第十三話 娘に遠慮しちゃ、ダメ

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

「寒い、な」

一年の殆ど湿り気を帯びた空気に包まれている魔法の森とはいえども、枯れに親しむ時期もある。
冬のからっ風には常緑樹ばかりのこの森林ですら痛むようになびいて、彼らが立てる音も寂しげだ。
そして、何より天辺に凍えるような白を多分に乗っけて頭を下ろす姿がまた、侘びしくもある。
総じて停まったようなこの世界は、先に口にしたように震える程に寒かった。

「魔理沙としては、始めての人里の外での冬か……さて、元気にしているだろうか?」

私は、二枚重ねですら足りなかったと手袋の頼りなさを覚えながら、手を握ったり開いたりしながら雪中を進む。
霊力などで保護をしなければ身体の線が円くなってしまうくらいに着込んでも、この幻想郷では身を丸めざるを得ないくらいに外気温は低い。
地球が温暖化しているために、その分冷えた世界が幻想入りしているのではと寺子屋教師の一人が論じていたことを思いながら、私は静まり返った森の奥へと心の暖を求めて歩を進める。

「果たしてあの子に実は付いたか、それとも意気も枯れてしまったか……まあ、期待はしているよ」

そう、親御さんに頼まれた、娘さんの無事を確かめるためにも魔の森をしっかり踏みしめ征くのだった。

あの子、霧雨魔理沙と私は、元々そう深い縁があったわけでもない。
大店と博麗の巫女が関係を密にするのは良くないと暗に言われていたがために、知らず霧雨店を避けていた私が魔理沙の存在を知ったのは彼女が歩めるようになったくらいの頃。
先祖返りのためか目立つ金髪をした彼女を一拍だけ目に留めた私は、愛らしいと思えども直ぐに目をそらしてそのまま店先から去った。
それは、同い年の娘を持つ母となっている私が、魔理沙の幼気さを望んで考えたのが、家に残した霊夢の様子への不安だったからだ。
存外小さな暴君だった我が子は母や私の手を焼かしてばかりで、当時の私は霊夢霊夢とそればかりなために。
互いに名前すら分からぬ、邂逅だった。

とはいえ、同年代の子を持つとその親達が仲良くなるのは、避けられないこと。
新鮮な育児情報とその頃の子がどういう傾向を持つかなどの共有のために、私は霧雨の家の奥方とも親しくなった。
その内に、友達として互いの家に招き招かれも頻度が増え、老人の下らぬ文句も聞き飽きた頃、瞳に知の色が目立つようになった魔理沙は私にこう言った。

「その服、格好いいなー。なあ、慧音さん。巫女さんってどうやったらなれるんだ?」

まだまだ愛らしく和服を着せられた少女は、私が着込み続けていた巫女服が物珍しいと、お気に召したようである。
私としては自らデザインした帽子などを褒められた方が嬉しかったが、しかし巫女に興味を持ってもらえたのはこれまでお母さんの背に隠れてばかりいた内気だった魔理沙ちゃんからの歩み寄りのようで悪くなく、私はこう答えた。

「魔理沙が私の娘にもし勝てたら、なれるかもしれないな」

正しく、自分の娘こそ博麗の巫女を継ぐものと信じてやまなかったあの頃の私は、だから当然そんなことを言う。
奥方の呆れの目線に、しかし魔理沙は瞳をそれこそ恒星のように輝かせながら、私にこう返したのだった。

「よーし、分かった! 私はあんたの娘さんに必ず勝ってやるぜ!」
「ふふ、そうか」

思わず私が一笑に付してしまったその宣言。しかし、魔理沙という星の少女はそれを真にするために、諦めなかった。
それこそ、どうして成ろうとしたかを忘れて、それでも純粋に目指すものとして定義した巫女の形を求めてがむしゃらに、彼女は霊夢にぶつかっていったのだ。
残酷なまでのあの子の天賦を知らず。そして、知ってもだからこそ諦めるかという気持ちで孤独な少女を一人にしてくれなかった魔理沙には、私は感謝しかない。

「よう、霊夢! 今日も暇なお前のためにやって来てやったぜー。お、慧音さんも居たか。ちょうどいい、私の勝利の見届人としてちょっと来てくれないか?」
「はぁ。また何……魔理沙、あんた昨日負けたばっかりだってのに、今日も負けに来たっての? そんなに黒星って並べて楽しいのかしらねえ」
「はん! 昨日の真っ黒けの奴なら、キレイに磨いて空に還しといたっての。なあに、今日だって昨日の焼き直しって訳でもないんだ。なら、私が勝っても不思議じゃないだろ?」
「歴史は繰り返すそうね」
「だが明日は明日の風が吹く。私は当然お前さんじゃなく、私の勝利に賭けるぜ」
「はぁ。あんたって、賭博なんてしたら直ぐに身を崩しちゃいそうね」
「いいや、博打なんて下らない! なんぜ私にはもっと悪い趣味があってなあっ」
「っ、魔力? あんた、もしかして妖魔本でもどっかで読んで……」
「私が飽きるまで、霊夢には付き合ってもらうからな!」

あの日、かけっこで負けた翌日に魔力を帯びた様子でそんな啖呵を切った彼女のことだって、忘れられない。
それこそ、向かない巫方面ではなく魔法という旧いものを引っ張り出してきてまで、我が子に対して本気になってくれて、私はとても嬉しかった。
とはいえ、流石にグリモワールを貸本屋にて見つけて魔法の力を得てしまった魔理沙を、そのまま放置なんて出来ない。
私はまず親御さんに平に謝ってから、その後どうしようかと相談。あまりあやかしの術は好まない様子の霧雨の人々に、しかし魔理沙はこれで生きるのだと言い張る。
困る私をむしろ面白げに反発する娘に、とうとう怒った霧雨のご主人は彼女にこう伝えた。

「十を数えるまでにその玩具を捨てなければ勘当だ」
「よっし!」

そんな苦渋の決断に喜んだのは魔理沙である。
少女は、夢を見続けていれば魔法というもので巫女に挑み続けれられるとご満悦。厳しいだけの父の言葉の表をなぞり、それくらいしか幼さでは考えられなかった。

だがそれは勿論、親の心子知らずというもの。
そもそも、霧雨店という人里にても特異な店――人妖ハーフ、森近霖之助の後見を行っている少々危うい立場――に、魔法を使う少女を跡取りとして置くなんて考えられることではない。
だから、魔道から離れれば良し、そうでなく後数年経ってもし本当にその道を進む心が変わらないのだとしたら、そうしたらとても残念であるが放逐せざるを得ないだろうと、泣く泣くを隠して彼らは決めたのだ。
故に。

「すみません、慧音さん……」
「いえ。元々あの子の本気を侮った私が原因です……それに、ご両親に悪役をさせてしまい、こちらこそ申し訳がなく……」
「なら尚更あの子を導くこと、お願いします」
「……大役、確かに拝命しました」

そのまま魔理沙が知らぬ裏にて彼らは私と話をつけて、今現在の魔理沙の進む魔道を支える役として私は動いている。
つまり、私と霧雨の両親とで描いた絵のとおりに、魔理沙は未だ保護されているのだった。

まあ、それはそうだ。どうして魔法の森の入り口にて趣味の店を広げているだけの男が、魔道の最奥にて最悪とされる悪霊への伝手があるだろう。
もっとも、素知らぬ顔して魔理沙に伝手として私が魅魔にあてた書状を渡してくれた霖之助の隠れた演技力には驚くばかり。
後で、何かあの人の好きな難解な書物でも持っていくべきだろうか。いや、あの人は私を殊の外好いてくれているようであるから、ひょっとしたら顔を出すだけでも満足してくれるかもしれなかった。

「どちらにせよ、その前に魔理沙の様子をみてから、だな」

先を考えてていた私は思わず零す。そう、あの幽霊はその後ちゃんと魔理沙を導くことを続けられているだろうか。
それが、預けて半年以上経つ今更ながら心配だった。いや、少し前まで懇意にしていた相手である。幾分気性の荒い部分も私には見受けられたが、子には優しいというのは霊夢に対する対応で知っていた。
万が一もない、とは思うし魔理沙の父母はもう大船どころか満艦飾の出で立ちのものに乗っかった風に安心しきっている。
それほど私が信頼を得ているのは嬉しいことだが、だからこそ私が過敏にならざるを得ないのは仕方ない。

「こっち、だったろうか……」

魅魔の邸宅は、魔法の森でも深くにある。私としては一度ならず通ったことのあるからには、大凡の場所は理解していた。
雪に埋もれた土の張り具合に気をつけながらの、進みは遅々。飛んで行けば楽だとは私も思っているが、巫女でなくなった私はどうにもそれをしなくなっていた。
妖となり、でもその術を使わずに汗を垂らす。そんなのはあまりに愚かとは理解していても、どうにも。

「力に溺れすぎるのも、怖いからな……」

そう、覗いた己の力に底が見えなかったことこそ、何よりの恐怖。それは、地獄の神に出会った時や、本気の幽香とやりあった際に感じたものの再現。
これは、何もかもを換えうる程の力。故に、私なんかには過分に過ぎていた。
私は私、それでいい。だからただの慧音として、私は今を歩む。

「魔理沙?」
「んー?」

そうして、一歩を続けて数えるのを忘れる程になった頃。私は目的の彼女を見つけられた。
魔理沙は何やら魔法の森に捨て置かれた地蔵尊の頭に積もった雪を払っていた様子。目を細くして私を見つめる彼女は、少し経って何やら合点をいかせたようでこう言った。

「あんたは……おっ、随分と着ぶくれしちゃってはいるが、慧音さんじゃないか! 久しぶりだなあ」
「ああ、私だよ。魔理沙は、元気していたか?」
「おお、元気だ、元気。それこそ溢れんばかりに元気だから、せっかくだからそれを使って徳でも積んどこうかって思ってな。……ほら」
「お、コレは笠……網代笠か。ひょっとして、笠地蔵かな?」
「おうっ。私はこの頃、魔法の森中の地蔵に恩を配って歩いてるんだ。いや、雪に埋もれてるのを探してるんだが、時にでっかい茸だったりハズレも結構あるんだよなー」

雪を落としてみたら白骨遺体とか、そんなぞっとしない経験もしたぜ、と朗らかにも告げる彼女。
随分と逞しくなったようである魔理沙が、私に抱きついたりもしてこないのが少し、悲しくはある。
私はあえて寄って、雪が絡んだ金の髪から雫を手で落としながら言った。

「それで、笠は全部配れたかな?」
「ああ。これで全部だな」
「っと……私は別にお地蔵様ではないが……」

そうして構ってみると、これで最後と魔理沙は手荷物となっていただろう大きな笠を私に被せた。
濡れるかもしれないと、本日は空けていた頭頂部。そこに意外とできの良い網代笠が乗っけられて私は少し困った。
いたずらっぽく笑ってから、魔理沙はこう言う。

「なあに。そんじょそこらのお地蔵さんには負けないくらいの徳を持ってるだろう、慧音さんは? ありがたやー、ってとこさ」
「やれ。ならこれは私が恩返しに君に何かあげないといけないかな?」
「いや……慧音さんからの施しとかそういうのは、もう十分だ」
「……そうか」

もう十分。そんな文句に少女の大人を見つけて、私は魔理沙を侮りすぎていたことを知る。
少し迂遠だったが、この笠ばかりは、ただのありがとうという感謝の印。ならば大事にしなければならないだろう。
つばを深く、それでも隠せない口は弧を描いてしまったが、気にせず空いた両手を開いて、見習い魔女は私に訊ねる。

「なあ。霊夢は元気か?」
「ああ。ちょっと早足気味な気がするが、それでも元気にやっているよ」
「それは、良かった。よっと……」

聞いてから、魔理沙は木に預けていたらしき、竹箒を手に取る。そして私の前で少女はそれに跨った。
無骨すぎて痛いのではないかと見当外れに考える私を他所に、これこそ至上の乗り物とでも言わんばかりに微笑んで、空に浮く。
そして飛ぶ前に、彼女は繰り返すように言った。

「なら、私は駆け抜けないとな。何時か、あいつに勝つためにも、あんまり立ち止まってちゃいられない」
「無理はしないでくれよ……と言っていたよ」
「はっ、そっちこそ、って伝えといてくれ! ありがとよ、元気が出たよ慧音さん!」

飛翔。それが普通だった少女の得意であったのか、雪に寒さを蹴散らして、魔理沙はそのまま空を舞った。
木の緑に縁取られた白に近い空の青に、彼女は目立ち、やがて存分に輝いてから森の奥の方へと消えていく。

そう。彼女は親の手を離れ幸せなまま、遠くへ。

「……帰るか」

成長。それがこんなに頼もしい。そして、少々寂しくもあって。
だからきっと私は少しだけ悲しげにうつむいてしまう。

「折角なのに……もっと、話さなくてもいいの?」

それが気になってしまったのか、いつの間にか笠を抱いた見知らぬ彼女が私に近づき、問ってきた。
見上げ、彼女が地蔵を核とした存在と見抜いてから、私は目を細めて強がるようにして、返す。

「ありがとう。優しいな、君は。そんな君こそ、偶には魔理沙の話し相手になってくれると嬉しいな」
「えっと……うん。まあ……時々、なら」
「そうか。良かった」

子の友なんて大切なもの、想わずにはいられない。
魔理沙を想ってくれたこの子のどこかはっきりしない、そんな返事すら私には有り難くてたまらないもの。
思わず手を合わせた私。でもそこに。

「でも! お母さんが娘に遠慮しちゃ、ダメよ?」

お地蔵さんの妖怪少女――矢田寺成美――は勘違いしてそんなことを口走るのだった。

「えっと……」

そんな言葉に私は返答を遅らせ少し考え、そして。

「そう、だな」

強い風に攫われるほど小さくとも確かに、頷いた。

 

ああ、寒い凍えるようだ。私は貴女の平穏無事を信じているのだけれども、それでも。

霊夢は今、独りに震えていないだろうか。


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