菓子屋の若旦那の威勢に押されて風呂敷を膨らませた霊夢は少し嫌そうですらあった。

「はぁ……慣れないわね」

知らず額に走った険。通りすがりの気遣わし気な面にてそれに気づいた少女はため息一つ。しばらくあの店には行かないことを内心で決めるのだった。

「巫女ってのは愛されるのが仕事じゃないってのに……」

言い訳のようにそう呟いてから、霊夢は先へと歩を進める。その足取りは気持ちのように少し乱雑だ。

まあ、少女がそう言ってしまうのも仕方のないことではあるだろうか。
何せ、博麗の巫女というのは大体が人里から神へと贈られた人柱。才能と親のある人間ばかりが神のために奉納され、結果その大概が里を嫌った。
霊夢のように親なし故に里に隔意を持っていない巫女なんて例外中の例外。
近頃柱と壁の合間から見つかった随分と前の巫女の遺した文には、幻想郷に対する恨みつらみがびっしりと書かれていて、霊夢もげっそりするような思いをしたものだった。

そんなこんなを纏めると、確かに霊夢は奥義を修めた天才とはいえ博麗の巫女としてはそれらしくはない。
だが、そんなだからこそ考えることもある。
あまりに小さなしかし人里の名物となっている太鼓橋の人混みを渡りながら、少女はこう呟くのだった。

「でも、あの人達がもっと愛されるべきだったとは、ちょっと思うわね……」

利発な少女は分かってはいるのだ。それでもこれまでの巫女達は必死に生きていて、無惨に亡くなったとしても懸命だったと。
だが、余計に勿体ないとも思ってしまう。愛していたものを嫌うなんて、そんな悲しいこと。

「……面倒ね」

鐘楼の下にてそう小さく断じたが、迷いまで少女には噛み切れなかった。
愛されていたから、相手の愛の変質を嫌う。それがどうしても霊夢には理解出来ない。

 

博麗霊夢が人里にてよく訪れる地として挙げられるのは、二つある。
一つは大店である霧雨店を中心とした目抜き通り。そして、そこから離れた貧民街とも取れる入り組んだそれこそ巣のような建物群の近くにも彼女はしばしば現れる。

目抜き通りを好むのは若々しいそれらしさがあるが、わざわざ店もろくにない地を歩むのは多くが不思議がった。
一部は巫女様が何か悪いことする奴らが居ないか見て回っているのではと考えていたが、実際犯罪に関しては警らを行う組織が別にある。
ならどういうことかと言うならば、それは単に霊夢という少女の趣味とも取れない数少ない興味に依るものだった。

「あいつら、どうしてるかしら?」

霊夢が気になることは、あまりない。それも人の世のことであれば尚更。この少女は少々暢気で真に浮世離れしすぎているから。
でも流石に同類に関しては霊夢も思うこともあった。
自分も《《あの人》》に拾われなければこれらと同じく襤褸を着て学もなく駆け回り、ズルばかり考え生きるようになっていたかと考えると、どうしようもなく。

そう、何らかの原因によって発生した捨て子や父無し、母無し子の面倒を見る――押し付けられている――コミュニティはこの貧じた地にある。
それを見に来てしまうのは、彼らの末路を想ってしまうのは、ルーツを同じくして全く異なる霊夢には最早どうしようもないこと。
今日は余計に貰った饅頭が食べ切れないからという言い訳を持参しながらわざわざ彼女はやって来ていた。

既存の土地などろくすっぽ買えない、しかし溢れんばかりの貧者達のためにと、結果賢者らとの相談とともに広げた人里外れ。
そこに住むのであれば妖怪に食べられても《《仕方ない》》とされ、実際神隠しの多発する地区に、悪目立ちする広い塀と大きめの門。
ここまでしても人さらいや妖怪たちは諦めてはくれないのですよ、と溢す老翁の表情を思い出しながら、霊夢ははたと思いこう呟いた。

「うん? ……今日は嫌に静かね」

うるさい。それは、言うことを聞かない駄々っ子ばかり集まるこの屋敷の常。
誰かは飢えに泣き、誰かは奪われ怒り、誰かは腹いせに何かを壊す。そんな弱さの集まりがこの場である。
口の悪い里人には穢れているとすら言われるここらの中でもどうしようもない程馬鹿らしい者、つまり可哀想な奴らの居場所である筈だった。

「まさかっ!」

孤児らの最後の受け皿でもあるこの孤児院が静か。霊夢はそこで最悪の想像をしてしまった。
私じゃない私と似たような、でも今は全然違うあいつらが、まさか。

い草の上に十数人の子らが血まみれで横たわる光景を幻視し、重い門をばっと開いて屋敷に突貫した霊夢は。

「おや?」

この場に似合わぬ綺麗と柔らかさで拵えきったような愛らしさを持った女性を見つける。
白銀のその人は隣に目を丸くするあの子達の内の一人を携え優しくその手を握っていて。

「あんた……誰?」

その奥でうるさいだけだった筈のめいめいが学びに耽っている様子を見て、ただぽかんとするのだった。

 

博麗霊夢に親はない。そんなだからこそ、彼女は親であって欲しいと思う相手の条件をすら考えたこともなかった。

「せんせー。筆全部洗えたよー」
「よし、それは素晴らしいな。後は、その濡れた手を確り拭えていたら満点だった」

「けーね。あたしけーねの絵も描いてたよ!」
「ふむ……なるほど、最初はそこにだけ墨が跳ねたものかと思っていたが、こうして見直してみると実に趣深い表現だな……」

「先生……読めねーんだけど、これ」
「そうだな……確かにこの本は少し癖のある字体で書かれている。だが、それでも人が書いたもの。私の贈ったいろはにほへとの表と比べてみればその内読めるようになるだろう……君は私にいずれ算術を修めるのだと宣言していただろう? 頑張れ!」

だが、いずれ建立されるのだという寺子屋に先生として務めるための練習として通っているのだろう美女、曰く上白沢慧音と孤児達の交流を見ていると、どうもこれはそこらの親よりそれらしいと思えてしまう。
大分堅苦しいところは減点であるが、目を瞠るほどに彼女は相手に対して熱心だ。
必ず低い彼らの視線に瞳合わせて真剣に。それは、丁稚にもなり損ねた大人未満の木偶の坊にだって変わらない。
真に想う言葉に感じた彼は、読めない子供向けの本を読めるように再び胡座をかいて紙に向き合った。

「よく……躾けたものね」

そいつのケチで厭らしいところばかり知っている霊夢はもう目が点である。
彼らのタダ饅頭に必死に群がるような旺盛さはそのままに、美点を引き出すその手腕。
よく見たところで何も搦手を用いていない、そんな半妖の働きに思わず彼女も褒めるしかなかった。

やがて、子供達が学びと遊びの疲れで部屋へ去っていく中、ようやく外様同士で会話をする隙が生まれる。
霊夢に人好きのする笑みを真っ直ぐに向けた慧音は、首をこてんとかしげてこう問った。

「ええと……貴女が今代の博麗の巫女?」
「ええ。先の紹介の通りよ。私は博麗霊夢。あんたは……」
「上白沢慧音よ。この子達の大先輩さん」
「はぁ……」

膝の上で眠る少女を優しく撫でながら僅かに戯ける頭でっかちに、霊夢はさてどうしようかと悩む。
真っ先にすることは決まっている。だが、そのためには子供たちがあまりに邪魔で、しかし少女として蔑ろには出来ずに。

「あんた、この子達の味方よね?」
「勿論。私は絶対に生徒たちを裏切るようなことはしないわ」
「そう……」

故に試すようなこともせず、直接的な問いを霊夢は慧音にかけた。
幽かな寝息の上で、あまりに確かな返事が届く。それにどうしてだかホッとした霊夢は、しかし冷静にもう一つだけ問うのだった。

「人里には認められているようだけど……私の方からももう一度確認するわ。貴女は……人間の味方?」
「そうね……」

触れて、傷つけず柔らかさと熱を快くなるよう願いながら与える。
撫でるとは、そんな優しく愛でくすぐる行為。ひょっとしたら、それはむず痒いものでもあるのかもしれない。

想い、一旦それを止めた慧音は真っ直ぐ霊夢を見て――このときはじめて彼女と彼女の瞳が合う――こう言った。

「私はひょっとしたら、誰の味方にもなれないのかもしれない」

ああ、血の通う赤に騙されていた。これには果たして、何もない。
それは少女の見た目をした、愛の伽藍堂。ただ不信に心より与えるだけの者は、どうして愛を私事と信じられる。

「そ」

勿論、博麗霊夢とて全てを察することは出来ない。
むしろ、不得手な心というものを感じて心底面倒くさいと思いながら、霊夢はこう返した。

「なら、私と同じね」
「あ……」

言い、膝はもう先客が居るからと、霊夢はその人の背中を借りる。
無遠慮にて感じる彼女の震え。そして、師でも先生でもましてや母でもないただの見知ったばかりの半獣に向けて、少女は。

「孤独が得意なんて、つまんないわよ」

とうとう、そんな心に隠れていた本音を告げたのだった。

心が痛くて、でもその実触れる身体はあまりに温い。もう私はこの熱からはもう逃れられそうになくて。

その日、博麗霊夢は親愛を知った。


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