第三十二話 素敵な一日

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

氷の妖精チルノにとって、住まう湖の周囲の霧の色が変わろうとも大したことでなかった。
自然の権化である多くの妖精は変化を気にするものだが、永遠の氷華である彼女には背景色の変化程度で怖じる心なんてない。
故に此度の紅霧異変においても、遊び呆けるためのチルノの日常は続いていく。
大ちゃんと彼女が名付けたそれなりに力ある妖精と一緒に、赤く暗い空に怯える子たちを引っ張り最近流行りの弾幕ごっこに興じ、自称さいきょーの彼女は沢山の一回休みを生み出した。

チルノは自身が生み出したぷかぷか浮かんだ氷の一つの上にふんぞり返って、彼女のスコアと化した氷漬けの妖精たちを見下ろしながらこう言った。

「まったく。みんなったらだらしないわねっ! 大ちゃんを見習いないなさいよ!」
「あはは……チルノちゃんはとっても弾幕ごっこが上手だから……私達じゃもう、とても敵わないよ」

引っ張る冷たいその手の破天荒ぶりに笑うしかなくて、笑顔が癖になってしまっている大妖精は打倒チルノ妖精連合の大敗北の事実に、そう返しかない。
本日の妖精たちの弾幕ごっこ。チルノが勝った負けたで言うならば、一人勝ち。
それもその筈、氷精チルノは人とほとんどイコールの力しかないはずの妖精の域を超えて妖怪すら時に氷漬けにすることすらある、規格外だ。

「私がさいきょーなのも、困りものねっ。あーあ。つまんないなあ」

だが他者の諦めに、眉をひそめる小さくとも力あるひと粒は口を尖らせて、呟く。
少女が蹴り上げた水しぶきは瞬く間に凍りついて、やがてぽちゃりと水面に沈んでいった。

チルノはバカである。そして単純であり、純粋で恐れすら知らない。
故にこそ、彼女は敵わないことに諦めがちなありとあらゆるものに対して不理解だ。
妖精という不滅だから暢気であるという事実もあるが、そもそもチルノは敗北を真に理解しない。

『私は、貴女が一番強いと思うわ』

だって、妖精だって止まらなければ何時かはどうとでもなってしまうって、それだけは知っていたから。
あれは、とてもいい匂いがする手のひらで私を撫でてくれたけれど、そういえばいつどこに消えたのか。

分からない。それでも何時かどうにか会えるだろうと信じてチルノは今日も暢気する。
この寂しさは、何時だって永遠に友達が紛らわせてくれるだろうから。

「まあ、いいわ! 大ちゃん次は何して遊ぶー?」

チルノは決して代替ではない大体の中で最も彼女に似ている子を前に、気持ちを切り替えた後に首を傾げた。
長くなくとも緩やかに流れる水色の髪が垂れ、大妖精の眼の前で光を梳く。
その元気に、羽根の先までくたびれている彼女は力なく笑ってこぼす。

「あはは……チルノちゃんはまだ遊び疲れてないんだ。私はなんか変な天気もあってちょっと疲れちゃったけど……チルノちゃん?」
「んー? なんか来たぞー! 大ちゃん! 私行ってくる!」
「わ。ま、待ってよチルノちゃん!」

紅に染まりつつある空に何を感じたのか、急にチルノは空を見上げて来たと叫ぶ。
同じ縄張りを持っていても力に遅れる名前なしである大妖精は、その故が分からないまま飛び去ろうとする彼女を追いかける。
見飽きぬ透明な氷の羽根が忙しなく宙を叩く様子を見つめながら、大妖精はチルノをずっと目に入れたまま。

「チルノちゃん、はやいよー」
「あはは、追っかけっこだー!」

そう、自らの名付けの親、己を【大ちゃん】として固定してくれたさいきょーを何時だって少女は見上げ続けていた。
根拠のない自信と、無意味な力の行使、それらを笑顔で振りまくチルノ。台風に付き合っているかのような日々に、しかし大妖精の口角は下がらない。

「もうっ……」

だって、親があり恩もあり、何より友である。
陰らない太陽のような氷。そんな彼女のことを彼女は好きなのだ。
別に、貴女は最強じゃなくてもいい。それだって私の一番には違いないのだから。
そんな思いは語らないから賢くないチルノにはこれっぽっちも通じていなかったが。

「……チルノちゃんは、私がワープできるの忘れてるよね」
「わっ。前から大ちゃんが……むぅ、ズルしたなー!」
「チルノちゃんもズルいよ? 追っかけっこはよーいどん、ってしなくちゃダメでしょ?」
「あれ? 私ちゃんとしてなかった?」
「うん」
「そっかー。ごめんね、大ちゃん」

でも、チルノにだって大妖精が今一番の友達であるのは事実。
だから彼女なりに彼女の話は聞こうとするし、間違っていると知れば謝ることだってある。
とってもいい子なんだけれどなあ、と霧の湖の主と妖精や木っ端妖怪達に恐れられているチルノを見上げる大妖精は変わらず笑顔で。

「いいよ、チルノちゃん。それで、その誰か来たっていうのは……」
「あら。出迎えと思えばただ羽虫が湧いてきただけ? つまらないわね」
「っ!」

そんな歪な親愛に、冷笑一つ。淡い緑の権化に、花の妖怪は三角を付けた。
大妖精の前に顕れたそれは、正真正銘の幻想郷最強。大きすぎて気付けないほどの究極を持ったその神の域をすら乗り越えてしまった妖怪はつまらぬと呟きながらもこの場の誰よりも笑顔で。

「あ、幽香だ! 元気してた?」
「ええ、それは勿論。貴女をこの世から滅ぼすその時まで、私は死ねない」
「幽香ったら、相変わらずね!」
「えっ、と……なんか物騒だけどチルノちゃんの、知り合い?」

そんな彼女を、彼女は久方ぶりに思い出すのだった。

 

鬼が居ずとも世界は廻るが、最も邪たる存在が途中に留まっていれば話はろくに進めない。
ラスボス裏ボスよりも強力な最強が道中に浮かんでいるというのは、つまり絶望に近いことだった。

風見幽香を相手にするなというのは、幻想郷の殆ど全ての存在が識っている道理。
●●慧音こそ特例的に幽香と親しくしてはいたが、それ以外は回れ右。
それはそうである。慧音以外の誰が向けられた針先と仲良くしようとするだろう。

最低でも、博麗霊夢はそんなこと考えたことすらなかった。

「はぁ……なんか、想定外ね。こんな近くに大物が居るなんて」
「あら? 貴女は……今代の博麗の巫女ね。見ての通り今私は再会を楽しんでいたところよ? 何憚ることなどしていないわ」
「……あんたの言う再会相手、ぼっこぼこだけど?」
「うーん……」
「チルノちゃん、チルノちゃん!」
「あら。序の口で倒れちゃって、この子は。もうちょっと頑張って欲しかったところだけれど」

さて。巫女としてのシックスセンス、当人曰く勘を用いて霊夢は異変の主を追っていた。
そして胸元の疼きに正直になって進んだところ、たどり着いたは霧の湖。

妖精共がうざったくなるくらいに溢れているばかりのそこに何があるのかと思えば、閃光一条。
あまりの威力で広範囲を薙ぎ払ったそれの源泉に着いたところで、出くわしたのは風見幽香。
彼女は半ば以上溶けた氷精を眼下に、蕩けるような笑みを湛えていた。

「……弱いものいじめが好きみたいね」
「ええ。好きよ。もっとも私にとって殆ど全てが弱者だから、何をしてもそうなってしまうのが難だけど」

幽香は先代からも《《教わった覚え》》がある、曰く最強。
最悪とはそれ以外の他人からよく聞いたものであるが、どちらにせよこれは今回の異変に関係のある存在でないと巫女の勘は語る。
なにせ、世界を掌握するのだってこの存在には異変なんて小細工一つ要らないだろうから。

感じるのは茫洋とするまでに窮まった単純力量。こんなの、ただの妖怪に収まっているべきものではなく、そんなのが幻想郷をふらふらしている事自体、おかしい。
だが、事実風見幽香は眼前にて風に揺れていて、美しくも残酷に妖しく微笑んでいる。

最強は、桜より花の唇を動かし、こう呟く。

「ねえ。今代の巫女はこんな私の勝手をどう思う?」
「どうでも……あ、私には博麗霊夢って名前がちゃんとあるわよ」
「ふうん……そんなところは、あの子と似て非なるもの……つまり博麗霊夢は彼女と背中合わせなのね」
「っ!」

霊夢は天蓋を持ち上げる花弁の言葉に眦を上げる。
そして語りすぎずとも、向けられたその深い赤の瞳は何より雄弁。

違うなら、要らない。

あんたなんてどうでもいいという霊夢の捻くれた言葉以上に博麗霊夢を無価値と断じて興味を欠片も載せずに瞑られた。
幽香は、再構築されつつあるチルノの方を見直して、独り言のようにこう言う。

「なら、私にとってもどうでもいいわ」
「……なに、逃げるの?」
「逃がしてあげるのよ。良かったわね、霊夢。私が無防備な背中を見てもきっと疼かないだろう相手はそうないわよ?」

実際風見幽香はターゲットを射抜き損ねることなどまずなければ、誰もかもを平等に害したくなるくらいの博愛主義だ。
興味を引くことすらない相手なんて珍しく、それが恋しい相手、●●慧音の拾い子である事実を思えば本来ならありえないことだろう。

だが、実際幽香は霊夢を面白いとは思えない。
上等で精緻なほぼ無敵。なるほど、敵対すれば苦戦することだってあるかもしれないが、幽香はそんなマゾヒズムな状況に興奮するような性質ではなく、むしろ究極のサディスト。
誰もかもの目を引く主人公相手だからこその故の、無視。霊夢が立場のために勝ち負けを欲しているならば、どちらもあげないのが正解なのだと最強は理解していた。

「上等っ!」
「あら」

そして、当然のように木っ端扱いされた子供は猛る。
怒りとともに引き出されるのは、とても優れた自力。これはなるほど年齢に合わないどころか幻想郷でも最強クラスに立ち向かえる程のものを持っている。
その純な霊力天才はそれくらいに少女の自信を支えていて。ましてやこの上天生まで携えているのであれば、鬼に金棒のことわざをすら超えていた。

少女から吹き上がる力に水に浮かぶチルノとそれを抱きしめる大妖精は流されていく。妖怪の前髪すらさらったそれに感じるものがないことはないのだが。

「その程度?」
「な」

だからこそ、風見幽香は酷くがっかりする。
力で比すな。そんなもの、最強には及びもつかないものなのだから。別の得意を並べるならともかく。

茫漠たる一片。彼女がそれを起こすだけで世界は塗りつぶされる。
霊夢にすら死を感じさせるほどの緊張。スケールの差異は絶対だがこれは最早例えるならば銀河と土塊。それ程の力が、いち妖怪から発されるものとは。

その場の殆ど何もかもが、彼女に対する恐怖に凍えたそんな中。

「――私を、無視、すんなー!」
「ふふ」

更に小さなものが無限に近い彼女に向けて弾幕を生成する。
最強に向けて突きつけたは、数多の氷の鏃。そんなものなど避ける価値すらないはずだが、大袈裟なまでに回避を選んだ幽香の口元は今日一番アルカイックに歪んでいて。

「やはり、貴女が一番強いわね」
「とーぜん! 私は、さいきょーよっ!」

氷精一匹相手に全霊を向けていた。

チルノは、思う。おひさまの匂いのする友達、幽香。さっきは一発で熨されちゃってこんなに差がついちゃったのは悔しいけれど、でも同じ《《もと妖精》》として。

一人になんてさせてあげられないから、だから敵わなくったってこう叫ぶんだ。

「幽香と一緒!」

離れたって、思う。
ああ、それはなんて純粋な愛で、どうしようもないくらいに馬鹿らしい夢想でしかないのだけれど。

「ありがとう」

故に、誰も届かぬ高嶺の花は一時の温かさを得て。

「またね」

でも敵対するならば壊さなければね、と圧倒的な光線を走らせて。

「ああ、また会ったな、幽香!」

途端また大切にしたいものと再会することになった。
妖精なんかを庇って、いいや幽香の心を守るためにと攻撃を遮ったはもう巫女ではない、もう一人の友達。
上白沢慧音は、どうしてだか歴史とともに幽香を忘れてくれていないようで、焦げた手のひらを向けたまま相変わらず歯向かってくる。

「ああ……」

それが、幽香にとっては至極の幸せ。花は一輪でも生きれるが、その孤独に価値はない。

「ふふっ。今日は、素敵な一日ね」

だから、紅に陰る陰鬱な日々の終わりを前に、風見幽香はフラワーブーケの喜びを覚えて子どものように、何時かのように微笑むのだった。

 

「……っ」

そして、そんな彼女らの物語に、博麗霊夢の影はない。

「……ぁさん」

震える子どもはだからただ、縋るように彼女の背中ばかりを見つめるのだった。


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