第十七話 私に会いに来てくれたら

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

「ん……」
「よし、よし」

母娘の関わりは別に、静謐でなくてもいい。
柔らかな触れ合いに、元気に怒りを向け合うことだって自然なこと。
だから、今の私達はきっと間違っているのだろうなと、上白沢慧音は思っていた。

夜のさざめきに、言葉にならないものばかりを少しずつ。そんなの、少し柔らかすぎて、辛い。
でも優しく弱かった母と照れ屋の父に教わった愛し方はこれくらいで、でもその他の方法を文という平坦なものにて見知っている親はだからこそ、今の自分はこの子のためになり足りていないと感じるのである。

「はぁ」

無論、そんな勘違いを子たる博麗霊夢はこれっぽっちも考えてやしなかったが。
この恐る恐るの触れ合いにだって、満足だ。なにしろこれこそが母の懸命だと理解しているから。
私達は、私達でそれでいい。それを誰もかもにも認めさせるのだ、と娘はこれまでひたすらに頑張っていた。

ひと月ごとに背中に感じるちょっと変わった母のぬくもり。そればかりを頼りにして、一年以上頑張り続けてとうとう至りそうな成果は無類のもの。
最低でも、あの貴女達のことなら何でも識っているとでも言わんばかりの面をしたあの八雲紫が瞠目する程に、今の霊夢は未踏なる域に達していた。
もう少しで、何かを掴める。そうしたら私は真にこのヒトのためになれるのだ。

「よいしょ、っと」
「……霊夢?」

だから、と少女はその場から独り立ち上がる。涼しさが、少女の背を風として薙いだ。
背中越しに撫でていた小さな我が子を失い、乏しさばかりを覚える慧音は首を傾げる。

もっと甘えていいのに、と言わずとも面にはっきりと出す母。
貴女のためになることこそ、本意であるのだからと折角の少ない再会が疾く終わってしまうことを彼女は悲しむ。
慧音が向けてくる眦の奥の紅の宝石は今にも落涙を溢しそうだ。ああ、こんなの、本当は嫌で嫌でしかたないのだけれど。

しかし子はその優しさこそ今の自分の枷だと理解していた。
スキマ妖怪は、何一つ囚われることなくなったらきっと貴女は最強なのに、とそんなことを暗に口にしたことがあり、また隠れて見た博麗の書の最奥にも同じような文句があったのは霊夢も識っている。
だから、そろそろこの柔らかさからは決別しないといけない。それが親離れというのなら、悲しくも悔しくも、互いのために。

震える唇をもって、霊夢は久しぶりに慧音に向けてこう口にする。

「……母さん」
「っ、霊夢! 私は……ただお前の母に似た妖怪で……」
「いいのよ。私は理解っていた……でも甘えていたのよ」

そして、このままごとを止めるための続きを少女は口にした。
ああ、何もかもが甘えだ。そもそも、元の鞘に収まるように幸せになろうとしていることも、何時だってこの人の温もりを忘れられないことも、甘ったれ。

でも、それが無くては私は私ですらない、ただの博麗の巫女という名の機構。里のお偉方はそうあるべしとでも考えているのかもしれないが、しかし。
慧音という霊夢をこれまで育んでくれた人は、首を振る。そうして、甘えても良いのだと、少女に言ってくれるのだけれども。

「そう、か……でも、それで良いんだ。なにせ私は霊夢の母で……」
「これで良い訳……ないわよ!」

だが、その言葉にこそ霊夢は檄するのだった。
このまま現状に甘え続けて何がいい。貴女は貴女が護るよう勤めてきた里人にも満足に認められず、私は人柱として貴女と離れて。
そんなの嫌だ、嫌だと年端も行かない少女は駄々をこねる。

「何、私は月に一度隠れて貴女に遭うだけで満足しろとでも言うの? 誰にも認められずに、別れて暮らしていて良いと? 貴女は、私の全てなのにっ!」
「それは……」

本音は言わずとも伝わる。そんなの幻想であり、そしてこのわからず屋の親には叫びでもしないと伝わらない。
貴女は私に好きだと飽きるほど言った。でも、私が口にした多少の好きを貴女はどれだけ本気にしていたか。
そんなことないと、霊夢は似合わぬ情に怒る。

「あ……う」

親には子が暴れて翻る巫女装束の紅が、捲れる白が、全てが神聖さではなく弱さを表しているようで。
だから、そんな子供らしい我が子の様を見た親が理解とともに涙を溢すのは当然。
自分が課してきたあまりの重みを、ここまで歪ませてしまった痛苦を今こそ知った慧音は顔を青くすらしたが、それすら望みではないと霊夢は更に眦尖らせる。

「私はね、私は……幾ら貴女が私を忘れても、棄てようとも、誰が認めなくても、私は博麗霊夢! 私は博麗慧音、貴女の子供だっ!」
「っ」
「――――それを認めさせるために来月、私は貴女と対決するわ」

喚いて、泣かず。
ただそれだけ一方的に言って、霊夢はどしどしと去っていく。

熱情の後に、感じるのは春先の寒さばかり。努めて反駁せず、でも受け容れるには辛い言葉ばかりを飲み込んだ慧音は。

「ああ本当に、子は、親を離れていくものなのだな……」

思っていた以上に我が子が子供であり、また成長していたことだけを理解し、勘違いを募らせてしまうのだった。

 

ひと月、というのは大人には短く、子供には充分に過ぎる。

また一緒になるために一度、決別をした。
だから、少女は独りに空を飛ぶ。

深々と、薄弱と。全ては己に無関係な理として、空を飛ぶ程度の能力をのみ頼りにした子供は。

「――――」

やがてその極みへと、到達する。

「……母恋し。それだけで、子供はここまで強くなるものなのね」

皆伝。博麗霊夢をその唯一の巫女とした八雲紫はよく掃かれた境内にて、そう溢す。
だからこそ、その優しい瞳はついに霊夢にも確りと向けられるのだった。

「……可愛い、子たち」

この多情に溢れた歴史に紡がれる世界にて、ただ一人の無敵。
それこそ、哀しいものであると、妖怪の賢者こそが知っていたから。

 

「はぁ……」

雌雄を決し戦うために歩むこと。そして何度も通った神社への石段を踏むのが、こんなにも今は嫌である。
ルールは不殺の弾幕ごっこ。だがそんなものをして上下を付けたところで、何が変わるのだろう。そう、及び腰にも慧音は思ってしまう。

霊夢は単純にも、慧音を下すことさえ出来れば、皆揃って認められて万々歳と考えているようだ。
だが、それは違う。
認められないほどの強力をすら倒してしまうものは最早バケモノ。そんな認識の広がり方だって有り得るのだ。
勝負に何の意味もなければ、下手をすれば霊夢すら排斥されてしまう可能性もあった。

「だから、私も負けられない」

そう、親は結論付ける。母とか先代巫女の面子だの何だのは心よりどうでも良い。
ただ、私が向けられることのある畏怖の視線をあの子が受けるようになるのは耐えられないという、勝手から慧音はそう決める。
嫌われてもいい人間なんていないけれども、それでも嫌われるなら私だけでいいと、そう間違えてしまうのだった。

夜に至る前。曖昧な橙色。暗く長過ぎる階段の奥に怪物のように大きな鳥居。
隙間時間の黄昏時には正しいものは何一つ伺えない。
長く伸びる自らの影すら禍々しく、そこから伸びだしてきた二つの角なんて最早、冗談のようだった。

私は私。だが果たしてそれだって本当だろうかと、思えるような移ろいだ心地。
ふと酸欠に喘ぐように空を見て、やがて彼女は空を飛ぶ彼女を見つけた。

「時間、ぴったりね」

嫌気と弱気ばかりが身を蝕んでいても、生真面目な慧音は時まで過つことはない。
太陽は沈み、人と妖獣の力重なる夜が来た。咲き誇る桜の数々は月夜に栄え、花天月地の盛りにて神社は静か。
そんな、闘争の気配なんて欠片もない夜に、願うように慧音は呟いた。

「霊夢、私は霊夢と戦いたくない」
「そう。でも私は母さんに勝ちたいわ」
「そうか」

本来、親は子の願いを叶えるものだ。最低でも、慧音はそうあってもいいと思っている。
だが、自身が子を天秤に乗せることを忘れるくらいの、親足らずであることも知っていた。
ならば、私はこの子を幸せに出来ず、でもだからこそ不幸にはしたくない。そう広い育てた親は考える。

だから、答えは一つ。すうと、音もなく霊夢と対等に浮かんだ慧音は常々秘めていた妖力と霊力を爆発的に広げて、言う。

「なら私は母として教えようか……願いは叶わないことだってあるということを」

父は事故に死んだ。母は学び足りずに救えなかった。そんな慚愧を忘れずに、忘れられずに愛すべきだった霊夢をどうして私はあの時忘れたのだろう。
慧音が何度したか解らない自問の答えは一つ。

それは、自分が人として巫女としては勿論のこと、親としても間違っていたからだというもの。

恐れから先生との答え合わせすらしていないそれ。でも、慧音という頭でっかちに過ぎる女性はそれを独り信じ切っていて。

「知ってるわよ、そんなことっ!」

だからきっと、そんな貴女が良いのという子供の悲鳴すら、もう届かない。
霊夢は知らず、構えていた御札を歪むほど強く握った。

 

「くっ、夢想封印!」
「温い」
「なっ……!」

最高の巫女、博麗慧音。
妖怪の山から生きて帰れた唯一の人、龍神をたじろがせた、風見幽香の唯一の友達。彼女を指し示した強さの逸話は数限りない。
だが霊夢が子ゆえにそれを信じられていたかといえば、否であるだろう。

どこか間抜けで、それでいて底なしに優しい。
そんな母が勇ましく戦う姿を想像するということに無理がある。だから、茫漠とただ強いのだろうとは思っていたのだ。

「これなら……きゃっ!」
「起こりがわかり易い……全く、紫も教えが大雑把だな……手数と威力だけが拳闘ではないぞ?」
「散!」
「ううん……今度は狙いが荒すぎるな。これでは避ける意味もない……」
「っ」

しかし実際戦ってみてどうだ。いや、これは本当に戦いになっているのだろうか。
技の一つ一つの弱さすら見切り助言し、霊力込めた拳をすら流すこともなく受け止める。
これでは、稽古を付けられているというのが精々。真に子供扱い、であるのだろう。

「今度は……陰陽鬼神玉!」
「次は陰陽玉の形の気弾か……なるほど、こんな風かなっ」
「相殺っ……」
「確か、似たような技が書に残されていたな……流石だ、良く勉強している」
「どう、もっ!」

全力の新技ですら瞬く間に模倣されて花火のような美しい光とともに打ち消された。それに冷静な評どころか、二重丸まで返ってくるのだからたまったものではない。
まるで本気を出させるどころではない、断崖。付け焼き刃に纏ってきた技術では、この極みの研鑽には一切届かないようである。
霊夢は次に後ろに浮かせた陰陽玉を強かにぶつけようと操作してみたが。

「なるほど陰陽玉か……普通ならこの秘宝は人妖に対して有効な代物だが……」
「……停まった?」
「霊夢。私が先代巫女なのを忘れていないか? これでも、まだ博麗の巫女の力は消えていないようだ……一時的に権限を移行させて貰ったよ。ほらっ」
「ああっ、もうっ! これは敵に塩を送る、どころじゃない失態ねっ!」

次は逆に陰陽玉を奪われ、瞬く間にそれを用いての攻撃をされる羽目になる。
そしてまるで見せつけるように、その願いを叶える力すら秘めているという至極の玉は、惑星のように慧音の周りを動き、巫術や針を用いた技の全てを無にしていく。
隙を突くために亜空間へと入ろうとしても、それを読んでいた慧音と目が合い微笑まれてしまう始末。
これには、霊夢の小さな唇から文句が転がり出てしまうのも仕方なかった。

「紫めっ、今なら戦いになるかも、とか嘘ついて!」
「あはは……まあ、今は満月で調子もいい。そもそも何より私は霊夢を誰より見ているし、博麗の術に関しては熟知している。そのために完封出来ているが……大丈夫。霊夢は十分に強いよ」
「ありがと、うっ!」
「おっと……」

間隙を作るために、手持ちの針を全て空間に投じた霊夢。その狙いに従うように大人しく下がっていく慧音に、少女は苛立ちを増させる。
実際、力量として霊夢は大妖怪にだって負けていない。単純な力比べなら、慧音とつり合い取れずとも多少は勝負になると他所からは思えていた。
だが、知と観察で勝負する先代巫女が妖力も強かに翻弄してくるのだから、霊夢はたまらない。
後の先を取るためにか様子見をしてくる相手を前に息を吐きながら、彼女は呟いた。

「はぁ……止めよ止め。これじゃ敵いっこない」
「なんだ霊夢、降参か?」
「んな訳ないでしょ? 今までは同じ土俵でやってたから、そりゃあ先代に勝てなかったりするわよね……悔しいけれど」
「なら、霊夢。お前はどうするというんだい?」
「こう、するのよ」

胸を抑え、一呼吸。
それだけで遠くなる全て。己すら果たしてそこにあるのかと解らなくなるくらいの、浮遊感。
全てに対する隔意のような心。浮くには、何もかもに囚われてはいけない。孤独はしかし何にも勝る全能感を覚えさせ、その言葉を紡がせた。

「―――夢想天生」
「うおっ!」

霊夢から乖離するありとあらゆるマテリアル。
しかし、完全無敵の状態となった彼女は何故か別位相から弾幕を発生させることが可能だ。
七色の御札。数多の連なりはまるで景色の虹。空にみっしりと発生したそれらの攻撃を受けることになった慧音は一転、大変である。
昔とった杵柄で上手く避けながら、ただ娘の至った位置に寂寥を覚えながらもこう称賛せざるをえなかった。

「もう博麗の秘奥義まで……凄いな」

そう、これはありとあらゆるものから距離を取ることが可能になった際に使えるのだという初代博麗の巫女が一度用いたと言われる秘奥の業。
その有り様が最早禅的で、これまでほぼ全ての巫女が絵空事だと諦めたそれに、この若さにして自分の娘は手をかけていた。
少し自分から見ると僅か近く完全とはいえなさそうな無敵ぶりではある。だが、慧音もこの孤独を基にした業を修めるまでに至った努力は褒めざるを得なかった。

「――――貴女でもこれを修めるのは無理だったと聞いたわ。そうよね。母さんにこういう業は……」

慌てて札や霊力の玉から逃げている慧音を見ながら、彼女とは少し距離を取り切れていない自分を覚えながらも、霊夢は満足を覚える。
この人だけからは空を飛ぶことは無理だ。これで限界。でもそれで良し。
このまま続ければきっと勝てるだろうし、まさか人好きの母がこの真似事まで出来るわけがないと高をくくって。

「ああ、なるほど。その業か。確かに苦手だったが……」
「えっ?」

「出来なくは、ないな」

――――夢想天生。

故に、少女は絶望を覚えたのだった。
発声は小さく、しかし効果は確かで。

「さあ、今度もお手本を見せてあげようか」

誰からも遠く離れた母は正しく、無敵。

ああ、誰より近いはずだった、貴女が遠い。

 

「ごめんな、霊夢」
「ううっ……」

慧音は真っ先に墜とした霊夢に謝った。
それは、自分が勝ってしまったことに向けてのこと。思い通りにならない現実を教えてしまったことに拠るが。

「……謝らないで、よっ!」

それが、何より落涙止められぬ霊夢には辛かった。
ああ、この人のことが分からない。間違いなく好きと言ってくれたのに、私のことから平気で離れて行って、さっきなんて心まで離しても気にせずにいた。

夢想天生というものが、生半可な心根で可能になるものでないというのは、天生の少女である霊夢だからこそ理解できてしまう。
これは、修羅を超えた諦観や、そもそもに対する期待のなさや神に似た心に拠って可能になるものだ。

「あ、あああぁあぁーん!」
「霊夢……」

即ち、母はこれまで私と一緒に居たのに私よりもずっと独りぼっちで。私を温めてくれていた彼女はずっと孤独に震えていた。
そんなの、娘にとってはあまりに悲しいものだったのだ。

たとえ孤独が強さの源になったとしても、それでも博麗霊夢は愛されてはいけない可哀想な人間では決してない。
それを教えてくれた人がどうしてこんな。
ただ自分が天生で苦しみを抱えていたとしても、親には幸せであって欲しかった。そんな願いが破けて。

「こんなに辛いのなら!」

そして痛みに壊れた心は。

「私は貴女の子供じゃなきゃ、良かったっ……」

そんな、本音を溢すのだった。

 

返答は、静寂。あまりの何にもなさに、おかしいと思った霊夢は眦拭って周りを望んでみたけれども。

「母、さん?」

最早暗がり以外に何もなく。
そうして、慧音は霊夢の前より消える。

 

全てを横に見ていた彼女はそれを拙いと思った。

取り乱し、薮に駆ける彼女はまるで獣。手足を怪我させ、それでも止まらぬ激情は悲しさからか。
悲鳴のような声は女性の口の端から止まらず漏れゆく。

「う、うううっ!」

涙だって滂沱のようで首元を汚す。だが脚は、根との衝突により停まった。
転がり、地に汚れる慧音。だがそれを好機と見た彼女、八雲紫は隙間から現れ、声をかける。

「慧音!」
「ゆ、かり?」

ぼうとした赤が少女を捉える。
それに恐ろしさを覚えるのは、霊力妖力が紫すらも届かぬ程の量彼女の内から溢れ出して荒れ狂っているからか。
だが、それくらい知恵のある者であるからには我慢できる。
我慢出来ないのは、二人の自分の子供のような彼女らのすれ違いからだ。

「慧音……あの子が言っていたのは本当のことじゃなくって……っ!」

好きだから、苦しい。そんなこと■■■■■■・■■■だった妖怪だって知っている。
だから、一緒になりたいし、苦しみ分かち合いたいのに。でも、目の前の子は、誰知らず孤独だった歴史のみを頼りにしていた人妖は。

「いいんだ。紫――――親は、親であるために子を泣かすべきではない」

それを、識っているのに、理解らない。

「そんな親はもう、親でなくっていいんだ」

自分が孤独に苦しんだから、苦しめたくなかった。そんな心があったというのに、あの子も孤独に苦しめてしまったという悲しみ。
それが、先の我が子の本音から指向性を持って、慧音の周囲に蠢き出す。

それに触れた途端に変わり、歪みゆく幻想。全てを察した紫は驚きとともにこう叫ぶ。

「慧音、貴女は歴史を隠すことしか出来ないはずじゃ……!」
「そう、紫。私は――――月の影響の元ハクタクの半獣としての色が強くなった私は、歴史を創ることが出来る」

この子ならば大丈夫と信じていた。でも、彼女は実は私を心の底より信じていた訳ではなかったのだ。
何も、本当のことを語って共有してくれていなかった。それを歯噛みとともに、紫は慧音の告白から知る。

「はは……」
「っ!」

絶望とともに巻き起こる、緑の迅風。
冷静な紫の賢者の部分は、何をするかも理解らないこの子の首を今直ぐスキマにて撥ねてしまえばいいのだと考える。
だが、それを押し留めるのは、慧音が教えてくれた人と隣り合う妖怪の部分。この子なら、間違いすぎる筈はないのだという確信。
それこそ慕情に似た、執着。ぎしりと、紫の手の中の扇が砕けて。

「慧音――」

最後に選択しようとしたのは対話。

どうしようもあったというのに、そんな愛に手間取った妖怪の前でそれは成ってしまう。

「霊夢」

「もう、そのときは私は霊夢の母ではなくなっているだろうが、それでも……」

「また――――私に会いに来てくれたら、嬉しい」

世界の創造。それは神の権能であり、ハクタクたる彼女ならばそれに届く。

スキマすら埋めるのは、白。

やがて、全ては一人の孤独の色に塗りつぶされ、そうしてこの世から『博麗慧音』という存在は消え去った。

 

けれども。
だから、彼女ばかりはべたりとこの世に残る。

「私は――――誰だ?」

私は私と思うことすら出来ない、ただの居場所を失った白色ばかりはこの世には残り。

「ん?」

ぎいと開く彼女の後ろの扉。それが全てを裁断する前に。

「はぁ、はぁ……間に、合わなかったわね……」

間に合わず、それでも寸前に防げた一人の月人は高く持ち上げるべき頭が下がるほどの駆け足に息を荒れさせる。
大人しく閉じた背後の扉の音。そんな何もかもすら理解できずに首を傾げてクエッションマークを転がし続ける彼女は。

「貴女は? そして、私は誰、なのでしょう……」
「私は通りすがりのただの薬師。そして貴女は……上白沢慧音。白沢の、半獣よ」

先生だった彼女、八意永琳からそんな正解ばかりを、識ったのだった。


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