【実体験談】サバイバーズ・ギルトに関するお話【犯罪被害】

孤独 その他

あまり広く知られていない言葉として、サバイバーズ・ギルトというものがあります。

ウィキペディア様から引用させていただきますと、

戦争や災害、事故、事件虐待などに遭いながら、奇跡的に生還を遂げた人が、周りの人々が亡くなったのに自分が助かったことに対して、しばしば感じる罪悪感のこと。

のようです。

私はこの言葉を知ったのは、十年ほど前になるでしょうか。

その時知った感情としては一つです。

そう、自分と同じ症例の方も多数居るのだな、悲しいな、というものでした。

はい。今回書かせていただきますのは、私が現在歪にも生きているその生き方の根幹たる後悔

生きてしまっていて悔しい悲しいという考えの発生の一つの形をご覧いただき、私を反面教師に少しでも皆様に良い人生を送って欲しいというのが狙いです。

できればどうか、最後までよろしくお願いいたします。

拉致監禁という犯罪を受けたものの後悔

さて、私は拉致監禁という犯罪を実際に受けたことがあります。

本人に同意のない連行を受け、そして下手人の言うところの監禁部屋にて数ヶ月単位で閉じ込められました。

詳しくはこちらのページにもあります→ストックホルム症候群 ~もと拉致監禁事件被害者が体験したこと~

克明なところを書くのは、刑期を終えた犯罪者等が怖いために避けています。

ですが、クリスマスに正月を監禁部屋で過ごしたこと、そして鎖で縛られたという男性が跡になった肌を隠すところなど、未だに思い出すと辛いところはありますね。

ちなみに、他の方々がストックホルム症候群のように犯罪者らに倣う中、私は彼らが悪しと信じられていましたので、優等生の振りをしながら隙をついてなんとか元の生活に戻るための働きかけは出来ました。

そう、戦わず守らずに摩擦を避け続けながら、後で力をつけて助けられるようになればいいと一人逃げ出したのです。

それは今も悪いと思っています。

何せ、戦っていたら私は大変に傷つき、最悪命に関わることすらあったかもしれませんが、何か変わってたかもしれないのです。

そう、ひょっとしたら入れ違いで拉致された顔も見知らぬ彼が虐め殺されてしまうことだけは、なくなったかもしれないと、今も思います。

顔も名前も知らない彼が亡くなってしまったことについて

さて、私はその人が男性であるということしか知りません。

あの人達に縛られ、食事もろくに食べられないまま体調を崩して亡くなった彼のことは、後で逮捕報道があった以上には分からないのです。

ですが、後悔は募ります。

私は弱い私が嫌いです。そして、彼は強く抗って、その結果に亡くなった

なら、私なんかよりも彼が生きていた方がよっぽど良かったのでは、と思えてならなかったのです。

私は、自分の命を大切にする前に正義を求めて行動を行い、本来その過程で死んでも良かったのだ。

それが、犯罪に巻き込まれてなんとか生き延びた私のしばらくの結論になりました。

言えない、鬱

あまり口外することではないですが、私は鬱病です。程度に関してはご想像にお任せします。

私は、上記の結論から極度に自罰的になって良くなることを求めるようになりました。

何せ、私は死ぬべきだった存在です。活きていても仕方のない生き物でした。

敬語を口癖にして、多くに笑顔で当たって、文句を言わずにただどうすれば皆が幸せになれるかを考え摩擦を恐れる日々。

次第に心は壊れて、腹痛からはじまる様々な症状が生じて診断の結果、鬱病とラベリングが成されます。

そして色々あってそれでも生きて、今となりました。

その間、誰にも何も言えませんでした。

親は唆された上ですが、拉致を認めた存在であるから助けることなどありません。そして、彼らは事実を誰にも述べず、結果私は周囲からは自分勝手の末に鬱病になったのだとみなされました。

それでも、私は黙っていました。それは、ずっと私が永くトラウマを消化出来なかったからです。

人は一様に変われない。独りぼっちであれば、それは尚更でした。

結論に先が生まれる

単位としては十年以上。その間己に価値を見いだせない日々。

ですが、環境などが変わってくれれば、人は変わります。

悪いのは、私。それはでも変化を見せていません。

ですが、結論の先に一つ考えが生まれ、途端に私は少しだけ楽になれました。

それは、でも生きてしまっているのだから、彼の死を意味あるものにするために生き続けなければ、というものです。

正直なところ、勝手でしょう。彼は骸となった後に荼毘に付されて、天国で幸せであることを想像できるばかり。

そんな、もう関係ない筈の人を重荷にして生きていたと思えば、今度はそれを使って幸せになろうなど

私は最低かもしれません。ですが、それでも彼がマイナスのままなのは耐えられなくて、そう決めました。

私は、だから頑張ります。

終わりに

性格はともかく今の独りの私は暗く、光明などありません。

そしてこれまではもっと、でした。でも一つだけそんな中悪くない考え方があったかと思います。

それは自分を最低だと決め込んでいたからですが、それでも関係のない皆様は幸せになって欲しいと願い続けられたことです。

むしろ、私は宗教などにも関わること無くその考え方に縋り、生きてきました。人は、ただ綺麗事を糧にしても生きられるのです。

それに則り、今回は私の傷口を切開した上で珍妙な標本として披露させていただきました。

どう感じていただくか、それは勿論自由です。感想も批判だって当たり前でしょう。

ですが、その上で私は私の不幸を参考に最後には貴方がたの幸せについて考える時間を取って欲しいと思います。

彼のために下を向き続けていた私も、彼のためにと前を向き始めました。それが自らの幸せに繋がるとはまだ分かりませんが。

皆様は、太陽に愛されて生きて欲しいと思ってしまいますね。


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