勝利は彼女のもの

モブウマ娘 それでも私は走る

レースにおいて一位でなければそれは敗北と同義。
手と手を繋いでゴールなんていうお遊戯のようなことは出来ない真剣だからこそ、勝敗には強い意味合いが出るものだ。

とはいえ、別段上位に価値がないという訳でもない。
重賞で十着、そうでなくても八着以内にまで入れば出走奨励金が貰え、その賞金の割合は一位が勿論最高だが、上位になればなるだけ割合が増えていくもの。
決して、頑張ることは無意義ではない。努力して伯仲することが無駄ではないのだ。

時は三月二十八日。皐月賞トライアルとなっている若葉ステークス。
よく晴れた空のもと、十六ものウマ娘が怒涛の如くに駆けていく。
重賞とはいえずとも上位、そして未来を望む者たちばかりが輝き魅せながら駆ける様を見つめる者も多くある。
コーナーの端は先端。しかし、一位は大きく迫られる。駆けるのは全ては、欲するものを得るために。そこに、お金が混じっていたところで何が悪いだろう。

「っ、はぁ」
「負け、るか……!」

金銭目当てで走るウマ娘というのも割合が少ないが、存在しないこともない。
彼女たちにとって、勝てなくても迫れればそれだけ懐が潤うのであるから、駆けるのに死にものぐるいにもなった。

当然、金銭欲とて雑念である。
本物の実力を持つウマ娘と戦うときに、それは邪魔になることだってあるだろう。
目的以外に何も持たない無垢こそが身軽であるのは、殆ど間違いないことだ。

「アタシは、勝つんだ!」
「……くっ」
「どけぇっ!」

とはいえ重賞出走が精々だろう子等の邪念混じりの必死だって――――というモブウマ娘を差すには充分のものがあった。
短い距離で最速を続けて鈍る足。逃げに徹する少女はだからこそ、迫られることに弱い。
ペースの配分は殆ど完璧。先頭でこれまで駆け抜け、誰より良い道程を走れた。弾ける芝に、気を取られることだってない。
そんな上等な成果を挙げても――――というウマ娘に最終コーナーで一息まで迫れたウマ娘は一人ではない。
彼女らは、眼前のこれが星ではないことは分かっている。ただよく磨かれただけの、輝く石ころ。頑張れば踏みつぶせる相手に、どうして真剣勝負で遠慮なんてしよう。
引き連れた複数の足音は、最早巨人のもののように本気で少女を砕かんと耳つんざかんばかりに高まっていた。

「私だって……」

もう、言葉すら形にするに足りない無力の中、それでも気炎を吐き出し――――は駆ける。
先に友グラスワンダーは、駆ける景色に己が領域を見たと言った。その意味は未だに少女はよく分からない。
だがきっとそれはグラスワンダーの必死が起こした奇跡に違いなく、そしてここにあって勝利の成就を願って千切れんばかりに脚を動かしたところで――――に奇跡は起きなかった。
あるのは、低い姿勢で誰より地べたを強く踏んで、ゾーンどころか心の居場所すら見つけられない迷い子が一人。
ああ、勝ちたい。でもこれ以上必死になってしまえば私は。じりじりと、燃える心は今にも弾けようとする。

「ダメっ……」

今にも、叫びだしたい。しかし、それは決してやってはいけないこと。
禁じられたアレは確かに命を燃す。それは――――という少女も理解していた。
そして、燃していたのはひょっとすると自分のものだけでなく、少女の身に囚われた哀れなウマソウルまでもだったのかもしれない。
近頃温もり足りないその事実に気付いて、はっとした。

私はこの子のために勝ちたいのに、そのためにはこの子を燃やさなければならないのか。
誰もかもに見捨てられ、誰かの心に名前を遺す余地すらなかった無才。それでも愛されるべき子だった筈の、一頭。

「私は」

少女の中で――――というそんな大切なウマの名前、つまり自分の名前がいつの間にかただの罫線となっていたことに気付いたのは、あまりに遅かった。

「私は、何?」

ああ認識できない。私の名前は、何より大切にしていたものの名はなんだっけ?

きっと――――がこのまま思いのままに叫び続けては、全てを失ってしまうことだろう。
それは、決して望むことではない。望ましくなんてなかったのだけれども。

「でも……勝つっ!」

それはそれとして、余計なことをしようとする口元を食いしばることに専念し、更に――――は脚に最後の力を込めた。
坂路をぐいぐいと短い歩幅で少女は後ろを引き離すように走り抜けていく。

周囲の驚きが、息の乱れによって表れる。まだ、残っていたか。
気力削りきる鍛錬を超えた先にある境地は、時に奇跡にすら迫りうる。
あり得ないだろうことを誰かが起こすのは、ほとんどそこに不断の努力があったからだ。

――――は、一番人気。それはこれまでの結果だけではなく、小柄で愛らしい彼女に対する贔屓の心にも依っていたが、だがしかし。
これは或いは本物ではないかと多くが錯覚するに至る光が垣間見れた。
トライアル競走の狭い門を前に、それこそ最後の直線で加速した逃げウマ娘に対して、最早叫びのように観客は湧き上がる。
これはまさか。いや、まだ分からないが、きっと。

この子には、羽根があるのではないか。

そんな浮ついた言葉にならない想いすら少女の背中を押すように――――は駆けて。

「……ふざけんなっ!」
「っ」

それを認めない、赤一閃。まるで轟きの塊のようになった、一人の少女までもが限界を超えた。
同級の彼女は知っている。――――というウマ娘には才能に欠けたところがあると。

きっと、これはアタシよりずっと何もなく、この速さすらいちから積み上げたもの。
この子はただウマ娘なだけであり、下手をしたらあのハルウララよりも加護に欠けた、女神に愛されなかった一人なのだ。
ああ、それは可哀想だろう。出来れば、彼女にだって花を咲かせて貰いたくもある。
また、無力が本気で握った手で天才を打ち破るなんて、実に爽快な話だ。うまく物語にしたら人気が出るかもしれない。本で見たなら、きっとアタシも感動するに違いなかった。

「ははっ」

でも、そんなの余所でやれば良い。今は、全てを笑い飛ばしてやろう。
お涙頂戴のお話なんて、アタシの王道の邪魔。前にて揺れる栗色の尻尾と同じで全てが全て、うざったくて。

「《《それで》》勝てると思うなよっ!」
「あ」

何より、あの日の嘶きすらなければ怖くもなんともない。狂いもせずに、どうして奇跡が起きるのか。
だから、順当にも少女は――――を最後の一瞬にて追い抜けたのだろう。

「ああ……」

クビの差の二着。
これが、三度目のレースにてはじめて喫した――――の敗北だった。

 

勝利はとろけるように甘く、敗北は地獄のように苦い。
だが、苦味すら今ひとつ分からなくなってきている――――にとって、一度の敗北は諦めに足る痛みではない。
だから、まだ動いた足を動かして、バックヤードへとゆるりと進んだ。
そも、これから二位の彼女は一位を引き立たせるためにも確り踊ってライブを成立させなければならない。
それだけは、自分を称えてくれたこれまで後ろに置いてきたウマ娘達のためにも行わなければならないことだった。

「ふぅ」

幸い、全てを使いかねない程のあれだけの全身の稼働であったのに、どこにも痛みはない。
これなら大丈夫だと思い込みながら歩いて、途中に二人の姿を見つける。
他の出走ウマ娘たちがすれ違っていく中、真っ直ぐ彼女を認めているのは、――――のトレーナーとエルコンドルパサー。
彼彼女の視線を受け少し心揺らしながらも、歩みは止めずに――――は二人の元へとたどり着く。
まずトレーナーは、真摯に労った。

「お疲れ」
「ん。ありがとう」
「まあ、頑張ったが……――――の予想通りの結果に終わっちゃったな」
「そうだね……やっぱり私はあの子に勝てなかった」
「エンペラーってまた大層な名が付いてると思っていたけれど……彼女もまた名にも負けないように進歩していたんだね。してやられたなぁ……」
「ん。でも、何とか二着にはなれたよ」
「そうだね。だから、これでほぼ間違いなく――――、次は皐月賞だ」
「……約束は、これで守れたかな」

彼女とは一度観ただけで理解した違いがある。そして、冷徹なまでの、数字での違いもあった。それは先に勝利の無理を理解させるには充分なこと。
とはいえ、それでも負けるもんかと駆け抜けて、負けても勝ち得た二位がある。

先に皐月賞を舞台とした。きっとそこでなら日本一を目指す彼女、スペシャルウィークと矛を交えることも可能だろうから。
喉から手が出るほど欲しかった、GIの優先出走権。それを手に入れられたことは上出来極まりない。
これがあれば、自分を隣に並べようとしてくれないあの子に目にものを見せることだって可能。
そのためには、敗衄を飲み込んで、更に前を向かなければならない。だから――――上を向いて目を乾かそうとして。

「――――ちゃん」
「エル?」

ぎゅっと、小さなその手は二つ手で必死に握られる。痛いくらいに思いのこもったそれを無視出来ず、――――は黙って我慢していたエルコンドルパサーを見つめる。
首を傾げる少女を前に、稀代の優駿は告げた。

「そう、全ては――ちゃんの、予定通りデス! デスから……」

そう。ここまでは想定通り。どうしようもない違いが本当はあって、それを何とかしようとあえてどうしようもない者たちの少ないレースに逃げて、それでも勝てなかった。
その結果だって、飲み込まなくては前に進めないし、だからこうして我慢しているというのに。

「泣かないで……――ちゃん」
「え?」

ああ、なんで私の瞳は知らずに涙を流す。
ぽろりぽろりと溢れるそれは、在り来りのウマ娘を更に弱々しく幼く見せた。
こんなの、先に強き可能性を見せたウマ娘とは大違いの残念。
だがむしろこれまでの勝利が奇跡で、今回は当たり前の軌跡を残したばかり。
あれだけ頑張って、でもどうしようもなかったのだ。だから、一度の敗北なんて気にせず進めば良いのだけれど。

「改めて、――。君はよく、頑張った。……ありがとう」
「くっ、ぅう……!」

ありがとう。トレーナーからのその言葉が嬉しくって、――――は歩みを止める。
そう、全ては自分の中の子が認められたいがための、全力。それでも、目に止まらないほどに誰もかもが速くて、自分は本来目に止めてもらえるはずもないのだけれど。
それでも、無様に駆けて、こうして一人の心に感謝された。そのことばかりは痛いばかりに嬉しい。

「ああぁん、わあああん、ごめん、なさ、い……うぅ」

ああ、痛い痛い。悲しい悲しい。練習で土に濡れてばかりだった私だって、本当は一度も負けたくなかった。
一度たりとてこんなに彼らに悔しい顔をさせたくなかったのに。それでも私は弱いから。

皆を、失望させてしまう。

「あぅ……ああああ!」

それが悔しくって少女はごめんなさいと泣く。喚いて。

 

そして。

「……神様、よくも――ちゃんを泣かせましたね?」

その悲鳴は世界をすら差しかねない少女、エルコンドルパサーの心に火を灯す。
彼女の瞳は何より乾いている。それは、燃え盛らんばかりの怒りが全てを支配しているから。

ああ、どうしてこの子を勝たせてやらない。誰よりも誰かのために走っている彼女を、どうして認めてあげないのだ。
仮面の奥の、心が許せないと叫ぶ。そして、面に張り付いた強気の顔は尚怒気を天井に向けて、慰めに必死な手こそ挙げられなくとも心でもって。

「観ているがいいデス……勝利は彼女のものだ!」

心よりその成就を願い、エルコンドルパサーは言の葉を散らかし天に中指を向けたのだった。


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