九話 かいぶつに挑むのが勇者だけでいいのか

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

かいぶつは誅されるもの。
物語ではよくそう描かれるけれども、福路美穂子はそう思わなかった。

大きいからって邪魔者扱いしてしまうのは辛いことだし、理解できないからって除いてしまうなんてとても悲しい。
せっかくだから、《《どうしようもないもの》》とだって一緒に生きていたいというのは、果たして間違いなのだろうか。
もしかしたら、違っているのかもしれない、そう思いながらもかいぶつの涙を見た時に彼女は決心をした。

《《それ》》があんぐりと空けた大きな口。その牙をブラシできゅっきゅと私が洗う。
そこになにかの血がついていたって、構わない。もし擦るのが痛かったら、ごめんなさい。でも、こうしていればきっと皆もあなたを恐れなくなるだろうから。
とても大きな《《彼女》》がぱくりと私ごと口を閉じるだけで終わってしまう、そんな不安な中。けれども私は信じている。

いつか必ず手折るために、私は今日も彼女の牙を優しく研ぐのだ。

 

風越女子高校。通称風越は女子麻雀の長野最強という称号を恣にしている、県下に限らず知名度の高い高校である。
その白と桃の色が目立つ制服を着込んだ大勢の女子の中、ひときわ目立つ金色が二人。放課後の麻雀部の部室にて、何やら箒を操っていた。
その内、掃除をしていたというよりも床を撫でていたというのが正しいようなことをしていた部外の少女、須賀衣は口を尖らせて、呟く。

「うにゅ……うまくいかない」

散るだけの埃は煌めいていて綺麗ではあるが、実際のところそれは汚い上次第に広がっていくばかり。
掃き掃除が、こんなに面倒だと彼女は知らなかった。
下を睨むように見つめていたためにはらりと視界に落ちてきた、己の綺麗なばかりの御髪一つを摘んで衣は悩んでみる。

部に入ってる友が日々やっていることを、一緒に遊ぶ時間を作るために取り上げてやろうと発奮したところ、この不出来。
それが、今までお片付けと掃除機に乗っかるばかりで、細かい掃除をしてこなかったせいだ、とは分かる。
けれども、真横に清く正しい見本があるのに、どうして自分は一つも真似できないのだろうとも思うのだった。

「衣ちゃん、自分を責めちゃダメよ?」

ちらとこちらを見つめてきた、お友達に何時もの柔和な笑みを向けて、美穂子はその開かれた《《オッドアイ 》》で見通すかのようにそんなことを言う。

「むぅ……でも、衣は……」

たしなめられ、思わず口をへの字にする衣。何か言い訳しようとする少女に、優しいいい子な美穂子は首を振る。輝きの流れと見紛うほどの光に蕩ける金の髪が、なだらかに揺れた。

「最初の一歩まで上手な人なんていないわ。それに、ここには私しかいないわよ?」
「そう、だな。刎頸の友の前で満艦飾の出で立ちを見せようなど、憤懣遣る方ない虚飾だ」
「ふふ……そういう衣ちゃんの時々見せる衒学的なところも減点じゃないかしら? もっと、素直になればいいのに」
「でも……」

素直に、と言われて口ごもる衣。怖がりな彼女は、己の素直な稚い部分しか表に出せない。そしてもし他のところを出せたとしても、それは突き放すような難語に変わる。
衣が素直になれない理由。それは、怖がられたくないから。
少女には、自分がセカイの道理をすら感情的に歪めてしまえる化け物だという認識がある。そしてそれは正しい理解で、故に彼女は自己管理出来るしっかりとしたものになりがった。それこそ、理想――姉――のように。
でもそれがダメだと、美穂子は微笑むのだ。

「衣ちゃんが、普段から稚さしか上手く出せなくてそれで可愛がられちゃって、今出来ないことに困っている……でも、それでお利口さんに上手くなろうと焦っても、仕方ないと思わない?」
「……なら、美穂子はどうすればいいと考える?」
「嫌なことは嫌だ、でいいんじゃないかしら?」
「え?」

目の前に一つ立てられた細い白魚の指に、衣は注目する。それはゆるりと円かに動いて、愛らしい笑顔の下、顎先をちょいとつついた。
嫌は嫌。それはなんともいい子ではない。けれども、目の前の優しいいい子は、横道を諭す。
セカイは一本道ではなく、もう少し視野を広げてもいい。そう、あくびだって行儀悪くても大切な行動のひとつなのだから。美穂子はそう考える。

「つまらないならそれが好きな私に全部任せて、後はえっと、すまーとふぉん? で終わるまで遊んで待っていても良いの」
「でも、それは……」
「うん。頑張っている人の横で頑張らないのは、正しくないかもしれないわ」

頑張る、頑張らない。本来それはその人の勝手。でも、言わなければ悪い子にすらなれない、そんな子には頑張らないという選択肢も教えてあげなければならないだろう。
こんな注意、実は二人の長い関係の中、何度か行っていた。けれども、そろそろ弟を追って県外にまで出ていきかねない衣のために今回は確りと、と美穂子はあくまで緩く。

「でも、そんな衣ちゃんも可愛いわよ?」

破顔したままそんな、本心を真っ直ぐに述べるのだった。

「そう、か……」

可愛い、本当だろうか。疑問が少女の胸を騒がせる。
しかし、思わずついとそっぽを向いた金の兎の横顔は、大いに紅く緩んでいた。

「……ありがとう」

そして礼に再び向き直った少女のはにかみは、笑窪を隣に作りながら、しばらく続く。

 

先のようにキャプテンと呼ばれる美穂子は、毎日部員皆の疲労等を鑑み、一人部室の掃除をしていた。
とはいえ、麻雀部の部員達が牌や机など大方片付けているために、大体の掃き掃除と細やかな拭き掃除が主となる。
それも、彼女が慣れで流麗に行えるとあれば、あっという間に終わりに近づいていく。
先の自分の手伝いは本当に邪魔でしかなかったのだな、と内心落ち込みながら、椅子に座って両足プラプラと。ふと衣は思い出したことを言った。

「そういえば、今大会は風越の王座が危ういと聞いたが、本当か?」
「……誰がそんなことを言ったのかしら? 困った子ね」

それは、風越女子麻雀部のトップである美穂子には聞き捨てならない台詞である。
先輩たちが続けてきた優勝。伝統とすらなったそれを、自分の代で危うくさせるつもりはない。
それだけでなく、大切な麻雀部のみんなが、負けで悲しむ姿を美穂子は見たくなかった。
だから、困った噂だと一蹴しようとした、その時。

「――魔王が居ると聞いた」

静かに、衣が言った。途端に、ぴんと張り出す緊張感。その矮躯から出る圧力は、もはや物理にすら近づいていた。
そういったものにすら敏な美穂子は再認する。ああ、この子はやっぱり一段上の存在なのだと。

「そいつは、衣より恐ろしいのか?」

かいぶつの少女は、まるで舌なめずりを隠すかのように口元に手をやりながら、更にもう一度問った。
それがもし、友――互いに理由の異なる独りぼっちを慰めあった美穂子――の夢の邪魔であるならば、どうしてくれようか。
最早、衣はお利口であろうとも思わない。さっきの悪くても良いという美穂子の思いやった言葉をも利己的に取り替えて、攻撃的に笑う。

「……分からないわ。でも……」

そんな中、しかし衣を見る美穂子の感想は変わらない。
いくら強がっていても悪ぶっていても、どんなにかいぶつ的であろうとも、この子は。きっとあの子も。

「きっと、衣ちゃんもその子も、そんなに怖くはないと思うの」

そう言って、遮光の赤を浴びながら、美穂子は微笑む。
そうだ。まず、友が怖いなんていうのはあり得ない。そして、インターミドルでその異形な強さを認めたどこか頼りないあの子だって、怖くはないのだ。
なにせ。

「だって……私は負けないから」
「ほぅ……」

そう。負けられないから、負けない。その心だけは誰よりも強く。

あの日色違いの瞳を気にも留めなかった彼のように、勇気を持って美穂子は言い張った。

友、衣と同じく、美穂子も理想の自分を持っている。しかし、それは彼女のものよりよっぽど曖昧なもので。

美穂子は一時、窓に寄りかかる。

「……また、格好いいって言ってほしいもの」

そんな呟きは、誰にも拾われることなく、暮れの赤へと消えていった。


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咲‐Saki‐1巻
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