四話 泡の手のひらは水月を拾う

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

光線弱々しく変遷しながら遠ざかる茜色。紫色に落ち込んで夜に消えゆく陽光を望みながら、少女は思う。再び明日が来るという道理への不安を。
また明日。そんな約束を果たせず両親は没した。ならば、かもしたら太陽すらも。光は儚く、脆い。

「いやだ……」

不安に揺らいだ子供に夜は怖くて寂しすぎる。不明の中では星星すらはるか遠く、月光は冴え冴えとして冷たかった。
人と人とのあたたかい繋がりを愛と呼ぶのであれば、それを失った少女は凍えるばかり。ひとりぼっちは、辛い。

「衣が、悪いんだ。いい子じゃ、なかったから」

そして、彼女は自虐に陥る。しかし孤独が手近の自分を責めるのは、自然なこと。
悪因悪果。それが真であるならば、こんな最悪に至ってしまった、己に業があるのではないか。

いい子にしててね。はあいと答えて、寝ずに母と父を待った。それだけの悪さがずっと胸元に棘と刺さって離れてくれない。

自分が悪かった。きっとそうなのだろう。

「……どうして」

だがそう決め込んでしまっていても、尚問いは口の端からこぼれ落ちる。

最悪の確率を掴んで、彼らは天へと消えていった。それはどうしようもない、ことだったのだ。

しかし、そんなことを認められる子供なんて居るだろうか。
天江衣は、本来そんなに大人しい性分ではない。

何か何か――誰か誰か――教えて――助けて――そして少女は足掻き続けて。軌跡は水面の泡と化す。

「あ――――」

やがて救いを求める小さな手は、知らず水月を掬った。

 

須賀京太郎は一人っ子――ではない。彼には《《須賀衣》》という、姉がいる。
よく知らない相手に妹さんですか、と言われてその度ぷんぷんする小さな義姉ではあったが、確かに彼には姉さんと呼ぶ人がいた。
可憐に無垢を金で固めてうさ耳を付けたような彼女は今、母方の祖母と一緒に長野で暮らしている。そろそろあの人も受験生ということで勉学に励んでいるだろう、その筈だった。

「ここに居たか京太郎! 久方ぶりだな!」
「うおっ、姉さん……どうしたんだよ、こんなところ――東京――まで……」

しかし、ペットのカピバラから離れがたいと実家に残っていた衣は今、京太郎の胸元にしがみつきながらカチューシャを揺らしている。
ちっちゃい、かわいい、と突然の少女に驚きながら感想を口走る初対面な淡を他所に、人混みの中、衣は騒音に負けないよう京太郎に向かって叫ぶように言った。

「衣の心を索漠が襲ったからだ! そして、可愛い弟が心配になって遥々足を向けたんだぞ!」
「それは嬉しいけどさ……お金はどうしたんだ?」
「おばあから貰った!」
「本当、ばあちゃんって姉さんには甘いよなあ……」

大きくがま口の中身を見せながら自慢気に胸――やはりない――を逸らす姉を残念に眺めながら、京太郎は呟く。
財布の中には札がちらほら。この小さな姉は、やはり家族に猫可愛がりされていると思う。
小さな頃はそれを羨んだこともあったが、そんな捻くれた気持ちは愛らしいばかりの義姉の前で長くは続かなかった。
今はもう、姉さんだからと割り切って、京太郎はさてどうしようかなとこれからのことを思うのである。

金髪長駆の下で、きゃっきゃと跳ねる同じ輝きに身を包んだ矮躯。お似合いすぎるそんな二人の合間に、また似合いの金色少女が割って入った。

「ねえねえ、須賀ー、その子誰? ちょー可愛いんだけど!」
「む」
「あー……この人は、俺の姉さんだ」

そして、衣はここで淡――邪魔者――を認識する。なんだこの、知らない間に増えた同類はと。
弟の浮気にぷくりと膨らむ頬。しかしいじけた気持ちすら愛らしさにしかならない、そんな容貌を見た少女は瞳煌めかせてまた――嫌にさっぱりした――胸元を張って言った。

「ふふーん。淡ちゃんはそう簡単に騙されないよ! そんなにちっちゃい子がでっかい京太郎よりお姉ちゃんなんて、ありえないもん」

それは少女の迷推理。お星さまから私まで、全ては道理で出来ている。ならば、と当たり前を口にした淡。
しかし、不条理なことに、小学生でも通りそうな小柄に純粋さを持った衣は間違いなく高校三年生で京太郎のお姉さんだった。
勘違いとは言え初対面で否定されて、むすりからむむに気持ち変えた衣は、プラネタリウムの少女を下から思い切り見下げる。

「あり得ない、か。ふん。不明な燕雀ほどよくさえずるものだ」
「あー……すまん、姉さん」

そして、ぷいと目を離した衣は、完全に不機嫌。こうなった少女の面倒さを知る京太郎は下手に出ざるを得ない。
自分の言葉に不機嫌になった少女。頭を下げ、尚冗談みたいなことを言い続ける同級生。さて、先に推理を失敗した淡もそろそろ事態を呑み込めてきたようだった。
あわあわとしてから、金の大小をよく見て、何となく怒った衣に威厳のようなものを拾い上げた淡は恐恐言う。

「ええ? えっと……ホントに?」
「ああ、そうだ」
「うう……」

ようやく正解を知った淡は自分の答案の零点も知る。
これはつまり、面と向かって小さな先輩を自分は子供扱いしたのだ。それは怒って当然。やってしまったと、思う。

「ふん」

さてどうする。視線でそう語る強気な吊り目の青。衣はカンカンだ。
だがそれに反骨心を抱くまでもなく、淡は疾く過ちを認める。

「ごめんねー! 須賀のお姉ちゃん!」

そして、駆け寄り心の底からの謝罪をしたのだった。思いっきり、ぶんと頭は下がる。
彼女の行動の全ては、誠意からくるもの。

「ふ……ぶふぁ!」

だからこの時、淡の自慢、ふわふわブロンドが衣の顔面を痛打することになったのは、間違いなく事故なのだった。

 

「ぷん」
「うう、ごめんねってー、須賀のお姉ちゃんー……」
「はは……困ったな」

京太郎にしがみつきながら距離を取る衣に、うなだれしなしなの淡。間に挟まれた京太郎は、機嫌を取るための万策尽きて、途方に暮れる。
勘違いと偶然のせいとは言え、年下にバカにされてひっぱたかれて、もう衣は荒れに荒れた。
今にも掴みかかりそうだった姉を落ち着かせるために、夕飯にたるたる目一杯のエビフライを約束し、膝に三十分は載せて撫でたというのに、まだ拗ねは続いている。
怒らしてそのままでは嫌だと淡が家まで付いてきた淡は、綺麗と高価で整えられた須賀家への感想も忘れて、涙目になりながら衣に手を伸ばす。

「ふん!」
「うう……どうしよう……」

しかしぺちん、と伸ばした手は払われ、淡は途方にくれる。気持ちとともにごちん、とテーブルに頭を落とした少女は樫材の硬さを思い知るのだった。痛ーい、と涙目はそれこそ溢れんばかりになる。

「仕方がない、か」

そんなこんなを上から認めた京太郎は、純な姉にもうこんなことをさせ続けるのは酷だと思う。どうせ、後で衣も自業を恥じるのだ。
そしていい加減、そろそろ流石に友人が哀れに思えてきた彼は、腹をくくる。

だからそのために青年は、少女が何より恐れていることを、利用するのだった。
調子も言葉も表情も暗く、京太郎は言った。

「姉さん、そんなに淡をいじめてると……俺、姉さんのこと嫌いになるぞ?」
「っ、それはダメだ!」
「なら、許してくれるか?」
「ああ、勿論だ。その……金色わかめのことも諾了しよう!」
「わかめ?」
「……淡、お前のことだ」
「よく分かんないけど、許してくれたんだよね、やったー!」
「むむ……」

ばんざいしてふわふわに戻る額を赤くした淡に、なんだか納得いかない様子の衣。
だがしかし、ここに仲直りは成立して。

「それじゃ、一緒に遊ぼー!」
「わわっ」

なら、次は仲良くなろうと切り替える年下少女に、年上少女は引っ張られていく。

「……良かった、な」

何だかんだ仲良くゲーム機置き場をがちゃがちゃさせている二人を尻目に、京太郎は収まらない手の震えを隠して、そう呟いた。

 

「あー、楽しかった! 衣ちゃんってゲームすっごく強いんだねー」
「むぅ……衣が上手じゃなくて、淡が下手過ぎるだけだと思うぞ?」
「そっかな? まあ私、大体友達がゲームしてる後ろで見てるばっかだったし、そうかも!」
「……それでよく対戦ゲームを選んだものだな」

暗がりに、眩いものふたつ。衣と淡は、すっかり互いに険を失くして仲良くしていた。
しかしこれは、珍しくも調子を崩したと口にしたので休んでもらっている京太郎を少し気にしながらの、別れ際。
連絡先を交換したとはいえまた会う日は遠い、そんなことを気にしてか二人からは中々さようならが出てこない。

「ふふ」
「ふ」

そのため、少しふざけあって、笑顔を交わす。
まるで姉妹のような二人は、自分と相手がとても良く似ていて、根本的に違えていることを理解していた。
だから、どこまでだって仲良くなることが出来るし、そして。

「衣は、淡が好きだ!」
「うん。私も! 衣ちゃんと一緒に居られるなら私、須賀の家の子になってもいいなー」

「――それは、ダメだ」

どこまでも敵対することが出来た。

ばちん、という音。見て、それが街灯が無残にも《《偶然》》に殺された音色だと知る。

「……ふうん」

硝子の破片は《《当たり前》》のように、動じない二人に干渉することはない。
淡の口元は、弧を描いた。

水月を掴んだ少女は、星に手を伸ばさない少女を睨んで、言う。

「京太郎は衣だけのものだ」

そう、誰か助けてと伸ばしたその手を掴んだ、あり得ない。それこそ京太郎という少年の懸命だった。

しかし、それがもし衣という●に愛された少女が持つ影響力によって変わった運命のためだったのなら。
彼の運命を歪めたのは、衣。

海底撈月。月影――あってはならないもの――を掬った少女は、だからこそ、泡の手――愛――にて哀れな水月を抱く。

ひとりきりが、ふたりきりなって、それでいい。

「あは」

そんな勘違いを、淡は今日はじめて、嗤った。


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咲‐Saki‐1巻
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