第四話 惚れさせないほうが、いい

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

幻想郷に洋書は少ない。
それどころかカトラリーのような小物やハグのような文化ですら波及せず、故にずっと幻想郷は和風のままだ。
これに関しては、西洋から遠く離れた日本という極東に幻想郷が位置しているからこそ、忘れられた存在を蒐める力を持つ【幻と実体の境界】が距離に負けて及び辛いのではないかと私は考えている。
盟友、八雲紫の創った結界の効果に不安がなければ、自ずとそういう結論になるだろう。
しかし、だからこそ少しばかり私は不便を感じざるを得ないのだった。何せ、中華大好き瑞獣だった白沢の記憶を受け継いだ私には、あまりに西洋中東などの知見が少ない。
いつものごとく書を捲りながら、私はそこのところもう少しどうにかならなかったかと思うのだった。

「幻想郷は農作に限度があり斃牛馬等があまりに勿体ないと思ったのか、肉食忌避に関しては外の世界と比べると明らかに払拭が早かったようだが……まあ、それは西洋文化とも関係はないか」

そもそも肉食が多めな妖怪――彼らが食むのは大概人肉だが――に溢れる幻想郷。
彼らに倣った可能性も否定はできないが、実際食肉に関する時系列を外の世界のものとこちらのものとを並べてみると、数十年単位で異なっているのが分かる。
祖父母の幼い頃には既に、当たり前のように牛肉が鶏肉がすき焼き等で饗されていたと聞いている。
それ以前は、農家らが産業廃棄物として屍肉を処理して個人的に食していたらしいのだが、更に遡ると幻想郷創成期のごたごたに行き着き定かではなくなった。だが、この差異を知ることこそ宝と私は思わざるを得なかった。
満月のせいで平時より多分に重くなった頭を頷かせながら、私は頷く。

「まあ、このような牛の角のようなものを持つようになった私が食肉に関して調べるのは妙かもしれないが、やはり歴史というのは面白いな」

そう、多方面から求められて――皆に暇を知られているためだろう――最近、幻想郷の文化、歴史についての再編纂を行っている私は、このところ文明に関することを思うことが多い。
知は明かりで、記し始めなければそもそも歴史はない。故に、泥に枝か何かで文字を記し始めた誰かの挑戦心を私は心より称賛したいし、否定をせずとも壊さず異論さえ残した人々の器の広さを愛さずにはいられなかった。
人類の歴史の全ては連綿な尊敬や愛に拠って続いている。それらを紐解くのが難解であり、また時間のかかるものであろうとも白沢の妖獣である今の私には関係ない。
存分に人々の生命の証を愛して、それを語り継ぐことこそ、使命としたいとすら思ってしまうのだった。

「まあ、それにしても満月の変貌については私も慣れないな……どうして、服の色すら高まった妖力に染まって変化する?」

しかし。まあ、そんな私が最早正しい人ではないというのは、どうしようもない事実。
今もとある筋から手に入れたお気に入りの姿見に全身を映し――その際にどうしたって私の身長を越す本の山が映るのは仕方がない――その緑っぽい全身の色調に頭の横からにょっきり生えた太い角に嘆息するのだった。

「はぁ、こんな姿霊夢には見せられないな……確かに白沢どのには立派な角があったが、それだけ真似てどうするのだ私の身体」

つい、自身の身体のおかしさにツッコミを入れてしまう私だが、それも仕方のないことか。
実際妖獣となってしまった私は満月の影響を受けて変化する自身の身体が思うようにならないというか、把握すら辛いところがあった。
最初はなんか身体が熱いなと思っていた程度だったために、顔でも洗おうと水桶を持って井戸へ向かうため本と本との隙間を通わんと何時もの通りに進んだ結果、盛大に本の山を角で崩す羽目になる。
どういうことだと首を傾げたら、今度は柱に突き刺さる角。いや、あの時は大いに慌てて、その後水に映った自分の姿に仰天したものだった。

「あの夜は驚いて紫を呼びまでしたが……まあ、月に影響されがちな妖獣は種類によって人の体を保てないほどに力が増す場合があると諭されたな……こういうのは貴女が少女の頃以来で懐かしいと言われたが、それについては何も言うまい」

流石は、九尾ほどの妖獣を養っている紫だけはあって、冷静に教えてくれたのだ。いや、私も月のもので紫に二回も迷惑をかけることになるとは、想像もつかなかった。
それから一つ回った二回目の満月の今は、なんとか平静を保ててはいる。いるが、それでもやはり心なしか恥ずかしさがあった。

「だって、あまりに太いものな、これ……雄々しくすらあり、天を突きさすようなこの威容……いや、大げさ過ぎだ」

今のところ娘にすら知られていないが、こんな姿誰にも見られたくはないなと思い、そしてこの変貌が満月の夜だけであることにホッとする。
これには、私が本の虫過ぎて友人の少ないことで助かった数少ないことと言えるだろう。

「それに、能力についても……いや、いかんな。これに関しては沈黙をしないと……」

また実は、私が白沢のハーフと成った時、博麗としての能力以外にも歴史を食べる能力という謎のものを得ている。
自覚した時あ、これ歴史なかったことにする能力だ危険だな、と感じた私はそれに関してはなかったことにして、親友である紫にすら黙っていた。
だが、満月になって満ちた能力を自認した時、私はむしろ青くなりすらした。

何せ、私の真の能力は歴史を創る程度の能力。神に近い獣のものらしい誰にとっても恐るべきものだったのだから。

「ただの本の虫がその実あまりに危険人物に過ぎる……」

再び、頭を抱え……ようとして角の根本に爪の先ぶつかり慌てて下の位置に手のひらを変えて私は俯く。
なんか頭というか顔を覆っているような形になってしまった私だが、本当に困っているのは間違いない。
いや、知られたら紫すら問答無用で封印をかけてきそうな程私の能力の危険度は高い。それはまあ私が歴史というものの重要度をよく知っているからこそかもしれないが、そのくらいきっと知恵者たちの多くが理解っていることだろう。

やろうと思えば歴史という明かりの色を変えるどころか吹き消してしまうことすら自由な私。いや、こんな重荷過ぎる能力欲しくなかったのに。
流石に、文を書く手も止まり、私はしばらくうむむ。どうにかならないかと考え込む。

そんなだったからだろう、漫ろだった私はノックに普通にはいと応じてしまい。

「あ、はい……いいや、ちょっと待……」
「失礼します! 今月は一日遅れましたがその分パチュリー様が厳選した書の数々をお持しま……って、やたら格好いい角を持った貴女、誰ですか!?」
「はぁ……それは、だね……」

ガラガラと扉を開けて入ってきた小悪魔という種の知人に満月の私の姿を発見されて、驚かしてしまったのだった。
彼女は角つき色違いな私を私と理解できなかったようで、慧音さんをどこにやったのですかー! と勘違いして怒りだす。
私は慮ってくれたことに少し嬉しくも勘違いに小さく溜息を吐いてから応答を始めるのだった。

 

さて、前に思った通り確かに幻想郷に洋書は少ない。
だが、私の蔵書においてそれは違うと言わざるを得なかった。
まあ、ご先祖様から私にかけて集めに集めた本の比率が和書に偏っているのは否定できないが、ここ数年は洋書の増大もまずまずといったところ。私は嬉しい。
その源泉にとなっているのは、十年ほど前になるだろうか、幻想郷に攻め込んで来た血気盛んだった勢力、今は結界で閉ざしている吸血鬼の根城であるところの紅魔館。
そこの図書館の主と私は懇意にしていた。だから、彼女、パチュリーは私のために蔵書を送ってくれて、私もお返しに蔵書を譲るという関係をこのところずっと行っていたのだが。

今回は夜な夜な行われるパチュリーの使い魔である小悪魔による本の受け渡しの日が満月の今日にズレたために、このような事態に。
話し合いの結果、私が私と気づいてくれた小悪魔は、勢いよくその赤い髪を振り下ろしながら謝るのだった。

「も、申し訳ございませんー! まさか、慧音さんがこんなに逞しい角をかざすようになっていたとは思わず、大変な失礼を……」
「いや、私も色々あって現況に関する文を紅魔館に届けずにいたせいで、このような行き違いが発生してしまったんだ。気にしないでいていいよ、小悪魔」
「ありがとうございます……それにしても格好いい角です……大悪魔だって中々こんなものは持っていませんよ……」
「そう、か……光栄だな」
「本当に凄い……じゅるり」
「っ!」

熱い視線に何故か起きた小悪魔の舌なめずりに戦慄を覚える私。
だが、彼女はじっと私の頭のあたりをしばらく見つめながら何やらそわそわし続けるのだった。

私がこんな小悪魔、その主パチュリー、そして現在紅魔館を治めているレミリア等、先の通り幻想郷に攻め込んで来た外来勢力と交友を得るようになったのには、少し理由がある。
実は、所謂吸血鬼異変とされている、ここ最近で一番に大きかった異変は私と紫とで収めたものだったのだ。
大体皆に参戦がバレているようだが、一応妖怪が治める地の体面として紫がなんとかしたということになっている。それでも、実のところ私もそれなりに頑張っていた。

まあ、私のやったことといえば、まず彼らを逃さぬように紅魔館周囲に強めの結界を大きめに張り、そしてそれを徐々に狭めながら巫術で擬似的に作った隙間を用いた水攻めをおこなったくらい。
その当時の主だったらしいレミリアの父と一騎打ちした紫の貢献度に比べれば微々たるものだった。
ただ、紫は後にずぶ濡れでドン引きした様子で私の行いに関して、有効だからって躊躇いなく弱点をつくのはズルなのよ、と言われたがその是非に関しては未だに良くわからない。
実際、閉所に注ぎ込まれた多量の水に溺れた部下達の処理は楽そうだったし、対決したレミリアの父も吸血鬼らしく周囲の流水に弱体化していたようで与しやすそうだったのに。

まあ、こんなところ居られるかとレミリアの父だった主を中心に引き上げた外来の大勢だったが、何故かレミリアを中心とした一部は残った紅魔館と共に結界でのしばらくの封印処理すらを受け入れながら住むことにしたのである。
水浸しになった周囲にむしろ笑顔だったレミリアは、はじめて会った私に確かこう言っていた。

「運命を変えてくれて、ありがとうか……」
「あ、それお嬢様が慧音さんに会った時に初対面にも関わらず言ったセリフですね! 今考えても良く分からないのですが、どういうことだったのでしょう?」
「いや、君より私のほうがずっと彼女に会う機会がないからね。そういうのもあって、ちょっと理解できていないかな」
「うーん……あ、そういえばあの頃からずっとお嬢様漫画というものにハマっていまして……ひょっとしたら影響されて変なことを言ったのかもしれませんね!」
「漫画? それは北斎漫画のような……」
「そのホクサイっていう漫画は分からないですけど、ちょうど私今回の本の中に一冊忍び込ませておいたんです。えへへ、流石に毎回文字ばかりじゃ慧音さんも飽きるんじゃないかって……」
「なるほど、文章に飽きることは私にはなさそうだけれども、お気遣いありがとう。後で楽しく読ませてもらうよ」
「わーい! お嬢様は飽きて図書館に放っておいたみたいですが、私にとってはお気に入りの少女漫画なんです! 後で感想聞かせて下さいね!」
「ああ、それは勿論」

天真爛漫な――よく分からないがパチュリーはフリをしているだけと言っていた――小悪魔に私のむやみな思索は止まり、後は知らない形態の書への楽しみばかりになる。
そういえば、確かあの館の娘の一人は運命を操る能力を持っているらしいから貴女も気をつけてねと紫に言われた覚えもあるが、レミリアがその能力を持っていると聞いたことはない。
まあ、運命だの何だのは年頃の娘の好きそうなセリフだ。小悪魔の言ったように、漫画というものにでも載っている言葉を口にして戯れただけかもしれない。

それにしても。尚こちらをきらきら真っ直ぐ見つめる小悪魔に心苦しく思いながら、私は告げる。

「小悪魔。そろそろ私に術をかけようとするのは止めてくれないかな……いや、君が絡め手を好んで私を気に入っているのは分かるが……その、効かないものでね」
「がーん……正直今の慧音さんその角とかメチャメチャ好みなので、瞳術の出力最大にしてたりするのですが……私に見つめられて胸ドキドキしてたりしません?」
「いや……ただ、早く本を読みたいなとは思っているが、君ついてはいつも通りだな、と」
「ちぇー……まあ、流石に東洋のものとはいえ最強クラスの神官に神獣が混ざってしまえば、小悪魔の魅了なんて欠片も効果がありませんか……もう、いいですよ! そんなに本と添い遂げたけりゃ、すりゃいいのです! ほら、持ってけドロボーです!」
「あはは、なんだかすまないな……」

私の不動を知り急に自棄になりだした小悪魔。これには、まあ幻術等の耐性を確り育ててきて動じなく成った我が身が申し訳なくすら思う。
まあ、普通に考えれば主の友人に誘惑をかけるなんて滅茶苦茶なのだが。まあ、そんなところを含めて小悪魔という彼女であるからには、仕方がない。
せわしなく本の数々を机に並べて、これで全部ですね、あこの薄いのが私の言ってた漫画ですよ、と言ってから鼻をふんとする小悪魔。
ちょっといじけているその姿が、私には過日の霊夢と重なって見えた。

「あ……」
「すまない。嫌だったかな?」

そもそも、私はこれでも、悪魔にしては純な性格をしている彼女のことを気に入っている。
だからこそ、私はつい、うなだれる小悪魔の髪を慰めるために撫でてしまった。
想像よりさらりとした髪質に、私の手のひらは軽く滑ってしまうばかり。彼女は、去っていく私の指先をしばらく望んでいた。

「むー……子供扱いしてー。慧音さん、私以外にこういうことしちゃダメですよ?」
「そうか。分かった」
「なら、いいです!」

後、少し頬が膨れた後に、小悪魔は元気に戻る。
大きな瞳をして小柄な私より少し背の低い彼女はまるで子供のよう。勿論、それが彼女が望んで変化しているものとは知っている。結局のところ悪魔でしかない彼女は私の堕落しか考えていないとは理解っている。
でも。

「今日もありがとう、小悪魔。気をつけて、帰ってくれよ?」
「……慧音さん」

それだって、愛すべき隣人。黒くとも歴史の中の大切な一粒。
そういう風に考え、彼女の望んでいるだろう対応を崩さない私に小悪魔は。

「あまり、私を惚れさせないほうが、いいですよ?」

そう言って、くるりと後ろを振り向き、うっすら赤いうなじを見せるのだった。


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