「えっと?」
さて、特に勿体ぶることもなくただ瞬きとして目を閉じて開いた。
それくらいの時間の認識しかないくらいのに、目の前の状況が一変していたらどうでしょう。
とりあえず、私は混乱したの。
幾ら暫定転生経験者で世界の中心に居座っているとしても、よく分からない事態には慣れないものね。
立ち位置は知らずベンチ前から大分茶色くなったホームベースの隣に。そして、ついさっきまで闘志メラメラにこちらを見つめていた筈の上ヶ原パイレーツの人たちは滂沱の涙に下を向いてた。
そこでまず、意外な時間の経過に私は気付いたわ。
いつの間にか震えていたはずの手は落ち着いていて、その上でなんか前より更に白くて汚い。
どういうことかと振り返れば、そこには所在なさげにしている古泉君と有希の姿があったわ。
あら。私がそのまま去らずに手前で止まっちゃっているせいか、扇の中心付近が渋滞しちゃっているみたい。
よく分からないまま、自陣へと向かおうとする私に、バットを抱えたまま有希がこう呟いたわ。
「戻った」
「えっと……どういうこと?」
一歩を踏み出しただけでまた振り向いて止まった私に、有希はとっても透明な視線を向けてる。
でもこの子のガラスの水晶体の奥にある感情は、あれね。よく見るに困惑かしら。
喩えるならば見つめていた深淵から見つめ返されて驚いているような、そしてびっくりしている私にびっくりしているような、そんな感じ。
見知らぬ台風一過。本当に、ついこの前に何があったのか疑問ね。
「有希。行きましょ」
「…………」
ただ、よく分からないけれど、有希の心の中に怯えを見つけることは出来たわ。
本日スリーホーマーをどうやら達成した程の力を秘めたMVP少女の、でもすべすべぷにぷに有機的ハンドを私は遠慮なく引っ掴むの。
頷きの後。相変わらず三点リードを携えながらも私を意味ありげにじっと見つめる有希を気にせず、私はチームの皆の元へとようやく帰ったわ。
すると、ハイタッチの出来損ないみたいに片手を挙げた谷口を筆頭として、皆が出迎えてくれてた。よく分からなくも勝ったのだろう私は首を傾げながらその手にソフトタッチして離れたの。
苦笑いしながら、谷口はこう問ったわ。
「ったく……さっきまで俺らに随分な発破とプレッシャーかけてたヤツが急にどうした? お前の望んだ通りほら、俺ら勝ったんだぜ?」
「……その、ようね」
「煮え切らねーな……」
勝って万歳。でも、勝利の方程式も肝心要のど真ん中が抜けちゃってたら、喜びもどうやら半減しちゃうみたい。
負けから勝ちに向かうところ。誰かに最も頑張るべきところを取られちゃったような私は、気持ち宙ぶらりん。
でもこれはひょっとして、本来の彼女が表立ってくれたのかもとようやく気づき始めた私に、敏にも古泉君は聞いてきた。
「おや。涼宮さんには何か気になるようなことでもありましたか?」
「そうね……ねえ、さっきまでの私、天使みたいな輪っか乗っけてたり鬼みたいな角付いてたりしなかった?」
何となく、ある程度気付かれちゃっているような、と思いながら私はとぼけるでもなく真剣にこう聞き返したわ。
いや、実際問題意識不明中に身体が動かされてたら、何に乗っ取られてるのかどうか不安になるものよ。
でもこの神様的なボディを奪うなんて【あたし】じゃないとしたらよっぽど大したものだろうと思って、ヒントとなる変化はなかったかと客観的な情報を欲したの。
急に前のめりになった私に、キョンくんは冷静にちょっと前の私を教えてくれたわ。
「いや……そんなことはなかったぞ。だが、テンションが異常に高くなっていたのは、俺にも分かったが」
「うんうん。確かにさっきまでのハルにゃんは、ちょこっとスーパーだったかなあ」
「そうそう。うるせーわ急に火の玉ストレート放り出すし、まるで別人みたいだったよなあ」
「……なるほどね」
古泉の奴もサイン無視されてやりにくそうにしてたぜ、という谷口の言葉を聞き流しながら、スーパーな私の正体をここでようやく悟ったの。
ああ、それはまるきり【あたし】ね。
見上げれば空はどこを見つめればいいのか分かんなくなるくらいにただ青く澄んでいて、お日様の明るさも最早時期はずれに過ぎるくらい。
この美しさを今日は殆ど見上げもしないで私はずっと熱中していたのね、と思い至ってから少し。
どうにも寂しくなっちゃった心地を誤魔化すように、一人呟いたわ。
「目覚めの時は近いのかしら?」
幾ら憂鬱だろうとも意識があれば目なんて、きっとずっとは閉じてられないもの。直ぐ側に素敵なものがいっぱいあるって識っていれば尚更ね。
そう、ありとあらゆるものには価値があり、だからこそ重なり合って平凡に見えてしまう程に特別なのよ。
晴れ晴れ愉快な皆のダンス。そんなの感じてたら私だってきっと私の中で隠れ続けてられないでしょう。
私が【あたし】の代わりに素敵な皆の中に紛れ込むのも、そろそろ難しくなっているのかもしれないわね。
役目無くした私なんて、きっと消えるだけ。
それはちょっと悲しいけれど、と私は私の明日がやってこないことも覚悟しておかなきゃと決め込んだわ。
「あら。随分と意味深な発言ね。私の神様は実は魔王的な何かをその内に宿していたりするの?」
「そんなんじゃないわよ。ただ……」
涼子の発言にも私は気が漫ろ。
だって一点に集まっている視線は、ひーふーみーよと観客の分まで数えちゃったら大変なくらいに沢山。
その中心にいるのが、中学時代は必死におかしくなろうと頑張ってたせいで見て見ぬ振りすらされてた私だっていうのだから驚きね。
全く以て人気者。でも、これを味わうのは本来【あたし】よ。
生きるのが嬉しくて、楽しくて、しかしそろそろ私も踊り疲れたのか上手く出来なくなってきたから、そろそろ出てきなさい。
ねえ、私の中のアマテラスさん。この世は決して退屈じゃないわよ。
「何時までも夢見ていられない、ってのを思い出しちゃっただけ」
はにかむ私を囲むのは、ちょっと泥だらけ気味な彼らが作る夢みたいな景色。
当たり前のようにキョンくんは何だか複雑な心をやれやれと隠していて、有希が努めて無表情になろうということだって分かってる。
古泉くんは静かに微笑んでくれているけれど口の端が上がりきってないわ。
勝利のブイサインを披露していけらけらしている鶴屋さんの隣でみくるちゃんが首を傾げていているのが可愛いわね。
堅実な守備で頑張ってくれた国木田くんはでも鶴屋さんの空元気を気にしているみたい。
涼子はまた意味深な笑みをこちらに披露しているし、妹ちゃんはどうしてだかベンチに座ってじっと私を見つめてるわ。
そして、残りの谷口は。
あれ、どうしたかしら。
「ちっ」
態度悪く背を向けたその前に、私は彼の眦に光る物を見た気がしたわ。
素人軍団に継戦能力なんてものを求めちゃいけないの。普段から身体を虐めてもいない我々は疲れたら翌日は筋肉痛で動けなくったって当たり前。
宇宙人的フレンドや謎の転校生たる古泉君はどうだか分からないけれど、きっと明日はコンディションを落としちゃうに決まってるわ。
そして、そのお尻を私が今日みたいにひっぱたいたりしちゃったら大変。誰かが怪我しちゃうかもしれないじゃない。
そんな建前名目にて、私は上ヶ原パイレーツに二回戦進出の権利を預けたわ。
どうも【あたし】が出てたときにめちゃめちゃな煽りとかしてたみたいで私が近寄るだけで彼らは戦々恐々としていたけれど、無事勝者の権利を受け取って貰った。
いや、その後よければ来年リベンジするためにまた出場してくれとか、進路はどの大学を希望してるかや打ち上げ一緒にするか等に、連絡先を教えてくれとか質問攻めになっちゃってSOS団男子達が間に入る羽目になっちゃったのはちょっと残念。
まあ、マネージャーの子と私が連絡先交換してそれだけで落ち着いて良かった。
というか、彼女が年下に負けて悔しくないのって発破かけたからかしらね。片付け終わったら直ぐさま上ヶ原パイレーツの体育会系な大学生達は試合後なのに練習のために走って行ったわ。
ちょっと、ずるで負かしちゃったのが申し訳なくなってしまうくらいに、彼らは真っ直ぐだった。
「うー……ハルにゃん……」
「ふふ。妹ちゃんは撫でられるの好きね」
さあて。そんなこんなで野球の時間はお終い。
寝て起きたばかりで元気いっぱいの私以外のくたびれ気味過半数のチームを率いて私は最寄りのファミリーレストランに向かったの。
あ、勿論全員着替え済みね。大分汚れてた手の平だって投球の擦れでの赤みが残った程度でいっそ残念なくらいに綺麗になってる。
まず、お疲れ様って注文を全員分とったわ。
実は後で会計の時に全部私の奢りってことにしようかしら、ってわくわくしてたんだけれど、それは男子組がステーキやハンバーグのセットとか頼んじゃったせいで止めることにしたの。
ええ。想定予算オーバー。流石に男の子は食欲がやんちゃね。運動後ってこともあってか暴走気味な彼らの旺盛な夕飯の様子に見とれすらしたわ。
ちびちびオムライスを削りながら、この時私は後でお料理会とか開いてみるのも良さそうねとか考えてた。
そうしたら、フリーだからと混ぜすぎてちょっと薄暗い色になっちゃったドリンクを前に安堵した私の腕の中へと、妹ちゃんがすぽん。
どうしてだかしばらく甘えん坊さんになっちゃった彼女のお世話に勤しむこととなったの。
「うー……」
「よしよし……ふふふ。これじゃまるで妹ちゃんの方がネコちゃんね」
「ハルにゃん……」
私の腕の中でゆっくりうつらうつら。こうして見てると船を漕ぐって言葉は、このように眠気で頭が左右に振れる様から来てるんだって改めて理解できるわね。
子供って可愛いというか、妹ちゃんこうしてみると将来性抜群よね。瞳は大っきくてまた全体お兄さんとお揃いの整いがあるわ。
そして次第に鳶色の瞳が細まっていくにつれて、何となく不思議に思うの。
この子も何時か大人になるのだろうけれど、その境は何時ぐらいなんだろうって。
私には妹ちゃんはお婆ちゃんになったところでずっと可愛らしいまま愛され続けるようになるんじゃないかと思えてならないわ。
と、なんとなく私はその名を呼ぶの。
「みくるちゃん」
「はい? どうかしました?」
「うん……そうね。妹ちゃん眠っちゃったから、ちょっと預けちゃっても大丈夫?」
「分かりました……わあ……ふふ。ちっちゃくて、軽いですー」
そんな流れで私はSOS団の我々のお姉さんに、すうっと寝入ってしまった妹ちゃんを預けたわ。
すると、お隣の鶴屋さんが眠り姫な妹ちゃんの可愛さにわーきゃー騒ぎそうになったけれど、みくるちゃんが唇に人差し指を当ててウインクしただけでそれは終わったの。
「さて、と」
私が和んでたそんなこんなを余所にして影できっと会議は踊る、されど進まずだったのでしょう。
いいや懐疑がありすぎてもう彼らはもうパンパンだったに違いないわ。
当然のように入れ替わりで鶴屋さんやみくるちゃん達の方へ移動してくれた空気の読める国木田くんには後で花丸なものを送ってあげないと、と考えながら私は彼らの席へと移動する。
「お疲れ様、皆。お話は進んでる?」
「あー……涼宮。これは別にお前のことを話してたわけじゃなくってな」
「おい、谷口……それじゃ怪しめって言ってるみたいなもんだぞ?」
「なあに。やっぱりあんた達、私のことこそこそ話してたのね?」
「はは……涼宮さん、気を悪くしないで下さい。実際、我々も先の試合での涼宮さんの快投を反芻するなどして互いを称え合っていたばかりでして……」
すると、予定調和の外からの私という来訪者にSOS団の訳知り顔さん達は、慌て出しちゃうの。
嘘を吐くのが下手な一般枠の二人は兎も角、有希に涼子はいつも通りの態度過ぎて逆に妖しい。
むしろ古泉くんが周囲と動揺の度合いを合わせて演技してるところなんて、やっぱり凄いなと感心しちゃうわ。
こういう時に知らん顔して観察してみるのも意外と楽しいものね、と思いながら私が次に口を開こうとしたら。
「嘘」
「あら。長門さん?」
意外にも、有希が呟くように否定したの。
そしてつと動き出した彼女は隣まで歩み、今度は徐ろに私の着替えたTシャツの半袖を摘まんだと思ったら。
「心配を、している」
「えっと……」
その本来何もないはずの原野に浮かんだのは、確かな不安。
心は萌えるものであり、痛みは相手を思わせてくれるものなのかもしれないわ。
きっと誰が観ても明らかなくらいに有希は私を心配しながら。
「貴女は、何時まで貴女でいられる?」
そんな、核心的な言葉を告げたの。
端末でしかなかった彼女の額には、今ハの字に曲がった眉がある。そして眼鏡のレンズ越しには緩んだ眦すら見えたの。
有希の心は今必死に私との別離を拒んで涙を流そうとしている。
でも上等に過ぎている身体故に涙一つ零せられない彼女が、どうしてか私には悲しい。
だから、私は有希に何か安心してもらうような言葉を返そうとするのだけれども。
ぱくりぱくりと、嘘は形にならずにその結果。
「……ごめんなさい。私にも分からないの」
私は、気休めにもならないそんな何時かの別離への肯定だけをするしかなかった。
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つきにうさぎはいないのよ。
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