第六話 きっと、朝は

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

先代の巫女である博麗慧音は、縁から繋がりしばしば永遠亭に訪れる招かれざる客である藤原妹紅を抜かすと、境界の妖怪以来となる八意永琳お手製の結界を見抜いて訪れた存在だった。
つまり、彼女はまともな人間としてはじめて月の賢者の敷いた術式を破った程に稀有な実力を持った巫女である。
これには、いと高き太古の知恵をすら持つ賢人、永琳は心底驚いたものだった。

「おお……この結界のさりげなさといったら……素晴らしい! ふむ、言語も違うな? 神社の奥の巻物に認められていた神代の言葉に似ているが、より洗練されていて……それでいて旧くもある。いや、誰がこんな隠蔽の結界を敷いたのか……」

とある夜、彼女は付けていた式によって境界の異変を覚えたために、これは匿っている輝夜らを狙う月の使者にでも見つかったかと勇んで駆け付てみれば、そこには何やら結界にぺたぺた触れながら凄い凄いと驚嘆している様子の少女の姿が。
紅白めでたい衣装を着込んだその子供がこの地の巫女であるというのは永琳にも察せたが、だがそれだけ。
そう、力を持っているただの人間でしかない筈の少女に、精密な機器等によって感覚器を拡張させた月人達の調査をすら潜り抜ける自信すらあったこの観察を寄せ付けない結びが、看破されてしまうとは。
その何となくユーモアを帯びた所作に囚われずただ事実に瞠目する永琳は、無意識に――これも彼女にとっては珍しいこと――少女の元へ寄ってしまい、その結果彼女の足は踏みつけた枯れ枝をぽきりと欠いた。

「おや……貴女は?」
「そう、ね……」

音に慧音が見上げた紅玉のような瞳は、永琳の姿と月夜を映してきらきらと輝く。
知恵の深さは決して角膜の照り返しに表れるようなものではないが、しかしそのとても親しげに不明な存在を受け入れている彼女に危機を覚えない程の好奇心の強さばかりは感じられた。
それは、正に。永琳は、何時ぞやの鏡の中に居た己を再びここで見つけたような、不思議な気持ちになる。
思わず口ごもった彼女は、ずんずんと近寄ってきた少女の喜色に更に二の句を継ぐことを控えたくなってしまい、結果的に黙す。

そして、永琳が武器を構えすらしていなかったからだろう、それだけで経験上話が通じる相手だと判断した慧音は、仰ぎたくなるほどの知恵者に出会えた幸運に有頂天になって。

「察するところ、貴女がこの結界の制作者ですね! いや、会えて幸運です!」
「あ……」

永遠に擦れ合うばかりの孤独な魂の手を取ったのだった。
感じる、熱。本日何度目かの驚きに瞬いてから思考すら停まった永琳。振りほどかれない手のひらに無遠慮な敬意を受け入れられたと更に喜び増させた慧音は、まくし立てるように続ける。

「私は、博麗慧音と申します! この地で巫女を行っていまして結界に関しては多少の知識があるものと自認していたのですが……それも自惚れだったようですね」
「貴女は……この結界に何を見たの?」
「秘密と、愛を」
「っ」

この世の道理につばを吐いた蓬莱人。不老不死となった彼女らの永遠の住処。結界は、そのためのただのこの世との間仕切りだった。
だが、歴史に不断の人の愛情を見る変わり者の少女は、そこに酷く綺麗なものを見て取る。
この、懸命なまでの複雑は、無意味なまでの欺瞞ぶりは、徹底させたものはきっと紛れもない愛。頭でっかちの慧音にそればかりが、透けて見える。

「だから、この結界を創っただろう貴女はきっと優しい人なのだと私は思っています」

誰知らず、少女の眼前で目の前の女性の喉が鳴る。
ああ、何が優しいだ。多く人を見捨てて彼女のために自ら殺しすらした私のことを何も知らず、しかし希望ばかりは満面で。
こんな知りたがりの無知、ずっと前に私は棄てていて、だが今こうして目の前に戻ってきた。何の因果かと永琳は月を仰ぎそして、また今度地べたの彼女を見下ろす。

思っていたよりずっと冷たかった、そんな相手の手に慧音は更に温もりを与えようと強く握りこむ。だから、永琳は握り込まれたその手を放した。

「そう……いや、ありがとう」
「あ……」

握手を振りほどくという、軽い拒絶。私と貴女は違うという、その証を受けて慧音はがんとした感を受けた。
少し歪になった笑みで、彼女は永琳に言い訳するように続ける。

「すみません……私とてこの結界の認識阻害の意味くらいは把握していますので、私が招かれざる者であるとは承知しています。とはいえ、ここまで精緻な……それこそ友の創るものより芸術的な結界を見るのは初めてで……つい、興奮してしまいました」
「そうね。私は貴女を認めた覚えは確かに、ない」
「それは……いえ」

改めて、凛と立つ八意永琳は余計なものなど容れんと言わんばかりに怜悧。
果たして、天に届く才能をどこまで引き延ばせばここまで鋭くなるのか。そう、感じてしまう程に彼女の達した位置は孤独のようだった。

そんなものを見た少女は、僅かに泣きそうになったと思いきや、一変。真剣にルビーの瞳を眦とともに尖らせ、慧音は永琳が想像もしなかった一言を、告げる。

「なら、何時か私は貴女を認めさせます」
「……難しいわよ?」
「いえ。例えば、今が夜なら」

眉根を寄せる永琳に、変化の予兆はなく、だから彼女は己は変わらないものだと理解している。だが、それは嘘だと慧音は首を振った。
知恵者同士に多分な言の葉は要らない。だが、少ないならばそこに決意を持って力強く。
少女は空を指して、それこそ月を穿たんほどに真っ直ぐ伸ばして、言い切る。

「きっと、朝はやって来ますから」

宵は更けて闇染まりきり、明けまではまだ遠く。だが、少女の瞳は希望で眩まんばかりに輝いていて。

昔、そんな夜があった。

 

「これでお終いよっ」
「そうは行くか……くらえ!」

夜通しの戦闘の結末として、ぴちゅーん。
やってきた朝日と反するようにどさりばたりと空から二つの人型が墜ちる。

「きゅう」
「う~ん……っ、このっ!」

方や煤けて、方や満身創痍。だがそんなひどい状態であっても、まだ五体満足であれば蓬莱人の彼女らは戦闘行為を続けられる。
案の定傷が深そうな方、藤原妹紅が先に先に強かにぶつけられたでかい一枚天井の仕返しと言わんばかりに隣にて目を回している天敵である蓬莱山輝夜の頬に手を伸ばす。
そして、そのまま煤けた頬を千切らんばかりにつねってやろうと思ったところ、静止の声がかかる。凛とした、しかしどこか甘いその声を聞いた妹紅は手を停めた。

「いけません」
「……慧音」

巫女服以外に身を包んだ、しかし帽子の趣味から予想していた通り奇妙なスカートを中心とした謎ファッションの、唯一不老不死の自分を認めている女性にダメと言われては少女は止まらざるを得ない。
また、それは朝日に染まった慧音がぷんとしているその愛らしさにやる気が削がれたためでもあった。半獣になってから彼女はむしろ幼い容貌に戻ったようにも思える。
妹紅には、くどくど述べるその一言一言ですら、愛言葉のように聞こえてしまうから不思議だった。

「相手を墜としたらそれ以上は攻撃してはいけないとルールで決めていたではないですか。貴女も、制定の日確かに頷いて下さったでしょう?」
「それは、まあ……そうね。分かったわよ。今日は引き分け! もう喧嘩はお終い」

そして、照れた妹紅は積年の恨みなんてもうどうでもいいやと、輝夜の頬から手を引っ込める。そして、代わりに自分の紅い頬を掻くのだった。
だがこれには、もう少しで噛み付いてやれたのにと、目を回すフリをしていた彼女も不満となる。すっくと立ち上がった蓬莱の姫は袖で歪む口元を隠しながら言った。

「それなら、先に墜ちた妹紅、貴女の負けで……って痛た……どうせなら一回くらい死んでおいた方が再生の痛みがなくて楽なのに……私も、慧音の弁舌に煙に巻かれて変なルールに頷いちゃったわね」
「はぁ……輝夜。貴女も煽らないの。……慧音、ありがとう。お陰で姫様が無駄に死ぬ回数が随分と減ったわ」
「いえ……私としてもそれが彼女らの対話の一つだと知ってはいても、野放図にしておいては心荒れるばかりだと思いまして……仕方なく」
「いー。そういう、殺伐としたところが楽しかったのに。最近の子は、過保護すぎよ!」
「はぁ、輝夜ったら……」

死んで良いことはろくにないだろうという慧音の思いやりに、輝夜は己の口の両端を引っ張りケチをつける。
傾国傾城の美女なら変顔しても愛らしいに過ぎるものがあるのだなと、新しい知見を得た慧音は知らず撫でるために彼女の頭へ向かおうとした手のひらを抑えるのに必死。
そんな愉快なところを、溜息とともに永琳は見つめていたが、まさか唯一の理解者がライバルを愛でようという想いを持っているとは考えず、妹紅は一人朝日に向けて呟くのだった。

「まあ、私としては死にたくて輝夜と戦ってた訳じゃないんだから、横から慧音が色々決めてくれて良かったと思うよ。こういうの、意外と当事者だと二の足を踏むものだから」
「そう、ですか……なら、私も貴女と共に生きている意味があったというものですね」
「……そうね」

あなたのためになれてよかった。そんな文句を頭でっかちな彼女が紡ぐと、意外にも平安時代貴族社会生まれの妹紅には特にフィットする感じになるから困ったもの。
また染まった頬を隠すために、赤い日差しに顔を向ける妹紅。慧音は気づきもしない彼女のそんな思いをまるっと判じながら、輝夜は言った。

「にしても、面白いからって妹紅の襲撃を許してたけれど、毎度終わりにこんな面白くないもの見せられるなんて、損が増えてきたわね……賢い賢い慧音さん、そこのところどうにかならないかしら?」
「うん? 面白くないというのが分かりませんが、いや、貴女にとっては彼女との諍いは得でしかないと私には思いますが?」
「はぁ? ……どういうこと?」

素で首を傾げるかぐや姫。そんな、魅力的なものを抱きしめたくならないわけがなく、慧音はそれこそ涼しい顔の裏で必死に我慢しながら。

ふわりと、こんなことを語るのだった。

「なに。生涯の友と時間を重ね合うこと、それが永遠よりも如何ほどの価値を持つかなんて、輝夜こそが分かるでしょうに」
「ふん……頭より達者な口だこと」

そして、そっぽを向く輝夜。彼女が見ている方は奇しくも太陽と真逆の永遠亭の方角。ああ、少女のかけた永遠の魔法が緩んだのは、何時からだろう。
自然、妹紅と輝夜は背中合わせに成った。そして、そのまま彼女らは嫌わずにしばらく。

彼女らは、死闘を厭わぬ敵同士である。だが、友ではないと彼女らは決して言わない。そんな、不思議な関係にまとめ上げたのは、果たして誰か。

「ねえ、慧音」
「なんでしょう?」

この場で誰より賢いはずの誰よりもあえて働きかけようとはしなかった一人は、微笑んで彼女に優しく声かける。
そしてねぎらうように、心よりの本音を少なくも呟くのだった。

「……いつ、朝が来たのか、私には分からなかったわ」
「ありがとうございます……」

そんな八意永琳の発する数少ない確かな価値あるものを聞いて、それに学んであえて真似しなかった彼女は。

「先生」

何時もの通りにそう呼んで、あの日から変わらぬ紅玉の瞳を輝かせながら、朝日とともに彼女を見上げるのだった。


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