第十六話 貴女を決して独りには

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

藤原妹紅は、不老不死の人間である。
そして、彼女は純粋な人間として蓬莱の薬を飲んで蓬莱人となったただ唯一の存在だった。

それは、同じ蓬莱人である蓬莱山輝夜や八意永琳らとも並べられない孤独。
穢れの少ない生を送る月の民と違い人間は、端から長命に耐えられる設計をしていない。
それを無理に補強して無限の年月に死をも乗り越えられるようになってしまった妹紅は、すり減るほどに心を短く揺らしながら、それでも永遠を生きなければならないのである。
絶望なんて、彼女は何度したことだろう。それでも生きているから自ずと快復してしまい、また悲しむことになった。
死なないが故に希望とした者達に置いていかれ続ける、そんな鬱々とした連続を妹紅の生とするならそれはあまりに冥すぎる。

それは、誰かがそんな少女の正体に嘆き涙して投げかけた悲哀の言葉。
禿頭の彼が伝えた深き意味を持ったそれの表ばかりを今日もなぞり、偶の妖怪退治と洒落込んだある日の妹紅は、幾度かの死の果てにとある亡骸の前でこう呟くのだった。

「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に、死んで死の終わりに冥し……ってね。人に仇なすばかりが存在意義だと嘯いておいてなりきれなかったお前さんは、さも偉そうにしておきながら、その実誰より盲いていたよ」

言の葉一つ零れる度に現世から次第に無かったことになる、妖怪という名の現象。
竹の葉に紛れるように消え、亡骸さえ残らぬ馴染みの相手に伝えきれなかったことに、少女は歯がみする。

「刹那を生きて、心残りすらない死なんて、あまりに虚しいだろうになあ……」

偶に同じ軒下に暮らし、紆余曲折の結局戦い殺し合うことになった妖怪。情を向けて深いところまで知り合ったその相手は、最初から最期までわからず屋だった。
彼女は言ったのだ、私がお前を殺し尽くしてあげようと。妹紅は無理だと返したが、やってみなければ私には分からないと、あやかしはその鋭い爪を向けた。
そして、数多の交差の後に、彼女は笑って逝ったのである。苦しくないように、と胸元深くまで突き立てた炎の爪はしかし思いが邪魔してあまりに浅く、故に少女は少女に終わり際に頭を振ってこう告げられたのだった。

「私を殺し切れなくて、でもそれで良かったとお前は結論づけたか。はぁ……嫌になるねぇ」

妖怪は消滅の前に僅かに煙る。せめて形だけでも天へと登りたい心地がそうさせるのか、そんな散り様が妹紅は嫌いだった。だが愛着持っていたこのどっちつかずの妖怪だって倣うように空へと消え逝く。
鈍色の少女は、思わず伸ばしてしまった手の平を、ぎゅっと閉じる。

定命に永遠は眩しくも、醜すぎる。少女には、藤原妹紅という生き方があまりに苦しげに見えたのだそうだ。
だから、殺しきれないことを知りながら、想いのままに殺してあげようとした。どうせ自分にはそういうことしか出来ないあやかしだから、と。

でも、大妖怪に手が届くほどの力を持ちながらも、彼女は妹紅が火を帯びて蘇る度にその勢いを弱めていった。
人の血なんて何度も浴び慣れたものであれども、この人の熱を奪うことなんてとてもとても厭らしいものとしか思えなく、故に何時か妖怪は想いに止まる。
またそんな隙を逃さぬ永遠の生きたがりなんてあり得ずに。
落涙の暇もないまま月夜に続いた彼女らの命をかけたぶつかり合いは、こうして当然のように無駄に終わったのだった。

もう、魂を基に勝手に修復されてしまう妹紅には傷ひとつなく、彼女が臥した地面にもその影形もない。
強い風に、数多の葉のざわめきがうるさかった。だが、耳をふさぐ程のものではないそれらをは無視すべきものであり、だがこの胸の引っかき傷は治すべきものでもないと妹紅は理解している。
滅多にないくらいの熱量によって天まで焦げた竹林の隙間から朝日降り注ぐ中、彼女は断言するように呟く。

「お前は私の友じゃなかった」

限り合う時間を共にし、会話することもあるだろう、共闘することだってひょっとしたらあったかもしれなかった。
ただ間違いなく、妖怪は隣人ではない。それは分かっていたが、でも。

「ただ……これからも私の傷として貴女も永遠を生きるだろうよ」

言い切り振り返らずに、去る。銀糸のような長髪だけが心を表すようにその場に引かれ、しかし瞬く間に遠く去った。
この場に目立つ墓標など要らない。だがまた何時か、忘れずに訪れると少女は決めている。

「はぁ。久しぶりに、里でも向かうかねぇ……」

凸凹に慣れすぎた足取りはこれまでと何ら変わらずに。
だが私に必死に優しくしようとした妖怪の心ばかりは決して死なせないと、今日も藤原妹紅は背負っていたのだった。

 

妹紅は、それなりに人里には訪れている。
いや、現在は竹林を住処としているが、その昔里に厄介になっていたこともあったからには慣れた故郷のようなものでもあるのかもしれない。
だが、その当時と同じものはこの場にほぼないのだ。人の賑わい、擦れ合い自体に変化はなくとも、しかし誰一人たりとて親しんだ彼らがなければ、郷愁ですら違和感でしかなかった。
新しくなった家の形に、変わらない屋敷の古びた様に過ぎた年月を覚える。子どころか、背を曲げ子を杖とする老婆にすら可愛らしさしか感じなければ、もうダメだ。

「ここはもう、私の居るべきところじゃない、か……」

変遷しゆく全てが他人事。私の愛は過去に止まって、終えてしまっている。乾ききった瞳を、思わず少女は瞑るのだった。

私は私でしかない。それがこんなに辛いのはどうしてか。きっと生きることが罪で私は罪そのものであるからだろうと、少女は何時もの通り結論づけてしまう。

曖昧になりたい。今はまだ日が高くとも、既に酒に浸りたいと傷心から妹紅はつい思った。
だが茶屋が似合いの少女が、呑兵衛と同思考を行っているとは傍は考えられない。
一瞬の辛そうな面。それを見咎めた彼女は、彼女に小さく声をかける。凛とした響きが、喧騒の中を真っ直ぐ通った。

「もし、そこの銀の髪美しい貴女」
「なんだい、それが私のことなら嬉しいね」
「ええ、貴女のことです――――永き歴史を帯びた、貴き方」

灰の少女は、褒め言葉にゆっくりと振り返る。赤く、紅い瞳は間隙をなぞって、やがて同じくらい朱い瞳に辿り着く。
ふわりと微笑む、とても柔らかな面をした彼女は、紅白のこの場の誰より目立つ衣装をしていた。当然集まる、目と目。
これは自分の纏うくすんだ色の朱と白よりもよほど上等だなと感じながら、妹紅は初対面の今代の博麗の巫女へ、声をかけた。

「なんだ、巫女さんかい? 残念だが、私には祈祷や口寄せ、占いなんてもんには興味はないよ?」
「いえ、私は確かに巫女でもありますが、ただの里の人間でもあります。ならば、わざわざいらっしゃった方が憂いを帯びていたら、払いたいと思うのも自然でしょう」
「ふうん、里の人間、ねえ……いや、巫女さんは神社に籠もってるような印象があったからね、まさか心配されているとは思わなかった」
「そう、ですね……確かに私が珍しい類であるというのは、理解しています。ですが私はこの地の人間でもあり、その上で貴女の悲しみを見逃せません」

瞬きもせず見つめてくる真摯な瞳には、陰りなんて欠片もない。周囲の人垣だって、この子と自分を見つめて溢すのは柔らかな文句ばかり。
なるほど、年端も行かぬこの少女は信頼されていて、また愛されてもいるのだろう。それだけでなく、愛すべき存在であるというのもなんとなく、見て理解できる。
そして、悲しみと断言されてようやくあの子を亡くして悲しかったのだと気づいた妹紅は口元を歪めた。

「ふっ……」

彼女は頬を掻いて、空を見上げる。すると空はまだまだ青くて酔に紛らわすにこの心の痛みは生きるに必要すぎた。ならば、偶には見知らぬ人と交わるのもいいだろうと考えてみる。
勿論、仲良くなり過ぎはしないように。そう思いながら妹紅は。

「いや、あんたったら随分優しいんだね……えっと」
「ああ、申し遅れました。私は博麗慧音と言います」
「やっぱりお嬢ちゃんは博麗の巫女様か……私はそうだね、藤原妹紅と言うよ」
「そうですか……やはり」
「うん?」

別に名前なんて嘘でも良かった。しかし、この真面目な子の前で、下手をするのも悪いと思う心がある。
良心なんて、もうあまりないだろうにと偽悪ぶりながら、妹紅は少女――慧音――のやはりという呟きに首を傾げた。
先からこの少女は自分を知っているようであり、だがそれでいて全てを知らないのだろう、恐れもせずにむしろ認めているようでもある。
なら、どうしたいのか。続きが気になった妹紅はしばし慧音の小さな唇が再び開くのを待って。

「いえ。急ぎの御用がなければ、これから私の家までいらっしゃいませんか?」
「んー? 別にいいけどさ、どうして慧音、あんあたはこんなに私を気にするんだ?」
「いえ、貴女の欲っしている物を……きっと私なら用意できると思いましたので」

そんな不可解な言葉を聞くのだった。

 

沈黙に響くは近くの木々に乗った鳩の声。
人の囲いを抜けて、そのまま向かった慧音の家は想像していた以上に里の外れに鎮座していた。
お邪魔したところ、慧音がお友達を連れてきたと喜んではしゃぐ彼女の母を落ち着かせるのに時間を使って、しばらく。
身体は弱いのだという年かさの彼女が隣の部屋にて再び床に就いたところで、本の山々に威圧されながら、妹紅は向き合った慧音に向けて言葉を紡ぐ。

「それで、単刀直入に聞くよ。慧音、あんたはどこまで私のことを知ってる?」
「何でも、という訳ではありませんが、伝え知る限りの情報は集めています。……見ての通り、私は本の虫でして」
「それで、私のことを識っていると? ふうん……私の存在を記すなんて、変わり者もいるもんだね。その中で私は何と?」
「そうですね……大体において、貴女は不死の仙人のように描かれてました」
「はは……私は仙人でも何でもないが……そうか、あんたは私が不死と知っていたのか」

妹紅とて、人の口に戸は立てられないとは理解してた。そして、そもそも彼女はどうせ亡くなりゆく彼らの口をわざわざ塞ぐようなことはこれまでしていない。
すると、残るは妖術を用いる不老不死の噂。そんな眉唾もの、本来信じるには足りないだろう。そして、信じたとしてそれは妖怪とどう違うものか。
そんな人間にはどうしようもない存在を前に、しかし慧音という巫女は憂いをすら見逃さずに想っていた。
勿論、己を見つけたのは偶然ではなく稀な存在が里に入ったことでの監視からであるのだろうが、それにしたってこの子は初対面の自分に優しすぎやしないか。

少しそれがおかしいと考えた妹紅は率直に、問った。

「なあ、慧音。確かにあんたが知るように私は不老不死だ。生きるに飽いて、死ぬに死ねないバケモノさ。そんなものに、どうしてあんたは優しい瞳を向けるんだ?」
「そんなの、決まっています。私は貴女が優しき人であると識っているからに他なりません」
「それはどういう……っと」
「どうか、目を通して下さい」

採光十分とはいえ、少し暗ったくなった空故に物は多く影をまとう。そのために、おもむろに渡されたその大小様々な紙は少し重々しく思えた。
請願のような少女の言葉に急かされ、ようやくそれを捲った妹紅は暗がりに炭を追う。

「これ、は……」

黒によって綴られた文は、下手も上手も大小様々。そもそも、多くが破れ褪せていて、古いのは伺えた。
だが、その内容は妹紅という永遠にとっては新しくすらあるものだ。しばらく、それこそ慧音が油に火を灯すようになるまでも妹紅はそれを読み耽っていた。

気づけば溢れる涙。拭っても止められなく、でもこんな大切なものを汚してしまうのはダメだと上げた瞳は優しくこちらを認める慧音の姿が。
ぽろりぽろりと落涙続けながら、妹紅は問った。

「どこに、あったんだい、これらは……」
「大体が、博麗神社に収められていました。……きっと、私のような巫女なら貴女と遭う機会もあるのではと思われたのでしょう。それ以外も、先祖代々残された文の調査や、神棚に置かれたものもありましたね……総じて、殆ど全てが大事にされていました」
「そう、か……ははっ、どいつもこいつも、忘れろって言ったのになあ……」
「忘れられませんよ。それが大切である限りは」
「そう、か……」

暗に貴女は大切にされていたと断じる慧音。目をこれ以上なく赤くした妹紅は、自分嫌いな己の部分が否定したがってもそれに真っ直ぐ頷かざるを得なかった。

なにせ、ここに残って綺麗に包んで纏められてあったのは、以前妹紅が人里などで関わりあった人達が彼女へと宛てた文。
時代もバラバラで、古いのは最早妹紅であっても忘れていたような書き方であったりしたが、それでも殆ど全てに感謝があり、また再び会いたいともあった。
無論、妹紅の不老不死を知って別れた大概であるからには、一時彼女を忌み嫌っていた者だっていただろう。だが、それを誤りとして謝って、それで忘れた妹紅を忘れられないと悲しんでいた。

ああ、なんで私はこれらに背を向けて、独りを気取っていたのだろう。
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
そう、人は暗愚で、でもだからこそ想いあえた。
彼らの生と死を想わず、友となりたがっていた彼女を傷にして、そうして塞いでいたなんて。なんて鈍間な、独りよがり。
罪は生きることではなく、生きたがらないこと。そう解した妹紅は、震える身体を抱きしめ声を漏らす。

「苦しいな……慧音」
「ええ、でも。貴女は独りじゃない」
「それは……そう、なんだな」
「ええ」

理解は永遠に成されないものと思っていた。だがしかし、人は苦しんでも前を向けるもの。勿論、恐れに負けて文も残さず没したものだって数多あったろう。
でも、愛ばかりは残る。それを識っていた慧音は、だからこそ貴くも人々の友であろうとした不老不死なだけの少女の憂いを許せなかったのだ。
彼らの願いを元に、幸せになってと慧音は妹紅に手を伸ばす。

「歴史は貴女を決して独りにはさせません。貴女が必死に愛そうとした事実は、この世に数多残されていた」

その手は震えていた。受けようとする手だって、常ならず揺らいでいる。
ああ、何故泣く巫女よ。あんたなんて、誰とも関係のない一人なのに。それでも、私を彼らの思いに感じて想うか、想ってくれるのか。

だが、果たしてそれがどれだけ尊いものか、本当に君は分かっているか解らない。それが少し辛かった。

「だから、私も彼らに倣って貴女を愛したい……どうでしょう、妹紅。私と友達になっては、くれませんか?」

再び無理して作られた微笑みに笑みを返す。
そして、握った久しぶりの手は何よりも暖かく、柔らかくって、過日の幸せを想起させ。

「ああ、勿論だ!」

応諾した永遠の少女は、だからこそ歴史帯びた少女の友であり。

 

 

ある日ある時墓もない彼女のために祈る彼女の元に、影。

 

「ん――――あんた、誰だ?」
「私は、私は……」

 

「誰、なのでしょう」

永遠の灯火とすらなるのかもしれない。


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