十話 奇跡で星は浮かばない

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

雨露零して、空は泣く。ごろりごろりと稲光の音色轟かせ、暗く、黒く天はどうにも鬱いでいた。
今日はずっと突き抜けるような青を望んでいたのに、しかしおおよその予報とも異なり天気は大雨となっている。
いくら待っても数多の水の軌跡滞らない眼前。果たしてこの助けの屋根に何時まで留まるべきなのか。
折り畳み傘を忘れて、突然の雨を前に立ち尽くす背高な青年が一人。くすんだ金の髪を掻きながら、彼は雨音にすら飲み込まれかねない程小さく呟く。

「参ったな……」

不運に目を伏せて彼、須賀京太郎は革の色も暗く濡れ出した足先をぼうと見る。
今は冬も近く迫った頃。このまま店先に留まり端から濡れるに任せていれば、次第に身体を冷やしてしまうことだろとは京太郎も思う。
きっと疾く、雨を浴びながらも家まで駆け足で帰って、そうして直ぐに風呂場で身体を温めるのが正解だ。

だが、旨いと評判のもんじゃ焼き屋にてその美味に時を忘れて、その都会の表の方にしては随分鄙びた店内に安堵しすぎた心地では、中々意気地がわかなかった。
薄情にも先に帰った友と同時だったら雨は振っていなかっただろうか、以前なら濡れるのも気にせず突っ走れたのにな、と考えながら、しかし今は冷たさが少し怖い。
とはいえ、ごちそうさまと失礼した、閉ざす準備をしているようだったお爺さんお婆さんのお世話になるのもきまりが悪く、だからこそ京太郎は黄色いビニール一枚の庇の下で迷う。

「雨、か……」

そして、彼もお天道様の不機嫌に何も思わないこともない。
京太郎は想起する。ああ、《《あいつ》》と会ったのもこれくらいの降り具合だったよな、と考えて。
視界の先には栄える街を行き交う多くの人々のすれ違いが、雨粒で出来たレイヤの先で広がっている。

向かいを通ろうが彼らは上手にもぶつかり合わない。大勢が滞りなく綺麗に帰りまで流れていく。
ひょっとしたら、或いは《《そういうこと》》こそ人間というものの得意なのかもしれなかった。
馬鹿げた喧嘩なんて、本来獣のものだ。ならば、賢く見てみぬふりをしながら気にせず生きていけばいい。擦れ合いこそが縁ならば、尚の事。

「淡……」

でも、そんな世の中だからこそ、本気で泣くまでぶつかって来た彼女なんてどうしても希少で、大切にしたくもなる。
暗い空に、だからこそ彼は金の彼女を思う。ああ、これはきっと恋ではなく、しかしとても手放したくない思いであって愛ほど遠くも尊くもない。

「星だって綺麗、か」

しかしただ、彼女はそう言って青年の手を取って笑ったのだ。
雨脚強まり、暗く濡れる足もと。だが、その今の冷たさよりも思い出のほうが温くて。

「帰るか」

意を決した京太郎は再び暗がりの中へと一歩踏み出すのだった。

 

須賀京太郎と、大星淡の出会い方は相当に悪い部類に入っていた。
それは、足もと焦らせる大雨の中での曲がり角でのぶつかり合い。出会い頭にゴツン。
互いに気づいて避けようとして奇跡的なまでに絡まり合って転がった二人は傘放り出し、水たまりにて纏まって転がった。
暗色の最中に煌めく彼彼女らは、衝撃に離れてから相手を睨むように見つめる。

「痛……どこ見てんの、このでっかいの! もっと気をつけなよっ!」
「いや、お前こそどうして俺が避けた方にわざわざ……っ」
「だって急に大っきいのが出てきたから私もびっくりして……って、どうしたの?」
「……膝、大丈夫か?」
「え?」

金の少年少女は、最初は険をむき出しにしたが、しかしどちらかといえば大人しい方である彼のほうが先にそれに気づく。
先の衝突によって転げた淡の膝下に出来たのは、ぱっくり開いた紅い傷口。そこから溢れる血は、白い靴下を台無しなくらいに汚していた。
思わず、わさわさと髪の毛驚かす淡。バツが悪そうにする京太郎を他所に少女は慣れない傷に慌てた。

「えっ……なにこれ、ちょー痛いよー! 血、すっごいし……やだー!」
「すまん」
「きゃ、急に触んないでよ! ……ハンカチ?」
「先に謝っただろ……落ちてた何かに引っ掛けたかこれ……とりあえずは、ハンカチでも巻いて……お前、それで歩けるか?」

そして、多くが面倒を嫌って過ぎる中、京太郎はずぶ濡れのまま傷を前に真剣に淡へと向かう。
真っ直ぐな視線は少女の不運な創傷に向かい、思わず彼女を気恥ずかしくさせた。それが自分のせいだと気にして優しく、彼のハンカチは彼女の傷に当てられる。
文句をつけた相手に気遣われていることを痛みと共に感じる柔らかさから覚えたが、淡の反骨心もまずまずのもの。
歩けるか、それは勿論だと傷ついた足で地団駄をするように地面を踏んで。

「私はお前じゃなくて淡ちゃんだよ! 歩けるかって、そんなのもちろんよゆー……って、痛ーい!」

そんなことをしたら当然、淡は痛みに涙目になってしまう。巻かれた青いハンカチは撚れ、血が黒く滲んだ。
しゃがむことも出来ず、痛苦に足を押さえる少女。そんなものを無視できるほど冷たい人間ではない京太郎は、腹をくくって彼女へと手を伸ばす。

「はぁ。仕方がないか……ちょっとの間我慢してくれ」
「わっ」

そして、淡が驚いたのも仕方のないことか。近寄りまるで抱くように京太郎がしてきたと思えば、そのまま少女の小柄はすくい上げられる。
ぷらん、と水分をしっかり含んだ重めの金髪が垂れ、そして自分が抱きかかえられているのだと気づいた淡は思わず叫んだ。

「きゃー、人さらいだー!」
「暴れるなって……これでも背負われるよりはまだマシだろ?」

しかし、そんな対応をされるのも既に彼には覚悟の上。身を捩る相手をとても優しく抱いたまま耳元にて京太郎は諭した。
間近で声変わりしたての柔らかな低音が耳をくすぐったために、少年の熱を多分に覚える淡は大変だ。
そのままお姫様抱っこの形どこかの店先へと一時避難をはじめんとする京太郎。ちらほらと衆目を集めていることに気づいた淡の頬は朱く、まるで少女の心は燃えるようだった。
アヒルのように唇尖らせて小さく、淡は呟く。

「だからって……ちょー恥ずかしいんだけど、これ」
「……言うなよ。俺だって同じなんだ。でも雨の中お前……淡をこのまま置いておく訳にはいかないだろ。な、姫様」
「うう……私はじめてお姫様にされちゃったー」
「はぁ……」

胸元できゃあきゃあ言う元気な少女に、しかし意図せずとも傷をつけたことに京太郎は嘆息。
身体を動かすことも反射神経にも自信があったというのに、まるでわざとぶつかって来たようなこの女子は避けられなかった。
それこそ運命であるかのように、二人はぶつかったのだ。

「悪かったな……傷つけて、すまなかった」

だが、京太郎には女の子を傷つけてしまったことを、仕方なかったで済ますつもりは毛頭ない。
ずぶ濡れで、嫌な顔してずぶ濡れの二人を見つめるマスターを無視して喫茶店の入り口の席にてお姫様抱っこから開放して淡を安堵させた彼はだから真っ先に謝る。

「えー?」

だが京太郎のその素直さに驚いて、つむじを見つめながら首を傾げる淡。
彼女にはもう、ぶつかったことに対する恨みなんてなかった。そんなの忘れてすっぽり抜かして、ただ彼の優しさを意外に思って少女は目をきらきらと輝かせる。
ちょっと軽薄そうな気がしたけど、実際ぶつかってみたらがっしりしてたし、自分を持ち上げてくれた腕なんてとても太いものだった。
それに、自分が傷ついたのも、それはその必要があるからでしかないと知っていた淡はだから、気遣う少年を前に微笑みを作って、改めて問う。

「あんた、なんて名前?」
「……須賀、京太郎だ」
「なら須賀! あんたは私を傷つけたって思うのならさー」

実のところこの時既に大星淡は知っていた。己が●に愛されているということを。また大切なものは目に見えないことだって諳んじられていて。
そして、この男の子がそんな自分を傷つけられたということは、つまりこれは必然ということに他ならないのでは、と思った。

「ふふふ」

また、必然を運命と勘違いするのも人の自由。
少女の身体と心は金剛と違う結びで出来ていて、だからこそ血が通う。そして、そのために高くなった胸元は膝小僧のジクジクとした痛みをすら生きる実感とさせた。
チェシャ猫の笑みは、それで完結せずに、それこそ物語のように突飛な言葉を発させる。

「私の王子様になってよ!」
「はぁ?」

眼前で、大星淡という恒星が笑みに歪んで煌めく。
空に光がなくても星の輝きは隠せない。改めて、京太郎は目の前の少女の美しさを知る。

そんな風にして、ずぶ濡れ血だらけのお姫様は驚く彼に乞いをするのだった。

 

そんな痛みから端を発する出会いを通して彼は彼女に乞われて請われて、まるで●に祝福されたかのように呪われる。
それから何があってもずっと付かず離れず、二人は二人。運命という呪いでがんじがらめ。
ただ、彼らの間にあるのは、恋には似て非なる何かであって、太陽とは比較にならないほどの低音ではあるのだけれども。

「あ。須賀、居たー! ふふー。どうせ忘れてると思って淡ちゃんが傘持ってやってきてあげたよ!」
「はぁ……淡。傘一本じゃどっちかが濡れるだろ」
「そう? ならさ、こうして……」
「っと。……おい、淡。相合い傘とかはどうでもいいけどな、こんな小さな傘に俺を入れたらお前の肩、濡れるぞ……冷たいだろ?」
「え? 冷たいとかそんなのどうでもいいじゃん!」

それを当然として、雨中に濡れる彼を彼女は見つける。

「だって、そうしたらお揃いでしょ!」
「そう、かもな……」

彼女は明日のために空を見て、彼は今日のために足元を見て、しかし並んで二人はあくまで仲良し。

「ふふ」

それは地にても綺羅綺羅と喜びに輝く。
だからきっと、少女は星にならないのだろう。

「あーした天気になーれ!」
「随分と気が早いな」
「なら、今天気に……それはいっか」
「……そうだな」

ざあ、ざあ。
今日も天はそんな二人を憐れむように、或いは喜ぶように、涙の雨を落としていくのだった。


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