走り続けたい

モブウマ娘 それでも私は走る

――――というウマ娘は中長距離が得意であり、こと長距離において秀でる部分が最初からあったというのは、知られたことである。
実のところトレセン学園入学時点では、次代のステイヤー候補の筆頭としての期待すらかかっていた程。

肉体は太く鋭いが、その技術と根性こそが一級。
皐月賞でしていたような有り余るスタミナを全力で削るばかりの走りが本来でないというのは、知る者は知っている。
そしてその実力の階は先の神戸新聞杯でのキングヘイロー等をすら《《置き去り》》にした逃げ足にて窺えた。

それはかのGⅠ逃げウマ娘、サイレンススズカと懇意にしていることも大きかったのかもしれない。
これまで柵となっていた《《何か》》から解き放たれた――――は、その軽やかな走りにてレースを自分のものとする。
それこそ、レースでペースを握ることよりも更に上の技術。
陸上で学んだチェンジオブペースの練習から昇華した逃げて、緩めて、尚逃げるという机上の空論染みた業。
その結実を画面越しに観てしまった本来上位互換の筈だった少女の心中は複雑だった。

「きっと、菊花賞であの子は、《《飛ぶ》》のだろうね」

セイウンスカイは、テープ擦り切れんばかりに彼女の映像を見直した結果に、そう呟く。
あまりに意識してその一挙一足を見つめたからか、その体育着から覗くしなやかな足の白さを目を瞑っても思い出せそうだとセイウンスカイは思う。
そして、他の彼女が無理でも自分なら彼女の背中に手を届かせられるか再び自問を始めた。
だがこんなシリアス似合わないよと思ったセイウンスカイは吹き出し、興奮に少し火照った頬を撫でながら呟きを続ける。

「ぷ。にしてもこんなに気にしてる相手の映像を見直す人なんて、アスリートじゃなきゃストーカーだ」

自嘲してから、名残惜しげに停止ボタンを押そうとするセイウンスカイ。
タイミングとしては走りきった――――が通り過ぎるのを観て、その後。
だからセイウンスカイには届かなかったキングヘイローが目に入って、その決して下げない顔から見えてしまう絶望の表情を見つけてしまう。
だから彼女はそこで映像を終えられず、しばらくリモートコントローラーは手の平の中で何のボタンも押されず安堵されたままだった。

「こう、なりたくないなぁ……」

彼女への友情はあるが、あの絶望と同期したくないというのは本心。
勝負事とは非情だ。白黒の結果に愛を挟む余地などない。
だが、既にセイウンスカイはキングヘイローに負けないくらいに――――へ心を預けてしまっている。
だから絶対に、見損なわれたくなくて。

「勝たないと」

つい身震いするくらいの決意を持って彼女はそう発した。
信頼するトレーナーは未だ不在でもセイウンスカイに自信はある。
元々、彼女はこういった頭を使う仕事は得意。また、指示もない自由から道筋を見つけられる性質ではあるのだ。
故に、トレーナーなしでも勝てるとは理解している。
だが、絶対に勝てるわけではいということは、東京優駿等にて思い知ったことだった。

「ふぅ……」

星が欲しくて喉が、乾く。
それが緊張のせいとは思いたくないが、しかし飲食を忘れて気になる彼女に釘付けになっていたのは事実。
どちらにせよ健全じゃないよなあ、と自認したセイウンスカイは苦笑いと共に麦茶の入ったペットボトルを掴もうとして。

「っと」

知らず震える手で、掴み損ねる。
爪の先で踊り、底の縁にてくるりとテーブルの上で一周する茶褐色のボトルをしかし、セイウンスカイは。

「うん、大丈夫」

決して取り落とすことさえは、なかったのだった。
ぽちゃり、と杯は音を立ててその場に安堵される。

 

サラブレッド、サイレンススズカ号は、1998年11月1日に没した。
秋の天皇賞、逃げに徹した生涯最高の走りの途中に彼はその脚を壊してしまう。
そして、彼の栄光に悲劇どころかその生涯の全てをウマソウル越しにウマ娘、サイレンススズカは知ってしまっている。

己だけでも重いというのに、更に特別を乗せる。
そんなのがウマ娘の当たり前だとしたなら、なるほど彼女らは愛を持って尊ばれるのが当然なのかもしれない。

「はぁ……はぁ」

命を求めるように息は、荒れに荒れた。
畢竟、走るというのは行ったり来たりを繰り返し続けること。
ルーチン地味た持続的な足への負担かけ。しかしそれを飽きずに出来ることは立派な天凛だ。
ウマ娘はアスリートが喉から手が出るほど欲しいそれを誰もが持っていて、そしてサイレンススズカはその中でもとびきり限度を忘れて駆け抜けてしまう一人。

足を先に出すことさえ、楽しい。心は眼前の地平と真逆に盛り上がって止まらなかった。
疾走に最適化された身体に、疲れは足を引っ張りきれない。
弾ける芝を一顧だにしないことなんて、はた迷惑なことなのかもしれないが、高揚はどうしたって視界を狭めるものだ。
これまでの諸々含めた結論を彼女は風に乗せるように呟く。

「やっぱり、止めるというのは無理ね」

そう。練習とはいえ、サイレンススズカは止まらない。止まれないのだ。
彼女は運命なんてどうしたとまで、自棄になれるほど不真面目ではない少女。
何時だって懊悩は直ぐ側に。だがそれよりもっと近くに彼女が追いすがってくれているのならば。

「ねえ、――ちゃん?」

それに返事はなくとも、続いてくれていると信じられる。
だから私は走るのだというわけではない。
しかし彼女が見つめてくれているのならば、走り続けたいのだ。

これはきっと恋ではなく、乞いとも違う。
全く違う路にて、だからこそ隣り合わせになった鏡合わせのばってんに、少女が付けた名前はただ一つ。

そう、親愛。離れがたい、一つになれないそんな想い。

繋がらない心をそんなものだと決め込んだサイレンススズカは、悲劇となった伝説の先を進むためにも今日を駆ける。
それが、ウマソウルから響く彼の心を慰めるためになるとも信じて。
そして風音すら死にかけない集中の中で彼女は直ぐ後ろからかかる、こんな声をはっきりと聞いた。

「スズカさん絶好調、ですね」
「ええ……――ちゃんもっ!」

頷きは、聞こえなくとも感じられる。なにしろ、それくらいに彼女らは近しくあったから。
――――はここのところ、合同練習にて追い縋ることばかりを続けている。
それこそスペシャルウィークが嫉妬してしまうくらいに彼女が負けてしまわぬようにと、少女は続く。

それが、もし練習でサイレンススズカが怪我に倒れたときにどうにかするためにという――――の不安の発露であると知るものは多くはない。
だが、誰よりそれを肌で感じている彼女は。

「ついてきて、ねっ!」
「はいっ!」

他人でしかない、下手したらストーカーのような彼女のとびきり重い想いを乗せて、だからこそ走り続ける。
またファンや家族にチームにトレーナー、様々な心を頂戴していながら、でもサイレンススズカの足はそれこそ怖いくらいに軽い。

記録、記憶。すべてがその駆け足に自ずと付いてくると思われる、そんなラン。
そんなものには、名無しの少女なんてあっという間に置いて行かれてしまうのが当然なのかもしれないが。

「っ」
「ふふっ!」

でも、――――はサイレンススズカが運命になんて負けることはないと信じているからこそ、決して負けるものかと追いつけるのだった。

彼女は彼女の足跡を見逃さないように、一歩を重ねていく。

だからきっと、その軌跡に奇跡だって起きるのだろう。

 

時は十月。
末の頃まで来れば風も冷たくなってきていて、冬を思わせるそんな衣に困りだすような頃合いにウマ娘達は食い気にぽっちゃりしがちな身体を競うように走らせて、過ごす。
そんな頃に栄光のレースが多々組まれ、彼女らは鎬を削る。

友や先達後輩と走り、勝って負けて。でも前を向ければまたそこにターフはある。

忘れられない光になることを夢見て、でもそれだけで終わりたくないから。

「――ちゃん。私、頑張るね」
「はいっ!」

もう何一つ教え遺すことのないよう、彼女の先頭を駆け続ける。
そんなことだって、サイレンススズカが今走る意味の一つだった。


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