三話 織姫は十五光年先の彼の姿を見つめる

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

長野といっても、決して山ばかりではない。街もあれば、野もある。車も通れば、花も咲く。
だがしかし、そんな人と自然のバランスなんて知らないとでもいうかのように、京太郎の父親の実家の周囲は山だった。
山の谷の、限界集落。自然、須賀一家は車での通いが恐ろしくなってしまうくらいに、険しい山道を通ることになる。
まるで軽自動車の車幅そのものを持ってきたかのような狭さの道路には柵すらなかった。いつも、そこを通る際にヒヤヒヤとしていたことを京太郎はよく覚えている。

そして、また京太郎がよく記憶しているのは、今は亡き祖父母の優しさと、その皺々の手のひらのぬくとさだった。
よく来てくれた、と彼らは言う。それに、好きだから来るのは当たり前だよ、と京太郎は毎回返していた。それは、彼の本心である。
祖父が肩車をしてくれた後に彼の腰に湿布をする労は嫌いじゃなかったし、祖母が味の薄い料理を作ってくれたお礼にと肩たたきをしてあげることだって好きだった。
皆揃って、毎年写真を更新していくのは一番の楽しみでもあったのに。

そんなだから、彼らの死に目に会えなかったのは、酷く残念であったのだ。最初は、二人が揃って倒れ誰も気づかれない間に命消えさせてしまったことが、理解できないまま。
そして、慣れない服を着て沈黙を続けて、やがてお爺ちゃんお祖母ちゃんがあんなに小さく欠片になってしまったのを見て、京太郎は耐えられなかった。
泣いて泣いて、それからもう泣かないと決意して。だから、両親がお爺ちゃんお祖母ちゃんの遺品を整理する段に至って、京太郎は涙を堪えてその手伝いを申し出たのだった。

「よい、しょっと……」

だが、幼さがようやく抜けかかった程度の京太郎に、持てる重荷なんて殆どない。
集まった親類が軽トラックに荷物を積み上げていくのを見上げながら、主に京太郎は写真や書類などの運搬に精を出した。

「ふぅ……」

健在であった若き日の二人を幾度も見つけて、何度瞳が潤んだことか。だがしかし、京太郎はやりきった。
日が暮れる少し前。駄賃代わりにと渡された炭酸飲料に口を付けながら、京太郎はせかせかと車を出す男衆をなんとはなしに認めていた。
そして、そんな中。

「あ、落ちた……」

そう、荷台から一冊のノートのようなものが落ちたことに京太郎は気づく。
それが何かは分からない。けれども、お爺ちゃんお祖母ちゃんの遺品であるには違いなく、彼がなるべく大切にしておきたいと思うのは自然だった。
だから、走ってそれを拾い上げた。そうして顔を上げると。

「あ……」

車はもう出ていって、どこにもなかった。うるさいエンジン音はどんどんと遠ざかっていく。
そして蝉の声響く中、独りぼっち。何となく寂しくなった京太郎は、落ちていた本――どうやら祖父のノート――を開いていた。

「なんだ、これ?」

それでそのまま、目が点。専門的な言葉が筆ペンで連なられていたそれを読み取るのは、幼き京太郎には難しいことだった。
だが、そんな中でもぺらぺらと捲って行くと見知ったような絵図が見当たるようになる。
それを記憶と照合してから、京太郎は確信を持って言った。

「あ、これあの洞窟だ……」

京太郎はそこまでの経路のような図を指でなぞってから、頷く。そう、これはよく覚えていた。
何しろそれは二年ほど前に見つけて入ろうとして、お爺ちゃんに危ないから入るなとこっぴどく怒られた場所だったから。
そこで、京太郎には好奇心がむくむくと湧き起こってきた。危ないから入るな、というのはつまりそこに何かがあるからいけないということではないか。
そして、そこにあるかもしれないものが、もし祖父母に縁のあるものであるならば、是非とも持ち帰りたい。
そう思った京太郎は、気付いた時にはぬかるんだ道の中を往っていた。

「よいしょっ、よいしょ……」

そして、未だ群を抜いていない身長でえっちらほっちら京太郎は進んだ。ノートの内容と記憶を頼りに、ふらふらと。
やがて、開けた場所にあったのは。

「洞窟だ……」

そう、そこにあったのは、小さな洞窟。今の京太郎でやっとのくらいの高さと、狭いくらいの幅の暗がり。
そこを見て京太郎がまず感じたのは、恐怖だった。何も見えないところがあったとしたら、そこに何かを想像するのは自然なこと。そして知らないが分からないを連想するのも当たり前。
次第に京太郎は怖気づいてきた。だが。

「おじいちゃん、おばあちゃん……」

そう、京太郎には進みたい理由があった。それは遺品があるかもというちっぽけな希望であったが、明かり一つ持ち込めていないのに暗闇を進むための灯火ともなる。
そうして少年は一歩を踏み出して。

「あれ?」

暗闇ではなく光り輝く全体に一転。蝉しぐれも消え去った辺り一帯。疾く、少年は見知らぬ静寂に呑まれていく。

「なんだ、これ……」

整った森の中、静謐、神秘を心の底に感じて身震いする彼の目の前に。

「――――あなたは、誰ですか?」

そんな緊張を吹き飛ばすくらいにとても愛らしい、一人のお姫様が現れた。

 

「須賀ー、ここ教えてー。」
「淡は仮にも文芸部の癖して文系ぼろぼろだよな……はいはい、かしこまりました、お姫様」
「だって古文って訳分かんないもん! おじいちゃんおばあちゃんの言葉だってよくわかんない時あるのに、ホントにこんなの必要なの、って感じー」
「まあ、成績上げるのには要るかもな」
「そうだった! これ以上赤点とかずっとしてたら留年してホントに高校100年生になっちゃう! うー……あ。そういえば、須賀って時々私をお姫様とか呼ぶよね、どうして?」
「どうしても、こうしてもなぁ……」

やがて年月がしばし経ち、東京に居を移し成長した京太郎は一人の少女と多く共にあるようになる。
和の綺麗と金の可憐。どちらも異なりはしたが、何か基調が似ていて、惹かれたのだ。
そのまるで《《ナニカ》》に愛されているかのように溌剌な少女、大星淡は彼が一時《《あっち》》と《《こっち》》を行き来するようになった相手との名残を不思議がった。
少女は首をひねり、そのためおぐしは着地。きらきらふわふわとそれは机の上に広がっていく。

勿論、疑問を呈された京太郎には姫などという一般男子が使わないような言葉が勝手に口から出ていく理由に心当たりはある。
だが、それも今となっては夢物語のような経験で。

「まあ……淡になら、話してもいいか」

だからこそ、少年は少女に話してみようかと思ったのだった。星を見上げる夢見がちな少女は、きっと笑いはしないだろうと思って。
テスト前に男女二人文芸部にて顔を突き合わせている、そのどこか気恥ずかしい思いを吹き飛ばすのに丁度いいな、と思いながら彼の口は回る。

「俺、実は父方の実家の洞窟から……マヨイガとか仙境みたいなところに行ってたことがあるみたいでな……」
「マヨイガ? せんきょー? よく分かんないけど、どういうとこだったの?」
「いや、子供だったからな。豪華で和風なところ、ってまでしか分かんなかったが……俺はそこに行って会えただけで満足してたな」
「へぇー、何か凄い!」

すらりと、どちらかといえば、民俗学的な話をしだす京太郎。彼は自分の体験がどんなものに該当するか調べたがゆえの知識だが、そこに迷いなく淡は食いつく。
無知が故に白は不明を飲み込む。しかし、それ以前にそのきらきらとした瞳を見れば、淡が彼の言葉をまるきり信じているのは明らか。
何となく嬉しくなった京太郎は、続ける。

「まあ、そんなところで小さかった俺は、姫様と会ったんだ」
「お姫様ー?」
「今思えば格好が巫女のようだったのが不思議だが……まあ、印象としてもお姫様って感じだったな。のんびりとしていて、どこか浮世離れしていて……側に仕えていた似たような巫女服の女の子たちが呼ぶのを真似して、俺は彼女のことを姫様って呼んでたよ」
「へぇ……すっごい!」
「ただ、そこに行って会えたのは、三度だけだった。三度目の最後に……姫様が泣きながら、この入口が空いたままだと危険だから鎖さないといけないんです、って教えてくれてさ。その後何度も洞窟まで行ってみんだけど、もう駄目だったな」
「それで……どうなったの?」
「いや、洞窟はでかい石で埋まってた。あれは重機でもなければ取り外せないな。それで、そのままだ」
「うわー……ふぁんたじーだ……須賀って面白い体験してたんだねー」

そうして、完全に淡が信じ切ったままに、京太郎は自分でも嘘のような過去にあったことを語り終えた。
頬をこね、何やらとても嬉しそうにしている彼女を置いて、彼は頬を掻く。あれは本当にあったことだったのか、という疑問に未だに答えが出ないままに。
そう、京太郎は分からない。姫様が今どこで何をしているのか、自分がどうあの日の思い消化すればいいのかを。

初恋は叶わないものと聞く。だが、叶えたくは、あったのだ。

「ふぅ……」

疼く想いを誤魔化すかのように、溜息。
そして、隣を向くと純な瞳がそこにあった。
恋など知らず、ただ少年の想いの深さを感じた少女は、ただ問う。

「ねえ、須賀」
「……どうした?」
「須賀ってさ、その人にもう一度会いたいの?」

そして、淡が放ったその一言に、京太郎は胸動かされることとなる。
あの人を重ねて大切にし出した筈のこの子は、昔に想っていたあの人を見透かし、そして心配してくれた。

きらきら輝く星屑は、無聊な闇すらカンバスに変える。彼はどくり、と胸元に疼きを覚えた。

しかし、京太郎の口は勝手を呟いてしまう。

「ああ……会いたいな」
「そっかー」

淡が聞いた感想は、織姫と彦星。感じたのは、みんなもっと幸せになればいいのに、という思い。
そして、目の前の男子は会えなくて困ってる。ならば、と彼女は満面の笑みで言うのだった。

「また会えるといいね!」

星と星は離れていてキレイ。でも、彼彼女らはそれが辛いのなら、牽牛の愛を押してしまったって構わない。
だってだって、大好きなこの男子に、そんな悩んだ顔なんて似合わないのだから。
淡の笑顔に、迷いはない。

それは正解。しかし、百点満点の答えではない。

「そう、だな」

だから、京太郎は笑顔を繕って、淡にそう返すのだった。

 

 

「くしゅん!」
「ど、どうしました、姫様ー」
「あら、風邪かしら?」
「……大丈夫?」

「いいえ、平気です……きっと、彼が私の噂をしてくれたんですよ!」

「姫様……」


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咲‐Saki‐1巻
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