第九話 ラブアンドピース

先代巫女な慧音さん 霊夢に博麗を継がせたら無視されるようになった

霧の湖の畔、結界によって消しゴムのように印象無くした空白地帯に潜んでいるいち建築。
先代、博麗慧音の手による封印結界の中に建つそれは、赤い壁面を更に赤い枠で覆い、隙間なくそれを並べて屋根や何やらで紅く飾った、そんな調和も何もなくどこまでも赤一色な、館。
吸血鬼の城であるそれはその名も紅魔館といった。

「ふぅん」

一昔前は外の世界の妖怪たちが幻想郷へと攻め込むための、拠点であった紅魔館。だが散々巫女らにしてやられた後は、敗残者の中でも変わり者達が居残っているばかり。
そこには運命を見通す吸血鬼に、引きこもりの吸血鬼、更に闇に頭を垂れるドラゴンに、天性のストップウォッチな新人メイド等が、のんびりと過ごしている。
そして、更にそこに付け加えるならば、今は外の世界で経済発展に付いていくためひーひー言っているスカーレット伯爵が過去見栄のために蒐めさせた本の山から発生するように現れ、自然それら図書の主となった少女、魔女パチュリー・ノーレッジが挙げられるだろうか。

「……なるほど」

過去の項を参考に、次の内容を予想しながらも今の文章に納得を覚えるパチュリー。
全てが粗野な一文――こんなほんにまじになっちゃってどうするの、といったような――で台無しになってしまうような、それはそれは綱渡りの繋がりによる七変化。
工夫というこの上なく頼りない、だがそんな文の惑いこそ何より彼女の好むところだった。

そう、生粋の魔法使いである彼女は、知識を求め好んで接種するために本を読む。
読書が既にクラシカルこの上ない行いであると知りながら、それを辞められないのは決して惰性ではない。
もとより知識の入力方法は多種多様。誰に頼ることなくページを捲り始めた彼女は、きっとその時から読書という方法にて究めんと決めていたのだろう。

「パチュリー様。お茶のお代わりはいかがですか?」
「そうね……いただくわ」

もっとも、そんな常に真剣至極の趣味没頭中な魔法使い――基本不老で寝食要らず――な少女は年中むきゅーならぬ、無休という訳でもない。
枯れた心に咲く花などないのは自明であると考えるパチュリーは、他にも嗜むものがあった。
それは、他者との必要最低限以上――彼女の考えるレベルで――の交流と、紅茶で弱めの喉を潤すのを忘れないこと。
基本時間というものに頓着しない七曜の魔女は、時計代わり程度のものとしてとある悪魔と使い魔契約を行っている。

それこそ、潤沢な魔力供給に釣られて、万年殆どお客が訪れることのない紅魔館図書館の司書の立場に押し込められてしまった〇〇こと、小悪魔な彼女であった。
彼女、小悪魔は甲斐甲斐しくも紅茶入りのポットを持ち上げ、主が楽しみにこちらへと向くのを笑顔で待つ。
だがしかし、パチュリーはかちゃりと茶器を小悪魔の元へ少し動かしただけで、視線は変わらず本の中。これには、少女もぷんぷんだった。

「まあ。カップだけ置いて、悪魔の端くれたる私に目もくれず一心不乱に本を読み続けていらっしゃるなんて、ナメられたものです。それともこれは、紅茶の代わりになみなみ淹れられた媚薬をいただきたいっていうサインだったりしますか?」
「あら。魔女相手にそんな程度の低いイタズラなんかで私の読書を邪魔できるとは思い上がったものね、貴女も。常人の心が獣になるくらいの毒で魔女の心臓は高鳴りもしない。そんなに私の気を引きたければ、適当な詩歌でも記しなさいな。読んだげるから」
「はぁ……道具に対する愛に欠けていますね、この人は。同じ本の虫でもパチュリー様のそういうところは、慧音さんとは違いますね」
「ふぅん。彼女、ねぇ……」

とぽりとぽりと注がれる紅色の液体を横に見ながら、パチュリーは呟く。
薬学に苦手なところがある魔女とて、そこに不純が混ざっているのくらいは判じられている。そもそも、血のような赤をした紅茶なんて普通ではないのだから。
きっとその朗らかな笑顔の裏で本当に仕事を辞めたがっている小悪魔のことである。細やかな契約をすり抜けられる範囲内でのえげつないくらいの毒を混ぜているのだろう。
まあ、その程度でどうにかなるくらいで魔法使い――悪魔ですら使役対象でしかない人でなし――は真っ当ではない。むしろ妙味として毒なんて美味しくいただくばかりである。

「ん……あら。貴女、腕を上げたわね」
「ふふ。どういたしまして」

パチュリーの白い喉はこくりと持ち上がり、薬としてそれらを嚥下する。すると喉を通ったそららの意外な清々しさに、パチュリーはむしろ改めて小悪魔へと目を向けることになるのだった。
そろそろお暇させて下さいという強い意志を感じる毒性の裏で、ちゃんと味も考えて整えられたそれは驚くほどに美味しい毒沼だった。試しに砂糖をひとすくい入れてみればじゅうと消失してしまったが、この美味は以前では全く考えられない進歩。
変わらない小悪魔風情の、しかし確かな変化に驚いたパチュリーはやけににやにやしている彼女を本から離れて見つめる。

「そういえば、愛とかどうの言ってたけれど……ひょっとして貴女どこかにぶつかって壊れたりした?」
「もう、そういうのは、愛に目覚めたとでも言うべきですよ? ラブアンドピース、世界よ滅べ、です!」
「はぁ……貴女にとっては愛も平和も終末のラッパの一種なのかしら? まあいいわ。それにしても……」
「な、なんですか、そんなに私のお腹周りを見て……べ、別に私以前と比べて太ったわけじゃ……いえ、確かに赴任してからろくに運動していないのは確かですが……って……うぇ」
「ふん……あなたこんなやり方で契約を誤魔化してたのね? 道理で最近幾つか本が見当たらないと思ったら……」

そうして、小悪魔の腹を強かに本でしばいたパチュリーは、彼女が物理的にゲロった――大体魔素で出来ている彼女のものはその心に反して清潔そのものである――ものを見定めながら、呟く。
それは、しばらく身近に重ねておいた、ここのところ読んだ本の中では特にお気に入りの一冊。それを、なんと小悪魔はどうやら体内に容れて持ち出そうとしていたようである。
今更ながら、久方ぶりに契約相手の全体を眺めてそれを察したパチュリーは、昨今の紛失の下手人を理解して、ため息をつく。
嗜好物を飲み込み終えた彼女は、ようやくやる気を出して、すっくと立った。当然、そのやる気が何か不安な小悪魔は弱者ぶって震えを露わにする。

「うぅ……こんなに可愛い女の子の形をした悪魔を無遠慮に辞書みたいな本で腹パンするとか、パチュリー様ったら悪魔より悪魔らしい方です……」
「悪魔で良いわよ? ならより悪魔らしいやり方を取るから。さて……ファラリスの雄牛なんて所詮人の考える限界の刑。私ならそうね……たとえば貴女は分解と結合を延々と繰り返すのなんてどう?」
「いやいや、バラバラにされるとかそれ私途中で死んじゃいます! 分かりました! 本を盗んでいた理由を話しますから、減刑をお願いしますー!」
「分かったわ。それで……契約にうるさい貴女がこんなことを、どうして?」
「それはひとえに愛……いや、これホントなんですよ! ロイヤルフレアは最後まで私の話を聞いた後で!」
「ちっ、じゃあ余計な前置きはなしで話しなさいな」
「はいー……」

所詮小悪魔程度では、魔女には敵わない。頭上に翳された太陽の力を持つ恐るべき炎に恐れをなした彼女は、今度は物理的でなくゲロるのだった。
似合わなくもちょっと頬を染めて、小悪魔は話し出す。
それは、少し前のこと。それこそ、彼女が彼女と初めて出会った時のことだった。
思い出すは、策謀と暴力。そう、小悪魔が慧音と遭遇したのはやはり異変の際のこと。

「パチュリー様は、図書館に籠もっていましたから紅魔館の皆が幻想郷に攻め入った際のことは断片的にしか知りませんよね?」
「それはそうね。図書館ごとなんだか転移させられたってのは分かったけれど、それだけで私自身には家主から何の指示もなければ、そのままにするのが自然よ。殆どあの日のことは覚えていないくらいだわ」
「いや、周りでさんざん水禍で他の妖怪達が溺れてる中、図書館は水気厳禁よって大水ごと追い出してたというのに……いや、乾いた中でずぶ濡れの偉そうにしてた奴らをゲラゲラ笑ってた私が語ることじゃないのかもしれませんが……」

どっちもどっち。そんな情が薄めな二人は、しかしそんな風に争いにそっぽを向いていたからこそ、負けた方の長い尻尾に巻かれていたというのに何事もなく安堵を許されていた。
小悪魔が思い出すのは、図書館を接収しようと言い出した八雲紫に、こんなに整えられた環境を崩すのは勿体ないと持論を戦わせる博麗慧音。
結局我が子可愛さでか慧音の言が通り、それどころか本の検閲を建前にして本を一部彼女に融通するという契約まで出来た。
だがまあ、それだけで済んで、むしろスカスカになった紅魔館で気楽に暮らせているというのは幸せなことだとパチュリーだって思う。
だがしかし。彼女は改めて考える。

「あの時、疑似展開した隙間を操作した巫女が大量に流入させた水によって大敗したみたいだけれど……そもそも、それっておかしいのよね」
「おかしいとは?」
「水が全ての妖怪の弱点でもなく、またただの水なんて魔力を通し易いもの、触媒にすらなり得る。魔法使いも多かったこっちに対する攻撃としてはお粗末。そりゃあ、レミィやフラン……えっとその父親には効くけど、普通はやらないわ」
「だからこそ行ったとは思えません?」
「首魁にのみ効くと考えているならば、最大効果が出る場面まで惜しむのが知恵者のすることと思わなくもないわ。それを、あんな……」

言葉につまりながらも、パチュリーが想うのは、文通相手の気遣いと、そこに込められた真心。
読書を嗜む少女であるからこそ、慧音という女性が紛れのない純粋であることが理解出来、そしてだからこそ。

あんな、無慈悲な方法で悪妖を一網打尽にする方法を考えついたのだと考える。
古今東西、聖水なんて代物は妖怪に対する良いアイテムとして知られたもの。そして、彼女は更にその上を行っていた。
悪心すら溶かしかねないその清廉。きっと、あの悪の権化たるスカーレット伯爵も、それを鼻の奥まで浴びることさえなければ改心することはなかっただろう。

「ええ。あの水を浴びた悪妖はたちどころに弱まっていましたね。恐ろしい、《《神なる水》》でした」
「博麗慧音。彼女はつまり、神降ろしと緻密な霊力操作を同時に行えるだけの器がある」
「そう、その通りです! ケケケ! そんな紙一重で神に近いような素晴らしい人間、なんて美味しそうで……」
「美味しそうで?」

小悪魔の、そんな程度の身の皮は喜色に剥がれて悪極まりない下衆な何かが溢れ出る。
暗ったいそれ。でも何より彼女らしいその激しい本心を面白そうに見つめながら、パチュリーは尚問いただす。

「ふふ」

すると、一転。喜びはまっすぐに凪いで、再び少女の面の皮はぴたり。柔らかに彼女は笑んだ。
それはそれは、悪魔に似合わない微笑みで、だからこそそれこそ彼女が本心にしたいものであると理解できる。
背を向けたはずの神様に似た、それでいて優しくしてくれる何か。そんなものを認めてしまったら、果たして。
少女は、自らが小悪魔であることをすら忘れて頬を染めるのだった。

「愛おしいのでしょうね?」

そう、パチュリーの愛蔵本を口に入れて運ぶなんて危ない橋を渡ってサービスをしてしまったのも、恋は闇で闇こそ悪魔だから。
そして、一度立ち止まって隣人に少しサービスをしたいと思ってしまったことだって、彼女の優しさに当てられたがためのことで。

「……先のお茶には私の貴女への愛を、こめていました」

そう、照れくさそうに呟く小悪魔。
嫌いよ嫌い、大嫌い。でもそこに愛が入る隙間なんてない筈もなく。
それが隣人、意味ある他人。恋すれば、そんなものを気にすることだってあるだろう。

思わずはっとしたパチュリーは、こう呟いた。

「なるほど、だからあれだけ美味しかったのね」
「ありがとうございます」

情なんて、何より味気ない。そんなことばかり知っていた毒ばかりぶつけ合っていた頭でっかちの彼女たち。
でも、だからこそ。

「愛、ねぇ……そんなもの、本当にあるのね」
「ふふ。私にだってあったのですから、きっと貴女にだってあるのでしょう」
「そう、なのかしらね……」

毒にはならない、その薄味が何よりの美味であると理解できたのだった。

紅色啜られ、空になったカップ底。そこには金色の箔と絵付けによって施された美しい花が一輪、咲いていた。


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