第二十一話 運命は何一つ

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

前衛的を通り越した狂的。赤の強弱だけでどうして美観を創れたのか見るものが見たら唸ること間違い無しの紅魔館。
今日も今日とて湖の霧に包まれた館の底。地下を居住地として構え、むしろ館をただの日光を遮る蓋と捉えている出不精の魔女は手近に居た悪魔にこう問った。

「ねえ、小悪魔」
「……どうしましたか、パチュリー様?」

喘息持ちの発した小さな言の葉に敏に反応したのは、深い赤髪の司書。日向に眠る門番より少し穢れたその髪の色を気に入っている悪魔は、しかしどこか緩慢に主へと向く。
そんな様子を見て取りながら咎めず、魔女パチュリー・ノーレッジは呟くように更にこう続けた。

「蔵書がごっそり減ってるのよ」
「それは……どうしてでしょうか」
「はぁ」

ため息一つ。そしてパチュリーは観察の瞳を瞑った。
それを買って契約したというのに、利発な反応一つなく下僕たる小悪魔は目の前で真に疑問を顔に浮かべるばかり。
これは鈍間、どころではない機能不全。ここのところどうも悪意の薄い味気ない紅茶ばかりを淹れて来る彼女に対して魔女も不満を覚えていたところ、これである。

受け取れるのは何かの策謀を秘めている可能性すら感じ取れない、ただ弱々しいだけの少女の様。
これは何かがあったに違いなく、しかし騒動の気配すら感じ取れなかったのは拙いとパチュリーは思う。
また、彼女は蔵書を筆頭にそれなりに物を大事にする方の魔女だ。駆け出しの頃に作成した契約からの関係もそろそろアンティークの域に達していれば、小悪魔という消耗品を気に入っていない訳もなかった。

安直におかしいところとおかしいところを結びつけてカマをかけたその結果の空振りに思うところもあるが、しかし淡々とパチュリーは確認するように続ける。

「どうせ小悪魔、貴女の仕業かと思ったら、違うのね」
「あら。私を信じてくださるのですか?」
「そんなにしょげてる貴女を見たのははじめてだから」
「そう、なのですか? 私が?」
「自覚もなしと……重症ね」

童女のように首を傾げる、小悪魔。どこかの貴人を模したらしい容姿の彼女がそうすると愛らしくて、パチュリーにはむしろ不気味だ。
主を悩ませるのは、私は私が一番好きですと公言していた人でなしが、しかし己を蔑ろにして動いていた、そんな不思議。
それに加えて、大量の気に入っていた本の不在もあれば、最早現状が理解不能だ。
頷き、パチュリーは重なった分厚い本の装丁の艶を確かめるように触れてからこう断言した。

「どうやら私達は何か、されたようね」
「そう……でしょうか?」
「現況がおかしければ今にまやかしが掛かっていると思うのが私達の自然でしょ?」
「まあ、そうですが……」
「煮えきらないわねえ……」

小悪魔の不調。そして、本の消失。それらを何者かのせいにしてパチュリーは眦を吊り上げる。

なにせ、本の虫どころか染み付いて離れない頑固な汚れレベルの執着を持つ魔女には蔵書がないというのは大事件なのだ。
まるで狙ったかのように、ここ数年の間に読んで気に入って、それこそ居ないが《《他の誰かにも共有したくなった》》くらいに感動したものばかりだったから、尚更に。
またそれらから離れても場所を感じ取れるはずの付与した魔術的なマーキングすらも今は感じ取れないなんて。
それはもう、知らない間に《《自ら貸し出してしまった》》かのようで、最早不気味ですらあった。

だがそんな感触を跳ね除けるレベルで怒っている紫の魔女に対し今ひとつ乗り気ではない小悪魔は、こう問う。

「それで、パチュリー様はどうしてこの図書館の本が盗まれたか何かしたのだと思うのですか? 一体誰が、どうして?」
「ふむ……そうよね。確かに痕跡一つない簒奪に、同時期に起きた貴女の不調……それら全ては下手人も意図も不明で、どうも私の手に負えるものではないかもしれない」
「そうなのですか?」
「ええ。分からないものを理解するにはどうしたって導線が必要。でも、この手口はあまりに鮮やか過ぎる。それこそ、神域の者の犯行のように。こんなに足跡も何もないとなると私にはさっぱり不明だわ」
「神域……」
「それに、私の手にない本達も、言っては何だけれどその文の美しさは目を瞠るものではあってもそれ以上に価値があるものではない、在り来りの版。嫌がらせ目的でもなければそればかり選んで盗むなんて有り得ず、前述の通りの神業地味た力を持つ盗人が狙うにしてはあまりにお粗末だわ」
「つまり……どうしようもない、と?」
「……小悪魔?」

調子の良い喉を用いたパチュリーの説明の弁は滞りなく行われた。得意になった少女は隣の表情をすらろくに見ずに、というものであったが。
彼女は終わりになって小悪魔の白く過ぎた手、握られた拳から滴り落ちる赤に気づく始末。

珍しく驚きを表情に出したパチュリーに、小悪魔は自らに向けているかのように、こう言った。

「私は、嫌です。どうしようも、ないなんて嫌です」
「……貴女……」

怒り。小悪魔がそれを堪える様子はまるで、人の子。
分からない事態にて、しかし一番に憤りを覚えているのは恐らく彼女だったのだろうと、この期にパチュリーは気づく。

「ふぅ」

混沌こそを望むべき悪魔が、しかし情によって不明を笑っていない。その事をようやく恐ろしく感じた魔女は、空に魔法陣を浮かべる。
そこに手のひら、そして指先から血を更に通わせてから、血の契約陣の前に呆気にとられる小悪魔にこう続けるのだった。

「そうね……なら契約を重ねましょうか」
「えっと?」
「恐らくこの嫌がらせの犯人は幻想郷に存在する者のはず。そして、私達には分からない繋がりがきっと、ある。なら……」

なら、どうなのだろう。不明すぎて知恵者でも分からないその先。
だが、どうしたってこの不安げな子を見てしまえば、そこに行かせてあげたくなった。
思っていたより嗜好品に対する情が自らにあったことに内心自重しながら、パチュリーは。

「少しの間、貴女に暇を与えるわ。一人の悪魔として幻想郷を探索してきなさいな」

ぽかんとした小悪魔に対して一旦契約を破棄し、一時の自由を与えるのだった。

 

愛や恋。
そういったものは人間の持ち物であるとして、ずっと背を向けていた悪魔が居た。
それはそれは小さく捻くれた心を持っていた血の色の髪だけが特徴的な彼女。
そんな少女然とした人でなしが送っていたのは、狭い自らの器から溢れたものを下に見て蔑む地獄のような日々。
彼女は一山幾らの小悪魔である。人で言うなら、普通一般の良くも悪くもない在り来り。物語にひっついた、汚れ程度の存在だった。

「ですが、私にだって語りたいたいことがありました」

常に神に唾を吐き続け、自らの主に下げた頭の面には侮りが浮かぶ。
今は必要だからと契約に拠って無理に司書らしく成り立たせているけれども、それは本来は何のためにもならない悪である。
下手な心があるからこそ、倫理も何もかにが歪んでいた。人の死を笑い、己の不幸すらも歓迎する心根に、救いなどあっていい筈もない。

「でも、彼女はそんな私の救いだった……」

しかし、そんな見捨てるべき汚れにすら目をかけて、その悪にすら真っ当な心を向けてきた者が、記されておらずとも確かにあった。

博麗慧音。
あの人は善の助けであり、悪の救いでもあり、何より無私。彼女は幸せという甘い蜜を割れた心の隙間から垂れ流し与え続けるばかりの、壊れた機構。
それは善としては歪すぎており、悪とも取れない失敗作。生きるだけで痛む少女の優しさの量は、とうに薬を超えており本人への毒でしかなかったのだ。
小悪魔な少女には、彼女の所作一つ一つに壊れた機械特有のぎぃという擦れた音が都度聞こえるようだった。

「好きですよ。決まっています」

そして、勿論そんな救いようのない救いだからこそ、捻くれ者の小悪魔は本気で惚れ込んだ。
あの人は最初からボタンを掛け違えて、それこそ《《間違えて生まれてしまった》》のだからこそ、悪が祝福せずにどうする。
その優しさが他者への不信を源泉としていて、笑顔が作りやすい仮面の形でしかなくたって、その子に向ける愛すら本人が信じきれていなくとも、それがどうした。

見目の絶世なんてどうでもいい。ただ人と違う、その歪みを小悪魔は気に入った。

まるで恋するかのように、当たり前に。

だから、好き。これはそれだけのことである。

「私はだから、忘れるものか―――!」

そして、それは些か病的ですらあった。好きを焦がして己死ね。そんな好きな相手の下手なモノマネは、浅ましくとも必死なもの。
故に、《《あの日》》博麗慧音がその歴史を過ちと消す前ために神に届く権能を用いた際に誰より消しカスに縋れたのは小悪魔一匹きりだった。

「私は、慧音さんが、好きで、好きで、好きで、好きで、好きで!」

書く、消える。放つ、溶ける。刻む、治る。
どう足掻いたところで神の権能とほぼ並ぶ恋い焦がれるあの人の行使した【歴史を創る程度の能力】に敵う筈もない。
そも、小悪魔は情報のみの存在。それに神たる力が作用することは心から不快であるが、それ以前に諦めてそれを受け入れてしまいたくなる弱い心根が彼女は大嫌いだった。

「っ!」

幻想郷、霧の湖の畔の紅魔館の地下深く。近場の図書館で現在進行系で謎の頭痛を覚えている契約主、パチュリー・ノーレッジも知らない悪魔の苦闘。
暗闇に蹲る彼女の戦いはあまりに短く、どうしたって彼女と彼女の出会いと時間が無かったことになるのは避けられず、そんな無情を選んだ愛する人の気持も分かってしまうから恨むことも出来ずにその爪は絨毯を掻くばかり。

救いは天には決して無く、地の底からも目を背けたければ、ならどうする。
想いは願いはそれら全ては神に愛されていない私には本来過ぎる持ち物で、でもそれでもこの世界はあまりに眩しく創られていて、愛することすら許されないなんて。

こんなことなら私は良い人であれば良かった。
そんなことを生じて初めて考えた小悪魔は、しかし頭を振ってこう結論付ける。

「……だから私は、神が嫌いです」

もう、記憶は虫食いを超えて、現実すらも朧。このまま抵抗を続けたら精神に由来する存在である小悪魔は消滅すらする可能性もあった。
だがそれでも良いかなと血迷う心もあり、そして惑った瞳はつと上を向いて。

「私もよ」
「貴女、は……」

彼女はあまり好きではない、館の持ち主を見るのだった。

血のような赤い目をして、何時ものように偉ぶる彼女に、だが今は覇気がない。
過度の力みに滲む小悪魔の視界の中で、どうしてかレミリア・スカーレットは微笑んでいた。

「もう眠りなさい。また会えるわ……いえ、きっと私が貴女達を再会させる」
「レミリア、様……」
「私を信じて、もう眠りなさい」

その小さな手はとても冷たく、だからこそ何より弱った心に心地良い。
目蓋撫でつけたその指先の動きをなぞるように、瞳は閉ざされ、そして。

「けい、ね……さん……」

最後にうわ言のように、彼女は彼女の名前を刻むことも出来ないまま、空に溢すのだった。

地に落ちた身体。それを拾い、大切なもののように両手に抱えて、童女のような体躯のレミリアは大人の女性然とした小悪魔を運びだす。
アンバランス。だがこれこそが正しいと信じる運命を操る悪魔は、窓一つない館の底にて夜を想いながら、寝入る彼女のために呟く。

「私は貴女の主の友。そして同じく想う悪魔だ。……故に嘘は言わない。そして言葉には責任が伴うもの」

世界はもう変わった。痕跡もなく、ならば全てを取り戻すなんてきっと不可能ごとなのだろうけれども。

「大丈夫。運命は何一つ、変わっていない」

それでも確かめるようにそう言って、レミリアは熟れた果実の色をした唇をひと舐めしたのだった。


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