十四話 空を飛ぶのには身軽な方が良いのだけれど

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

辻垣内智葉は、臨海女子麻雀部の部長である。
そんな智葉は、常日頃それらしく部内の様子を見渡すことを癖としていた。
もとよりその気風の良さと貫禄、そしてとある事情から学校の外ではお嬢とすら呼ばれる彼女。
カチャカチャうるさい部室内に都度鋭く目を配るなんてそんな苦労すら智葉は仕方ないの一言で軽々と背負ってしまうものだった。
勿論、それでいながら合間合間に闘牌に励んで自分の麻雀を腕を磨き続けることにも余念がないというのだから、全国の女子高校生の中でも二番目の麻雀巧者として知られるだけはあるのだろう。

「ふむ」

さて、真剣に挑む際ではないからとあえて髪型を纏めてこそいないが、智葉が全てを見逃すまいと眼鏡は外さず広い部室を巡回するそんな中、いやに静かな卓があった。
誰より真面目な部長にあてられてか鋭い雰囲気の中、しかしそこには消沈とその上で笑みばかりが浮かんでいる。
ひと目で判ぜるくらいにはっきりしていたのは、勝敗。智葉はどうやら全員をトバしたのかと、一人にこやかにしている少女、ネリー・ヴィルサラーゼを認める。
そして、運の波を調整できる異能を持つ彼女相手に押しきれなかった三人の同輩に叱咤や同情するより先に、智葉はネリーにこう声をかけるのだった。

「随分と、落ち着いたな」
「んー……そうかな?」

子供のように愛らしく首を傾げる少女に、智葉は点頭をして云とだけ返す。
ネリーは少し前から偉ぶらず、ただ自分の勝ちに喜ぶばかり。そんなのらしくない、と思えてしまうあたり自分はこの子の棘に毒されていたのだな、と智葉は思う。
いや、或いは最初から披露していたそんな偽悪こそがこの子の味とすら考えていたのだ。それが、見知らぬ場所に来たばかりの幼子の威嚇のようなものだったのに気づいたのは最近のこと。
部長として心緩めさせるべきだったところを助けられたものだと、内心智葉はネリーが変わったその日に出会ったという白糸台高校の男子に感謝するのだった。
度の付いた硝子越しに大粒の瞳を向ける少女を見つめながら、智葉は少ない記録を反芻させる。

「たしか須賀、と言ったか」
「うん。キョータロ」
「男だな」
「うん。すごく背が大きいんだ」
「そうか」

全員トビという結果からやっぱりネリーちゃん強いね、とか能力者の牌の捨て方は特殊よね、とか語り出している卓を囲んでいた三年生達を他所にして、二人はそんな会話。
短いそれらはすり合わせ、というよりも既知の情報確認。相変わらず、友には披露してもいいだろう情報をあえて狭めているネリーからは、感謝すべき相手の姿が今ひとつ伺えない。
なにか言いたげにする智葉を笑い、ネリーはこう続けるのだった。

「もっと教えて欲しいなら、お金が必要だよ?」
「……それほどに、独り占めにしたいのか?」
「うん!」

それ以上続きを知りたいのなら、課金。もっともそれは、本当にお金が欲しいからという訳ではなく、ただこれ以上聞いて欲しくなかったから。
独り占め。そんな言葉に大きく頷いて、ネリーの柔らかなほっぺに紅が宿る。そんな健気な色こそが、少女の本音を暗にではなく明確に語っていた。
幼気ですらあるその様に少し唇尖らせてから、智葉は感想戦を行っている皆を知りながら誰にも聞かれぬように、こう呟く。

「色恋、か」
「……ネリー、何かおかしい?」
「いや、はじめてなら、そんなものだろう」
「そう、なんだ……」

それなら良かったと口の端に笑窪が出来る程に笑み深めるネリー。あの天邪鬼が今やまるで天使のようだなと、智葉はぼうと感じる。
初恋。そう、はじめての胸中の白雪なんて、大切にしたくなるのが当たり前だった。
そんな心地なんて、一度ほど後悔に荒らしてしまった智葉なればこそ、理解できるもの。

とはいえ、それに気を取られすぎて麻雀を疎かにして欲しいとまでは思えないが、しかし三倍満を二回ツモ和了りして捲くった今日の調子を見れば文句なんて言えるはずもない。
それに、惚れた腫れたにあえて触れようとするのはあまりに、野暮天。
ただ、少しこの子が騙されてないか気にはかかるが、それだって余計なお世話とは理解っている。ならば、と彼女は少女の天輪の変わりにキューティクル輝く頭髪に遠慮なく触れた。

「本来なら先輩として弛んでいると叱らなければならないのかもしれないが……」
「わっ……むぅ」

そして優しくひと撫で。
唐突な子供扱いに、驚きの次に不機嫌を覚えてじろり睨めつけるネリー。それを愛らしいものとそよ風と同じく受け流した智葉は。

「なあに、ネリー。お前は少し弛んでるくらいでいい」

小さくそう告げて、背中を向けるのだった。そして、部長は牌譜を検討している大勢の元へと去って行き皆のためにと消えて。

「ありがと……智葉」

その場に一人残ったネリーは、幸せな今を認められたことに、じんわりと温かいものを胸に覚えるのだった。

 

ネリーは幼少期からずっぷり浸かっていた貧困により、日本に来る前後に実力で不自由ないレベルの金銭を得た今もかなりの吝嗇家だったりする。
それこそ、私服なんて量販店のティーシャツとパンツでいいじゃんレベル。彼女は子供服の店で見つけたセール品を着てうろつくことがここ数ヶ月の常であったりした。

とはいえ、流石に恋をしては意中の人の前くらいお洒落したいというのは当たり前。
以前、初邂逅の日の最後に押し付けたコミュニーケーションアプリのID。確りそこから京太郎と連絡を取ることに成功し、遊びに行こうと誘ったその後。

何よりネリーが困ったのは、デートに着ていく服について、だった。

流石に、変なキャラクターがプリントされてたりするひらひらお子様服を着込んだ状態でいい雰囲気に持ち込む自信はない。
さりとて、急に翌休日のために服を買う時間も、そもそもどこで流行りの衣類を調達すればいいか分からず悩み。
もうこうなったら故郷の民族衣装が一番上等だから、それで行こうと血迷って実行し。

『ネリー、普段中々派手な服着てるんだな……』

結果、そのあまりに普段着らしくない様相に、京太郎に突っ込みをいれられてしまったのだ。
全てを白状した結果、今度一緒に服屋行こうなと肩にぽんと手を置かれてしまい。
その日、落ち込みのあまり仔細を覚えられなかった原宿デートの後、帰ってネリーが荒れたのは、言うまでもない。

「……おかげで、二回一緒に遊べたと考えたら良いけど……」

翌週の日曜日。
梅雨の雰囲気残った薄曇りの天気の下、彼女らは少し渋谷の駅近くにて待ち合わせ。
前回の喫茶店やゲームセンター等を周ったそれらしい――残念なことにネリーは心暮れていたためその殆どを忘れている――遊行とは違い、今回は服を見繕うばかりの予定。
それでも、二人ならば楽しめると思うネリーではあったが、今回実は二人きりという訳にはいかなかった。

「おはよう、ネリー。先週ぶり、だな」
「……おはよ」

京太郎と挨拶を交わした後、彼の手を引き隠れている様子の相手に先輩から一時借りた服を着た彼女はジト目。
そんなネリーに京太郎は苦笑しながら、これまで案内を続けてきた背中の方向音痴――ポンコツ少女――を前に差し出すのだった。

「ほら、咲」
「お、おはよう。えっと……ネリー、ちゃん?」
「おはよ。うん、ネリーはネリー。宮永は、宮永だよね?」
「あ、うん……私は宮永咲。よろしくね?」
「うん……」

多少人見知りの気があるためか恐る恐るな咲に、気のない返事のネリー。
彼女らの天真爛漫な普段を知っているだけに二人の相性は悪くないと思ったが、どうにも一方の機嫌ばかりは悪いなと京太郎も苦笑を続けざるを得ない。
何だかんだ二人で気休めのためのデートの真似事――京太郎はそんな風に勘違いしている――をするのは頼られているようで男子として嬉しくはある。
本来なら京太郎も何故かネリーが先週ずっとぼやっとしていた分を二人でこれから取り返したいとは思うのだ。

「あー……咲。改めて、ネリーの服選び、頼んだ」
「うん! それは任せてほしいな」

だが、如何せん京太郎には異性の服飾に関して造形が深いタイプではなかった。
今回、一つの用事すらこなせないようでは良くないと――ネリー的には二人でぶらつくだけでも良いのだが――彼はそこそこ豊富な助けの手を求めたのだ。

だが、今日に予定が空いていた女子は咲ばかり。
流石にわざわざ長野から上京するのは大変というか、また一人で見知らぬ場所へ向かうのは彼女方向音痴的に無理なこと。
これはどうしようと頭を抱えた京太郎に助けの手を伸ばしたのは、なんと熱烈な京咲派である高久田誠だった。
誠は、東京までの送り迎えを買って出て――何やらちょうど渋谷に行ってみたかったからとかなんとか。彼は今回咲を活躍させるためコーデのイロハを教えてくれすらした――その尽力のためにこの一年生達の組み合わせと成ったのである。

そんなことつゆ知らず、咲のなだらかな上から下までを見、どこか胡乱げにしながらネリーは問った。

「……宮永、センスあるの?」
「えっと、センスには自信がないけれど、沢山調べてきたから大丈夫だよ」
「……ホントかなー」
「まあ、咲が変な服出てきたらネリーは拒否しても良いからな。ただ、俺じゃ意見の一つも出来ないから、頼んだだけだ」
「あっ、京ちゃんも実はあんまり信頼してない! 全く……そんな私野暮ったい格好してるのかな……」

京太郎とネリーとの会話を聞き、ネット情報と誠から知った基礎の基礎で無駄にファッション全能感を得てしまっている咲はぷんぷんだ。
せっかく頑張って東京まで来たのに京ちゃん優しくない、と彼女は頬をふくらませるのだった。
だが、当の京太郎は話を半分に聞き流してしまい、むしろネリーこそが一言を聞きとがめる。眉をひそめて彼女は問う。

「キョウチャン? それってキョウタロのことだよね?」
「ああ……あいつら姉妹揃って、なんでかその呼び方を気に入ってるみたいだ」
「ふーん……そっか」

やれやれと巫山戯る京太郎に、ネリーはしかし気が気でなかった。
からかい。それが仲良しの証拠だとは彼女も知っている。
そして、友情だって恋愛からそう離れていない好意ではあるのだ。
ネリーは改めてこの前年の《《インターミドル個人戦チャンピオン》》のことを厄介な敵だと見定めて。

「行こ、キョウタロ!」
「うぉ」

でも、もっと気安いのが自分なのだと乙女は発奮するのだった。
ネリーは舌を出しながら大柄の彼の手を引いて人混みの中駆け出す。

「ま、待ってよー!」

見知らぬ土地、更に己の性質からも遅れたら迷子になることくらい流石に理解っている咲は必死にそれに続くのである。

 

「疲れた……」
「キョータロ、お疲れ。飴なめる?」
「ああ、助かる」
「私も疲れた……」
「宮永も、お疲れ。宮永にはさっき貰ったティッシュあげる」
「それって、押し付けられたものを私に押し付けてるだけじゃ……ネリーちゃん塩対応過ぎるよ……」

子供は元気。或いは子供っぽい少女も同じように元気の塊なのだろうか。
ベンチに寄りかかりながらそんな益体もないことを考えてしまうくらいに、古着屋を中心とした数時間の行脚を終えた後もネリーは元気いっぱいだった。
元々ショッピング力の低い京太郎はおろか、本屋で鍛えていた筈の咲ですらぐったりであるというのに、服の着せ替えを楽しんだ当の本人はそのまま笑顔。
彼女が持とうとかと提案しても抱えて話さないぱんぱんの大袋一つが今回の戦果だった。

「ふぅ」
「はぁ」
「ん……」

そして公園でのしばらくの、休憩。
皆が疲れに地べたの今を眺める中、彼女ばかりは空にどこか遠くを望む。
この視線のはるか先にも星はない。だが、真っ直ぐ行くと故郷に辿り着くような方角ではあった。
多くが苦しくも儚く、それでも大切な祖国。大層な約定などなくとも、ネリーは錦を飾りに稼いで稼いでそれに努め続けることを己に科していた。
だが、それが今はどうだろう。こんな、鳩が群がる平和な土地にて足りない衣類を、それも以前からでは考えられないくらいの上等なものを購入して笑っている。

智葉はネリーは弛んでいるくらいがいいと言った。
だが、本当にネリーという少女は足掻き続けなくてもいいのだろうか。そんなの、理解らない。でも、休むことだって大事だという言葉だけは知っていた。

他に必死になっている伴走者が居ない今。果たしてネリーにあったペースとはどんなものなのだろう。
それを探る日々に幸福を覚えるのは、少し申し訳ないなと故郷に残してきた者たちに思ってしまうのは果たして業か。
とりあえず、今に丸を付けるためにネリーはこう呟くのだった。

「ショッピングがこんなに楽しいって知らなかった」
「そうか」
「……また、遊ぼうね」
「そっか……また、来れるんだったね」

試着の間にこっそりとおまけの小物を買ってくれた彼らは少女の過去の貧困を察しているだろうに、決してそれについて突いてくることはない。
自分の意を通したがるばかりの知り合いが多かったネリーにとってそれは珍しい優しさだった。貴重、とすら思う。
流石は、見初めた京太郎とその友なだけはあるのだろうと、ネリーは考えた。
また、この人達みたいな人間ばかりだったなら、自分たちは震えなくて良かったのかもしれないのに、とあり得ないことすら想像してしまうのだ。
だが、この世の大部分は冷たくて、こんなに温い平和はこの国くらいに違いない。ネリーは、ネリーみたいな境遇の子どもたちが存在することなんて許せないけれど、それはどうしようもないことだと諦めてもいた。

「あーあ」

諦観は、瞳を否が応でも降ろさせる。そして、彼女は心配そうに自分を見つめる二対の視線と見つめ合った。
思い出す。ネリーの夢は稼いで稼いで、何時かそのお金で一人でもネリーのような子を減らすことだ。
でも、最近の経験によって或いはそんな紙切れや硬貨などで量る代物ばかりでなくても、ネリーはネリーを救えたのではと考えてしまった。

「ねえ、キョータロに宮永。私達って、友達?」
「当たり前だろ?」
「もちろん」
「そっか……」

ネリー達が寒くて辛くて震えいたのは、それぞれ独りぼっちだったから。孤児達の得意は奪い合いで、友ですら利用しやすい者に付けた属性でしかなかったのだけれど。
でも、ネリーがあの時ちゃんと隣のあの子達の手を取れていたなら、少しでも僅かでもあの子達と温もりあえたのでは。
痛みに臆病だった幼年期のそんな有りもしないイフを今更に少女は思うのだった。

「むぅ」

やがて彼女は抱え込んだ袋に顔を埋める。これ以上下がらない視線は、ふらふらと不安げだ。

「そっか」

不幸があった。それにもしもを思うのは通常な反応だと、そのために独りになりかけた彼女だって知っている、理解ってしまう。
なにか言いたげな京太郎の隣で大体を察してしまった咲は、首を振って自分に言い聞かせるようにこう伝えた。

「違うよ、ネリーちゃん。それは、ネリーちゃんが辛いだけだよ」
「……宮永?」
「大丈夫。ネリーちゃんはちゃんと頑張ったよ」
「そう?」
「……ああ。俺は最低でもネリーと会えたことが嬉しいし。ならそれまでのネリーはきっと間違いじゃないと思う」
「そう。幾ら悔しくっても、ネリーちゃんはネリーちゃんを信じてあげなきゃ」
「うん……」

泣きたくなるくらいに優しい言葉。こんなのもっと早くに聞きたかったけれど、今だってとっても嬉しいものだった。隣人に真剣になる、そんな平和な国の友がこれほど有り難いとは。

本来ならば、宮永咲というのはネリー・ヴィルサラーゼにとっては成果を見せなければいけない麻雀全国大会で鉾を交える可能性のある、いわゆる敵である。
今日だってそれとなく探りを入れてくるのではと危惧していたが、そんな素振りは一度もない。むしろ慮ってくれることばかりで、なら敵ではなく、彼女はただの友達なのだろう。
麻雀のルールすらいまいち知らない京太郎が介在することで、こうして睨み合い削り合うだけでない関係を結べた。
そしてそれはつまり、《《この世の中心とすら呼べる麻雀》》など一つどころに囚われさえてさえいなければ、心は本来自由ということでもある。

改めて、ネリー・ヴィルサラーゼは空を見上げた。少し晴れ間の覗くようになったそれは青く澄んでいてとても届くものではなく。

「そっか――――空は広かったんだ」

手を思いっきり広げたところでぶつからない。そんな代物に心を預けるようになって、もうどれくらいか。

だが、今日この日。彼女は本当のところで空の広さを識ったのかもれなかった。

「ありがとう――キョウタロ、咲」

呟き。緩く、弛んだように柔らかく、ネリーは空に微笑んだ。


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咲‐Saki‐1巻
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