七話 愛は喪われず/星は望まれてそこにある

少女は星にならない挿絵 少女は星にならない

愛/哀はそう簡単には止まらない。止まってくれない。

 

「……咲」
「お姉ちゃん……」

宮永照と宮永咲。紆余曲折は、本音を聞いて考え改めた姉が謝ることで終わりを迎えた。
姉妹二人が涙を流し、心重なり合ったことを喜んだ一幕。華二輪がもとの花瓶に仲良く据わった、その様はどこか綺麗である。

誰も彼も仲がいいのが望ましい、という訳ではないかもしれない。
しかし、想い合う二人が仲を違えているのは思わず手を貸してしまいたくなるくらいに残念なもの。
それが、なんとか成った。関係者が喜ぶのはもちろんのこと、それこそ、偶に全てを聞いていた喫茶店のマスターですら良かった良かったと密かに微笑む始末。
平和な着地に、ほっとした京太郎は手をつないだ姉妹の元へと向かい、声をかけた。

それが、彼女ら――ぽんこつ――が秘めた愉快と触れる契機となるとは知らずに。

「部長。良かったですね」
「ぐす……おかげで咲と仲直りできたよ。今日はありがとう、京ちゃん」
「うん。私からもお礼……って、京ちゃんって……京太郎くんに対して嫌に親しげな呼び名だけどどういうこと、お姉ちゃん?」
「? 京ちゃんは、最初から京ちゃんだよ?」
「それって答えになってるの!? まあ、多分お姉ちゃんのことだから《《観て》》気に入って距離感おかしくしちゃったんだろうけど……」
「うん。京ちゃんは、宮永京ちゃん」
「知らない間に京太郎くん、宮永家に婿入してるー! 実は義兄ちゃんだった!?」
「……部長、いくら嬉しくったってふざけ過ぎですよ。咲も、そんな事実はないからな?」
「ちょっと、テンション上がりすぎたかもね……てへ」
「お姉ちゃん、以前とずいぶんとキャラが違うよ……離れている間に何があったの?」
「実は、新境地を得るために、甘味断ちしてたんだ」
「それってあり得ないし、嘘だよね! 黙ってたけど、さっきからずっとお姉ちゃんほっぺに生クリーム付いてるもん! どうせ私の話聞きながらケーキとか食べてたんでしょ!」
「ハズレ。パフェだよ。宇治抹茶パフェ」
「部長、そこはしてやったりと――ない――胸を張る場面じゃないですからね?」
「ぐぬぬ……」
「はい、咲もそこで悔しがらない。それに、この人が食べてたのジャンボサイズでてっぺんケーキ乗っかってる仕様だったりするから、実は半分当たってたりもするぞ?」
「そう。ここのパフェは一つで幾つもの甘味が楽しめる一品だよ。咲も食べる?」
「えっと……」
「……止めておいた方が良いな。咲は、こんなところで全部食べれば当分は甘いものなんて見たくもなくなるような代物に挑みたくないだろ?」
「え? もしかしてお姉ちゃん、そんなフードファイター御用達みたいなスイーツ食べてこんなけろりとしてるの?」
「うん。私も成長したから」
「変わっただろうな、と想像してたけど、こういう愉快な変化は予想外だったよ……」

そう、仲を取り戻してしまえば、何時もの会話。
それが殊更愉快であるのは、ぼけぼけした長女にもツッコミを入れる次女にも遠慮がなくなったからだろう。
過ぎ去った数年間取り戻すためのじゃれあいは、そこに巻き込まれた京太郎に苦笑をもたらす。

彼女らに秘められた思いなんて、知る由もなく。

「あはは……絶好調ですね、部長」
「うん……そうだ。京ちゃんは咲のことあまり知らないよね。義妹のことを知らないってのは問題」
「まだその設定生きてたの!? 京太郎くんは、他所の子だからね!」
「咲は、お兄ちゃん欲しくないの?」
「欲しいけど、京太郎くんは……あの、恥ずかしいというか、その……」
「ふぅん……ならしょうがないから、京ちゃんは義弟にしようか」
「それって……うう……」
「いや、普通に俺須賀の家の子だからな? まだまだ結婚も養子に貰われる予定だってないから」
「む、京ちゃんはこんなに美人のお姉さんと妹が出来るっていうのに、何が不満なの?」
「不満というか不足に思えますね。冗談はおもち増やしてから言って下さい」
「がーん」

断られ、がっかりする照。口を尖らせたその様は、悲壮というよりむしろユーモラスだ。

しかし、本心はどうにも深く深く、《《みなも》》の底。少年を欲する心は止まない。それは飢餓が一時的に治まったからこそ、もっともっとという思いから。

ああ、まだ足りなくて、だから欲しい。彼女の代わりを。

そんな少女の澱は、なかなか面に出なかった。

「もう。お姉ちゃん、変なことを言わないの。そういうのは、まずお友達からじっくり……」
「残念ですが、ぽんこつな友達はお断りです」
「最初の一歩からつまずいちゃった……って私、ぽんこつじゃないよっ!」
「ぽんこつは皆そう言うんだ……」
「うー……」

そして、ぽんこつ扱いされて頬を膨らませる咲だって、それは同じ。
スキスキダイスキアイシテル、そんな思いではまだないけれど、いずれそこまで至るだろう萌芽を家族愛と勘違いして、壊れた心の車輪を動かすのだった。

彼女みたいに私を愛して、と。

「よいしょ、よいしょ」
「部長……急になに体操始めてるんですか?」
「こうすると、ないすばでぃになれるって聞いたよ。千里の道も一歩から、だよね」
「いや、こんなところでゼロからの一歩を始めないでくれますか? それに時既に遅し、って言葉知ってます?」
「えっと、こう? よいしょ……」
「咲も、真似するなっての」
「あいた」

愉快にざわめく湖面の内実知らずとも、笑顔は続く。
彼女たちは再会したことで再発した欠損感――あの子はもういない――を、嫌そうにしながらも丁寧に合いの手を入れてくれる優しい彼で補填して、会話は上辺ばかりは楽しく進むのだった。

 

「にしても、衣さんもそうだが京太郎を好くのって、揃いも揃って見事に更地体型ばっかりだな。とぼしい奴らばっかり集めて何したいんだ?」

改めて言うまでもないが、高久田誠は、大人のお姉さんが好きである。そして、理想は巨きなおもちを所有している人物だった。
そんな彼にとって、綺麗どころがちっともおもちでない、そんなのばかり集まっている光景は酷く残念なものだ。
京太郎が宮永姉妹と仲良くしているところを、奢りの珈琲をちびちび飲みながら――砂糖は三本入れた。誠は甘党である――毒をこぼした。
当然のように、小さく響いたそれを拾うものなどない。騒いで喧嘩を売って、余計な波風を立てるつもりなんてなかった。

もとより、彼は脇役にしかなる気はないのだ。誠はただ、主役っぽい奴の親友役になろうとして成りきれなかった過去を引きずる、ただの青年だったのだから。

「じー……」

だが、そんな誠を注視している者は、今確かに居た。三人目のもの足りない美少女である、淡はしっかりその両方のきらきらお目々で見つめている。
変わったものを見つけた、という思いがそのまま表れたうるさい視線をいい加減無視しきれなくなって、彼は彼女に問った。

「なんだ?」
「あんた、でっかいねー!」
「クックッ、ストレートだな。嫌いじゃないが」

喜色にふうわりとした髪は、輝きを孕む。それを持つ少女は、何よりも純真。
彼はようやく目の前の少女を面白いと感じる。そう、嫌いじゃない。好きでもないが、悪くはないのだ。
何しろ可愛がってやっている天蓋の華に、少女はどこか似ているから。
たとえるならば、これは星だ。儚くも危なっかしい、無垢な光。それは、標を失ったものは惹かれるよな、と誠は思った。

唐突に、ぽんと手を打った淡は微笑んで言う。

「あ、そうだ。私大星淡っていうの! あんたは?」
「高久田誠、だ」
「ふーん。須賀の友達?」
「ああ、そうだ。そういうお前は……あいつの何だ?」

そう、お前は何だ。誠は、見た目や言動に惑わされない。

だって、明らかにおかしいのだ。どうしてこの少女は《《当たり前》》のようにふらっと彼の元へと現れたのか。そしてそれを彼はどうして《《当たり前》》だとでもいうように受け入れているのだろう。
親友の義姉を参考に全てが全て偶然ではなく、これは不穏だと捉えている誠が淡を見る目は厳しい。

それを受け、笑うのを止めた彼女は、少し悩んでから答えた。綺麗に、果実の唇は柔らかに動く。

「んー……依存先?」
「はぁ……なるほどな」

ちくりと、胸を刺す後悔。少年の腕は壊れ、夢は破れて、そして彼が《《すがった》》のは。
大体を理解して、これは良くないなと思い、誠は目を瞑る。
しかし耐えきれずに、彼は瞼の先に尚耀く少女に向かって尋ねるのだった。

「お前は、京太郎のこと、好きなのか?」
「うん。大好き」
「そっか……」

彼は求めて、彼女は望んで隣にある。なるほどそれは素晴らしいだろう。
しかし、これは果たして健全なのか。とても、悩ましい問題である。
再び目を開けてカップに口をつけ、傾ききったそれから落ちてきたぬるい珈琲に溶け切らなかった白糖の舌触りにうんざりするまで、誠は考えた。

「ふぅ」

やがて、彼は結論づける。

「めんどくさ。やっぱり、京太郎には咲がお似合いだわ」

それでも誠は、やっぱり京咲派だった。

 

「ふーん」

頬杖をつきながら、そんな言葉を聞いていた淡は。

「私はそう思わないけれど」

ぶーたれながら、それだけ呟いた。


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咲‐Saki‐1巻
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