第八話 不味いコーヒーはチキータ

ハルヒさん小説の表紙 【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

「うーん……放課後が暇になっちゃったわねぇ」

記念すべき最後の部活こと運動系で一番好きなので取っておいた卓球部で部長さんとの熱戦を披露してから翌日、私は燃え尽きていたわ。
昨日は勝負の潮目にここぞという時のために取っておいたチキータを失敗しての残念敗北で最終仮入部を終えたの。けれど、もう一度というリベンジへの意欲も私には湧かなかった。

私にとって勝負って勝ち負け、じゃないのよね。どれだけ楽しんだかが大事。
その点で言えば、何だか興味があったらしくて付いてきたキョンくん国木田くんに谷口の、卓球部員すら唸らせた程の名解説をバックグラウンドミュージックにプラスチックボールと存分に親しめたあの一戦はとても楽しめて、それでもう私のお腹は一杯。
しかし、どうもそんな面白かった時間の消化に疲れてしまったのかしらね。私はすっかり机に突っ伏す楽を覚えて、茶色く分厚い天板に親しみを覚えるようになってしまったわ。
流石に授業中は大体顔を上げていたけれど、休み時間くらいはこうして楽にしていても良いでしょう。私はそのまま、前の席から発せられたキョンくんの言葉を聴いたわ。

「涼宮の部活巡りもお終いか。にしても、昨日は凄かったな。涼宮は、卓球はどれだけやってたんだ? 女子であんなえげつないドライブをかけられるなんて、とんでもないことだぞ」
「えっと……そうね。体育の時間に二人組作れなくて、先生と組まされてた時に、やたら強かったあの先生に勝つために特訓した時間を数えると……丸三日くらい?」
「はぁ……ツッコミどころばかりな話だが、どこ突いても藪蛇になりそうだな……やれやれ」

応じるために顔を上げた私の話を聞いて、どこまでも気怠そうに肩をすくめるキョンくん。いかにも四方八方に呆れ尽くしているようなポーズを取っている彼だけれど、しかしその実その瞳は優しげなのよね。
先日のことでちょっと私がクラス全体に引かれるようになったからって、キョンくんはずっと私を気にして一言二言私の呟きに返事をしてくれる。
何かしら。ホント、皆のお兄ちゃん、って感じよね。同級生のはずなのに、どこか達観しているところがあって、そこも格好良いわ。
まあこれから、そんな酷く現実に諦め馴染んでしまっているキョンくんを不思議の海に連れて行かんとしている私は、実に罪深いのでしょうね。私は【あたし】のためにも彼の平穏を奪わなければいけないというのに、中々気が進まない。

「あーあ、次、何しようかしら?」

私は、考えざるを得なかった。【涼宮ハルヒ】を続けるのならばその答えは一つだけなのに、私はすっかり好きになってしまったキョンくんを本当にSOS団なんて名前のけったいな同好会に容れてしまっていいか、悩んでしかたがないわ。
好きなだけにキョンくんは私の手で幸せにしてあげたいところだけれど、でも普通の幸せだって選択肢にあって然るべきものよね。
私は、平和を楽しむのも学生としてアリだろうし、そもそもキョンくんはずっと私と一緒って嫌なんじゃないかな、とかぐだぐだと考えちゃったの。要は私、好きな人にアタックすることに怖じ気付いていたのよね。

でも、そんなヘタレな私を見下ろしながら、キョンくんは口にするの。ふと、彼の瞳に、私はあの日の鳶色を思い出したわ。

「そういや、前に提案しそびれてたんだが……こんだけ全部律儀に探して入りたい部が見つからなかったんだろ? なら、作っちまったらどうだ?」
「え? それって……私が新クラブを創るってこと? でも、そんなに簡単に許可って貰えるのかしら」
「活動が宇宙人とかと遊びたいっていうのだと教員連中にとっては頂けないだろうが……まあ、適当に活動目的をでっち上げたら、部室一つくらい貸して貰えるんじゃないか?」

すると意外にも、キョンくんの方からSOS団創設を提案してきたの。いや、勿論彼はもうちょっと常識的な名称が付くと思っているのだろうけれど、取り敢えず私に創部を勧めているのは間違いないわ。
ひょっとしたら、手伝ってくれるのかしら、それともただ口にしただけ? 気になって、私は独り言のように呟くわ。

「でも、今から部員が見つかるかは、微妙なところね」
「……数合わせくらいなら、俺が入ってやってもいいぞ」
「え、ホント?」
「まあ、な……」

何か含んだような表情をしながらも、確かにキョンくんはそう言ってくれた。わあ、イタい子扱いされている私とあえて同じグループに入ってくれるなんて、嬉しいわ! 団員一・二は私とキョンくんで決定ね。
でも、これはキョンくんがただ優しいから、なのでしょう。私だって流石にこの程度で、自分に気があるのでは、っていう勘違いはしないわよ。でも、ついつい笑顔になってしまうのはどうしようもないことよね。

「キョンくんが入ってくれるなら百人力ね! うーん、やる気が出てきたわ! 出来れば、有希やみくるちゃん達にはメンバーになって欲しいけど……兼部って可能なのかしらね。そもそも、どうやったら創部を認められるのかしら?」
「……今、生徒手帳持ってるか?」
「えっと、うん。うーんと、ここだったかしら……あったわよ。ほら」
「その後ろの方に、書いてあるぞ」

私はにこにこと、鞄をがさごそ。程なくして見つけた生徒手帳を、私はキョンくんに見せつける。そうして彼の指示通りにしてぺらぺらとその薄い紙束を捲ると、後半部に目当ての項目を発見したわ。
同好会の新設に伴う規定、かあ。あ、同好会のままだと予算は配分されない、との部分を真っ先に目に留めてしまった私だけれど、別に悪くはないわよね。お金は大事よ、本当に。

「あ、確かに書いてあるわ……なになに。え、最低五人で顧問の先生まで必要なんだ……責任者は私でも大丈夫かしら。研究会昇格、までのことは当分考えなくてもいいかも……」

読み込みながら、私は内容をぶつぶつと続けたわ。だって、この一枚のページはそれこそ一番桁の大きなお金よりも私にとって大事なものかもしれないから。
不備があって、SOS団結成できませんでした、では流石に【あたし】に悪いわ。うん、よく調べたけれどこれには透かし等で隠された文面とかもなさそうね。
やがて、嫌に熱心にしている私を苦笑いで認めながら、ふと、キョンくんは言ったの。

「ああ、そういえばだな。少し前にこの話をしたら、谷口も新クラブ作りに乗り気だったぞ」
「えー……いい加減アイツにも私離れして欲しいのに」

聞き、そして私が理解したのは谷口が、団員その三になるという可能性。いやいやあのアホの男子はSOS団に似合わないわ。
……まさか、谷口が異世界人っていうオチはないでしょうね。前に、アイツが昔織田信長のことをイエス・キリストと異世界的な誤答を披露したことはあったけど。何か、テスト前日に貰った聖書を読んだから間違えたとか言ってたけど、意味不明よね。
まあ、実際はあいつが不思議存在だってことはなくて、ストーカー気質極まっているだけなのでしょう。そんなに、私と馬鹿をし続けたいのかしら。
そう、この時の私の谷口に対する感想は、まだ私についてくるの粘着質ねえ、という程度のものだったの。

だから、谷口がどこまでも私に対して本気だった、っていうことは知らなかった。

「……それで、新クラブ結成の進捗は今、どうなってるの?」

はしたないっていうのは知っているけれど何かどうしてもやっちゃうのよね、私がストローを噛み噛みしていると、対面の席にて朝倉さんは私に問いかけたわ。
変形しきったプラスチックから口を離して、私それに返答しようとして、思わず身震いする。それにしてもこの喫茶店冷房効きすぎじゃないかしら、コーヒーはお手頃価格で美味しかったのだけれど。彼女みたいに頼むのをホットにしておけば良かったかも。
そんな風に考えていたら、私はタイミングを逃してしまったわ。それをリーダー基質な朝倉さんは敏に察して、会話のバトンを切り替えて再び送ってくれたの。

「冷えるの? 今お客さん私達だけみたいだから、店主さんに冷房を控えて貰うように言って来ましょうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫よ。これくらい、中学時代着の身着のままで真冬に近くの山の頂上の連続攻略に挑んだ時と比べたら、平気」
「ふふ。涼宮さんったら、とんでもないことをやってたのね……ちなみに、どうしてそんなことを?」
「えーと……確か、真冬の空気は澄んでいて、星がよく見えるから、宇宙からもきっと見易いと思って、宇宙人に見つけてもらうために山登りをした……らしいわ?」
「自分のことなのにどうして伝聞調で最後に疑問符がつくの? ふふ、面白いわね」

途中からにこりとして、朝倉さんは何時もの笑顔になったわ。とっても綺麗で、いい子。皆が彼女を頼るのがよく分かるわ。有希も、仲良くしているみたいだし、信頼できるわね。
うん。突然、帰り道に遭ったらお話したいことがあるのよ、と手近の喫茶店に連れて行かれたのだけれど、この様子なら本当にそれだけみたいね。
いや、中学時代に似たような感じでクラスメートに謎の宗教の勧誘をされたことがあったのよ。不思議好きといっても、お金で買う奇跡は私の興味の範囲外なのよね。丁重にお断りするのが大変だったわ。
ああ、また、思考がずれたわね。それで空いた隙間に、朝倉さんはマドラーを指のお腹で一回転させてから、私に続けたわ。

「……東中の子達から聞いてた涼宮さんの噂って、あまり良いものではなくって、同じクラスになった時はどうなることか、正直なところ心配だったの」
「でしょうね……うん。中学時代は沢山やらかしていたからねぇ……」

うう、何が未来に繋がるか分からなかったから、色んなことをやって時に人に迷惑をかけたことすらあったし、悲しいけれど悪口の一つや二つ、仕方ないわよね。
それに、他にも嫌われる原因に心当たりがあったりするの。中一の時にキョンくんや古泉くん程じゃないけれど格好良かった男の子の告白を断った時からかしら、同学年の女子から敬遠されるようになったのよね。
何だか彼を振るなんてあり得ないらしいけど……好きな人が居るのに、他の男の子と付き合うなんて、それこそありえないじゃない。でも、それからずっと、女友達とはご無沙汰になっていたの。
だから、有希との友情もそうだし、普通にクラスメートと話せている今の状況だって、嬉しいのよね。これから更に表情が崩れることも知らず、私も破顔したわ。

「でも、安心したわ。やることは結構突飛なことが多いけれど、話してみると存外普通で。……それで、改めて訊くけれど、クラブはどんな感じになっているの? クラブ名はもう決まった?」
「むぐ……名前、は…………え、SOS団、よ」
「SOS? 遭難信号……意外にも何か、助けに関係した一団になるのかしら」
「違うのよ。SOS団は、略称。正式名称は世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団、なの……」
「そ、そう……前言は撤回しないけれど、涼宮さんの言語センスは、変わってるわね」
「にゃあぁぁ……」

朝倉さんの苦笑の前で、再び、私は啼いたわ。ホント、【あたし】って理解し難いイタい感性をしてるわよね。でも、彼女のためにもそれを大切にしなければいけない事実が、私を追い詰める。
谷口にはアホか、で一蹴されかけたけど、流石にここばかりは拘ったわ。というか、今までがおかしかった気もするし、団名まで変わったら取り返しがつかないような気がするのよね。
でも、シラフで自分の名前を付けたこんな組織名の提案なんて、とっても難しかったんだからね! あの時は、顔から火が出て大火事になると思ったわ。
キョンくんには、だから照れるくらいならやるなよ、と言われたわね。また、残念な歴史が増えたわ。

「まあ、名前はひとまずそれで良いとして。活動目的は?」
「……宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと、じゃないかしら?」
「また伝聞調で疑問符……それにしても真っ赤。涼宮さんも無理して言うことはないからね。お水、貰ってきましょうか?」
「気にしないで。全部自業自得、なのよ。そう、【涼宮ハルヒ】の自業自得。もう、こうなったら朝倉さんの疑問に全部答えちゃうわ! 他に質問はある?」

開き直って、私はそう言ったわ。きっと、聞きたいこと、突っ込みたいところって沢山あるんじゃないかしら。口にして、ちょっと後悔。
でも、そういえば、晴れてSOS団四番目の団員となった有希のこともあるし、むしろ本来ならば私の方から色々と朝倉さんに伝えておかなくちゃならないかもしれないのよね。
そこら辺の説明をしようとしたら、先に笑顔を貼り付けた、朝倉さんが質問したの。意外にも、それは愚問だったわ。

「私も宇宙人、と言ったら貴女はどうする?」
「決まってるじゃない」

そう、それは決まってる。ようこそ私の元へ、宇宙人。こんなだけれど、私だって曲りなりとて【涼宮ハルヒ】なんだから。

「歓迎するわ」

私は受け止めるために、手を、広げた。
先に頂いた知り合いオススメのコーヒーのように、私は黒い不明をいたずらに飲み込む。それはきっと、いや間違いなく、美味しいだろうから。
うん。たとえ勘違いでも、そんな考えはいいと私は思うのよね。

「そう……でも残念。私はただの女の子よ」

けれども、当然ながら、朝倉さんは普通の女子だった。だから、私はきっと彼女と一緒になれない。
朝倉さんのこと、とっても気に入っているのだけれど、残念ね。そんなこんなな私の思いを知らず、しかし小さく彼女は言うの。

「実はね、ここのコーヒーは不味いって評判だったの。通好み、過ぎる仕様なのかしらね。実際に、私もさっき我慢して飲んだわ」
「え? そうなの?」
「そう。でも、涼宮さんはそれだって美味しく頂けた。……つまり、そういうことだと思うの」

変わらぬ、表情。でも一瞬、朝倉さんの表情が酷く悲しそうになったように見えたのは、気のせいかしら。
それにしても、不味いコーヒー? そんなことはなかったと思うけれど。ひょっとして、私って味音痴なのかしら。
私が自分を不安に思っていると、今度は身を乗り出して朝倉さんは、笑みを深めたの。まるで、何も知らない子供にするみたいに視線を合わせて。

「長門さんがお世話になってる恩もあることだし、何時か涼宮さんがパンクしそうになったら遠慮なく、私に相談してね」

目の前に呈されたのは、今までより明らかに柔和な笑顔。そこには、どうにも今までのような誰かのためというような感はなかった。なら、それは朝倉さん自身のためだったのかしら。

そして、これでも私そこそこ頼れるのよ、と我がクラスの委員長さんは、続けて言ったわ。


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