小説を書いてみたいと思っている人、
小説を書いてみたけれど思うように発表できないと悩んでいる人、
または文に深く触れたいと思っていらっしゃる方々が、はじめに悩む部分は何か自分なりに考えてみました。
少しでも皆様を勇気づけられるような文章になっていれば、幸いですね。
小説は楽しい?
空想を上手に吐き出すということ。
いかに優れた小説も、最初は誰彼の頭の中にある空想です。
つまり玄人も素人も等しくスタートラインは一緒。
後は、どうそれを上手く吐き出していくかに、違いが出てくるものです。
勿論、赤ん坊のはじめての呼吸が泣きながらのものであって当たり前のように、最初は巧拙なんて気にしなくても構いません。
ただ気持ちよく想いを文として吐き出せた、そのことに満足を覚えるのが大切です。
それを続けていけば、或いは言葉は文章、物語となって貴方の前に開けていくことでしょう。
物語が繋がって、そして終わっていく。
小説、というのは少し敷居の高い言葉に思えるかもしれません。
確かに、文を物語の体に仕立て上げるのは難しいです。
原稿用紙一枚の感想文にすら苦心した子供時代を考えると、その何倍、何十倍も書くなんて途方もないことと感じる方も多いでしょう。
思われた通りに書き続けるというのは苦労があります。
しかし、それでも楽しみがない訳ではありません。
試しに目の前に置いてみた白紙の原稿用紙、或いは開いてみたまっさらなメモ帳。
それは全て、貴方のためのものです。
そして、自由に貴方が綴っていくのは貴方のための物語。
皆の元で広げるまで、下手も無理も、その世界にはないのです。
そうやって想い連ねて出来ていくものが、面白くないわけありませんよね?
更には苦労が故にきっと、完成に至った時の満足はひとしおでしょう。
しかし後に、他人の目に入れることを意識し始めると小説には多くの筋が要求され出して、自在にはいかなくなっていきます。
自分だけならこんなに沢山の説明なんて要らなかったのに、と思うことがあるでしょう。
或いは、制限から思ったものを書けずに困惑して筆を置いてしまうことだってあるかもしれません。
そんな時はぜひ振り返って、自分が楽しい書き方を優先してみてはいかがでしょう?
小説はそれでも良く、かもしたらそれに尽くしても構わないのかもしれません。
何よりも、書くことは究極的に言えば別に人のためではないのですから。
評価される喜び。
これは、本来ならば蛇足かもしれません。
しかしこれはこの上なく心地良い余計なもの、と言えるでしょう。
認められる、というのは大きな喜びの一つです。
小さな子が親に認められたくて離れない、そんな彼らの無邪気な笑顔を思い出してみると分かりやすいかもしれませんね。
仲間内で凄いよと褒められてもみくちゃにされた、時のことを考えるのも良いでしょう。
ましてやそれが、丹精込めて創り上げた物語のことでしたらもう、嬉しくなってしまいますよね。
それを求めて、頑張るのは大変結構なことだと、自分も思います。
けれども、他の人の評価にあまり振り回され過ぎないで下さい。
欲しい欲しいと口を開いてばかりの小鳥に、必ず餌を与えてくれるような親鳥はそうそう居ません。
時に、厳しい目線で批判されてしまうことだってあり得ます。
とはいえ、迷わないで欲しいのです。
この世で一番に貴方の作品を認めているのは貴方ですから。
書く喜びを大切に自信を忘れずに、書き続けて欲しいな、と思います。
物語るための敵への対処方。
文が繋がらない。
書いてみて、まず最初の敵。
それは、いくら書き連ねても言葉がただの文字の羅列になってしまうことです。
説明が説明にならず、会話はお話にならない。
これは下手だ……そう思ってしまうのは仕方ありません。
才能、その他経験値は人によって違いますので、上記のような事態になることはままあることと思います。
けれども、それが嫌だと思って欲しくはありません。
思い返してみて下さい。
赤子はミミズののたくったような字を描きながらも、やがて成長して難解な漢字すら書けるようになっていくものです。
そう、最初の一歩は拙くて構わないのです。
まず一歩踏み出した勇気こそ褒められるべきなのでしょう。
はじめて月に降り立った人が偉大とされていることと大小違いながらも同じ、と自分は思います。
貴方は、書いてみた。それはひとたび不慣れに苦手を超えたという素晴らしいことです。
だから、凄い貴方はそれを続けていけばきっと、上達できるに違いありません。
だからまずは、歩みだした自分を信じてみて下さい。
挑戦が、きっと貴方の文を繋げていきますから。
これまでの豊富な読書体験が書くには大事とされています。それは、事実でしょう。
けれども、好きしか知らない人が表現のために積む努力の尊さを、自分は大いに認めたいところです。
無知でも、書いて苦労して楽しんで、それでもいいのですよ!
恥ずかしいという普通。
こんなの書くのは、恥ずかしい。この程度の出来で本当に良いのかな。
そんな気持ちで思ったようなことを書けなくなることは、こんな風に知ったように語っている自分にもあることです。
それどころか、自分は出来た小説を他に見せることを恥と思ってしまうことすら、未だにあったりするのですね。
でもこれはしかし、特別ではない、のかもしれません。
恥ずかしいと考えてしまうのは、小説が自分の内心から起こったものであることに理由があります。
空想物語を胸に秘めておくぶんには、何ら問題も起きません。
けれども、ひとたび出力してしまったらそれは自分または他人の目にとまってしまうものです。
そうすると嫌でも客観視をせざるを得なくなってしまいますね。
ですから、人に見つめられたら身を正したくなるように、次第に内から出たものにも気をつけるようになってしまうのです。
こんな内容書いたら恥ずかしいな。こんな赤裸々を見せたら恥ずかしいよ。とか。
けれども勿論、そんなことは普通のことなのです。
貴方はその恥ずかしさを乗り越えても乗り越えなくても、別に構いません。
ただ、続けてみて欲しくはあります。
何だろうと、書くことは恥ずかしいことではありませんから。
褒められたいなんて誰だって思うこと。
自信が付けば、それを確かめてみたくなるのも人の情でしょう。
家族友人、その他様々な知り合いに見せてみるのも良いかもしれません。
それ以外にも、勿論沢山の方法があります。賞への応募も一つですね。
他には、今は様々なサイトで小説を投稿することが出来大いに賑わっている時代ですから、そこに向けてみるのも悪くはないでしょう。
自分もハーメルン様やカクヨム様など、多くのサイトに小説を投稿してきました。賞へ応募してみたこともあります。
そうして小説を人目につかせることが、認められたい、ひいては褒められたいという欲に起因しているのは否定できません。
しかし、前述したとおりに、評価を欲しがるのはあまりに自然なことなのです。
褒められたいって、そんな気持ちは恥ずかしがる必要のない誰だって思うこと。
だから、時に思い切ってみることも大切なのです。
それで喜び悲しむのも、貴方の小説への真摯さが生んだものでしょう。
批判で貴方の自信は汚されない。
他人の目に入るというのは、異見と交わることでもあります。
苦言程度ならまだ軽い方。
時に、貴方の小説が悪しざまにののしられることだってあるかもしれません。
それを受け止めろ、というのは酷だと自分は思ってしまいます。
貴方はそれでも自由なのですから。かけられた言葉を本気にしても、受け流してしまってもいいのです。
大事なのは、それらを小説への嫌気へと繋げないことでしょう。
批判は、あくまで他人の言葉です。
思いやりから来た場合、嫌悪感から来た場合、様々にありますがそれでも全てを大切にすることはありません。
一番に大事なのは、貴方が育んだ自信なのです。
その自信が過ったものでも、それでも一番にするべきは自分でしょう。
ですから、そんなものを恐れて縮こまってしまうのばかりは、出来れば避けて欲しいところです。
無理なく、楽しんで!
以上が、小説の書き始めの辺りでさまよっている方々に伝えてみたいことでした。
自分が長く書き続けている間に起きた悩みを、他の方々になるべく軽く受けて貰いたい。
そんな気持ちからこんな文章を書いてみました。
長々と続けてみましたが、結論としては一つでしょう。
それは、これを見た貴方達がもし書くのならば、小説を無理なく、楽しんで欲しいということです!
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