結の本家は、それなりに旧い。
とある頃から神職を辞すようになったとはいえ、周囲に影響強い大家。
お祖父ちゃんお祖母ちゃんのお家の塀はどこまで続いてるのか分かんなかった、とは幼き頃の小路の感想である。
とはいえ小路が生まれた結の分家において、歴史というものはそうなかった。
家は新しいし、おトイレも勝手に開いて格好いい小路は思うが、逆に《《令和レトロ》》なものすらないのは不思議だ。
もっとも、よく考えると長男坊の恰幅の良い彼女の父は特に語らないが、彼が家を出るにあたって一悶着くらいあったような感は以前からあった。
『お父さん?』
『……なんでもないよ』
良くしてくれるお祖父ちゃんお祖母ちゃんと、実家に連れて行ってくれた父がろくに話さないのは結も不思議がっていたこと。
不機嫌ではなくどこか哀しそうな、彼。それを倣いに、そのうち小路は父に実家へ遊びに行こうとねだるのは辞めた。
『お前なんて、ろくでもないっ』
そして、祖父母の喜びより父の哀しみを大事にしたそんな小路の選択の果てに聞いたのは、そんなお祖父ちゃんが父にかけた言葉。
幼稚園から母の自転車に乗っかって帰ってきたばかりの少女には、どうして孫に会わせないのだと怒る祖父の身勝手さは知らない。
でも、こんなに酷い剣幕でこんなにも悲しい言葉を父が息子にかけるところを見るのは、二人共大好きだったからこそ小路は嫌で。
『じーじ、やめて!』
必死になって、それこそ泣いてでも彼が父を打とうとするのを間に入って嫌がった。
たじろぐ、祖父。可愛い孫をこしらえたからバカ息子を許してやったのだとそう思い込んでいる頑固な父に、しかし目に入れても痛くないその子は。
『じーじなんて、嫌い!』
そう、叫んだのだった。決めつけて、泣きわめいて、追い出して、そして。
『え……』
だから、小路が大好きだったお祖父ちゃんの死を知ったのは、彼が荼毘に付されてしばらく後になってしまったのだった。
以降、何が良くなかったのかも分からないままに、小路は鬱いだ。
息をするのって、意外と大変なのだと彼女はその頃気づく。
結小路は《《かなてこ》》のような人間になりたかった。DIY好きの父が愛用していた便利に使われ、愛着を持つに足るそんな形。
『やだ……』
だが、小路にとって今やその夢ははるか遠い。
本来ならば潤滑油とすらなれた筈だ。けれども理解を忘れて愛を手放し、怒りに逃げた。その結果が、血の繋がったあの人からの絶縁。
まるで擦れてギイギイ言うところばかりが《《かなてこ》》そっくりで、全く使いようもない、わたし。
そんなもの、捨ててしまいたいと彼女は独りでずっと思っていた。
『え?』
そして、理由は特にそればかりで彼女は間違いなく間違って、そこに瞳を落としてしまう。
今はなき、ゴミ捨て場。世界の控え、二軍の試合場はとっくの昔に滅びに落ち込んでいた。
だから、そこは今や滅んで赤いばかり。そこに繋がってしまい、多望というある種《《神のような視点》》を得た小路は。
『っ』
お前も終われと、落ちこぼれたありとあらゆる者たちに呪われて。まるで《《かなてこ》》に引っ張られたかのように心は剥離する。
『いやああっ!』
やがて結小路はただその目に黄昏の赤を映す、少女でしかなくなった。
「あ……う」
どうせ死ぬからと、丸まり生きようとしない。
次第にそんな生き物に小路は成った。愛別離苦が辛ければ、そもそも生きようとしなければよいのだ。
そんなたった一つの覚えばかりが明白で、それ以外はろくにはっきりとしない日々。
「……う」
彼女は引きこもるようになる前悲鳴を上げて、母の手のひらから逃げた。
それこそ《《かなてこ》》を持って扉をこじ開けんとする父に狂乱をして追い払ったこともある。
そして、そればかり。親に捨てられた子達は親愛に縁を広げることも信頼する他人を得ることだって難しいものだったから。
「わたし……ダメな子」
この子のためにどうにも出来ない。そうして手を止めたことを諦められたのだと、少女は絶望を深める。
少女の吐息は、中々満足に吸い込むことが出来なかった。
小路は放って置かれた訳では無い。親御さんはただ、駆けずり回って役場などに相談して端末にて情報を漁っていた。
でも、外での両親の懸命なんて彼女が知ったことだろうか。何より、嫌われているのと同じくらいに彼らの熱が感じられなくて、さみしい。
使われてこその、愛。ならばどうしようもないわたしに相応しいのは、何か。
「しな、ないと……」
それは、目の中にべったり貼り付いたこの赤が教えてくれた。
死ねば、終われる。
もしそうでなくとも、いやいやで居なくなってしまった彼らの代わりに、それくらいのことは彼女は信じたかった。
「うぅ……」
でも。この赤がとても辛くて悲しいのは、一目瞭然。そして何よりあまりに虚しい。
わたしは何時か《《かなてこ》》のようになりたかったのだけれども、そんなものになれずにただの赤い染料と化して終わる。
「ごめん、ねぇ」
そんなの、嫌だったけれども、仕方がないよと頭を振る少女はどうにも迷いだらけ。
弱々しさに稚さが混じった結小路という名の袋小路。
果たして辻のしゃれこうべの下には、血をべっとりと貼り付けた屍が並んでいるものなのかもしれない。
だが、そんな無常を誰かは見咎めて。
「あそびましょ」
そう、少女を誘ったのだった。
小路は、はじめ佐藤天音を『いい子ちゃん』だと思い込んでいたところがある。
誰かにおし着せられたべべを持ってよしと振る舞う身勝手さん。そんな数多の類例に漏れない子供なのだろうと、幼児らしからぬ諦観を持っていた。
「うん。やっぱり小路ちゃんは可愛いよ」
「うう……」
しかし、妙に発育のいい天音は、前髪で瞳を隠してもどうしたところでそれを掻き上げ変わりなく認めてくれる。
それこそ、あまりの過干渉ぶりに友と仲違いしようとも、小路の手を取り、ずっと。
「どうして、ここまでしてくれるの?」
ある日。学校帰りに小路はこう問った。
彼女は、分からない。ただの教師の頼まれごとの延長として、当たり前のように引きこもりだったわたしをさらったのか。
そして、どうして感激に泣く母を諭して、何事もよく触れなきゃ始まらないと手を繋がせまでした。
また、時に小路の父と共作として庭にヘンテコなオブジェを無作為に建造するところなんか摩訶不思議で。
だから、わたしなんてもう使いようもない赤く終わるだけのものに愛をくれるのか、小路は問う。
「それはね」
でも、きっと赤い《《地獄を見た》》だけの少女よりきっともっと高くを見ているだろう、天音は空を見上げて《《蒼穹に》》目を細め。
「私はいつか、あなたの瞳の中で、死にたいから」
そう言って、《《かなてこ》》でぶん殴ったかのような衝撃を、小路の心に残したのだった。
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