星だって

モブウマ娘 それでも私は走る

――――は、里山遠い、都会に生まれた。
昔から彼女にはブッポウソウの鳴き声よりも、カラスの騒ぎが耳に慣れていて、野良など望めずただ、美しく並んだ木々ばかりを見上げていた。
ぬかるみよりも整地ばかりの周囲にて、しかし、元より彼女はウマの娘。ヒトのために作り上げられた便利な地にて、彼女は酷く居心地の悪い思いをしていた。
だから、公園の芝の上に足を乗せることばかりが、彼女の幼少期の楽しみだったのは仕方がないことだったのだろう。

『気持ちいい……』

当時の――――には、よくダメにしてしまう庭先の土を走るより、芝に裸足をゆっくり這わせることの方が心地良いと思えていた。
お下げは今よりも小さく結ばれ、そのお目々はまんまる。茶色い尾っぽは右に左に揺れて、忙しなさげ。裸足のあんよは丸々としていて、陶磁の人形のもののよう。
見るものの多くに、愛らしいと思われるような幼気な子供。そんな少女はどうしてか。

『あむ』

唐突に、千切った芝を口に含んだ。

驚く周囲を他所に、もしゃもしゃ、もしゃもしゃノシバを咀嚼する――――。
だが最初は満足げだった少女の顔も、次第に渋みに歪み、そうして。

『あんまり、美味しくない……』

それだけを言って、最後にごくんと不味い前世のおやつを呑み込んだのだった。
はしたなく、ぺっ、とはしない。だってその時の――――は、もったいないオバケを信じていたから。

 

さて、都会であるからには勿論ウマ娘が走るレーンは公道に整備されている。とはいえ、子供のウマ娘がそこを走るのはよくないことだとは、よく親に教えられるもの。
何しろ、そこは車と並走できるお姉ちゃん達が走るコースなのだ。そこにちょっとヒトより速い程度の子供が歩いて居たら、障害にしかならない。
だから、少女はお父さんお母さんのげんこつを恐れて、むしろ車道から離れに離れた歩道の端っこをのそのそ歩いていた。

『わぁ』

とはいえ、すごい音を立てる車に、時折通るウマ娘の速さには魅了されるもの。
だが走りたくなるけど、我慢。せめて、走ってもいいところで。それを続けられるのは、――――が良い子であるウマ娘だからか。

そう、きっとウマ娘が悪い子だったら、ウマソウル、野生に負けて所構わず走り出し事故を起こして活躍するまでもなく亡くなってしまうだろう。
だから、ウマ娘はいい子である必要がある。手綱の代わりの理性が居るのだ。

『ま、いいや!』

けれどもちょっと、――――には、ウマソウルの影響が強すぎた。
少女にとって、全てはごめんなさいとげんこつで許して貰えるもの。そして、頭の痛みにはそろそろ慣れてきてしまっていた。
だから知らずに、手綱は緩み。そうして、少女はどこへともなく駆け出した。

『びゅーん!』

勿論、遅い。でも、子供にしては、疾い。そんな小さい――――は、ちょっとした風のようになった。

『ん?』

そして危うくを繰り返し、手ひどく怒られる始末に尽きる。だから、彼女が事故に遭わなかったのは、ただの偶然だろう。

 

変わったウマ娘。――――に、そんな評価が定着するのは、当然と言えた。
どうにも、ちょっと目を離せない。そんな自由な子供は大して変わらず成長して、やがて。

『あれ?』

成長、しなくなった。心は変わる、大人びもした。それでも、しかし。

『私……ではダメなの?』

タイムは好調。負かしたウマ娘の数だって、それなり。でも、そこまでくれば、見えてくる。

『届かない、よ……』

そう、天辺の遠さ。皇帝、怪物。頂点には優れた輝きが満ちていて目が潰れそうで。
ああ、あそこに至るまでに――――には。

 

翼が足りない。

 

セイウンスカイというウマ娘は、目端が利く。その逃げ足の速さだけでなく、周りを見る強さを持つのまた、彼女の特徴だった。
そんな、只者ではない少女は、只者でしかないウマ娘のことを最近気にするようになっている。
はじめは、キングヘイローの友人ということで、目に入れて。やがて、その空回りぶりを見ていられなくなり。
そして、今ばったり出会って、なんだかやっぱり目を逸らせられないと思ったのだった。

朗らかな笑みの下にちょっとした好奇心を隠しながら、通りすがりになりそうだった彼女、――――に、セイウンスカイは声をかける。

「ねーねー、――。ちょーっとこっちを向いてくれないかな?」
「えっ、と?」
「うん? いやー、ちょっと角度が違いますなー。むしろ、あっち向いてホイ?」
「……からかってる?」
「いやー。そんなことはないんだよ……ただ、ちょっとキミを見てると逃した魚を思い出すというか……ああ!」
「わ」

急な合点の大声に、口を開けて驚く――――。どこか幼い容姿の彼女が慌てる、そんな年不相応な姿を見て完全にセイウンスカイは思い出した。
そう、自分も小さな頃に、こんな感じの小さなウマ娘の少女が街なかをびゅんびゅん走り回っていたことを。
ああいうことをしてはいけませんよ、という親の言葉に云と返した思い出。更には、少女を羨ましく思った本音を反芻しながら、半ば確信してセイウンスカイは聞いた。

「ねえ、――。キミってひょっとして、小さい頃そこら辺を走り回って有名だったりした?」
「ぐっ……ま、まあ不本意ながら、そうだったかもしれない」
「そっかー。あの娘だったんだー」
「あの?」

苦虫を噛み潰したような顔をする――――。これでもまだまだ愛らしいもんなんだから、ウマ娘って不思議だよね、とつらつら考えながら、セイウンスカイは更に話を続ける。

「いやー、実はセイちゃんって両親が転勤族だったりしましてねー。結構色んなところに越してたりするんだよねー」
「それで……私の幼い頃の悪評を知ってたっていうこと?」
「いんやあ。そーじゃない。むしろもっとこう、グッドな感じ? 楽しそーで、私は凄く憧れたよー」

ますます嫌気を増させる少女に対して、セイウンスカイはむしろ喜色満面。
そう、あんなに楽しそうに、全ての柵を吹っ切れるなんて、なんて素敵だったのだろう。
決して真似できないことをしでかすものは、幼い者にとっては悪行だろうが尊敬に値してしまうもの。
幼い頃のちょっとしたヒーローと今肩を並べているなんて、ロマンに溢れたことじゃないか。

そう考えニコニコとしている雲の少女に対して、地面の湿り気、染みでしかない彼女は悔しげに口の端を噛む。
自分は、下で、貴女は上。そうだと信じて、だからこそ頑張って追いかけていたのに。

まるで、輝かしい何かを見つけたかのように、私を見ないで。そう、――――は思った。
だから、彼女は本音をぶつける。

「むしろ今は私が、貴女に憧れてる」
「知ってるよー?」

しかし、そんなのどこ吹く風と、気にもとめずにそれはそれでありだよねと軽く少女は受け止める。
スカイブルーの瞳が、柔らかに泣きそうな彼女を映し出した。

「ならっ!」
「でも、セイちゃんのあの日の憧れは――、キミであって他に変えることはできないんだなー、これが」

そう。たとえキミが自分のことを置いていってほしいと思っても、でもそんなことしてやんない。
私に対する嫉妬にキミが苦しもうが、知ったこっちゃないんだ。そんなの、セイちゃんだって、味わったんだからさ。
それにさ、苦しくったって、好きが好きと一緒にいるのは良いじゃない。

そう構えられる広い心。悠然としたセイウンスカイの青に、いつの間にか――――は呑まれていた。

「っ!」
「焦らず、のーんびりしていこうよ」
「……それは、大物だから出来ること」

一歩一歩。それでも進めば良いじゃないと、理解できている彼女に対し、その場で足踏みしか出来ない彼女は嫉妬を隠せない。
あの日の自由な――――に憧れたセイウンスカイの自由に、今の――――は、焦がれている。

歪だね。でもそれだって関係の一つ。
なら。

「ふふっ。いいじゃない。《《それでも》》楽しく行こうよ」

楽しもうじゃないかと、怯える――――に、セイウンスカイは満足げに笑むのだった。

 

 

いいや、キミは大物だ。
あんなに笑顔が似合う、そんな素敵なウマ娘は実はそうはいない。
もし、《《彼女》》を釣り上げられたなら。

きっと、私は星だって穫れる。


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