勝つよ

モブウマ娘 それでも私は走る

たとえ彼女が心に鉛のような重みを感じ続けていたとしても、時計は勝手にぐるりと廻る。
今日も銀色目覚まし時計は、毎日欠かさず朝に騒ぐ。起きなさいと、まるで命へと急かすように。

「ん……起きないと」

細く靭やかな指先が優しくボタンを押して、ジリジリと鳴くベルを止める。
起き抜けに冷たい金属部分に触れた――――は、冷えに早々覚醒した。早寝早起きは彼女の得意。
欠伸の手間すら要らず、ウマ耳ピンと立ち上げて起き上がった少女はもう一つのベッドに向けて呟く。

「おはよう、キング」

それに返事も身じろぎすらなくただ起き上がる布団の様子から、同室の彼女、キングヘイローの無事を――――は知る。
枕を撫でる柔らかな髪の毛から覗くうなじを見つめながら、今日も元気でねと、少女は言葉に出さずとも思うのだった。

今は朝の五時とそれに分針半分足らず。健康優良児が活動するにも少し早い時間帯である。
だが、ここより――――という少女の頑張りは始まり、それは日暮れまで続くのだ。
何せ彼女は、家に居た頃から祖母と同じ起床時間に起き、自主トレーニングに励んでいた程の、自信なし。
それが、上等に紛れて己すら見失えば、尚の事早朝トレーニングは早くもなる。
カーテンを開けたところで未だ暗い中。友を起こさないよう先に点けたデスクライトの光源のみを頼りにごそごそと脱ぎ着支度をして。

「頑張らないと、ね」

それがどれだけ才能に対して無意味なのかを誰より知りながらも、――――という少女は今日も努力を続けるのだった。

「はぁ、はぁ……」

一番乗りでターフを駆けて、そして途中からやって来る彼女らの一部には直ぐに置いていかれている。
遅い。自分を抜いていったあの子はもっと素早かったし、そして急き立て自分達を一気に置き去りにしていった彼女はもっとどうしようもない脚を持っていた。
彼女たちと私は何が違うのか。それはきっとウマソウルの格差なのだろうけれども、それだけで――――というこの私を急かす悲しい心を諦めたくはない。

ああ、落胆重ねて、何になる。鍛えきったこの脚に、伸びしろなんて微かにしかないだろう。でも、それでも何一つもしなくて、後悔したくないから。

「負ける、もんかっ!」

脚に心に鞭を打ち、何度でも少女は駆ける。もう、抜かされたくない。置いていかれたくなかった。
だって、スペシャルウィークもグラスワンダーも友達だ。彼女らは何より仲良く認め合いたい心を持った同輩なのだから。

たとえ友情が――――というウマ娘にとって余計な遊びだとしても、それでも切って捨てたくはない。
何しろ、友すら無ければ、きっと彼女の心は既に燃え尽きてしまっているだろうから。

「負け、ない……」

だが急き続ける駆け足に、心肺が大人しく続いてくれる訳もない。
次第に息は絶え絶え、心も身体も付いていかなくなる。止まりたくなくても、補給に休みもなければ何時かは止まるもの。
まして、愛に飢えた今ならば。

「ああ、悔しい」

仰ぎ、遙か天を見上げる。自分というものが存在していない空はどこまでも清々しく綺麗で、しかし彼女たちの姿もない青はどこまでも寒々しく虚しくって。

「ん」

掻きむしる胸。愛に心、苦しい。だから、止まりたくなくて。でも、今はここまで。

「はぁ」

冷え冷えとした青空の下、彼女は宙に白い吐息を浮かべる。
彼女が次に出走を予定している若葉ステークスまで、ひと月を切っていた。

「くぅ……」
「ん。今日もよく寝てるなぁ」

――――の眼下では幸せな夢中に口があんぐり、寝相に桃色頭がもぞりもぞり。
お布団の中で見るからにぽかぽか温そうな彼女は、小さなねぼすけさん。
同室の子にすら起こし難い程難な寝入りっぷりをしている彼女は、ハルウララといった。
先の焦りはどこへやら。いつものルーチンとして優しく頭を撫でてあげてから、――――はハルウララの耳元で小さく呟く。

「ウララ。ほら、朝だよ」
「んー……――、ちゃん?」
「そ。私だよ。朝だから起きて」
「うん……分かったー……」

ぽやぽやと、眠気眼を擦りながら起きるハルウララ。どうにも、彼女は――――という目覚ましに忠実だった。
――ちゃんの声聞くと何だか起きなくちゃ、ってなるんだーと語るハルウララの本心は今ひとつ分からない。
それでも、彼女は彼女にひどく懐いているのには間違いなかった。

「ウララ、髪の毛癖ついちゃってる」
「わっ! どこどこー?」
「ここ。はい、梳いてあげる」
「わあ、――ちゃんありがとう!」

小さめ少女が更に可愛らしい彼女の世話を焼く。そんな柔らかな関係に文句を言う者など一人も居なかった。
だが、親愛ばかりを持ってその手の優しさを受けるハルウララと違って、撫でる――――にあるものはただの親愛ばかりではなかったが。
そう、強くなりきれない彼女が一度も勝てないだろう彼女へ持つ感想が、単純なものであるはずもない。

「そういえば、今日は朝ごはん人参ご飯だったよ? 良かったね。ウララ、確か好きだったよね」
「わぁー! わたしにんじんごはん大好き! お母さんの得意料理なんだっ!」
「へぇ……良かったね」

ハルウララという少女は、楽しいから走る。
――――という少女は、楽しいから、悔しいから、認めさせてあげたいから、走る。

共に思いは強いが、しかし――――は迷うし惑う。単なる思いに専心出来るハルウララが、彼女にとっては眩しい。

「あれ?」
「どうしたの、ウララ」
「えっとね……うーん。ひょっとして――ちゃん、落ち込んでる? 違ったらごめんねー」
「っ」

そして、太陽みたいなハルウララは時に、居ても居なくてもどうでもいい存在である筈の――――の陰りを敏に見つけて心配する。
無作為に《《かけっこ》》を続ける少女は、その実向いていない競争を頑張り続ける少女のことが心配だったから。
勿論、そんな気持ちをハルウララは自覚していない。けれども、真心は何より優しげな笑顔と成った。
複雑怪奇に歪んだ心根であっても、純な思いやりに絆されるのは、仕方のないこと。
上等な笑みを返して、抱きついてくる小柄な少女に――――は心を預けた。

「あのね、ウララ」
「うん!」
「私は、ウララほどひたむきになれなくて、だから見向きされないことも、負けるのも辛い。とっても、弱いんだ」
「そうなの?」
「うん。だからずっと強くなるために走ってる。でも、それは私が走りだした貴女の走る理由と同じものと違って」

語る、その内に何が自分の胸を張り裂けんばかりに痛めているのかが理解できてくる。
矛盾。ウマソウルのために勝ちたくて、でもそもそもただ走るだけで楽しい心も強くある――――。
それが、走るたびに、勝ったり負けたりするたびに揺らいで心痛めつけるのだ。

ああ、私は本当は弱くて走るだけでも嬉しかったのに、どうしてこんなに強がって走っているのだろうと。
少女は、春爛漫の輝きの瞳を真っ直ぐ受けながら、続ける。

「ウララ。私は、本当は貴女になりたかったのかもしれない」
「えー! わたしにー?」
「でも、私はあの子のために、負けて笑顔にはなれなくて」
「?」
「勝つことが走ることの全てではないって、知ってた。でも、それでも、私は走るの。競って、愛を示すために」

敗北で希望の橋を掛けるような、そんな輝かしいウマ娘を前に、――――はそう宣言した。
答えは期待していない。だが吐露するだけでも心は軽くなり、口に出せば思いは尚強くなる。
だから、殆ど独り言のようだったハルウララに対する話しかけはそれだけでも意味があったのだが。

「うーん、よく分かんないー」
「ん。そう、だろうね」
「でもねっ」

一人で完結していた言葉を分からずとも真剣に聞いていた彼女は違う所感を持つ。
走ることはどこまでもハルウララには楽しいばかりで、辛い悲しいを殆ど理解は出来ない。
しかしだからこそ、――――という少女の必死の疾走にすら悲しみを見出さず、故に。

「走って、――ちゃんのその愛? が、キラキラってなるといいね!」
「あ……」

あの嘶きをすら少女の鎮魂曲と取ったハルウララは、心より――――という夢のために駆ける一人を応援する。
彼女が望んだのは結果ではない。ただ、少女の走った軌跡が輝くことを望んでいるばかりで。
何より――――という存在を真っ直ぐ見つめる彼女の目には、桜が咲いていた。

「ありがとう、ウララ」
「わっ」

だから、抱きついて話を聞いていた彼女に――――は抱擁を返すのに、何一つためらうことはない。
そして、ちょっと苦しいと思いながらも何時もの満面柔らか笑顔を下から覗いたハルウララは。

「――ちゃんが元気になって良かったっ!」

そう、笑顔で歓迎したのだった。

 

「――ちゃん」
「ん。スペちゃん」

そして、青く過ぎていた空が紅く染まる頃。
身体を休ませていた彼女のもとに、彼女がやって来る。
スペシャルウィークは、数日前に一度他のウマ娘たちを下して勝利を収めたばかりのウマ娘は、決意を持って――――に語りかける。

「前は、ごめんね……私、――ちゃんの前で、本気になってなかった」
「ん。こっちも、本気にさせられなくて、ごめんね」
「っ」

誤って、謝られた。罵詈雑言を恐れていたのに、そんなものすらない。――――という泣かした友達から返されたのは、優しさばかり。
それがとても辛くって、しかし何よりもっとスペシャルウィークは言いづらいことがあった。
大好きな顔を真っ直ぐ見れなくて、目線は下に。目に入るのは、蹄鉄に深く抉られた地面ばかり。
今度こそ見限られるかもしれないと思いながら、スペシャルウィークはぽつぽつと続ける。

「でも、もっとごめんね……私、まだずっとダメだんだ……――ちゃんに負けてほしくなくって、勝ちたくなくって……」
「スペちゃんは、優しいね」
「え?」

優しい。こんなのそんなものではない。ただの、弱さを見せているだけ。でも、それが愛おしいと――――の声色は物語っていた。
思わず上げた視線。その先には、決意を持って見返す、決して弱いとは思えない彼女の姿があった。

思わず怖じるスペシャルウィークに――――は優しく微笑む。

「でも大丈夫。私はそんなに弱くない。だから……私は今度本気のスペちゃんにだって勝つよ」

きっと皐月賞で。
そう――――は儚い笑顔で宣言するのだった。

 

歪でも、輝ければ。
そうして、少女は導火線を火に焚べることにする。


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