第一話 件/天音

千里件 千里件の人間原理

「……ほろ、ぶ……せ、かぃ」

未熟にて生まれた私は、産声よりも先に必死になってこう伝えた。
これで死んでしまっても本望だからと目も見えないままに発した私の『予言』は、しかし懸命に私を生かそうとする医療現場の人間たちの騒々しさにかき消されてしまう。
それ以降、私はしばらく呼吸器を頼りに命を繋いだ。

「あ、うぅ……」

私は瞳開くのは一等賞。また、起きるのも歩むのも人並外れて優れた早さだった。
しかし、一度喪失した発声機能を再生させるにはそれなり以上の時間がかかる。
故に、私は中々予言を再生できずに、むしろ賢いのに可愛そうな子としてしばらく意味なく愛された。
そう、『件』なんて出来損ないの異物、本来予言だけ残して捨てられればいいものを、私は両親らの親愛によって生き永らえてしまったのである。

「皮角、かあ……良性のもので大きくなる前に切除できてほっとしたよ」
「本当ね……この子は頭をよく弄っていたから気にしていたのでしょうね。早めに気づけて良かった」
「うー……」

不格好な、人の間に生じてしまった『件』の子。半人半牛を定めとしている予言獣として、私は当然のように角を持っていた。
だが、それは医師により病とされ早めの切除によってまるでそんなもの最初からなかったかのように、綺麗さっぱり失ってしまう。

「ああ、むずがってるね……よしよし」
「いい子、いい子ね……」
「あ……う……」

しばらく私は獣たる証を失い愕然としていた。
けれども、手術跡を避けるように撫で付ける彼らの手のひらの優しさがあまりに優しかったために、私は次第に喪失感をすら失ってしまう。
稚さに疲れて寝入る私を、彼らはどう見つめてくれていたのだろうか。

「行くわよ、|天音《あまね》ちゃん」
「うぅ……」
「どうしてだろうね。妙にこの子は名前で呼ばれるのを嫌がる」
「まだあーちゃんっていう愛称で呼ばれていたいのかしら。可愛い子」
「うー」

その昔、私は天音という素敵過ぎる名前の贈り物が勿体ないと都度いやいやをしていたのだが、愛すべき彼らはそんな曲がった心を考えることすら出来なかった。
親に連なる名前はあっても、私は千里件。自然に属する存在の筈だ。
しかし、彼らにとって小さな私は愛すべき我が子であり、あーちゃんという呼び名を卒業したばかりの天音ちゃん。
手を繋がなければ逸れてしまうような小さなコンパスを持ったただの子供でしかない。

「うぅ……」

温かい手のひらを借り、親の最愛として生きる。
それが私には酷く申し訳ないものであるとして、よく悲しんでいた。

語るべくもなく、彼らは幸せになるべきである。
私なんて人でなしにも優しくしてくれて、生きることすら難しい『件』の私に克己のチャンスをくれた。

だが、私は本来生ずるべきではない存在だ。牛ではなく間違って人の間に生まれてしまっただけの、予言する程度のもの。
誰に語られるべくもなく死ぬべきであるが、そのためにこの善き人たちに《《再び》》の喪失を覚えさせるのはためらわれた。

「とー」
「なんだい、天音……これは?」

そんな彼らに早い次子の誕生を望むのなんて私の自己満足である。
だがそれでも私なんかよりずっと素敵な普通の子供を育てる幸運に浴してほしくて、私は酷く握力も弱い中よくマタニティ雑誌を引きずり何とか思いを伝えんとしていた。

「かー」
「あら……この子ったら育児雑誌なんて引っ張り出しちゃって。いたずら?」
「うー……」
「大丈夫よ。怒ったりしないから。ほら」
「あ」
「うんうん。天音もこんな時あったわねー……可愛かった。今は今で色んなお洋服がお似合いの可愛い子だけどね」
「うう……」

とはいえ、流石によほどの妄想家でもなければ発達不良気味の我が子が、貴方がたに次の子をと強請っているとは考えられないものだ。
当たり前に普通でとても優しい母は。治療の最中に私の姉となる筈の胎児を亡くしている人は、私をひたすらに愛するばかりだった。
何時だって拒絶せず私の癖のある毛を撫でてくれる彼女らは生じる前『ゴミ捨て場』の悲劇をみつめてばかりいた私にはとても眩しくて、愛おしく。

「……あぁ」

だから、そんな親愛には勝てやしないと私も『件』であることを諦めざるを得なかった。

私は間違いなく千里件だ。それに嘘を吐くのは出来ないけれども、佐藤天音として彼らのために生きることだって無理ではないだろう。
そう信じ、不足だらけの身体にてでも何時かは誰かのためになれるかもしれないという喜びに、何時しか私は。

「あは」

不格好なままに、笑顔を覚えた。

「ああ! 天音が笑ってる! スマホっ!」
「もう撮ってる! やばいね……すっごく可愛い……」

酷く歪んだ満面には程遠いそれを、しかし彼らは大切にしてくれる。
勿論、彼らの親族だって似たような人ばかりでとても親しくしてくれて、誰も彼もがぬくとくあった。

「あは、は」

笑ってしまうくらいに喜ばしき、善性達。悪があるからこそその輝きが増すとは言え、尊い心達に寄り添うことは私にとって何よりの慰めだった。

ああ、そんな素晴らしい何もかに私は返報し続けたかったのだ。

けれども、私は知っている。知ってしまっていた。

「……ほろ、う……」

そう、世界の滅び。
誰もかもにもう希望はないなんていう、本当。

「……や」

稚児が重い頭を懸命に振るのは、果たして誰のためか。

滅亡を教えるために生じた筈の私は、しかしもう誰にもそれを伝えられそうにないのだった。


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