第三十話 私の方がよほど

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

上白沢慧音は、この前七つ程度の夜を人里の外で過ごした旅から帰った。
孤児達の勉強をみてあげるのだって必要だし、そろそろ寺子屋の完成も近くあるからには、慧音も忙しなさに翻弄される日々を送ることになる。
読書を嗜む暇もろくになければ、書き物を続けてばかり。記憶喪失故かどこか新鮮に覚える認めることに学びがないなんて有りはしないが、とはいえ楽では決してなかった。

多少の身動ぎにてぼきりぼきりと破壊音じみた凝りを示す、肩。それを逆手で揉みながら、彼女は疲れにため息を吐く。

「ふぅ……」

気怠げでどこか隙のあるその様は、多くの里の男衆をギャップにより惹き付けてあまりあるものであるかもしれないが、現状慧音は家屋に唯一人きり。
近頃は忙しい親代わりのことを気遣ったのか、あやかしですら顔を出すことなく、故に大人はだらしなさとつまらなさを同時に面に出せていた。

「ルーミアは、気まぐれだな」

そう、実際報告と嘆願書を認めて全責任を慧音が持つことで、妖怪ルーミアの滞在は許されることになっている。
とはいえ、気まぐれなところもある彼女は存外神出鬼没。

子どもと遊んでは途中で驚かし過ぎ、人里で随一の子守である多々良小傘に尻を金槌で強かに打たれたなんてのは、少し前に本人から聞いた話。
近頃なんて、墓の近くに現れては管理者である翁に、禁欲中ならいっそのこと仏門にでも入らないか誘われた等と風に聞いた。
何にせよ、思いの外強かな里人の合間にて元人食い妖怪は馴染んできている。

「大丈夫、だろうか……」

とはいえ、実際羊の群れにて口枷をする狼が遊べば、飢えて当然。
ルーミアの思いは、強い。だが実際慧音が彼女に課しているのは、我慢だ。
本来ではない、幸せのお仕着せ。きっと、妖怪なんてものには血と肉と悲鳴を与えてやればそれで一番喜ぶだろうに、勝手に擬人化して。

「だが、それでも彼女は私の手を取ってくれている……ならば、私の方が迷いに負けてはいけないな」

七泊八日の旅にて、慧音は幻想郷に対して見識を深めた自信がある。
妖怪、人、それ以外。どれにも対話が成り立つのなら、異見を受け容れる余地が出来るものだ。
あやかしの言葉が惑わしのためだけなんて、勿体ない。出来るなら、心に嘘をつき続けて、隣にあり続けて欲しいというのが、少し湿った慧音の心の結論だった。

「おや」

そんな、身体を解しながらの思慮、つまりは一休みの最中。
どこかで聞き慣れていたような、足音が耳に入る。草履でなく、靴が土を掃くそんな音の持ち主を思い浮かべながら慧音は身を軽く正した。

「お邪魔するよ」
「やはり……貴女でしたか」
「うん。私よ」

少し強めに扉を開く彼女は予想通りに、竹林に居を構える隠者にしては麗しすぎる者。
藤原妹紅。上白沢慧音の友達だった。
彼女は当然のように土産として大きめの酒瓶を持ち込んで、ぶら下げる藁縄ごとそっと入口に置く。

そうしてから、履物を散らかして入室。まるで急ぎのように妹紅は無遠慮を咎めようと口を開く前の慧音へとこう切り出した。

「ねえ、スペルカードルールって慧音は知ってる?」
「ええと……ふむ。私は寡聞にして知らないのですが……察するに何らかの事柄に対する縛り、なのでしょうか」
「そうね。慧音も知ってる前にちょっと一緒に遊んだことのある、弾幕ごっこのルールみたい」

一大ニュースの共有。そんなの友達同士の当たり前といえども、実のところこの二人は友達が少ない。
だからこそ、好機だと妹紅は新鮮ほやほやの里での話題を持ち込んだのだった。
だが、ここ数日墨と紙に親しんでばかりの慧音は流行り廃りに遅れすぎていて、また今回も弾幕ごっこを面白いが若いものの遊びだなとそれほど親しんでいなかったために理解すら遅れさせてしまう。
咀嚼できないままオウム返しに、薄桃色の唇は動く。

「弾幕ごっこ、ですか……」
「ええ。巷ではまた最近ことに流行っているらしいわね。巫女と賢者どもがルールを整備したらしいけれど、それが実際結構面白くて」
「はぁ……なるほど」

湯気が出そうなくらいに楽しげに紅潮した妹紅の顔。それを認識して、ようやく慧音にも理解の色が差す。
想像するに、あのやりたい放題で力あるものが結局勝つだけの弾幕を作成してのお遊びに、何らかのルールが出来て遊戯性が増したのだろう。
それこそ、存外ミーハーな妹紅を興奮させるに十分な程に。彼女は勢いのまま詳細を述べはじめる。

「要はカードでこれって技を見せ合って、その美しさで勝ち負けを競うお遊びよ。ちょっと空を飛べなきゃ出来ないってハードルはあるけど、これ皆ハマりそうよね」
「ふむ……確かに興味深いですね」
「でしょ?」

もっと早く出来てりゃ良かったのになあ、とどこか遠い目で空を見る妹紅。
ただの人の子には難しいかもしれないが、なるほど力持つ人妖の対決法に幅が出ていいとは慧音も素直に思う。

そして、それだけでなくなるほど生き死にが重要でない戦闘行為が流行れば、きっと争いが手軽に発生し得るだろうとも理解した。
或いは、それこそが本当の賢者の狙いなのだろうか。実際、吸血鬼異変以降の歴史に動きがなさ過ぎるような気もすると、慧音も憂慮していたところだ。

退屈で人は死なないが、妖怪は消える。なるほどそこらのバランスを調整するのは幻想郷にとって必要なことかもしれない。
まあ、遊戯一つにここまでの意味を考えるのは暇な行為であるかもしれないが、とはいえ実際出典が巫女や賢者等大袈裟であるからには裏を思うのも仕方なく。

と、そこまで考えを巡らせてようやく慧音はおかしなことに気づく。疑問は、彼女の口の端から漏れて存外凛と響いた。

「それにしても……霊夢がこんな曖昧な対決法を?」
「ん? 私は今代の巫女はやたらとセンスあるなあって感心したけど、実際そうでもなかったりするの?」
「いえ。あの子は才能に溢れた子で、遊戯に関してだって間違いなく得意があるのでしょうが、しかし……」

べた褒め生返事なんて器用なことをしながら、慧音は続けて考える。
よく霊夢とは孤児院にて遭遇するが、しかし彼女に対する情報は実のところそんなに多くはない。
先に神社で力の一端を見た際には中々だと感じはした。そして、その際の妖怪に対しての強い当たりぶりに、手加減など考える性質ではないとは思えたが。

ならば、彼女も彼女で己を曲げなければいけない理由が発生していて、もしそうならそのために我慢していなければいいのだがとまで、慧音は余計な心配をしてしまう。
隣人も見ずに考えに耽る乙女。何となく、彼女の少女に対する思いの強さを傍にて察した妹紅は、多少いじけたように揶揄した。

「あはは……知らなかったけど、慧音ったら実は結構今代の巫女好きみたいね」
「? それは……」

当然、と言おうとした口に、むしろ慧音の冷静な思考は疑問を呈す。
果たして何が当然か。彼女は別の立場ある他人で、好きになるにはあまりに遠い立ち位置だ。
むしろ本来ならば、人で妖怪な自分なんて恐れて隠れて、見逃して貰えることに仰いでばかりいるべきだろうに、勝手に身近に感じてしまっている。
それが、持ち前の母性のためとは全く考えられない慧音は迷い、でも。

「当然、なのですよ」

どうしたって己の愛する心に嘘など吐けずに断言をしてしまう。

ああ、記憶を失い見知らぬ他人と成り果てて、それでも心が叫ぶのであれば。

「こういうのに、理由など要りませんでしたね」

つと、唇に指を当て、離す。そんな婀娜に満ちた行いに気付かずにただ愛を想う女。
上白沢慧音は、故などなくても博麗霊夢のことを愛していて。

「ふうん……」

なんとなく、同じく他人のでも友達でしかない藤原妹紅はいじけてしまうのだった。

 

夜。良い子、慧音も寝入る中。つまりそれは、魔のための時間である。
昏く暗く。悪をすら隠してしまう、不明瞭。それは、妖怪を活性化させ人を恐れさせるもの。
どんよりと、光差さぬそこにはしかし、喜色を浮かべる吸血鬼が一人座していた。

普段ならば彼女は今日のように晴れて月に明星美しいだろう凪いだ夜空を鑑賞するために、バルコニーへ足を向けていたに違いなかった。
時に魔女と語らい、従者をからかうつもりがからかわれたりすることだって、平素であれば楽しみとしていたのに、今は。

「さあて。隙間から漏れ聞くに状況は良好。そして空に月が綺麗であれば……」

そんなものなんて要らないとばかりに、独りでレミリア・スカーレットは情に蕩けるような表情を見せる。
小悪魔からの縁の接続。また、少し手繰ったことにり変わった文の届く順番。それらが全て意味となし、何れ彼女はやって来るだろう。

此度はつまり、契機。幻想郷を犯さんばかりの紅を広めてまでして得るものは、ただ一つ。

「お母様……」

あまりの期待による強張りにパリンとお気に入りのカップが手の中で割れて、その柔肌を幾ら損ねようともレミリアはもう気にしない。

なにせ、これから彼女が《《運命から奪い返す》》のは、失った母であり、唯一のもう一度私《《達》》を愛してくれる可能性のある人。

やり直しは、出来ない。運命とはそういうものだけれど。

「状況を、限りなく似せることは、出来るのよっ!」

少女はそう、断言する。
勿論そんなことは強がりであり、こぼれたミルクを嘆いても仕方ないという言葉をうんざりするほど頭の中で繰り返したレミリアだからこそ、無理は知っているのだけれども。

「だから、今回は負けてあげるわ」

想うは、相手を間違えてはいけないからと隙間越しに初めて観せられたハクレイのミコの姿。
なるほどこれは何故か脇が暴露されているところとか以前に実にまがい物であり、物足りず。

「私の方がよほど、愛らしい」

本心から、そう思うのだ。
レミリアにとってあの《《偶々》》あの人の子に成れただけで、あまつさえそれを手放したアイツは小憎たらしくて仕方なくって、引き裂きたくて仕方ないのだけれど。

「ふふ……貴女なんて何も知らないまま、数奇に振り回されてしまえばいいのよ」

指先から紅い霧を浮かばせつつ、そう不敵に夜の王は嘲笑うのだった。


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