痛み/怒り/愛

博麗咲夜、十六夜霊夢

 

レミリア・スカーレットにとって十六夜霊夢を拾えたことは、紛れもない幸運である。
忘れもしない十六夜を予定した、朝。結界の内にまで這ってきたやけに妖精らに囲まれていた捨て子をメイド長たる紅美鈴が気にして差し出してこなければ、果たして私はどうしていたかとレミリアは今更に考える。
それこそ、自棄になっていたあの頃であったからには宵にでも親に禁じられた運命を操る程度の能力を行使でもして、何か別の光り輝くものを見つけようとでもしてたかもしれない。

「しかし、実際希望は何をせずとも私の手の中に転がってきた……ふぁあ」

吸血鬼としては不健康な早起きをここのところ熟しているがための、欠伸を一つ。レミリアはそう独り言ちた。
貴族を自負する彼女にとってはさして広くもない紅魔館。それでも人員足らずであれば塵一つ残さず、というレベルの清掃はあり得ないし、大人しい静寂だって縁遠い。
今も耳を澄ませばメイド妖精たちの騒々しさに紛れた子供の怒りだって聞こえてきそうだった。
まこと、恐怖の館だった過去なんて夢のような、血なまぐささから離れた平穏ぶり。

「これこそ、今の私達のあるべき姿なのかしらね……」

日向からは隠れた、歓迎するのは大げさな一枚扉ばかりの窓なき家。
外からは見るからに秘密と不幸が溢れ返っているようであるだろう、吸血鬼の家はしかしながら今幸せだ。
世界は夜の王の力に余計に曲がらず、だからこそ良かったのだろう。
丁度よい、ぬるま湯。赤ちゃんに向いたそれが、とても大事な人間ひと粒にのためになれているようで何よりだった。

レミリアが先に見つめるのは、誰が教えたわけでもなく自在にふよふよと浮きながら、方方にはたきをかける少女の姿。
いかにも仕方ないからといった風に行うそれは、眼下に主の筈のレミリアが現れようがお構い無しに続く。
あまりに雑に行われる清掃。彼女が何一つだろうが熱量を持って行わないことは、親代わりの悩みの種だ。
でもきっとこの世をすら救えるだろうその天生に沿う気更々ない少女の名を、レミリアは呼んだ。

「霊夢」
「何よ」
「呼んだだけ」
「……喧嘩売ってんの?」
「とんでもないわ。愛を確かめていただけ」

名を与えて厚遇までしている。しかし十六夜霊夢はむしろだからこそうざったそうにした。
それは、恩なんて重いもの疾く返したくとも、しかしどうにも身軽になるのが難しそうだという霊夢の苦渋から来ている。

とはいえ、鳥かごに閉じ込めている現状に思うところはあれどもだからこそ愛玩してあげたくなるのは、確かに愛だった。
レミリアは鼓動ないはずの心臓辺りを左手で押さえながら、嬉しそうにする。

それが、どうにもむず痒い霊夢は親同然の相手に遠慮ない文句で返すのだ。

「クサイ台詞ね……レミリアったらまた変な漫画でも読んで影響されたの?」
「全く、失礼なメイドね。それに最近嗜んでいるのは、専ら外の世界の新聞などよ」
「新聞って、あの燃すのに易い薄っすい紙束のこと? あんなスカスカの散文によく時間かけられるわね」
「言ってなさい。そんな薄弱なものを最低限下敷きにして発展した判断をするのが貴い存在なの」
「ふぅん……外、ねぇ」

紅魔館は、幻想郷内に結界で封じられていてもその存続のために多少の外の世界との通行が許されている。
そんなのは、時に魔法陣から通行している魔族の業者からの仕入れを手伝うこともあるメイドからしたら周知のことであり、故に霊夢も外の新聞なんてものは見飽きているくらいだ。
一読してこれ情報というか文よねと理解した霊夢は、以降特に気にせず火種として使っている。
あんな半端なものを足元に敷いててよく外の世界の人間はコケたりしないわねと彼女は思いながら、つと思ったことを述べる。
霊夢がホワイトブリム代わりに付けている大きなリボンが少し下にズレたが、それに当人は気づく様子もなかった。

「レミリアは、私はどっち生まれだったと思ってる?」
「さあ。私は別にどちらでもいいとは思っていたけれど」
「ま、私だって外だの内だのそんなに気にしてるわけじゃないわ。ただ……」
「そうね。貴女を棄てた奴。ぶっ飛ばすべき相手がどっちに居るのかどうかなんて、ちょっと気になるわよね」
「そういうこと」

まこと、霊夢はレミリアの言のとおりに思っているのだろう、彼女の瞳はどこまえも青く真っ直ぐだ。
そこには、赤子を棄てる非道にばかり怒る思いしかなく、どうして私だけがなんていう横道にそれた思考が混じる余地もなかった。

レミリアは思う。生まれとは存在を縛り付ける呪いみたいなもの。
それこそ自らが夜の王ですらなかったら、今直ぐにでも霊夢を抱きしめてそんなの気にしないでもいいくらいに幸せになりなさいと無様にも教えたかった。
だがしかし、レミリア・スカーレットたる者、いちメイドにそこまで入れ込むなんて姿は見せられない。
明白であろうとも、贔屓を表に出してはいけない。そんな自縛なんてこの子のためなら心底どうでもいいと感じながらも、しかし幼少期から着せられ続けたモノは脱げずにレミリアはただこう述べるばかりだった。

「まあ、どちらにせよ暴れるなら紅魔館の中でしなさいな。外に出たって、冷たいだけよ?」
「それはまあ……分かっているつもりだけれど」

時は夏の盛り。それを思うとレミリアの外は冷たいなんて言葉はおかしなものに聞こえる。
とはいえ、それが喩えであるのは明白であれば、外で心凍らせたことのある彼女の言はどうしたって実感の籠もった迫真。
外に内。紅魔館の範囲からどこにも出たことのない霊夢には、レミリアの認識が正しいのかは分からない。
だが、誰だって帰る家で安堵するのは当然だろうし、そして霊夢はとっくにこの館で死ぬことを認めていて。

「ねえ、レミリア」
「なに?」

だからこその、一抹の不安。キザにもレミリアが口にしていたように愛は、確かにここにある。
しかしそれは本当に変わらないものなのか。親の愛すら信じがたいのに、それでも他人の貴女の心を信じて本当に。

「あんたも私を……いや、止めとくわ」
「あら。私ならその程度の疑問、直ぐに答えてあげるのに」
「だからよ。分かってるのに聞くなんて、馬鹿らしい」

そして、霊夢は馬鹿らしいじゃなくて照れくさいの間違いではないかと思うレミリアの前で、口を閉じる。

信じきれない。でも今度こそ信じ切ってみたかった。

そんな想いは少女の飛行のように、行ったり来たりで定まらず。
霊夢はしばらくその辺りをはたきまわった上で、ゆるりと去っていったのだった。

 

さて。そんな平和な本日こそ紅霧異変が発生するその日。
館の誰もが無事をこそ望んでいた中、しかし誰よりも悲観的な彼女が肉親のもとへとやって来た。
チリンチリンとうるさい背中。輝きの七色を宝石として飾る吸血鬼、フランドール・スカーレットがレミリア・スカーレットの前にて首を傾げた。

「あら、お姉様。今はお一人?」
「フラン……ええ。先まで霊夢と一緒だったけれど」
「そう。それは、良かった」
「……フラン?」

交わす言葉に意味など欠片もない。全てが隙を見つけるためのフェイク。
それは最早誰もがひと目で見て、分かる禍々しさ。悪意の園が紅色をしてレミリアを見つめる。

「ひょっとして――――」

ただ、この世で唯一レミリア・スカーレットだからこそ、その程度の妹の変事なんて気にもしない。
この子は父と母が遺した唯一無二。命より大切な、家族なのだから。

「私のこの首、欲しくなったのかしら?」

だから私を嫌おうが憎もうが殺したがろうが、それがどうした愛するに決まっている。
そんなのは、愛妹の破滅願望を識りながらもずっと変わらず持っていたものである。
冷たい外でも生き残れたのは、貴女が居たから。ならば、死が貴女でも一向に構わない。
そんなレミリアの当たり前の姉としての気構えに。

「ううん。そんなのいらない。姉妹で争うなんて、全く価値ないわ」
「そう。なら、なんの用?」

相変わらずキモいなあとドン引きしながらフランドールはこう嘯いて。

「ねえ。霊夢を壊しちゃっていい――

 

カハッツ♪」

「二度と、そのような世迷い言は口にしないで。フランドール」

瞳瞬く間もなく胴の真ん中に真紅の槍深く、壁に串刺しにされていたのだった。
つい笑んでしまう程の得難い痛み/怒り/愛に、フランドールの頭は燃えるように明滅。

「はぁ」
「キャハハッ」

思わず伸ばしたその手は何かを掴む前に、ため息一つで消し飛ばされていた。
方法も、過程もわからない間に毀損された右手。それを再生させながら、ようやくフランドールは彼我の差を理解する。

姉が目を閉じて、開く。そればかりの単純な行為の合間に、しかし壊すだけの隙は先と違い一つも見つけられなかった。
レミリア・スカーレットは紅の瞳の色ひとつ変えず、心底不思議そうにして首を傾げる。

「――――そんなに貴女は、おしおきして欲しいの?」

今目の前の存在は、単なる姉ではない。夜の王として闇の世界に永く君臨していた歴戦のドラキュラなのだと。

指先一つで、同族すら殺傷せしめる。それが可能なほどに極まった刃をレミリアは持っているようだ。

こんなものは、どうしようもない。だから紅魔館が幻想からも封ぜられるのは、当たり前だったのかもしれなかった。
虎の尾を踏んだ今更ながらそれを理解したフランドールは、だから。

「どかーん」
「っ!」

別行動させていた魔法による分身体に破壊を指示。上階が遠慮なく破壊されたことにより舞い散る粉塵。
しかしそしてそれでもレミリアに出来ぬ隙を縫うために、彼女は。

「ねえ、お姉様」
「何?」
「私は霊夢の叔母さんなの」
「それがな……っ!」

それは、神速に負けぬ炎。
レミリアの渾身の投擲にすら容易く消し飛ばされない破壊の火炎を纏った彼女は己を炎の剣として。

「だから、十六夜霊夢なんて檻、絶対に壊す! こんな間違った世界に、あの子をもういち秒たりとて居させるもんかっ!」

異見とともに、燃え盛る。
好きだからこそ、自由にさせたい。そんな想いは少女の希死念慮と重なり合って爆発的な燃料となった。

赫赫とした炎を前に、しかし冷徹にもレミリア・スカーレットは勝利のそろばんを弾いてから、こう続ける。

「そう――貴女がそう勘違いしているのなら、正すのが姉の役目ね」
「違う……あの子のためにと、勘違いしてるのはお前だっ、レミリア!」

応じて響くのは命をかけた駄々に悲鳴のような、声ばかりだった。

フランドールのそんな抗いによって生じたのは、彼女が燃やし続ける命の赤、紅い霧。

それは瞬く間に紅魔館どころか幻想郷の中にまで広まっていき。

「はぁ? 何よこれ……さっきからアイツら、家の中で好き勝手に暴れてんじゃないわよっ!」

当人を他所にした酷くはた迷惑な姉妹喧嘩は、真っ先に十六夜霊夢を怒らせて。

 

「咲夜っ、霧の湖の方から何だかぴりぴりする紅い霧が湧いてきたぞっ!」
「これは……」
「異変だな」
「あ、あんた明羅さんじゃないかっ! 丁度良かった。異変解決のために手伝ってくれ!」

「――いいだろう。既に乗りかかった船だ」

直ぐに幻想郷中を揺るがす異変へと発展するのだった。


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