【実体験談】犯罪被害を受けたら可能な限り早く告発すべき理由について【犯罪被害・拉致監禁・犯罪被害者給付制度】

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もし犯罪(或いは明らかな心身への被害)を受けた見つけた場合、警察へ通報してください!

たとえ犯罪者に強く口止めされていても、未成年でもなければその間経た時間は猶予期間にはならないようです。

そもそも、事件化しなければそもそも犯罪があったと認めてもらえません

どんなに辛くとも恐ろしかろうとも、是非早めの告発を行うことをおすすめします!

上記でお伝えしたいことはある程度語りましたが、私の体験談と共にどのような流れで上記の結論に達したかもお伝えしようと思います。

世の中にはこんなにバカな人間が居るのだな、と笑っていただけるのでも結構です。

どうか、私はそれでも皆様方の幸せを少しでも望み、この文を認めています。

虐め、そして引きこもる

さて。皆様はどうか分かりませんが、私は当たり前のように複数回虐められていました。

最初はひと学年ひとクラスの小学生時代にそんな中で男女の対立が続いていることを不思議がっていたためです。

私は少ないクラスの中で唯一、塾に通っていました。

そのため、男女がただ嫌い合う関係がおかしいと分かっており、それが変だと態度でも表していたと思います。

その結果、虐められました。

方法としては〇〇塾というあだ名を用いての悪口から無視に菌扱い、他者への虐めの強要です。

どれも辛かったのは間違いないのですが、特に虐めの強要が最悪でしたね。

これをさせられたために、私はどう言い訳しようが虐めの加害者でもあり、きっとずっと後悔を続けるのでしょう。

次は、中学生の時にも虐めにあいました。

当時の私は無駄に賢しく運動能力も高く、しかし経験上内向的でした。

しかし、それでも無理をして能力相応に自分を大きく見せようとしていたところ、嘘つきとされます。

その上でキモいと生まれて初めて聞いた悪口が自分に対してのものだったのもあり、自信喪失。

そのまま主に悪口無視を受けることとなりました。怪我で部活動が難しくなったこともあり、ストレスから帯状疱疹にすらなりましたね。

私はその際どうすればいいか悩みました。

親にも相談したのですが、虐められる方も悪い、虐められるなんて情けないと言われるばかり。

偏差値が70を毎度越えようが救いにはならず、身体能力で学年で唯一A判定をいただこうが私に興味のない親にはそんなの無意味です。

ですから、私はただいい人になろうとして、それを処世術として生きようとしました。

すると、それによって次第に状況は良化します。

やがてそれに縋っていい人というものになることを理想とした私が出来上がるのでした。

ちなみに、高校生においては虐めを経験しておりません。

いい人になりたいと嫌われそうな人を庇ったり、治っていなかった自分を大きく見せようとする悪癖によって嫌われ出しはしたのですが、虐められる前に逃げ出しましたから。

そう、私は最終的にいい人になれないなら死のうとするその前に引きこもったのです。

アイ・メンタルスクールでの被害

いやもう随分前のことになりますが、アイ・メンタルスクール事件というものがありました。

私は愛・メンタルスクールと憶えていましたが、表記には揺れがあるみたいですね。

この事件は、書籍の引きこもり狩りというものや引き出し屋という記事にて用いられています。

故有って引きこもった人間に困った親(話したら大概親が悪い場合ばかりでしたが)を金づるにして親元から引き剥がして監禁していたNPOが起こした監禁致死事件のことです。

私はそこに、いい人として死ぬには邪魔な私を最終的に殺すためにと引きこもった数カ月の後に、殺された方の以前に同様に拉致監禁されました。

忘れもしない、2004年11月から2005年の9月まで。

名古屋まで強引に車に載せられ連れて行かれた(彼ら曰く拉致)私は、監禁部屋(彼らがそう名付けていました)というワンフロアに5、6名の錠と監視者を含めたアパートにて強制的に生活させられます。

私は、クリスマスと正月を見知らぬ他人に(同被害者)暴力を受けられることもありながら、一室からずっと出られないまま監禁されていました。

その後私は強制的に飲食店で(最低賃金以下で、またそこから諸々払っていると言っていましたが実際は都度親に請求があり金銭はプールされていました)バイトをさせられたり、無理やり地元の定時制の学校に通わせられましたね。

ちなみにスクール、と銘打っていましたが実態は完全な放置です。むしろ、中学生にタバコを吸わしてたりもしていましたね。

それでいて逃げる存在には厳しく殴る蹴るなどの暴力を、彼らは見つけるのに警察も協力してくれるのだと自慢しているのだから救えない。

 

同被害者に暴れた際についた鉄の縄で出来た痕を見せられたこと、代表が来訪者を指さしヤクザさんだよ挨拶しなとか言っていたたことも強烈な記憶です。

これでNPOと認められているのだから、世の中は本当におかしいなと思っていました。

そこから私は隠れて親と連絡を取り、地元の定時制高校に無理に受験することで何とか脱することに成功しました。

当然、私は何時かどうにかこの組織をどうにかしなければ。そのためには法を学ぶなどして力をつけなければ、とこころより思っていました。

内容ぼかしていますが、この部分を書いた関連のリンクは以下となります。

そして知らない彼が殺された、私ではなく

しかし、監禁致死事件は、無情にも起きてしまいます。

アパートで被害者が火事を起こしたことによる転居。それが遠因で加害者にも不満が溜まっていたのですかね。

以前と比べて不便になったことを、私が去る前一味がよく愚痴っていたことをよく憶えています。

私が去って半年。2006年4月に26歳の男性が殺されました。

それが未だに私は心より無念です。

私は彼の顔も名前も知りません。でも、アイ・メンタルスクールというのが人を殺しかねない悪質な団体だとは心より見知っていました。

だから、止めたかった。むしろいい人になりたかった私がそこで彼の代わりに死ぬべきだったのだと未だに思っております。

名も知らない、でも抵抗という道を選んだ勇気ある彼の御冥福は、20年近くたった今でも何時も願っています。

母親からの、口止め

さて、事件になり詳細が暴かれ、これで私の言った内情なんて一切信じず親が崇めていたアイ・メンタルスクールが悪かったと彼らも流石に知りました。

なら、普通は声を上げて子供の傷ついたところを救う方策を考えてくれるのが親だと思いますよね?

私はそう期待していました。でも、何もせずにむしろ。

「私が悪く言われて外に出られなくなるから、事件のことは誰にも言うな」

そう、不信に周りが恐ろしくて学校以外にろくに自由に歩けないままの私に母親は告げました。

いい人になりたい私は、そんな言いつけ、口止めをバカなことに守ってあげてしまったのでした。

だから、これで私が犯罪被害者として認められる未来は閉ざされてしまったのですね。

鬱という障がい

さて。親は勿論彼らが(止められていた私も)何も言わなかったがために親類だって私をただの引きこもりと勘違いし助けてくれません。

でも、頑張って勉強していい大学に行って、いい人にならなければと私は他者への不信に恐れだらけの自らに鞭を打ち続けながら頑張りました。

でも、そんなのなかなか無理ですよね。最低でも、私には不可能でした。

中学時代体調不良になれば休めるのにと思っていた身体が、頑張りたいのにその頃壊れていきます。

腹痛からはじまり、呼吸の困難にまで至る。

最初心療内科も悪質なものを引き当ててしまったため診断すらろくにされず、また引きこもるしかなくなりました。

その後やっとこの段で介入してくれた叔母のおかげでマトモな医師に巡り合い、鬱という障がいを得て、私は障害者として再起することとなったのです。

やっと前を向いたけれども、時すでに遅し

そうして十数年。病院通いから作業所での勤務、その上で就労支援所に通い、今やっと就業しています。

そして数年前やっと親元から離れられ、でも孤独によって最不調が起きるまでずっと私は親の口止めを守っていたのですね。

ですが、不調時に自らを見直すにつれ、どう考えても私は犯罪被害者として何の清算も出来ていないと思い直します。

その上で、わらにもすがるつもりで、犯罪被害者給付制度というもの(犯罪被害によって障がい等発生した際に給付される補助金に関する制度)を発見した私は警察の方へと連絡しました。

そして、その際に警察担当者に言われたことは端的にこの二点となります。

・最大七年までが給付期間で、成人が口止めされていただけでは給付可能なやむを得ない事由には値しない。
・そもそも事件の立証が難しいだろうから、無理だ。

とのことです。

私は、被害者として公的には永遠に認められないことがここに決まりました。

最後に

私は経験による不信から個人と組織に縋ることがとても苦手でした。

そして、実際このように縋ってみたところで何の助け手もいただけておりません。

愛というのはきっと、私の元以外のどこかにあるのでしょう。

親が酷い存在であればもう人生というものは上手くいかないのは必定なのかもしれませんが、虐めに関しては運も悪かったなとも思っております。

鬱を患い、信頼出来る個人や団体などいない現状お先は真っ暗極まりありません。

ですが、頑張っても殺された彼がどうしようが生きれなかったこの命。無駄に放り投げるつもりだけはないのです。

そして出来ればいつかいい人になって、可能であれば幸せにもなれたら嬉しいですが、そんなの夢でしかありませんね。

でも、皆様はそれよりかは簡単に幸せになれるでしょうから、そうあって欲しいと願います。

どうか、皆様に幸せがありますよう

 


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