第二話 谷口と猫属性

ハルヒさん小説の表紙 【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

「ふん、ふーん」

鼻歌交じりに、北高の長い坂を進む私。うんざりするような広角だと聞いていたけれど、私にとってはそれほどでもないわね。誰かさんとは根性とストライドが違うのよ。こんなの朝の目覚めに優しい運動程度。
こういう時ばかりは、自分のハイスペックさに素直に感謝するわね。まあ、曲がりなりにも流石に神様な可能性すらある【涼宮ハルヒ】だけはある、かな。

私はブレザー男子とセーラー女子を軽く追い越して、浮かれ気分を歩調で表しながらずんずん進んでいったわ。あ、でもこれは駄目ね。らしくないわ。もうちょっと、嫌そうに歩かないと。
でも、どうやったってニヤついてしまうのは止められそうにないわ。だって、今日は待ちに待った、北高の入学式。
これから、様々な超常現象が犇めき合う、そんなイベントだらけの高校生活への道が開かれる日だっていうのだから、普通な私だって機嫌を良くして当然ってものよね。
でも、よく考えたら大事の前に気を引き締めてかかるのは、当たり前のことだったわ。ご飯を食べる前に頂きますをする時くらいには、厳粛な気持ちになっても良いはず。
ああ、そういえば今日は卵にハムだけでご飯もパンもなしのヴィーガンも裸足で逃げ出すだろう、肉食朝食だったわ。……ちょっと寝坊して、急いじゃったのよね。今日は間に合いそうだから良いけれど、気をつけないと。

「はぁ……よう、涼宮! ったく、お前さんは今日もご機嫌だな!」

そんなこんなを考えていたら、タイミングが合って並んだばかりのお隣さんから炒めて萎れたほうれん草みたいに汗だくべっとりの男子に声を掛けられたの。それが飽きるくらいによく知る音色だったから、思わず私は振り向いたわ。

「おはよ。なによ、谷口。そういうあんたは今にもべそかきそうなくらいにくたびれているわね」

そうして、私は似合いもしないオールバックに拘っている東中で三年間一緒した同級の男子に軽口を叩いたの。
しっかし、こうしてまじまじ見ると、顔の形どころかその色すらとても良いようには見えないわね。私はその中身も残念なことを知っているけれど……大丈夫かしら?
そんな私の考えを察したのかは分からないけれど、目の前に降りた一房の髪を気にしてから、私の唯一の友人こと、谷口は言ったわ。

「昨日はどうにも眠れなくてさ……それでこの坂はちょっと辛えよ」
「谷口のことだからどうせ、夜な夜な、怪しいサイトでも覗いていたんでしょ? いやらしい」
「違えよ! 緊張で寝られなかっただけだって!」

何、谷口ったら高校生にもなって、遠足の日前夜の子供みたいに眠れないくらいわくわくどきどきしていたっていうの? こいつも随分と、可愛らしいところあるじゃない。
思わず頬を緩めながら、でも私はへそ曲がりなことを言ってしまうの。

「意外にヤワなやつねー」
「そう思うなら、これからはもっと優しくして欲しいぜ」
「嫌よ。潰れてもあんたなら、直ぐに治るでしょ? というか、直ぐに保健室にでも行ってその酷い顔色、治しなさいよね」
「ったく。勝手な奴だ。……まあこんなの、入学式の間眠っとけば大丈夫だろ」

そして、友との会話を、楽しんでしまうのよね。そんな、普通一般が似合わないのが【涼宮ハルヒ】だっていうことは知ってるのに。
でも、私には、幾ら払い除けても差し出し続けてくる、一歩間違えたらストーカーというくらい……というか家の前に居たから一回通報しようとしたこともあったっけ……そんな谷口の手を無視することなんて出来なかったの。

それも、仕方のないことだと思うのよ。だって、友達の一人も居ないなんて、寂し過ぎるじゃない!

ひとりぼっちなんて、太陽でもない私には、耐えられなかったのよ。というか、【あたし】は、先生のペア作って攻撃にどうやって生き残っていたというの? 返す返すとんでもない子よね。

「……涼宮は、高校デビューに向けて何か意気込んでたりはしないのか?」

あり得たはずの【あたし】の孤高っぷりに戦慄を覚えていると、何を思ったのか、谷口は改まって私に声を掛けてきたわ。そしてそれは、彼らしい愚問だった。
当然。むしろ、私こそこの世界で一番に高校デビューに意気込みを持っていると言っても過言ではないかもしれないわ。
……正直なところ、中学の頃はどうにも【涼宮ハルヒ】らしく出来ていたかと言うと、疑問符が付いてしまうレベルだったと思うし。
遅まきながら、今日から私は再スタートするのよ。三年近く温めたプランを遂行することの楽しさ、これには笑みが溢れて仕方ないわね。

「ふふ。後で一発凄いのかましてあげるから、見ていなさい!」
「マジかよ。いや、お前の一発は揃いも揃って大暴投だからなあ……心配だ。主に後片付けに奔走するだろう、俺のことだが」

しかし、お友達の谷口さんは、そんなことを言うわ。この【涼宮ハルヒ】を捕まえてよくも間抜け扱いしてくれたものね。
知らないんだから、と私はあかんべえに舌を出して見せつけてから、駆け出したわ。

「ふん、空気読めないあんたなんて、今日からお払い箱よ! じゃあね!」

お払い箱、は酷い言い方かもしれないけれど、でもこれから普通じゃない人たちと関わることになるのだから、谷口を一緒に出来ないのは、仕方ないわよね。
それに、あの日、委員の仕事で体育の着替えに遅れた教室で下着姿の私に、わわわ忘れ物~とカマしてくれたのは、忘れていないんだからね! ほんっとうに、恥ずかしかったんだからっ。
それにただの友達同士だってのに、一緒に遊びに行ってあげたら、勝手にカップル割引を駆使しようとしてくるし……腹たってきた! こんな奴、知らないんだから。

……いや、でもちょっとくらいは構ってあげても良いかもしれないわ。【あたし】の未来予想図には居なかったけれど友情出演、というのも決して悪くはないんじゃないかしら。それを考えると谷口は団の補欠その一、といったところね。
うん、そうしましょう。別に、こいつが居なくなったら私、またぼっちだという現実を恐れたわけじゃないんだからね!

「おい、俺の他にお前を介護してくれる宛なんてあんのかよ……って、速え!」

そんな、間抜け声なんて無視無視。私は、ありきたりな、それだけにワクワクする北高校舎に向けて、迷いなく足を走らせたわ。
だって、そこには待ち望んだものが沢山ある筈だからね! 一向に戻ってこない【あたし】の代わりに私が楽しんだって、構わないでしょう?

でも、うーん……あいつを置いていくのはちょっと、可哀想だったかな?

隣で思いっきり息を吹いてあげたら飛んでいきそうな、カツラ髪を乗せた校長の長話と、時折それをかき消す勢いで鳴り響く誰かさんのいびきをバックグラウンドミュージックに、私は少し考えてみる。

私は【涼宮ハルヒ】の愉快な人生に、宇宙人に、未来人に、超能力者、そしてキョンくんが必要だということはよく知っているわ。
そして、その存在の内、キョンというあだ名の彼以外は何となくは察知出来ているの。伊達に自分の中に持て余すくらいのヘンテコパワーがある訳じゃないのよ。私が望んでいるからかしらね。何となく、住む市のそこかしこから変な力を覚えるのよ。
ま、だからといってこれまで私が彼らの動向から離れたところにずっと居られたのは、それもきっと私が望んだからなのかしら。
基本的に、心の新陳代謝のためにイライラした際に決して広がり過ぎることのないハリボテの閉鎖空間の中で神人を暴れさせるくらいにしか使わない神様ぱわーだけれど、時には便利ね。

でも、今私は強く望んでいるわ。【涼宮ハルヒ】らしく、高校生活を過ごしたいって。なら、あの四人に会えるに違いないわ!
まず、長門さんは確かなんでも出来る大人しい子らしいけれど。でもそういう子を笑わせたときって、きっととっても楽しいでしょうねー。宇宙人的要素も気になるけれど……私的には三才娘の情緒の発達が一番気にかかるところ。
次は朝比奈さん、よね……彼女の場合未来人要素よりも凄い部分があるわよね。一つ先輩の童顔トランジスタグラマーって何? もう、そんな天然記念物、【あたし】じゃなくても思わず手元に置いておきたくなってしまうわよ。
後、それらしい動きは感じているけど、古泉君が所属しているっていう団体、機関なんて本当にあるのかしら。自業自得だけれど私の動向を見張っている組織とか、よく考えるとちょっと、怖いわねー。
そして……キョンくん。この男の子が、一番重要で、一番に不安な要素でもあるわ。何しろ、本来は【あたし】の初恋相手、みたいだからねえ。彼がキッカケで動く事態の多いこと……でも私、もう好きな人がいるのだけれど。どうしよう?

そう。律儀に思い出すごとに高鳴る胸元と同じく、変わらず私はあの日の彼に恋してる。
思い出すのは、あの日の鳶色。陰った中での温かさ。そして、紅。
当然、私はあの日から求めて探したわ。勿論、恋に余計なものなんて要らないから、力なんて使わずに独力でね。でも、未だに私は彼を見つけられていないのよ。
名前を知っているというだけじゃ、駄目ね。まあ……聞き込みのためにその名前を呼ぶことすら恥ずかしがってしまう私のうぶさにも問題があるのだろうけど。
それに、力はあっても運がないのか、街中を練り歩いたところで、見かけもしなかった。どうしてでしょうね?

まあ、ちょっと不安は残るけど、多分未来はそう変わっていないと思うの。何時だかにジョン・スミスを自称する明らかに日本人な青年と遭ったことあるし。残念だけど、暗くて顔を見て取れなかったけれどね。
ただ、そこに至るまでが大変だったの。どの異常行動が、未来を引き寄せるのかどうか分からずに、そしてどこまでそれを続けなければいけないか、までも不明だったから。
きっと頭の中でシナプスが特殊に繋がっちゃっていたのだろう【あたし】と違って、私はごく普通の女の子。だから、奇行を思いついても行うというのは、とっても大変だったわ。白い目で見られるのも、辛いしね。
最後らへんは、死んだような目でやっていたみたい。お父さんお母さんにも大分心配されたわ。受験ノイローゼを疑われた時には、流石の私も涼宮ハルヒを続けるか悩んだわね……まあ、それでも今も続けているのだけれど。

「みんなに自己紹介をしてもらおう」

まあ、そんな悩みからも、今日でお別れ。色々と考え込んでいたら、教室に座っていて岡部先生のハンドボールの講釈を聞き逃してしまったみたい。校長先生の長々とした激励よりかはためになるだろうと思ったのだけれど。
そこで私は、ふと目の前の短髪の青年を見つめるわ。機会を逃して顔を見ても居ないけれど、後ろ姿だけでもそこそこ格好良いのではと窺えるわね。いかにも気怠げだけれど、何ともモテそうな気配がするわ。
でも、そんなキョンくんがしたのは他の人と大差ない、無難な自己紹介。あまりに短すぎて、これじゃあ悠長なスクワットと変わりないわね。これには、私も苦笑いを禁じ得なかった。でもまあいいわ、次は、私だもの!
勢いよく立ち上がって、私は宣誓のように言うわ。

「東中学出身、涼宮ハルヒ……」

ここまでは当たり前。注目も、東中の仲間――向こうはそう思っていないかもしれないけれど――達以外からはされているわ。谷口なんて、入学式中にいびきを立てていたのに寝足りないのかあくびをしながらそっぽを向いているわね。何だかムカつくわ。
私のそこそこの見目のおかげか、彼らの視線は好意的なものが多いわね。ただこの期待の瞳が直ぐに真っ白なものに変わってしまうのだからいたたまれないわ。
でも、勇気を出して、私は【涼宮ハルヒ】を始めないと!

「ただの人間には興味ありません。この中に、宇宙、じん……」

そして、一歩目で私は躓いたの。変に止まった私をクラス全員が見つめてる。

いやいやいやいや。口に出してみたは良いけれど、この台詞ってやっぱりとっても『イタい』わ!

何が人間に興味ない、よ。どんな頭をしていたらこんな不思議言葉が出てくるの? ああ、私が抱えているこれね。
ああ、恥ずかしい。
顔が紅潮することを、私は抑えきれない。でも、今更止められないから、私は続けたわ。

「未来人、異世界人、超能力者がいたら私のところに来なさい、以上!」

私が次第にどんどん早口になって、最後は勢いよく断言したような口調になってしまったことを、誰が咎められるというのかしら。
ええ、知っているわよ【あたし】は文句を言うでしょうね。こんなの【あたし】じゃないって。でも、無理なものは無理。文句言うなら代わってよ。むしろ代わって下さいお願いします。
脳内で一人自分という空虚な仮想敵と敗北へ至るそんな喧嘩を繰り広げていたその時。恥に下がった視線の先に呆れ顔が目の前に一つあることに気づいたの。
思わず、私は振り向いてきていた前の席の彼――キョンくん――を、凝視してしまったわ。そして、そのつぶやきを私はトラウマとして記憶に刻んだの。

「照れるくらいなら、やるなよ……」

仰る通り。でも、こちらにもやんごとない理由というのがあって……って。

「もしかして……君って」
「あー。あんたは……あの時の猫少女」

私の前の席で、成長したあの日の少年が、苦笑いを浮かべる。鳶色が細まって、紅が緩む。おおよそ彼は三年前の私を覚えていてくれたようで、嬉しい。でも、その覚え方はちょっと頂けないかな?
恐らくあの日以降にキョンというあだ名が付けられたのだろう彼に、私は愛想笑いを浮かべる。果たして上手に、出来たかしら。

そして、そのまま疾く、私は机に突っ伏したわ。

初恋の人が運命の人って素敵ね。でも、その人の前で私は最初からやらかしたというわけ、かあ。
私は泣……いたら完全にキャラ崩壊だからもう、啼いたわ。いや、これも駄目なんだろうけれどさ。

「にゃああぁぁ……」

はぁ……死にたい。

「やっぱり猫属性なんだな……」

やたらいい感じに私の胸元に響いた彼のそんな間抜けな言葉なんて、聞こえなかったことにしたいわ。


前の話← 目次 →次の話

【小説】涼宮ハルヒの憂鬱
created by Rinker

コメント