第二十二話 私は変わりたい

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

アリス・マーガトロイドは魔界生まれの少女である。
そのため生まれつき魔法使いである彼女には、本来衣食住に対する意識は希薄であっても良い筈だった。
だが、神綺という魔界の神を手本にした彼女曰く子供達同士の相互扶助により大いに学んだアリスは心に贅を与えることの幸福を知っている。
本日も白魚の指先に包まれたカップの中でさざ波だった琥珀色は、桃色の唇の隙間に柔らかに流れ込んでいった。

「ん……幻想郷産の茶葉は、一から手を入れなければならないのが面倒だけれど味は素直で美味しいわね」

独りごちた少女の前の席にて、頷くはちょこんと鎮座する小ぶりの少女人形。
一口の味わいの後に、かちゃんとソーサーに置かれた上質な白磁のティーカップから広がる香しさを間近に受け、人形も喜びに一回り。
そう、アリスが手間をかけて程よい温度に整えたそれは、紅茶だった。

緑茶を愛飲している者が多い和風な幻想郷にてこの一杯をいただくのは少々手間だ。
だが、読書と人形制作と魔法の学び、その合間の溢れんばかりの暇を用いて発酵させた茶葉は、はじめての制作にしては思い他上質だった。
舌に乗っかった偏りを、少女アリスは余計を容れない幻想の悲しいまでの純粋さ故と捉え、目を細める。

「この素っ気なさこそ、この地ならではの味なのかしらね?」

ねえ、上海人形と呟くアリスに、応じる者は金髪碧眼の幼少のアリスそっくりなお人形さんばかり。
魔法の森の奥深くもなく、人里から近くもない、そんな半端なところに構えたアリスの邸宅に、実際住んでいるのは彼女一人。
それでも騒がしく日々は過ぎる。何せ、彼女の周りには動き回る数多の人形達が存在するものだから。
だが、書き込まれた魔法式にて半自動に動く人形達の所作のどこか機械的なところや、硝子の瞳の輝きの奥に未だ何も見て取れないあたりが最近のアリスの不満だった。

「はぁ……貴女たちは別に悪くないわ」

台所から身を乗り出し茶葉の様子を見るのを止めて、こちらに向けて小首を傾げる蓬莱人形。
人間がするようなそれが心配のサインと定めたのは何を隠そうアリス本人である。
だから、ひょっとしたら表情もなくただそれらしく動くばかりの人形達に声をかけるのは寂しい一人遊びであるのかもしれない。
けれども、アリスは孤独を止めなかった。今も一人ぼっちを当たり前として、幻想郷にて書を手繰る日々を送る。

「強いて言うなら、私の意地っ張りなところが……きっと良くないのよね」

誰からも求められることなどなく、求めたくもならなければ一体全体つまらない。しかし、ここがそんなところだからこそ意味がある。
故郷は胸の中に、何に頼らず自力のみを上げていくアリスの隣には一冊のグリモワールが鎖されていた。

「私はこんなもの、よね」

少女をするのにティーブレイクはない。
休み知らずに乙女をしているアリスはスコーンを齧ってから、その出来の良いだけの歯触りに内心敗北感を覚えた。
上等、上質。それを母の手により知ってしまっている幸せすぎた女の子は故に今が不幸不便極まりないことを、今は歓迎せざるを得ない。

「この世界を知ることが出来て、良かったわ」

魔界にて、少女アリスは可愛がられるばかりのお人形さんだった。魔法を玩具に、負けず嫌いで自分のことしか考えられない子供だったのだ。
それが今や、愛どころか敗北感と孤独に浴しながら人形のためにと人形を遊ばせている。

「ふふ……愛の断捨離なんて、私らしくないこと」

さあこれを成長以外の何と言おう。そう一人ぼっちの今に自信を覚えていることこそ、アリスは愚かしくって笑えるのだった。
待てを受けて涎を垂らしながら伏せる犬と同じように、好きを我慢出来ている今を少女は良しとしている。
或いは自制こそが大人ならば、つま先立ちして我慢しているだけのアリスなど話にならないのかもしれないが、それでも。

「でも私の知らない私の願いくらい、叶えてあげないとね」

あの人のために早く大人になりたい。
究極の魔法が記された大切な魔導書に青いクレヨンで書かれていた、そんな覚えのない内容の殴り書きをアリスは今日も大事にする。
続けて魔導書を持ち直し、大事に抱き直すアリスに首を傾げる上海人形。それが心配のサインとして設定したものでなくただ疑問を呈するための自発であることに少女は微笑んで。

「ふふ。過去の私が大事にしていたあの人、というのが貴女にも優しい人だと良いわね」

ただ、幼かった頃の自分の夢を叶えるためにも、大人ぶって柔らかに呟くのだった。

 

原生林のように手入れのされていない魔法の森においてもアリスの邸宅は特別である。
天を塞ぐ高く入り組んだ木々が気を利かしてくれたかのように、光降る場所だ。

「ここは……すごいな」

ならば、暗がりに光求める迷い人が多くそこにたどり着くのも当然のことか。
上白沢慧音が記憶を失ってから半ばはじめての遠出。
霧雨魔理沙の案内、というよりも強引な連れ出しによって竹箒の上で流星のような速度で駆けた慧音も今は森の中の迷子。
森の妖怪たちと弾幕ごっこをはじめた魔理沙の急制動に振り落とされた際に出来た、枝葉との擦れによる衣類の傷がどうにも痛々しい。
だが、頑強な本人はそんな無様を気にも留めずに光輝く西洋建築を望んだ。

「まるきり新築のようだ……むむ、これは魔理沙に似た……魔力か? 魔女の邸宅……私が失礼しても大丈夫なのだろうか?」

遠目にはまるで玩具のような少女趣味で出来の良い一軒家。彼女がそこに潜むものに悪意を覚えないのは、失せた歴史と関係あるのかどうか。
だがそろそろ薄いレースのカーテンの奥までう伺える距離に至って逡巡を始める慧音。
家内の本の山に魔女の記したものもあったという憶えを元に、或いは一人を好んでいるかもしれない者へといたずらに押しかけてしまうのは悪いのではと彼女は考えてしまう。

「おや?」

だが、そんな考えなど家主は知らないし、どうでもいい。
まるで自動のように魔法で開いた扉に、慧音の頭の上には疑問符が一つ。そんな首を傾げた半妖の前に、今度はこんな声が届いた。

「貴女――何をぼうっとしているのかしら? そこで迷い続けるのもいいけれど、それだと用意してあげた紅茶が冷めてしまうわ」
「あ……すまない、お邪魔する!」

冷たく努めているような、甘い声。きっと愛らしいだろうその主のもとへと慧音は急ぐ。
そして中に入って扉を閉じ金色のドアノブの感触を面白がった彼女は、アリス邸の洒脱さにまず驚くのだった。

「いや、これは凄いな……人里には中々ない本格的な西洋風……いや、少し妙な様式も……これは魔法的な図案も混ざっていたりするのかい?」
「ええ、その通り。西洋風というよりも、魔界生まれの私の趣味の部屋よ」
「なるほど……素晴らしいな、楚々としている人形たちも愛らしくて……ああ、申し遅れたが私は上白沢慧音。人里から来た……迷子だな」
「そう。私はアリス・マーガトロイド。はじめまして……よね?」
「ん? その筈だが」
「なるほど、ね」

アリスの蒼い、金色を隠した瞳の上を滑るように映っているのは奇妙な帽子を載せながら、これは面白いと目を輝かせる女性。
綺麗な、また愛らしいと思うような大人だ。好奇心と知恵を働かせ続けているような、変わった風も興味をそそる。

そして何より所作と表情の柔らかさに埋もれている、恐ろしいまでの力。
魔界神、神綺を見慣れた少女でも見通せない程のそれを抱きながらただ優しくしようとしばかりの心根に、アリスは何となく感じ入った。
念のためにと動きを止めていた彼女たちに指先で合図を一つ。ここで彼女は彼女をようやく本当の意味で招き入れたのだった。

「さて。迷ってきたとはいえ客人には違いないわ。さあ貴女達、お客さんをもてなしなさい」
「おおっ! 動くのか、この子達は! ……自動? いや、式と減退の早さを見るに半自動と採るべきか。どちらにせよ、私には可能なものではないな」
「そうね。目端は利くようだけれども、術式自体魔界神のもののコピー。魔法使いでもなしに、理解以上は不可能よ」
「魔界神……いや、それはそうだ……お、アリスこの子達が持って来てくれたのは……」
「机に椅子に、さっき言った紅茶よ」
「ふふ……ありがとう、アリスと人形君たち。いただくよ」

そして、魔法使いの仕立てたものを恐れる素振りもなく、信頼どころかむしろ何一つ気にも留めていないかのように慧音は紅茶を嚥下する。
白い、喉元が僅かに動く。ゆっくり味わった様子の見ず知らずの相手の反応、それがどうしてか気になったアリスは正対しながら。

「いや、美味しいな……うん。多分これは幻想郷由来のもので……」
「分かるのね」
「ああ。だが、アリス。この綺麗な甘さは君自身のようでもある気が何となくするな」
「……そんなの」

真っ直ぐ過ぎて、雑味がない。そんなの、苦みを知らない子供のあり様だ。
そんなのと下に見ても仕方ないような、ただ美味しいだけの幼稚。何よりもと愛玩するには癖がなさ過ぎていて。

ああ、器用なだけの七色を、誰が特別と信じたのだろう。
きっと失われた過去を再び知る方法なんて、ろくにないのだろうけれども。

「すまない。変なことを口にしてしまっただろうか?」
「違うのよ。ただ……」

甘ったるいだけの少女の自分を、ただの一人と真っ直ぐ見つめる大人。
こんなものに本来アリスはなりたくて、でも少女は己の少女をこれまで認められず、ただ孤独に逃げた引きこもり。
そんなことを今更に思い知ったアリスの頬は赤く、赤く火が出るように紅潮したけれども、これだけはと問う。

「私って、素直でも良いのかしらね?」
「それは、そうだろうさ。君は君らしくでもいい」

賢者の如き頭脳を悩ませることすらなく、直情的にその断言は放たれた。
慧音の結論は何時だってそれであり、万物に光を与える神のような平等さであったが。

「でも、私は変わりたい」
「そうか」

そんな真綿のような優しさに首を振り、アリス・マーガトロイドは上白沢慧音を真っ直ぐ見返す。
二人の視線は交じり合い、やがて赤はぽとりと地に落ちて。

「そうだ。何も変わって、いいんだ」

慧音は一つ、そう結論を改めるのだった。

「ふふっ」

七色の、虹は消えても心に残る。

もう抱きしめられなくても、それでも貴女が笑顔でいてくれたなら。


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