空をふわりふわりの隣で、地べたを一歩一歩。
達者な足取りは、しかし永遠に続くものではない。
とはいえ、何だか懐かしくすら思える道のりを踏破するのが面白く、上白沢慧音は気づかず汗を額から垂らして石の階段を登り続けていた。
「っと」
「そういえばけーね、どうして階段を歩いてるの? なんだか大変そうだよー」
「いや……そういえばどうしてだろうな。私は飛べるというのに」
「なら、楽しようよ! このままだとお日様が落ちるのにも負けちゃうよ?」
「ふふ、別に私は日没と勝負をはじめた覚えもないが……いや、力を使うのは遠慮しておこう。それに折角だ。ルーミアも偶には地に足を付けてみてはどうだ?」
「えー……めんどくさいー。あ、でもよく考えたらけーねって面倒な人間だった! 同じ面倒なら、歩くのも好きになれるかなー」
「そうだ。息が荒れるのも、疲れに足が上がらなくなっていくのも味わってみると意外と面白いぞ?」
「うー……なんかとっても嫌な誘いだけど、けーねがそんなに誘うなら、一緒にしてみる」
「そうか……付き合ってくれて、ありがとう」
「わ、撫でないでよ、けーね」
険しき山にも登らず、涼しき湖にすら寄らず。狭き幻想郷を一回り、とすらはいかない小旅行。
その道程の最後に顔を出すことを決めていた、博麗霊夢の住処であるところの博麗神社への参道にて、上白沢慧音とルーミアは揃わない歩を合わせていた。
広いぴょこぴょこ金色を掲げる大きめ頭が隣で上下。しばらくは良かったが、歩行に慣れていることもない、吹けば飛ぶような妖怪は一歩を損ねた。
「わ」
「おっと。大丈夫かい、ルーミア」
「……うん!」
だが優しく撫でる手は、咄嗟にそのまま幼子の形を助ける導きへと変わり、しっかりと二人繋がる。
感じるは、温もり。美味しそうなこの中にはもっと熱があって思わず奪って抱きたくなるような命が奥にあるのだ。
それを知っていて尚、妖怪は今のこの程度を大事に、笑む。それが、親の愛を得た稚児の笑みと重なるは、果たしてどういったことか。
「っ」
禍々しき、妖怪。お前を得たい、食べ尽くしたい。しかし、果たしてそれは乳飲み子の欲求と何が違う。
命に突き刺さるほどに尖った同化欲求に、食欲。それらが人の持ち物から離れて恐ろしいまでに長じたのだとすれば、何という因果だろうか。
人は人故に、悪である。そんな決めつけなんて慧音は嫌うところではあるが、でもどう考えても悪い妖怪の一つがまるで大切な人のように愛らしければ、それは。
「けーね?」
黄昏に彼女の影の背は伸びに伸びて棒のように体を失わせる。
だが、逢魔が時に眼前の妖怪は何よりも確かであって、思わず彼女の握る手のひらも縋るようになった。
見て触ることが出来るからこその、実存。だからこそ、この子を否定なんて出来るはずもないと、上白沢慧音の心は叫ぶのであるが。
しかし、隣り合う少女の影は紅い斜光に歪むことなく彼女の形のまま。歪む半分人間の獣の隣で、闇はむしろその色を増しているようであった。
そして宵闇は、ほど近く。全ては黒一色に飲み込まれてしまう程度でしかなければ、愛も何時か見失う。
慧音という孤人は少女/妖怪が折り重なったルーミアという存在を受け、目眩とともにそんな妄想をしたのだった。
「ああ、なんでもない」
とはいえ、幻惑程度で足取りは変わらず。
彼女の熱も変わらなければ、思いの色だって一緒に違いないのだけれども。
近くなればなるほど、遠く。そんな思いを当たり前のように、その人は《《また》》したのだ。
「そう……なのかな」
だから頷きに、首を傾げるのはしかたなく。
そう、ルーミアには慧音が少し、遠くなったような気がしたのだった。
「はぁ……何かしら」
暮れの端。光の線を乱す日差しの帽子の輝きを縁側で覗いていたところ、表の方に気配。
それが悪いものではないと直感で覚えども、何にせよ他人来訪なんてものは、面倒。
とはいえ、居留守なんてしても面倒が後になるだけで特に何も変わりはしない。
なら、先に嫌なものなんて片付けてしまおうと、よっこらしょと博麗霊夢は立ち上がる。
緊張なんて何一つない、また優れた筋は鳴ることもなく思い通りに動く身体をむしろ億劫がって努めてのろりと少女は歩む。
「何だ、あんたか」
そして、境内にたどり着いたばかりで息を整えて居たらしき上白沢慧音を見つけた時に、急がなかったことを後悔している自分を霊夢は内心不思議がった。
よく考えずとも、こんな堅物先生と合うわけがないのに、目にしただけでちょっと胸が弾んだのはどうして。
まさか、私こんなのがタイプとかないわよね、と冗談めかして考えながらあえてふてぶてしくも来訪者の応答を彼女は待った。
霊夢の存在を認めてへにゃり、と笑んだ慧音は少し気まずそうにしながら口を開く。
「あー……こん……ばんは、かな。久しぶりだな、霊夢。魔理沙に私の来訪の予定は伝えてもらっていたとは思うが……夜分にすまない」
「まあ、私としては起きてる間になら何時来られても(平等に面倒だから)それを気にしないけど……でもらしくないわね。あんた、何かあったの?」
「ああ。まあ、端的に言うならばこの旅の友と別れてきてな。何やら彼女の方が門限が早かったようだ……ただ目当てのものは見つかったようで、何よりだが」
「ふうん……で、見送ってたらこんな時間に来たと。でも何。あんた妖怪まで連れてきたってのはどうして? 私にそいつ退治して欲しくって持ってきたって訳じゃないでしょ?」
巫女の勘として慧音が先にそれなり以上に穢れた存在と離れたのだと察したが、ならば霊夢はそれは良しとした。
だが、しかし眼の前でまるで彼女の《《子供のよう》》に背中に隠れる臆病者の歪の存在を少女は許せない。
博麗の巫女として妖怪を認めないこと。そして何より慧音の背中の広さと心地よさを知っているからこそ、霊夢は苛立たしく睨む。
ルーミアはその強い視線を気にもとめず、保護者にこう問った。
「むぅ……ねえ、けーね。ハクレイのミコってのは食べていい存在?」
「こら、ルーミア。人間は食べないんじゃなかったのか?」
「でも……ハクレイのミコは人間じゃないって妖怪たちはよく言うよ?」
「……少し違う。だからって命として下に見てはいけない。よく見てみるんだ、ルーミア。彼女と私、どう違う?」
慧音のそんな言。それを聞いた霊夢は何となく面白い言葉だと感心しつつも、しかし差異に上下を感じなければ孤独に死ぬばかりだろうなとも考えた。
そして屈んで妖怪と目を合わせる先生を見て、何となく複雑になる少女。
やがてよく見ろという言の通りに視線をきょろきょろとさせたルーミアは、最終的に頷いて言う。
「うー……確かに、よく似てるかも」
「はぁ? この堅物教師と私が? どこ見てんのよ……」
「まあまあ……なら、どうすればいいか、分かるかい?」
「うん……えいっ」
「ルーミア!?」
どうする。それに霊夢に対する弾幕の生成で答えたルーミアに慧音は吃驚。
掠めることすらなく逸れていく威嚇攻撃を見て思わず口をぽかんとする美人を他所に、子供たちはあっという間に火花を散らせる。
「食べられない偽物なんて、私がやっつけてやるよっ。ねえ――――形だけのハクレイのミコ?」
「っ、上等!」
にこり、とした笑顔だって極まれば裂けかねないほどに醜悪に。
そんなもの見たくはなかったと思う慧音を他所に、今度は怒気に柳眉を逆立てる霊夢。
「このっ!」
「ふふ」
実績不足でも次代と選ばれたことを多少のコンプレックスにしている彼女は、痛いところをつかれたことで臨戦態勢から疾く迎撃へと移る。
闇の妖怪の弾幕なんてどうでもいいとばかりに二歩で距離を縮めた霊夢。刀の鋒のように向けられる力に輝く札を見て、しかしルーミアの笑みは揺るがずに、封印からすら漏れ出す妖力で持ってそれを逸らす。
あわや、といったそんな間近で起こった戦闘の始まりに。
「はぁ……」
強者、上白沢慧音はため息を禁じ得ず。
「二人共、止めなさい」
でも、ちょっと二人の《《親代わり》》を気取って、叱ってあげるのだった。
「あ……」
「っ」
その、効果は絶大。
冷静な一言に力は何も乗せていない。
とはいえ、柔らかさから一転冷たい突き放すようになった慧音の声音に背筋をぶるりと震わせた子供たちは、疾く停戦とする。
短い一歩。そんな歩み寄りにむしろ怖じる霊夢に慧音は軽く頭を下げてから、淡々と続ける。
「霊夢。押しかけてその上迷惑だけかけて、本当に申し訳なかった」
「あ、うん……それは、いいけど……」
「失礼かもしれないが、恥の上塗りをする前にここで去ろう。だがその前に一通の手紙を受け取っては貰えないか? 私の恩人から八雲殿に向けた文なのだが……」
「……はぁ。仕方ないわね……何時になるか分かんないけど、あいつに渡せばいいんでしょ?」
「ああ。すまない」
手渡された、一通。
妙に月夜に輝く白を目を細めて伺ってから、一転して同じように闇に金色のルーミアを霊夢は見つめる。
そして何となく察した彼女は意図返しとう訳でもなく、事実を伝える。
「はぁ……そっちの、ルーミアとか言ったわね」
「っ、なにさ!」
「何でもないわよ。ただね……あんたも形だけその人の隣にいること、止めたほうがいいわよ」
「っ!」
「ルーミア! それでは、失礼する!」
言から逃げるは、本当の証。真を突かれた妖怪は、これ以上明かされないように、逃げる。
何となく、それは可哀想でもあるな、とぼうと霊夢は思う。
「はぁ……」
また、少女を追いかける慧音の背中に思わず伸びそうになった手を押さえるために動かしたことで鳴ったカサリという紙の音。
それに闇へと消えた嘘のような彼女らの実存を覚えた少女は、それを検めて。
「はぁ……何よこれ。封空いてるじゃない……宛名は……稗田……って、阿求ちゃん?」
そこに知り合いの名を発見し。
「え、これ妖怪同士が用いる契約書じゃない……どうしてあの子が……というより命名決闘法案ってなによ、だっさい名前ねぇ」
やがて霊夢は一度誰かの手によってなかったことになったスペルカードルール、という《《誰かの夢》》のような人と妖怪が傷つけ合い過ぎないものが流行る世界に向かうための切符を手にしたのだった。
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