この物語れる程度の世界に神はない。
また生き物が神の隷属装置であるかといえば、それは違う。
故に、この狭い世界では滅びまでに自由な悪徳に満ちた生存が許可されていた。
とはいえ、人間原理で語りきるのにはこの程度の範囲であっても無理がある。
不足故にゼロに帰るこの世界にはもとより、神なんて大袈裟なものなど要らなかったのだろう。
「ぽぽ」
だから、見捨てられない怪人如きは天を支えるアトラスにすら似る。
罰の如くに世界を見下げ続ける彼女の口元にはしかし、確かな笑顔があった。
私、千里件は全知ではなく予めこの世の概要を識っていたばかりの者である。
世界はガイドに沿って流れるものとは理解していた。
予定に調和せずとも、蓋然性の高みにて数多は綴じられる。
外れ値を含めて、一途に回る世界であるからには不理解に悩み続ける日々はない。
「それでも、分からぬ心はあるわ」
「くぅん?」
戯れに獣の近くで発した言に則り、私は唐突に惑う。
学校の帰り、河原を掠めた通りに箱が一つ。
小ぶりなそれをゴミと捉えた私が開いてみれば、そこに仔犬が一匹。
糞尿の欠片の中にてそれは首を伸ばし、私に向けてわんと鳴いたのだった。
「だから、助ける」
「くぅん」
そこに、意味などない。
この柔らかで温い子が当座を生き延びたところで待っているのは、滅亡の赤。
しかし、そんなことはどうでもいいのだ。
それを今私は愛という心にて学ぶ。
「ルイ、か……」
「くぅん?」
「……どうやらあまり、呼ばれていなかったみたいだね」
この子はルイです、どうかよろしくお願いします。
元飼い主が書いたのだろうそれ。
願いの文字の線足らずに察するところはあったが、実際この子はどうにも向けられた情が足りていないよだった。
聞き及んだ回数不足のためか、この子は最低でも名前を憶えることすら出来ていない。
自らの名前に首を傾げる、仔犬。抱く中での身じろぎは正直大丈夫なのか怖くもあったが、無垢の向こうに哀れさを覚えてしまえばもう駄目だ。
滅亡の未来を識りながら、拾い上げる行為を救いと信じる。そんなことは間違っているだろう。
だが、それでもこのルイという犬の命は行き止まりまでは永らえられるのだ。
「大丈夫」
「くぅ?」
飛沫が無駄か。閃光に価値はないと誰が言う。
いや、異見などは無意味だ。私は機会があれば何度だってこうするに違いない。
見つけたらこの子を抱きしめて、共にあろうとするだろう。
好きは、後から来てもいい。
衝動に、名前を付けるのは必要だろうが野暮でもあった。
苦しいほどの、命の鼓動。生きるというのはどこまでも身勝手な己に拠る。
「あ。天音ちゃんどうしたの、その箱?」
「実際メインは箱というよりも、仔犬かな」
「わん!」
「わっ」
そして仔犬の可愛さによって近視的感情的になった私に小路ちゃんがそろりと声を掛けた。
サングラス越しに彼女の赤い目は私の手の中の小さめ段ボール箱から、未だ終わらない萌えたての仔犬を見つける。
ルイは、尻尾を振ってぱたぱたと箱を叩いて軽快な音を立てた。
総じて私に似合わぬ元気で優しい姿。よって、小路ちゃんの瞳もどうやら丸く大きくなってしまったようだ。
ズレた暗ったい色の保護眼鏡。私はぞっとするほど美しい彼女の赤を嫌えない。
そして、それはルイも一緒だったようで、軽快な高い声を彼はあげる。
「あん、わん!」
「わあ……ワンちゃんだ……」
「名前はルイというらしいよ」
「ルイちゃんっていうの……らしい?」
「先まではこの子捨て犬だったから」
「酷い!」
「でも、今は私の家族かな」
「……ということは?」
「うん。さっき連絡したら了承貰えたんだ。この子はもう、うちの子」
「良かったー……いい人に拾われて、良かったねルイちゃん」
「くぅん!」
ただの子供らしく、犬の境遇変化に喜びを見せる小路ちゃん。
実際ほんの少し瞳を終わりに浸してしまっているだけだから、彼女はそれでいい。
だが私はこの子を幸せにしたくとも、満ち足りた終わりは用意できない飼い主足らず。
今もぎゅうっと熱を伝えることに努めているだけの物語の蛇足。
そんなものが、尊ぶべき生きる物を幸せに出来るかは不安だ。
でも、空に張り巡らされているのと同じ程度に譲れないものが私にだってあった。
これは、肉であり毛でありその芯は骨と熱。意味とするには頼りない物体であるが、しかし私を求めて鳴くのだから。
「私は、この子を幸せにしたい」
「うん……天音ちゃんなら、間違いないよ!」
終末を教えに生まれた私。
本来ならば件らしくそれを告げて消え去れば良い。
だが間違って生きてしまっているのであれば、誰彼に寄り添ったって許して欲しかった。
「ううん……違うかもね」
「……天音ちゃん?」
いいや、許しなんて必要ないのだ。
私は私なんて認められないが、この心の過ちが誰かの生存と快さに繋がるのならば。
「私はこの子と、生きていたいよ」
「わん!」
それが、私の本音。
彼は私を見上げて鳴く。
だから何時までも、空の赤みを見つめている訳にはいかずに下を向いて撫でつける。
それが嬉しくて、私は微笑んで彼の柔らかい毬のような身体を撫でて。
「天音ちゃんって、ワンちゃんが大好きだったんだね!」
「そう……だったみたい」
私は人の言葉で己の好みを知る。
心とは曖昧であればひょっとしたら私のものですらないのかもしれない。
でも、それでも死にたくなるほど生きたいから、私達は。
「よしよし」
「あん!」
「可愛いー」
助けに助けてもらう。
触れ合い擦れ合い、終わりの紅いゴールテープにたどり着くまで走るのだった。
「あ、天音ちゃん服が濡れてる!」
「あれ。ルイったら……これはうれションって奴かな?」
「きゃん!」
「感心してないで、まだぷるぷるおしっこしてるルイちゃんを離してー!」
そう、例えどんな間抜けが挿入されようとも、それだけは間違いなく。
私達は今を生きていた。


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