ぎゃおー

博麗咲夜、十六夜霊夢

十六夜霊夢には、天敵が居る。
それは地下深くを根城としていて、何もかもを台無しにしてしまう気性の荒さを持っている上に、ずる賢い。
なるほどそれだけを取ればパチュリーが蛇蝎のごとくに嫌うネズミ――羊皮紙を食む――を指しているようであるが、実際それはもっと強かというか強大だ。

『――はぁ?』

霊夢は、彼女が豹変した際に容赦なく行使された魔法による恐怖を思い出す。
空に虹を見上げるのは好きであるが、あいつの背中の七色は嫌いだ。もっとも、綺麗じゃないとまでは思えないけれど。
そんなに私は悪いことを口にしたものかと、未だに霊夢は時にそれを諳んじる。

――――《《おばさん》》。

そう。レミリアを親とするならば彼女は叔母に当たるだろうと目算してのその呼称。
しかし突然出てきた人間がまさか姉が可愛がっている存在とは考えられずに、おばさんなんて年上であることを皮肉ったかのような言を発してきた。
つまり、何時までも少女の気持ちでいたフランドール・スカーレットの心をその一言でこの上なく痛めつけたということを、姪っ子霊夢ちゃんは知らない。

「レイムー! 開けなさいよー」
「はぁ……面倒くさ」

だって、彼女はその日より破壊の吸血鬼からの気まぐれな執着を受け続けていて、出会い頭の間違いについて伺うことすら面倒な有り様なのだから。
今日も今日とて、真鍮製の蝶番が少女のノックに悲鳴を上げる。
果たして、自分がふわりと向かう前にフランドールは過日のようにドアノブを捻り切ったりしないだろうか。
そんな全てが杞憂になればいいなと思う霊夢の口の端には、しかし。

「ふぅ」

幽かに笑みが出来ていたがそれもため息一つで消え、あとは何時もの彼女が急ぐばかりだった。

 

地下図書館より更に深く。
そこに生まれてから495年もの間フランドール・スカーレットは引き籠もっていた。
そんなところから出てきなさいと幾つもの助けの手がこれまであったが、それらを尽く壊しきって、結果彼女はずっと独りを謳歌する。
活きることこそ無意味と何もかもを蔑むかのように。

『♪』

母の献身すら鬱陶しいと引き裂いたあれは狂気だと父は嘆くだけ。
レミリアは意を汲むことなど出来ずとも、私が閉じ込めたのだと宣言して名誉を守ることくらいはしていた。
パチュリーは一度父娘喧嘩の際に灼いてしまった背中を飾って、ついでのように魔法の本を贈ったがそればかり。
だがフランドールには、それくらいで十分だった。

『♪♪』

身の回りの世話は壊してもまた湧いてくる妖精メイドがやってくれるし、何かあれば簡単には壊しきれないドラゴンが飛んでくる。
私はあまりに幸せであり、ならばこれ以上望むのは余計だと賢すぎる彼女は分別できていた。

少し激しめなバックグラウンドミュージックは、果たして寂しい彼女のどこから聞こえてくるのか。

『♪♪♪』

少女は端から子どもの習いの後ろに宇宙を見つけられる天才の類。
正しく狂っている吸血鬼であるフランドールは、当たり前のようにこの世の何もかもに価値があり、即ち【ありとあらゆるものを破壊する程度の能力】を持つ己のみが余計と早々に解した。
見知らぬ誰かのために己を捨てることができる人間が聖人ならば、見知らぬ何もかものために己を隠した妖怪は狂気そのものと言われても不思議ではない。
そして、誰もが揃って彼女の前で同じ否定の音色を奏でる中に。

『あんた、随分な怖がりね!』
『♪ ……あら?』

窮鼠からの悲鳴じみた不協和音が歌う彼女の耳朶に鳴り響いたのだった。

 

十六夜霊夢の人生は妖怪との対話が基調となっている。
実際、紅魔館で他人たる存在はまあどうも食料として調理室にバラバラになって冷凍されているようではあるが、そんな物言わぬ骸に声を掛けるのは無駄と彼女も思う。
ならば、どうしたって霊夢は好まずとも一癖も二癖もある妖怪変化共と言葉を交わして暇を潰す他にはない。それは、彼女も分かっているのだ。

「ふふ。美味しいわ! あと霊夢の一滴が足りないけれど、不足というのもまた妙味ね!」
「あっそ」

だが、やることないからと無駄に上達した紅茶淹れの腕前をコイツに発揮するのは嬉しくないと霊夢は思う。
真向かいで目を輝かせ、羽代わりの宝石をカチリカチリと騒がしく。
己の吸い込むような黒と違って眩いばかりの金の髪散らばらせて笑うところといい、どうも自分に合わない存在だとメイドは主の妹に対して思うのだった。

自分のものには手を付けず、しかしカップの縁を指で一周させてから、彼女は問う。

「……何、フランドール。今日は何を壊しに来たっての?」
「ねぇ、レイム。私だってもう、そんなにお転婆じゃないわ。メイド達の首を吊って遊ぶのも飽きたし、お姉様とあなたの顔の違いだって覚えたわ。それに、何より私は私を用いなくても私だってレイムが教えてくれたじゃない!」
「で……つまり?」

改めて、フランドール・スカーレットは聡明である。しかし、度が過ぎていればしばしば共感共有をし忘れることがあった。
それは他者から見ればもはや狂気でしかなく、いくら独善的な行い全てに理由があろうともその不通は恐怖を煽るばかり。

だが、フランドールの眼前にあるのはこの世の天板の下にある最高段に寝転ぶ乙女。
霊夢はなんとなくこの自分勝手な叔母さんが、他人への触れ方を模索してくれているのは言から理解できているし、自分の言う事をわざと曲げつつ聞いてくれているのは分かっていた。

『そんな力なんて捨ててかかってきなさいよ、ばーか!』
『へぇ』

とはいえ、曲解にも限度があり、あの日死にかけながらもフランドールから辛く逃げきった際の捨て台詞をそんなに大事にされてもなあとは思っている。
そして、案の定不自由にも自由になったフランドールはこう叫んで霊夢の居室を台無しにするのだった。

「お遊戯しましょ! 私はファフニールで、レイムはジークフリート!」
「っ!」

少女が手を振るだけで床を赤く舐めるは魔力の炎。
それはフランドールの全身に宿り凝った上で、近くのドラゴンの正体を真似た姿をフランドールに取らせる。
お遊びでこの上なく禍々しい、炎の竜と化した彼女はこう、一つ。

「ぎゃおー」

と叫んだ。

「ふふ……あはは……」

これに応じるように私物台無しにされた霊夢もふらりと煙上げる椅子から体を上げる。
そして、散らばったカトラリーから無事だった銀のナイフを徐ろに取り上げて、持ち前の神に近い霊たる力をそれに全力で乗せた。

すると、銀のナイフは白き力を帯び、最早その清浄さ威力はきっと大妖怪だってずんばらりんな威力を発揮するに違いない。
ただ怒らせて反応を貰って遊ぼうとばかりしていたフランドール叔母さんは、自分がやり過ぎていたことに、狼狽する。

「ぎゃ、ぎゃお?」
「ふん……自ら英雄をその血で殆ど無敵にさせた竜になろうなんて……あんたよっぽど今から血まみれになって死にたいのね?」
「ぎゃ、ぎゃおー!」

今の霊夢に容赦の二文字はない。
そしてその日、竜は死闘の末真っ二つに処され、中から出てきたフランドールは煤けた霊夢に蹴り飛ばされて宝一つない地下の巣穴に戻ったのだった。

 

「ふふふ……うふふふふ♪」

少女は一人に笑う。それは、とても嬉しいから。
何よりも計画がうまく進んでいることを確かめられたことで上機嫌になっているのだ。
故に今回のことで更に、大好きな姪っ子に上手く嫌われることが出来たことに、口角は自然と上がる。

「ふふ。レイムは優しいから」

一部屋焦がして、それですら過度ではない。人間の心なんてものは、あまりに余裕がありすぎて困るものだとフランドールは笑う。
だが、しばらく顔も見たくないという言質は取れた。そして、気落ちしたフリも真に受けてもらった上に、時間はたっぷり。

「これで、大丈夫」

フランドール・スカーレットは正しく狂っている吸血鬼であり、見知らぬ何もかものために己を隠した妖怪である。
そして何より、子どもの習いの後ろにすら宇宙を見つけられた。

そんな歪んだ賢者が賢者の囲いを壊す方法は、やはりただ一つ。
幾ら最愛の姪っ子が叔母さんと優しく呼んでくれたところで、自分なんて。

「コイン一個の価値もない」

そう呟いて、チリンと背中に並んだ賢者の石を鳴らすのだった。


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