第三話 皆がなんと言おうと

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

内心ライバルとしていた子が博麗の巫女に任命された。
又聞きながらもそんな事実を聞いて黙っていられる霧雨魔理沙ではない。
これはあの才能の塊に負けないように、そして人として置いていかず置いていかれないように、一丁伝手ある魔法使いを頼って魔法の修行をするために家出でもしようかと、彼女は聞いたその時発奮していた。
だが、即断即決が得意な星の少女は、しかし次に耳にした話に首を傾げ続けて出立遅らせることになる。

そう、誰彼が不揃いにもこう口にしていたのだ。
先代巫女は、魔に堕ちたと。
あの賢い人がそんなことになる訳ないだろうと考える魔理沙は、しばらく噂をさらい続けるのだった。

「ったく……色んな奴に事情を聞いたがちっとも要領を得ないな……結局どういうことなんだ?」

弛んだ金糸を柔らかに纏めた髪を乱暴にかき乱しながら、少女は悩む。
取りあえずは先代巫女が既に真っ当な人でないという認識は広まっているのだが、果たして何があの人に混じったのか。
皆は好き放題に、半妖になっているかもしれない彼女の半分に天狗だの河童だの狸の妖怪の名前を挙げ、挙句の果てには天人になってしまったのだと口にする老人まで居た。
諸説あり、というのは伝聞にありがちではあるが、これは果たしてそれに過ぎやしないだろうか。

「霊夢のお母さんが何になったかはまだ分からんが……しかし、あの人巫女辞めたのか。まあ、霊夢がなったってのならあの人が辞めてないとおかしいか」

勿体ないな、そう断言する乙女は少し悲しそうにうつむいて歩む。
そんな不安定な歩みの中大店の子に粗相ないよう喜んで道を開ける大人たちを彼女は鬱陶しく思う。ああ、あの人だったら背を丸めて歩く私をきっと注意してくれるに違いないのにな、と考えて。

魔理沙が聞いた確かな部分だけをかき集めると、もう一人の母のように親しんでいた博麗の巫女が辞して、上白沢慧音という一個人となった、というのは間違いないことらしい。
実際に、貸本屋にてニコニコ顔で大量の本を抱えて歩く、何時もの巫女服と全く異なる青い衣を纏う慧音を見かけた人は数多かった。
だが、実物を見てああ、巫女辞めたんだ、というか辞められるものなんだ、とただ認めてそんな風に気楽に構えられる人は殊の外少ない。

「こんなに噂するってことは……皆、霊夢が巫女ってのが不安なんだろうな。はぁ、あいつも甘く見られたもんだぜ」

そう、瓦版とともに大々的に周知された新しい博麗の巫女であるところの彼女の娘は年若いどころか幼かった。
そして、どう見たところで慧音本人は五体無事。なら何か事情があるのではと大部分が考え探りはじめる。当人たちに聞くのは恐れ多いと、裏に影にて。
何せ、これまで博麗慧音に助けられて来た多くの人間達は、彼女の実力こそを信じきっていたものだから。

紅白巫女衣装に、青と銀の髪を靡かせ、どんな妖怪だろうと怯まず知恵を持って――時に保有するその馬鹿げた霊力で無理に――打倒するその姿が失われるというのはあまりに悲しいとすら一部は思っていた。

故に、真実を探らんとする人々は隣人に根掘り葉掘り訊ねたり、或いはこうではないかと持論をでっちあげ出す。その結果、情報は錯綜し続け、魔理沙も結論出せない今がある。

今度は欄干にて青い空を見上げながら、改造魔法使いスタイルの少女は、呟いた。

「にしても、そっからどうして慧音さんが妖怪の力を得ただの、禁忌に触れたのだのなっちまったんだろうなぁ……あの人そんなバカじゃないだろ……だよな?」

口ごもるようになって、最後にクエッションマークが一つ。尊敬している相手のこととはいえ、馬鹿ではないと断言できないのが、魔理沙には心苦しいものだった。
博麗慧音という女性が賢い人間というのは、誰もが知るところ。そもそも、博麗の巫女が使う式はよほど感覚的な天才でなければ頭を多分に使う特別なもの。
更に、家にいる時は山のように積み上げた本を読み続けているし、会話の端々に難解な用語を当たり前に使い、そして返ってきた相手の疑問顔にはっとして顔を赤くし早口で簡単なものに言い換え出す彼女は、到底馬鹿には見えない。

「ひょっとしてあの人……また、間違ったか何かしちまったのか?」

それは、親しい人間だったからこその危惧。
そう、良く見れば完全無欠の天才というよりも、繕い続けてそれに近づいているだけの秀才といっていいかもしれない慧音は時々大いにやらかすことがあった。

魔理沙が想起したのは、干ばつに襲われた際に何を思ったのか突如龍神に喧嘩を売った彼女が全身包帯の大怪我と引き換えに小雨を勝ち取ってきたこと。
はたまた、幻想郷に流れてきた情報を用いて外の世界の歴史書を作ったと胸を張って刷った分厚い本が、難解に過ぎて結果現在貸本屋にて殆どが埃を被っていること等など。

本人が大体シリアスぶっているので、皆彼女の本質を勘違いしがちだが、実際慧音が引き起こす厄介事態の殆がコメディちっくなものだった。
まさか、先まで真剣に考えこんでいたそれが、やらかしの一つではと薄々思い出した魔理沙は。

「こりゃ、本人に聞かずに色々考えているのが一番阿呆かもな……そもそも私達の仲で気を遣うとか、そんなのが間違ってたぜ!」

途端に元気になり、威勢に胸を張って疾く真実を知るためにと現在表札が上白沢となっている勝手知ったる人の家に向かいだす。
そう、そもそもあの人はライバルの親であり、尊敬する大人でもあり、優しい方の母であり、つまり。

「大好きな相手に遠慮するなんて、私らしくもないな!」

魔理沙の憧れだった。

 

ノックなんてまどろっこしいと言わんばかりの扉への突貫。
ガタンという音に何事かと振り向く慧音に向かって来たのは少女の満面の笑顔。
小さい、でも幼稚さはもう殆どなくなっている魔理沙は意外にも折り目正しく靴を整えてから叫ぶように言った。

「お邪魔するぜ、慧音さん!」
「おや……魔理沙か。久しぶりだな、こんにちは」
「へっ、また本でも読んでたのか? もう空は暮れ始めてるくらいだから、こんばんはでも良いくらいだぜ?」
「おや、もうそんな時間か……良い子は帰らなければいけない頃だ。こんな黄昏時にどうして魔理沙は私の家まで来てくれたんだ?」

良いこと言われても心当たり一つない、魔理沙は親の言うことを一つも聞かない悪い子と認めていた。
だが、誰がいい出したか人里一のお転婆娘を、巫女だった彼女は微笑んで歓迎する。
呪われているのではというくらいに紙魚如くの本好きの慧音は、だが今は未練なく目を離し、娘のお友達に花の笑みを向けていた。

まったく、とんだ勘違い。ああ、こんな天然至極のものが悪しきものな訳がなかった。魔に堕ちたなんてとんだ嘘。
つまり自分が色々と考え込んだのは全て無駄ということ。魔理沙は、力を抜いて呟いた。

「ったく、本当に心当たりのないって顔だぜ……心配して損したってところか」
「何、魔理沙は私の心配をしてくれたのか? これは明日の天気は雨か槍か……」
「いや、里の皆が噂してるからな、天狗じゃないが私も気になっちまってさ」
「噂? それは……何だろうか?」

スキャンダルの中心は童のように首を傾げて何が噂と考える。
いや、この年がら年中人が妖怪に食われた食われないといったくらいが精々な平和な幻想郷にて、特別な存在なんてあんたたちくらいしかないだろうと思う魔理沙は普通の魔法使い未満。
話が進まないからとやれやれといった体で、彼女は核心をつくのだった。

「いや、私は慧音さんが人間やめたとか聞いてたんだが……こうして見ると何も変わりないよな」
「はは。変わらないというのはこの年の人間には嬉しいことだが……実際私は確かにもう人間じゃない」
「はぁ? なんだ、つまり八百屋の爺さんの言ってたみたいに、天人にでもなったとか……」
「いや、むしろ獣さ。半獣という妖怪に私は成ってしまったんだ」

獣。そんなことを自称し出した美人さんに、流石の魔理沙も眼が点になる。
いや、こんな花魁、太夫すら裸足で逃げ出すだろう綺麗どころがまさかふさふさ可愛い何かだとは、想像もつかなかった。
或いは変じてこの体のままなのだろうかと思った魔理沙は、小さく問う。

「……狸か?」
「いや、白沢だ」
「……まてまて、白沢とか私だって知ってるぞ? それって、神獣じゃないか?」
「まあな……死に際の彼が私に知恵を渡してくれると言うから、つい……」
「いやいや。つい、で母親が人間やめちまったってったら、霊夢泣くぞ?」
「うっ……」

泣くぞと言われて、真に泣きそうになったのは慧音その人。実際とても悪いことしてしまったと思い込んでいる彼女は、娘がそんなこともうどうでもいいからと前を向いていることを知らない。
まあ、そんなことを魔理沙という間近にて親子を見つめてきた人間にはその大体が察せた。
あの霊夢がそれくらいで傷つき挫けるタマではなければ、後はこの人の考えすぎだろうと。まあ、つまりはこういうことだろうと魔理沙は指差し結論づけるのだった。

「はぁ……大体、事情は分かった。また慧音さんがいつものようにやらかしたってことだな」
「そう、なるな……軽蔑、したか?」
「……どうして?」

次に魔理沙が首を傾げる。彼女は慧音の口にした軽蔑という言葉が飲み込めない。
いや、そんななんかこの人が勝手にパワーアップしてたせいで皆困っているのは確かだが、それが軽蔑するほどはしたないことだとは彼女には思えなかった。
勿論、それは娘と同じように愛してもらった過去から来る贔屓もあるにはあるが、そもそもこの人自身が下に見るには貴すぎて。

そもそも博麗の巫女なんて元々ただの人柱。
幾ら努めようとも妖怪にただの人は勝てる訳がなく、ならば巫女なんてものは修羅だった。里と別れて彼女らの殆どが生を過ごしたのは、力の断崖のため。
だが、そんな常識を壊して里と神社を行ったり来たりしてきた博麗慧音だけは修羅ならぬ、最後まで人を忘れぬ人であって。

魔理沙はそれがどれだけ凄いのかは分からない。だが、霊夢も彼女と同じく人として変わらなくあって欲しいからライバルとして並ぼうとしているのは確かだ。
だが、そんな特異で特別な存在は、しかし私はダメだと尚言い募る。本と本の合間、頭でっかちな彼女は首を振りながら続ける。

「いや、つまり私は何時も知恵者のフリをしておいて、いざとなったら妖怪に魂を売り払ってしまうような女なんだ。そんな者、正しいはずがないだろう?」
「なんだ、そんなことか……下らないな」
「下らない……」

心して口にした全てを下らない、と断じられて少々落ち込む慧音。
だが、魔理沙が言ったことなんて何らおかしくはないものだ。この世に正しくしかないものなんて存在しないし、そんなものがもし居たとしてもきっとつまらない。
そして、この面白おかしいお母さんは、ちょっと間違って人を辞めてしまったようだが、それくらいであなたを愛していると語る瞳の色は何ら変化なく。

『魔理沙……幾ら皆がなんと言おうと魔理沙は魔理沙だよ』

きっと、あの日優しかったあの手のひらの温度だって同じで。
ならば、枝葉末節なんて下らない。この人のことを大好きという結論はずっと同じだった。

「そりゃ、幾ら慧音さんが私は私とか強がってても嫌う相手は出るだろうけどなあ……私はたとえ慧音さんが悪妖になろうと好きに決まってる」
「……それは、何故?」

驚く慧音は、好きと言われることをあまり信じることが出来ない。
それは、自分のバツを数え続けて、それを減らして良くなろうとし続けてきたこれまでの潔癖なまでの真面目な人生のため。そんなことしてれば、実力はともかく自信なんて育つはずがなかったのだ。

だが、大体を丸として、世界にさんさんと輝こうとする流星の少女は、大好きな変わり者にはなまるを付けて、更に断言を続ける。

「だって、皆がなんて言ったところで、慧音さんは、慧音さんだからな!」

そして彼女は、何時かの彼女の言葉を借りて、溢れんばかりのヒマワリの笑顔を見せるのだった。


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