現在魔法の森に住んでいるアリス・マーガトロイドという少女は、魔界から幻想郷に訪れた、当人曰く都会派魔法使いである。
そんな彼女の優れたところは洗練された美貌や所作だけでなく、秘めた七色の魔法の一片にですら綺麗を忘れない洒脱さによっても理解できるもの。
また異界からふらりとやってきてすぽんと頂点に収まった、かの幻想郷の花冠風見幽香にすら認められるその実力を思えば、本来どこぞの派閥に入って権勢を奮っていても不思議ではないものだ。
「はい……それでいいわ、ありがとう」
だが、意外なほどにアリスという少女は無垢。力を欲さず、恋に照れて、愛を忘れずに。
そんな乙女な魔人は今子供がするように、小さな人形さんと会話中。だがそれがおかしく映らないのは、きびきびとその人形たちがアリスに対して給仕を行っているからだろうか。
半自動稼働人形上海に、蓬莱を筆頭とした人形群。それらは、時にコミカルなミスを犯しながらも、バケツリレー的な抜群のチームワークにてお茶を淹れてアリスの元へと運ぶことに成功する。
ぬるめのお茶を飲んでから冷静に、茶器を運んでから淹れたほうが効率的ねと三角形の評価しながら、しかしアリスは笑んで人形たちを撫でてねぎらうのだった。
全体的に幻想郷に合わない洋風なそんな童話的な全てを認めて、初見の者が驚かない筈もない。
案の定、複雑な術式を愛らしさでくるんでしまったそのセンスを含めて驚愕した彼女は叫ぶように感想を言う。
「いや、アリス……君も凄いものだな! 私には、この子達が簡易な定常処理を組み合わせているだけには思えない……いや、生命を感じる程の愛を覚えるよ。素晴らしい」
うんうん頷くなんだか少し若返った様子の彼女、上白沢慧音は気真面目にも、この子達生きてるみたいで可愛いねというだけの言葉を長めに換えながらニコニコだ。
これだけ喜んでくれる観客が居れば、それは演出者兼エンジニアとして嬉しくないことはない。だが、それにしても喜びすぎな気がしてしまうのは、このすべてがアリスの力であるという訳ではないからか。
手元ある鍵の付いた魔導書をぎゅっと握りしめながら、言い訳のように少女らしい少女は言った。
「そうかしら……私からすると、手慰みにはじめた母さんの真似事で、拙いものと思っているのだけれど……」
「神綺はそれこそ魔界における神だからな……最初からそういうものである人と比べるのはまあ、上手いこととは言えないな。だが、先人を真似ることこそ上達の秘訣には違いない。実際この子達は、我が子にしたいくらいに愛らしくて……」
「シャンハーイ!」
「うおっ、喋ったぞ! なんて可愛らしいんだ……」
「はぁ……慧音は、単純ね」
なんだかくどくど言っていたが、戯れに上海人形に魔力で編んだ糸を送り、手動操作をして声を発させたところ、目の前の麗人は一気にめろめろになった。
先にアリスが行った撫でよりも気合の入ったそれに、上海人形の毛髪の行方が心配になるところだが、実際慧音とて一児の母でもある。加減は心得ているだろうし、きっと上海人形が地蔵の頭と化すことはないだろう。
むしろ、とごちゃごちゃ言っていた中に一つからかいの種を見つけたアリスは、含み笑い一つ。冗談を口にするのだった。
「それにしても、慧音。貴女さっき娘がグレたみたいなこと言ってたけど……そんな人に上海を私が差し上げると思う?」
「うぐっ、違うんだ霊夢! 私は確かにあの日のいっときだけ霊夢を忘れていたが、だが何時もそれ以降は片時も忘れていな……いや流石に読書中は数えないで欲しいと思うが、それでも……」
「シャンハーイ……」
「慧音! 上海が潰れちゃいそうだわ! 抱擁を緩めて!」
「あ……ああ、すまなかった……うう、霊夢ー……」
「はぁ、やぶ蛇だったみたいね……」
溜息を吐く、アリス。慧音から期待通りの面白い反応は得られたが、しかしそのために彼女が抱きしめた上海人形の整えたおべべはシワシワになり、そして人形を襲った下手人もしとしと泣きぬれだしてしまった。
しかしこの、へっぽこに思える女性が過日に魔界を襲った災厄の一つであるというのだから、アリスとしては困ったものである。
悪霊と巫女と花の妖怪。それらは現在魔界では属性すら恐ろしいと、未だ真似すら禁止されているレベルであるというのに、その一つの実態はこんなぽんこつだ。
魔界の神にすら迫った、というか迫りすぎて普通に仲良くなってしまった巫女、元博麗慧音はだからこそその縁もあり今も時折魔神、神綺が大事にしている幻想郷唯一の魔界人、アリスの様子をこうして時に見に来たりもする。
「うー……無視するのは、お母さん、半獣になっちゃったから? 霊夢、ごめんなぁ……」
しかし今回はどうにも情緒が不安定になっているようで、一言でコレである。情にへにゃへにゃしている最強クラスの隣人に、流石にどうにかした方がいいと感じたアリスは声をかける。
「ほら……私が落ち込ませといて何だけれど、しゃんとしなさい。そんな姿じゃ、霊夢って子も心配するわよ?」
「あ……そ、そうだな。うん。すまない、アリス。醜態を晒してしまって、申し訳なかった」
「いいわよ、そんなの……あ、それで……まあ、改めて聞かなくても大丈夫そうだけれど、この子達を人里で芸をさせても大丈夫そう?」
不安そうに対面の年上を見上げるアリスに応じるかのように周囲の人形も慧音の元へと縋り付く。
姉妹にすら見える金髪少女っぽい子たちにうるうると見上げられ努めないと口角が持ち上がってしかたなくなってしまうような、そんな内心。しかし慧音は胸を張っていい切るのだった。
「ああ、勿論! アリスとこの子達が一度劇でも行えば、それこそ千客万来のことだろう。隔絶した技術に憧れは起きにくいだろうし……というか、その時は呼んでくれ。私も是非見てみたい」
「ええ、その時はちゃんと日取りを教えるわ」
「ああ! 最前列で見させてもらう!」
「……どれだけお客さんが来るかはわからないけど……大人はなるべく遠慮して後ろで見て欲しいわね」
「そ、そうか……うん。分かった……」
きっと、可愛らしいものが好きなのだろう、人形たちの給仕の動作一つで虜になってしまった慧音は、観劇を遠巻きにしなければいけないことに不満げだ。
子供向けの劇は、アリスの自律人形作成という目標のための訓練のいちとして行うつもりだったが、しかしこうも強いフォロワーを得てしまうとは彼女も思ってもいないものだった。
どこか面映ゆく感じながらも、陶磁の頬を掻きながら仕方なくアリスは代替案を口にする。
「はぁ……貴女には、またいつか特別にショーを見せてあげるから。最初は大人しく観ていてね」
「あ、ああ! ありがとう、アリス!」
「むぎゅ……こら……キツいわよ、慧音……離しなさい」
「シャン! ハイ!」
「あ、またきつく抱きしめてしまったか……すまなかった……」
そして、感激のために慧音がつい行ってしまったのは、抱きしめ。愛を示すそれを受けたアリスは、相手の胸部の分厚いものに呼吸すら封じられそうになり、あっぷあっぷである。
慌てて上海人形を繰り、彼女に慧音の髪を引っ張らせて正気に返らせたが、危うく女体に物理的に溺れるところであった。
離れていく愛らしい他人の母のいかにも申し訳ないという表情をすらどうでもいいと大きく息を吸ったアリスは、戦慄とともにこう呟く。
「ふぅ……半獣になって貴女随分と身体能力上がってるわね……しかし、母さんどうしてコイツにハグなんて教えたのかしら……ちょっとした武器よ、コレ」
「ん? 武器とはどういうことだ?」
「自分の胸に聞きなさい」
「うん?」
首を傾げる、慧音。その際に、彼女の持つ持たざるものを苛立たせるにはあまりある質量は、ぶるりと揺れた。
それが母性の象徴、とは言うがこの低身長にその大きさはあまりに不相応だとアリスは思えども言わない。言ったら負けだと、彼女は勝手に思っているから。
代わりに、乱れた髪を直しながらアリスは続ける。
「ああ……そうだ。そういえば、母さんが貴女宛に手紙を送ってくれたわ……はい」
「シャンハーイ!」
「おや、アリスかと思ったら上海が差し出してくれるとは。ふむ、神綺からの文か、久しぶりだ。ありがたくいただくよ」
「後で読んでおいて」
「じっくり読ませてもらう」
先の抱きしめ攻撃再びの事態を恐れたアリスは、上海人形を繰って手紙を送らせる。とことこ自分の元にやってきた人形のお利口さに慧音は満足げで、そして何より手紙の相手を思う彼女は親しさを隠せていない。
まあ、それもそうだろうか。ちょっとアリスがむっとしてしまうくらいには慧音と神綺は仲が良く、魔界と幻想郷に結界を敷き別れる際には二人涙を流して抱き合っていたくらいだったから。
神綺曰くママ友ができて嬉しかったわー、だそうだが神と人ではなにか違う気がしなくもなく、そこら辺を受け入れられる鷹揚さは、まだアリスにはない。
「はぁ」
「何かな、アリス?」
兎に角、この人は母の友で自分の友でもある。
まさかそんな人が。
「貴女が巫女を辞めたって知って、神綺はどう思うかなって」
「うぐ……それは……いや、流石に職なしの今はどうかと思うが、私だって何時かは何か仕事には就くつもりで……」
「そうじゃなくって」
「うん?」
相変わらず、何もかも識っていそうなのにあえて首を傾げる唐変木。
だが、未だ子供じみているアリスだって、この慧音という人だった人でなしがどれだけ稀な存在であったかくらい理解っている。
それこそ、大事に成りそうだった魔界と幻想郷の境界の乱れ。それを壊して正して誰もかもを魅了したその実力は、いかにも巫女として最上のものである。
そんなものを獣だからと手放して、この世は果たして正しいのか。アリスはそんなこと分からないが、勿体ないとだけは間違いなく思えて。
「ねえ、魔界の神の巫女になら、今直ぐにだってなれるのよ?」
だから、そっと口づけするように寄った彼女は、耳元で小さくそんなことを口にしたのだった。
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