レミリア・スカーレットは、愛によって生まれた。
それに間違いはない。
基本的に妖怪変化は木の股から生まれた訳ではなく、ただよからぬ噂怪談が転じて具体化したものばかり。
コギト・エルゴ・スムではなく人間原理に連なる、あやかし。
もっとも神域から堕っこちてきたもの共や、魑魅魍魎どものような誰の恐れかも分からぬ曖昧だって散見する。
しかし、どちらにせよそれらの発端には愛がない。好きより嫌いから生まれ、生きるために畏れられる、そんな温もりから離れた存在。
それが悪いこととは、流石に夜の王たるレミリアは思っていない。
語り合ってみれば、つまらないどころか存外面白い者ども。
自ら配下とした多くはどれもこれも、あり得ないとただ切って捨てられるべきものばかりではなかったと彼女は思うのだった。
考える葦の、悪い空想。だがそれらが豊かで何が悪いと彼らは笑う。
「でも、私達はだからこそ特別」
とはいえ、彼らを尊重した上でしかしレミリアはそう本音を紡いでしまう。
我々は、人でなし。しかし父母は特別にも愛を紡いだ。
同族ならまだしも、種族違いの大恋愛。人と吸血鬼、餌と牙のような大違いが恋に通じて愛を育んだことなんて、たとえ蔑視されることがあろうとなんてロマンチックなのだろうと少女レミリアは思うのである。
「……足りないわ」
指先から紅霧を生み出しつづける彼女は息を継ぐように求めるように、天井を見上げた。
改めて、レミリア・スカーレットが愛によって生まれたのは、違いない。
そしてだからこそ、そこらの人でなし達よりずっと愛を知っていてそれを求めている。
世にも稀なセンチメンタルに囚われた、吸血鬼。果たして彼女は、籠もるに飽かない妹であるフランドール・スカーレットより余程籠の鳥、愛の虜囚。
落ち着かない赤、落ち着きたくもない紅の中心で少女は椅子の上床に届かぬ足をぷらぷらさせながら待ち続ける。ただ操れる程度でしかない、運命の結果を。
既に賽は転がっており、後は結果をご覧じろといった具合。
間近に迫った吉凶に、杭打たれるためにある心臓が高鳴り、希望を急かす。
「お母様……」
バラのリップを動かし彼女が発したそれは、失った愛する人に対する呼び名。
あの人があまりに大事だから、似たものを欲してしまう。あんなに、今もその欠乏に溺れてしまうくらいに過日の私を愛して下さったなんて、恨みますよとすら500年ものの子供は今伝えたい。
それくらいに、彼女にとって愛を受けるのは稀で貴重。愛はするのもされるのも存外難しいものだと、レミリアは心から思っている。
だから最初は他者不信に因してただで売るほど他者を愛したがる壊れをひと目見て、彼女は思ったのだ。
ああ、この人なら私なんかでも愛してくれるのではないか、と。そして以降レミリアという少女は、迂遠にも近寄らずに運命というか細いものを手繰って私を見てとし続けた。
それも、惚れた相手と同じく他者を中々信じられない心根があったため。彼女が挫けてしまうくらいには、幻想に至るまでのスカーレット家への排斥は手酷いものだったから。
全ては紆余曲折で、数奇。だがそれが何時か幸福と愛を乗せて今日届けてくれるのであれば、許してやろう。
そんな身勝手すら考え、尊大にも卑小にも、つまりごく一般的にレミリアは心揺らしていたところ。
「ふふ。お嬢様はマザコンですね」
「小悪魔……」
そこに、音もなく闇の化身が顕れる。
レミリアにとって小さすぎて気づくのも難しいそれは、しかし存外大切な者共の一つ。
家族とまでは思わずとも親しい他人である友のペットのようなものは、紅い長髪――レミリアが気に入っている小悪魔の唯一の部分――を揺らしながら寄ってきた。
そしてその面が浮ついてる自分と異なり、随分と憂いを孕んだものであるからには、少し気になってしまう。
喜色に水を差されたと感じながらも、レミリアは小悪魔へと問った。
「どうしたのかしら、持ち場を離れて」
自然刺すような言葉になったことに、何となく吸血鬼は苦みを覚える。
そうではなく正直に大丈夫かと、聞けばよいのにまるで咎めるように。
私は愛の実存を知っているのだから、他人を愛してやればいいのに、でもと臆病な彼女は実のところずっと思っていた。
しかし、実際のところレミリアは上位であり下位を汲むのはまだしも熱をすら与えるのは過分。
人の愛玩物に許しなく施しを与えるのはマナー違反だと、真面目なレミリアは信じていたのだ。
そんな全てを見通しておきながら、まるっと無視して無遠慮にもずいと寄った彼女は浴びる紅霧を美容に良さそうなミストですねと評した上で、こう言う。
「いえ。私はただ単に、お嬢様が心配でして」
「……お前は、今回の異変に不安でもあるのか?」
「そうではありませんよ。闘争ではなく、異変を起こす。根回し済み安全マージンをたっぷりとったお嬢様の幻想郷に対する構ってちゃん行動なんて、正直私にはどうでもいいです」
「はぁ……分かっているなら、何が心配だって……」
ため息と共に吐き出した、レミリアの言葉の尻は次第に窄んだ。
それは、ぷんとした様子の小悪魔が口元にまで伸ばした指先のために。
果実のように淡色の唇に触れるか触れないかの程度で人差し指の接近を止めた小悪魔は、吸血鬼に告げる。
「ひょっとするとお嬢様は――――運命は、良き時に掴まなければ離れてしまうこと、忘れていらっしゃるのではないですか?」
「…………そう、ね」
結構どうでも良かった、でも近くにあっては無視できない少女を相手に、レミリアは頷く。
レミリア・スカーレットは運命を操る程度の能力を持っている。だが、それは所有しているだけで司っている訳でもなければ、自由にすることですらそれほど出来ていない。
ただ努めれば何時か求めるところにたどり着けはして、そして結びに向かう直前が今だけれども。
レミリアは小悪魔のあまり好めない朱の視線に愛に届かぬ心遣いを覚える。
ハッピーエンド。だが、青写真一枚で永遠の幸せは約束なんて出来ないだろう。蛇足は生じている限り延々と続き、その中で最良を逃さないようにするのは。
やはり、彼女の言う通りに、怖じず照れず確りと欲しいものに手をかけることなのだろう。
それが出来るかと、歴史を忘れた朱は問い、全てを憶えている紅はこう答える。
「ええ。私は決してもうあの人を、一人にはしない」
愛してくれるなら、こちらも遠慮なく存分に。むしろ、歴史にだって記せない程の心を与えて、刻もう。
それが全てが私のせいでなくとも、全てが私のためになるようにした私のせめてもの償いだと、レミリアは考えていたから。
「そう、ですか……」
そんな思い違いに、小悪魔が失望に目を伏せたことに、レミリアはついに気付かなかった。
フランドール・スカーレットは、愛を否定している。
それに、間違いはない。
フランドールにとって、誕生日は忌日の一つ。クレバーな彼女は己がこの世に間違って生まれてしまったことくらい、分かっているのだ。
故に、生きているのは惰性だし、姉や父のようにデイウォーキングなんて吸血鬼らしからぬ所業なんて興味すらなかった。
彼女は今日も、四角い部屋で満足する。丸を想像で浮かべて、その円かさがどうも部屋の角にピタリとハマらないことに不満を浮かべながらも、まあいいやとそんな思いすら投げ捨てて、一人ぼっちに。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力。それは、フランドール・スカーレットという存在が危険視されるようになった根本である。
それに心もどこか引っ張られている彼女は不安定であるし、反して理知的に過ぎて吸血鬼としてはおかしな人間との婚姻なんてものを強行した父率いるスカーレット家のカラーにこれっぽっちも合致しない。
あれらはどこかおかしい。そして、そんな奴らの間から生まれた自分が狂っているのなんて当たり前だろうにとフランドールは結論付けている。
だから495年もの間、少女はずっと引きこもり。嫌に気安い母体を破壊したためか父はここから出るなと言ったが、そもそも出る気がないなら気楽なもの。
学びなど天禀持ちのフランドールには暇つぶしにもならず凡そ、停滞した時を生きる。
うざったくなるくらいに毎日顔を見せる姉は好んでいるし、何時かやんちゃのせいで剥げた翼膜を魔女が飾ってくれたことなどには喜びがあった。
だが、結局のところフランドール・スカーレットは、愛を否定している。彼女は酷く冷静に姉が起こしている此度の異変の目的を悟りながら、つまらなそうに呟くばかり。
「私は血を浴びながら這い出て生まれたことなんて、忘れたくなるくらい気持ち悪いことなのに、お姉様ったら随分それを大事にしているのね」
半ば呆れながら身動ぎ。そればかりで背中の宝石はぶつかり合って、りんと鳴る。
硬質なその響きこそ、フランドールの好みだ。柔らかいものの擦れ合いなんて、他所ですればいい。私は、ちょっと強めにぶつかり合って、くっつかない程度に離れて過ごすのが気楽。
「どうしてあの人達はこのベリーみたいになれないのかしら。くっつけ続きたら熟れ腐って両方台無しになるのが落ちなのに」
たらりとおやつのソースとして皿の白に貼り付いているのは、人の血。吸血鬼らしくその赤はまあまあ好きであるが、しかしクランベリーの甘みも好み。
互いに腐らせないように間引かれ育ったそれら三つを、フランドールはあんむと大口開けて一口でぱくり。口内でぐしゃぐしゃに破壊するのだった。
「もぐもぐ……どうして、お姉様達は壊して笑えないのかしら?」
疑問に関して、一人では答えが出ない。魔法で二つ三つに分かれてそれらと討論するのも楽しいが、今はそんな気持ちじゃないなあとただお皿に残った血液を指先で掬って舐る。
そして、少し血に酔いそのうち疑問すら彼女は忘れるだろう。それくらいには、愚かを気にしないくらいにフランドールは自立した少女であるから。良くも悪くも、他者に深入りする気はないのだった。
「同族という括りですらない家族ってサークルは、とても狭くって窮屈だわ。うふふ。その分、簡単に壊せちゃうから、手を出す気にすらなれないけれど」
もっとも、姉らの性分は、妖怪としてねじ曲がりすぎていると思うが、認めてはいる。
こちらを狂気と思うあいつらこそ、おかしいなとニコニコしながら。
「吸血鬼に救いなんてないなんて、当たり前だってのに。それなのに愛なんて求めた。虚無主義ならずとも、そんなの私達のエッセンスじゃないわ!」
と思えば、自論に頬を膨らましだす、引きこもり少女。
彼女はこのように情緒安定せず、しかし逆に思考は明瞭に一途だ。
「好きは好きよ。愛じゃない。そして、嫌いも愛とは違うし、熱源は愛ではなく、不変なものに愛は挙がらないわ。重力を愛と説くのは解釈違い」
そう、フランドールは父と姉が必死にそれで温もろうとしている愛なんて危ないもの、要らないだろうと冷静に思っている。
最低でも、姉のようにそれを希望として縋るようなものではないだろう。
「うん。だから壊しても私は悪くなかった」
それが、495年間のQED。
罪悪感なんてなくても、否定されたからには考え尽くすのが彼女なりの誠意ではあったが、それももう飽き飽きだ。
他人なんて勝手に幸せになればいいし、私だって勝手に幸せに過ごす。それで満足しないのは、強欲を超えて弁えていないだけの間違いだ。
「まあ違っても……私達は悪役よ?」
母の撫で付けるその手を嫌って壊した、リアリストなフランドール。
そんな酷く妖怪らしい所業、確かに場所が違えば花丸つけられたっていいものだろう。
そう、物語の悪として狂的なものとして採用されたところで何ら不思議ではない。
またどうも彼女は己が妖怪であることをイデオロギーとしているようで。
「――あの女の話をするたび、お姉様は私は悪くないって言うのは、どうしてかしらね」
だから姉と妹は通じ合わず、それでレミリアは凍えているのに、フランドールは別に私は好きだからいいやとするのだった。
「あら?」
フランドールは、しかし何かに気付いて一度地下から天井を見て。指先を求めるように動かしてから、気づく。
「そういえば、どうして私はこんなにお姉様のことを気にしているのかしら?」
それに、姉だからと即答が脳裏に来るが、あまりに彼女としてはしっくりと来ず。気になった彼女は自問に答えを欲する。
今レミリアが忙しいとは分かっていた。だが実際妹が姉を弄ぶのは多くの倣いであるのは識っているから、甘いあいつは許してくれるだろうと勝手に思い。
「うふふ……驚いてくれるかしら?」
少女は立ち上がり、この胸の心地よさが愛によるものなのかどうかを確かめるためにと扉へと向かうのだった。
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