緋色すら容れずにただひたすらに紅色。それこそくどいほどに紅く染まった館、紅魔館。
美意識がそれこそ同族のものからすら離れているのは間違いない吸血鬼が住まう、窓一つなく閉塞的でもある館の深部。
本に彩られ本で飾られた多数というだけである種の美すら覚えかねない程の蔵書数を持つ図書館にて、足音が一つ。
ぱたぱたとまるで子供が立てるような軽いそれに、図書館の主であるパリュリー・ノーレッジは眉根を寄せる。
相手が間借りしている家主であることを察しながらだからこそ、パチュリーは歩んできた小さな彼女に向けて毒を吐くのだった。
「レミィ。また来たの? いえ、私が貴女の親友をやっているからには、顔を合わせるのは自然かもしれないけれど、流石に朝昼晩も続くと飽きが出るわ」
「むぅ。私をまるで食事のメニューのように語るとは……まあ、でもそうだとしても私にはパチェの気持ちは分からないわね。ずっと味つけとして血を使って嗜好しているものだから」
「そうね、貴女たち親子って時々美食家ぶって色んな高級食品を色んな国から取り寄せてたけれど、まあ実際はモスキートと並べられる位の偏食家ですものね。それは、私の気持ちが分からなくて当然かしら」
「ええ。貴女と違って私は情熱的よ。それこそたとえ貴女を衣装の一部にしたところで気にならないくらいに、パチェには愛着があるわ」
「たとえとはいえ親友を着用しようなんて悪趣味ね。魔法使いなんて鞣そうとしたら直ぐ破けちゃうくらいには軟弱だから、そんなの止めときなさいな。……それで、貴女が欲していたのはコレかしら?」
「ええ。先代巫女の手紙よ。どうもありがとう」
ありがとう。そう言って隣の椅子に遠慮なく座って手紙をぺらぺらし出すレミィこと、紅魔館の現主レミリア・スカーレット。
彼女は地面まで足りない両足をぷらぷらさせながら、楽しそうに硬いばかりがお得意の文章を読んで笑うのだった。
ユニークだの、外はこんな物があるのねとそれはもう、彼女の大好きな外の世界の漫画本を読んでいる時のようであり、そんな親友の姿がパチェことパチュリーには不思議だった。
ちゃんと決定を聞きやけに気にすらしているが、それでも邂逅した時間は異変時の僅か。そうというのにこの運命を操る吸血鬼はあの巫女に何か感じるものがあったのだろうか。
なんとなくつまらなく感じた魔女は思わず疑問を口にした。
「それにしても一度会った程度というのにこの執着は解せないわね……運命とやらで感じるものがあったのかしら?」
「ええ、そうね……」
「私も気になりますね」
「はぁ……小悪魔。貴女が混じるとややこしくなるから止めときなさい」
「いえ、ここは止められない止まらないところですよ? いや、私はとっくにここを辞めたくてあの方の家に泊まりたい気持ちではありますが、でもレミリア様は私のライバルになりかねないお方ですから」
「そんな、レミィのことだからどうせ慧音のことだって駒くらいにしか……」
「あら、なかなか勘がいいじゃない、小悪魔。貴女は私のライバルとするには不足だけれど、いいでしょう」
椅子の上ですっくと立ち上がるレミリア。はしたないからやめなさいと袖を引くパチュリーのことすら彼女は無視してその身を誇った。
矮躯を張るその様が、本来妖格的には威厳を覚えさせるものがあるのかもしれないが、この流れではただ滑稽なだけである。
むしろ、ライバルと見ているその相手の貧相さに小悪魔は黒く心で笑い、そしてそれを隠しながら相手に乗っかりわざと驚きを見せるのだった。
「なっ、つまりレミリア様も……」
「ええ、そうよ。私は……」
私は。その続きは何だろうと小悪魔とパチュリーは待つ。
予想とするならば、仲間にしたいだの手に入れたいだのそんな文句。それが、強者のものとしてあまりにそれらしいから。
だが、予想に反してたっぷり沈黙した後にレミリアはこう言い放ったのだった。
「先代巫女が新しい私の母になって欲しいと思っている!」
母。これには目が点になる周囲。
「えー……」
「むきゅ?」
期待外れに思わず変な声が漏れる魔女主従だった。
「あら、何か違ったかしら?」
だが、そんな二人の感想なんて素知らぬ顔。
レミリアはウィンクをしながら、しかしその内に熱情を隠すのである。
か細い糸にばかり頼る命なんてものはつまらなく、故にレミリア・スカーレットにとって自らの運命を操る程度の能力なんて心を預けられるものではなかった。
そもそもが、月夜に祝福――或いは呪われた――超常たる吸血鬼の一人であるレミリア。
膨大な妖力に魔力に、またそもそもの身体能力が支配者として十分なくらいに備わっていた彼女に、取ってつけたような小粒な能力なんて、小指の爪程度にしか意識しないものだった。
妹が好んで一人になりたがる、まあ太陽嫌いな陰キャ、本来の吸血鬼らしい性格故に逆にスカーレットの家では浮いてしまい一人ぼっちなのは心配ではあるが、憂うべきはそれくらい。
後は足元の石に転ばぬようにしながらも胸を張って生きていればこの血みどろの生を幸せなものに出来ると信じてやまなかったものである。
だが、そんなものは幼さ故の誤謬と知る。
レミリアを不安にさせたその最初は、元弱き人の子であった、母の一言によるものであった。
「レミリア。お父様のことは、諦めなさい」
「え?」
彼女はスカーレット伯爵――レミリアの父。称号は自称――とは何やら大恋愛の末に結ばれたらしく、よく愛する人と同じ色だとレミリアの頭を撫でて可愛がってくれた人。
当のレミリアからすると、尊大で弱い自分をあまり出さずに触れもしない父と同じ色の髪など嫌いで母の金色こそ羨ましいものであったが、それでもお陰で母の優しさを受けられると思えばそれだって我慢もできた。
だが、そんな夫を愛する佳き人である筈の母が、どうしてだか自分の愛する人を見捨てるように、諦めろと口にする。
その故が分からずルビーの瞳を瞬かせる、今よりなお幼き夜の少女はどうしてと、口を開いた。
「お母様は、お父様のことをお嫌いになったのですか?」
「いえ……違うわ。一番星に誓ったように、私はあの人を未だに愛しています。ただ……」
「ただ?」
「あの人の進む道は滅びの道。また踏破する労苦が覇道、邪道を超えるだろうその悪路を歩むのが、裏から世界を搾取するというおぞましい欲望によるものであるからには、決して叶うものではないのですから。だから、レミリアはあの人と道を同じくしてはいけないのよ?」
「そう、でしょうか……そもそも、私達ヴァンパイアこそが上位で尊ばれるべきなら、下の存在なんてそれこそどうでも良いのでは? お父様は、世界を正そうとしているだけで……」
「ふふ。あの人がそう教えたのかしら? でもね、場所によっては価値観なんて変わって当然。人界ではそれこそ吸血鬼なんて虫けら以下のただの怖い噂でしかないのです」
「そんな……」
「そして、そもそも我々を創造した人も葦であれば、それにたかっているばかりの我々が多くを求めすぎるのは無理というもの。それでも欲望が尽きないのなら、運命によって吹き消されるのが道理というものです」
夫の末路を破滅と暗に言い切る、母。怜悧に、魔法を学んだ末に吸血鬼を呼び出しそれと添い遂げんとしている稀な人間だった女性は相手のことを考えていた。
そんな母の言に、ただの優しい人だと思いこんでいたレミリアは驚きを隠せない。蒼きその異なる瞳に自分と全く異なる考えを見てしまった少女は、とうとう母を理解できなくなり、問った。
「ならどうして、お母様はお父様を止めないのですか?」
「それが、あの人の幸せだからです。私は、あんなに幸せに人を踏み躙るあの人を、止めたくなかった。私はあの人に笑って、死んで欲しいから」
「お母様は……酷い人ですね」
レミリアは、そう言わざるを得ない。だって、この女の人は私情にて人間を愛さずに魔に混じり、そうと思えば恋した魔をすら己の愛のために見捨てる。
まるで自愛の塊の夫と比べたところでどっちもどっち。レミリアもきっとこの人だってろくな死に方をしないだろうと、思ってしまった。
だが、そんな失望じみた視線を受けながらも、闇で梳いた金の綺麗は紛れもない。母親は微笑んで、愛に繋がる続きを語る。
「ええ。私はもとより闇を纏うにふさわしい人間でした。……でも、レミリア。貴女は違う」
「だから、私にお父様を諦めろと?」
「ええ、貴女には、そしてフランドールにも笑って、生きていて欲しいですから」
「そう、ですか……完全にはどうかは不明ですが、仰ったことの大体は分かりました」
レミリアはその小さな頭を前後に、頷く。
言葉の表では、ただ父などろくでもないから真似せず幸せになりなさいというだけ。まるで、母親らしくない言葉だ。
だがなるほどこの母は、ろくでもない親、もっと言えばこんな自分たちなど見捨てて、望む生き方をして欲しいという請願をしているのだ。
露悪を行い、潔癖だろう子供にそれを嫌ってもらう。そんなことで、幸せに向かって欲しいという親心があったのだ。
そんなすべてを理解してしまったからこそ、レミリアは笑ってこう返す。
「でも、そんなのお断りです」
ああ、酷い。なんとも笑ってしまう。
さっきまでの全てがまるで人間時代には森の賢者とすら称された女性の言葉とは思えなくって。
全部があまりに拙く欺瞞に包まれた愛言葉。でも、この人はそればかりしか吐くことが出来なかったのだろう、思い故に。
私も親になれば、それも分かるのだろうか。だが、今はそれも解らない。何しろ子供だから。そして、レミリア・スカーレットは、このスカーレット夫人の娘であって。
愚かにも頬の白を理由にあの女吸血鬼は弱いとされた人の噂に所以し、その通りに病弱になってしまった母の臥した床から出た指先をレミリアはしっかりと包んで。
「お母様。貴女が運命を恐れるというなら、私がその手綱を取ります。運命なんかに、私の父は殺させない!」
努めて微笑み、そう断言する。ああ、このために私の小指の先はあったのだと、理解する。
全力を尽くすなんて意味不明な言葉だったけれども、今のレミリアの心にはぴたりと嵌った。そう、それが愛の為ならば、きっと。
「……っ」
やっと本気で能力に向き合うことにしたレミリア。
ぞろりと少女の元にて蠢くは未来図、無限のチャート。
それを感じるだけでも吸血鬼の少女でしかないレミリア・スカーレットの膝をつかせるには十分の負担を与えたが。
「ぐっ……」
吸血鬼は吐き出しそうになる血を飲み込み、これまで爪先でしか触れ得なかった運命を掴む。
その拍子に歪んだ運命は数奇を超えたものになってしまったが、それでもレミリアは手放すことなく。
そうして、ここに運命と対峙する吸血鬼が生まれたのだった。
「っ」
「頼んだわ……レミリア」
痛苦に耐えきれず、ベッドに落ち込んできた我が娘を母は抱く。
そして件のどこまでを予想し、どこまでを目論んでいたかは解らない、彼女の一人のお母さんは。
「恨まないで、ね」
ネグリジェのまま布団から抜け出してそれだけを言い、夜の闇に消えたのだった。
そして、母のベッドにてレミリアが気を取り戻した翌の日。
紅魔館は、騒がしかった。
「……えっ?」
レミリアは、その日のことをあまり覚えてはいない。
だが、真っ赤に服を染めた妹、フランドールの歪んだ笑みのことだけは忘れられずに。
さっき、きゅってしたあの人、私に笑って死んだよ。何だったんだろうね。
私と一緒ね、と危険とそれが己の死と繋がることを知りながらも娘の金の髪を撫でた親の懸命の愛にそんな感想しか話せない、最愛のありとあらゆるものを破壊する程度の能力を持った妹を直視することが出来なくって。
「恨みますよ、お母様」
何より、満足して世を去った母に恨み言一つ。
「はぁ」
荒れて我が子と忘れてフランドールを処断しようとする父を落ち着かせるために働きながら、でもそんな父であっても愛すべき人だと信じ、レミリアは運命を手繰るのだった。
「で、頑張った結果あの巫女に父が負けて弱者になったから、相手を気にしてたら気に入って……レミィは、それを拗らせたと。貴女ったら、最愛は母なのね。ここはマザコンとでも言っておいたほうが良いかしら?」
「ふふ……どうとでも呼びなさいな。親子の情を知らない貴女らが可哀想ね」
「あー……パチュリー様は知りませんが私は居ましたよ、それっぽいの。ずっと偉そうだったので背中から刺してやりましたが……」
「さらっと親殺し告白してるんじゃないわよ。ま、悪魔に情愛を聞くのが間違ってたわね」
「レミィも悪魔の一種ではあるのだけれどね……まあ、面白いわ」
主の悲劇を肴にして紅茶を一杯。
これまでそこそこ永きを生きてきた少女たちにとって、悲しみなんて在り来りで、故に聞いたばかりで涙なんて零れやしない。
まあ、それでも参考にはなるなと頷く魔女に、レミリアはそれでも良いと満足げ。小悪魔はしかしうむむとしかめっ面になるのだった。
「でも……普通に嫌ですね。レミリア様が娘になるのって」
「……あんた、本気で元巫女と番うつもりなの? 止めときなさい。運命はそれは無理って言ってるわ」
「だが止められない止まらないのが、恋というものでしてね……まあ、レミリア様には分かりませんか」
「なっ、小悪魔風情が言うじゃない……!」
「べー」
「このっ!」
運命を手にしてから少女のまま停止しているレミリアは、小悪魔ごときにカンカンになりながら羽をぱたぱた。
だが、流石に親友の持ち物を損ねない程度は弁えており、あかんべえに対してぎゃおーと怒るのが関の山。
そんな騒がしくなってしまった周囲に、とうとう読書を邪魔されたパチュリーは先を急いでもらうためにも結論としてこう呟いた。
「はぁ……それで、運命は既にレミィ、貴女の手中って訳?」
そう。ここまでが少女のがんばりによって出来た形であるならば、これからだって彼女が手に入れるのは不可能ではないだろう。
いや、むしろ既に願い叶えていても不思議ではないなとちらと見上げたパチュリー。
しかし、相変わらず椅子の上に立ち上がりながらこちらを見つめる親友の目は、予期せず酷く凪いでいた。
少女は、言う。
「いえ。何もないの」
それこそ、縁も何もあのと私の間にはないのではないかと思ってしまうくらいに小指の先に触れるものはさっぱりゼロで。
だからこそ、手紙であの人のことを知っていくことがとても嬉しい。
故に。
「だから私は、ただあの人が母になって欲しいと願うだけ」
こういうのははじめてで面白いわね、と零すレミリアはまるで、いや正しく夢見る少女の貌をしていた。
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