紅の空に光の軌跡が眩く続く。
断続は瞬間を次第に忘れて、威力は加減を損ねて飽和し壊滅的。
そんな天上には舞い踊る悪魔の蝶。その眼下に世界を区切る紅白の犬。
本来とは異なる世界に紡がれたのは、こんな一言。
「……あり得ない」
止まった時の中において、少女はそう呟く。勿論、冷たく凍った世界にて彼女に返事を返す者など存在しなかった。
この世には常識と非常識が存在していることを、《《博麗》》咲夜は識っている。
なにせ、幻想郷唯一の巫女として彼女が管理している「博麗大結界」からして「外の世界と幻想郷の非常識と常識を隔てる」、そんな役割を持っていた。
そして、管理側である上に銀の髪を持った捨て子で忌み子であった咲夜は常に非常識の側である。
臍を噛みながら太陽たちに隠れ続ける永遠の夜。そこに咲く者と賢者が名付けたのは、気まぐれなのか或いは想いがあってくれたのだろうか。
「どちらにせよ私は普通じゃないのだから、気をつけないと」
そう。常識とは簡単に言えばそれから外れると世界から転んでいってしまう大切なもの。
生まれたときから外れていた咲夜にとってそれはとてもではないが手放せないものであり、故に彼女はずっと身を正して常識的であり続けようとしていた。
例えば、彼女が巫女としての責務以上に妖怪退治も積極的に行い出したのは、傷つく里人を思ってのことではなくただ悪性を放っておいて嫌われるのが嫌だったから。
幼い頃から金の星のような友人を大事にしているのだって、好意だけではなく霧雨店なんて大店との伝手を逃せないためという部分も間違いなくあった。
滅多に笑わないのは冷静であるからではなく、とてもではないが現況に微笑むことすら出来ないからである。
傍から総じて見れば、純粋無垢でもなけれども勤勉であり、またどこか怜悧。
だが咲夜は自らを【完璧で瀟洒な巫女】と里人が称えることすら、嬉しくなかった。
そもそも彼女は「時間を操る程度の能力」を用いなければ巫女として落第寸前程度の技能しかない、と零されたことすらある歪んだ存在。
博麗の奥義に手が届かないどころか、封印術としての基本である「夢想封印」においてですら、ありがたい光を赤白めでたい二色しか出せない程度。
退魔針に関しては能力と合わせて妖怪退治において無類の成果を上げるようなレベルではあるが、それにしたって肝心要の結界術に関してが賢者が鍛え上げ続けてようやく及第点といったところでは仕方ない。
どこで手に入れたのか《《緋々色金にて出来た刀剣》》を持って大天狗の首を撥ねたことすらあると恐れられる咲夜だが、いざ神社に帰れば賢者の狐の走狗である姉と慕う二尾の黒猫にすら馬鹿にされる始末。
「ほら。この結界の方式はこうして、こうだよっ。全く……サクヤは、本当にダメな巫女だねー!」
「……そうね」
簡易な式の扱いすらもおぼつかないその手を握る妖怪の手のひらに愛があることすら少女は気付けない。
それくらいに、彼女には「真剣が必要」だから。
曰く「最弱の博麗」であり「最強の妖怪ハンター」。
二律背反地味たそれをぴたりとくっつけた存在であるのがこの博麗咲夜という存在。
しかし中身は一度捨てられた覚えばかりが心に深く根付いた孤独でしかないから、更に厄介である。
「本当に、このままで大丈夫なのかしら?」
重責に、理解が不足していてばかりの毎日。
これなら妖怪として生まれたほうが良かったかしらとすら思えてくる程だったが、妖怪化は幻想郷ではご法度である上にそもそもがそれを取り締まる巫女であるという事実。
真面目故にやさぐれはしないが、本質として備えた茶目っ気が隠れてしまうほどに咲夜は日々に追い詰められていた。
「ふっ!」
少女は急くようにして「幻想郷の非常識」を狩り続ける。
銀は平等に命を分けるものだ。
だがその中には人でなしになっただけの人間ですら時に混じっていたから、困りもの。
果たして咲夜を形容する【完璧で瀟洒な巫女】がしばしば悪口の意味も含むようになったのは何時からだったろうか。
「よう」
知らず孤独な心持ちのまま人の悪意とすら戦うようになってしまった巫女を、しかし星は決して見捨てることはない。
夜に白刃持って駆ける少女の周りに突然巻き起こるは光輝のミルキーウェイ。
その一粒一粒が甘くて美味しいと知ってはいるが、しかし少しカラフルでうるさすぎると余裕のない咲夜は思う。
声掛けに無視して前進を続けんとする彼女に呆れたように少女は零した。
「ったく、咲夜。お前は真面目だよなぁ」
「……魔理沙が付き合うことはないのよ?」
「だからってなあ……お前さん、見敵必殺だが不意打ちには滅法弱いだろ。以前狸の術中に嵌まって肥溜めで顔を洗おうとしてたのには流石に慌てたもんだ」
「そうね……あのときは助かったけれど、無理は禁物よ」
「はん。そんなの自分に向けて言っとくんだなっ」
そうこのように咲夜の唯一に近い「対等な友達」である霧雨魔理沙は、神社と人里を行ったり来たりの咲夜という少女をよく気にする。
魔理沙当人とて「霧雨店の跡取り娘」と「魔法を使う便利屋」の二足の草鞋を履き続けている大忙しの苦労人なのに、目を離すことは決してなかったのだ。
「そうね。でも、私は貴女を守るわ」
「寝言は寝て言ってろっての!」
咲夜は無理を通して道理に沿おうとしている哀れな少女。それは道理から外れるために無理を続けんとしていた魔理沙の鏡のようであるから。
今も咲夜に悪意を持つ魑魅魍魎共に囲まれながら、背中合わせに二人きり。
悪意ばかりが彼女らを睨みつける。だがそれが更に二人を強く結びつけるようですらあった。
そう、月と星が似合いに過ぎるのは当然であるが、しかし彼女らは互いにお互いを思いやり過ぎているようなきらいがあるのだ。
「はぁ」
「あちゃあ……また派手にやったな、咲夜」
故に、霧雨魔理沙は咲夜に失望されたくないからと霧雨から離れることが出来ずにいて、博麗咲夜だって魔理沙に失望されたくないからと巫女を辞めることなんて出来なくて。
このように、相乗効果に頑張りすぎてしまうのが、オチなのである。
「やり過ぎちゃったわ」
手元でカチャリ、という音に少女は目を落とす。咲夜の曇りひとつない銀が、そこに映った。
刃金の瞬き、剣風一陣。危うくなった彼女を守るためにと咲夜が鯉口切ったそれにて仕上がったは妖怪どもとそれをけしかけた人間共の屍山血河。
よく草を薙がれた周囲を見回し剣を収めた彼女もきまり悪そうにそう述べざるを得ない。
「ったく。もうちょっと私も精進しなきゃダメだな」
「そんなこと……」
「んなこと、あるんだっての」
この子に魅せることは無理と、早々にルールを用いた弾幕ごっこを今代の巫女で流行らすのなんて諦められてしまった幻想郷。
だからこそ単なる異常な力の押し付け合いばかりが懲りずに行われる中、咲夜の守りがある中ですら小妖怪程度に圧されかけるということに、魔理沙も非力を自省せざるを得ない。
星の可愛らしさこそ魔法だぜと思い付いては輝きを形にしてきた彼女であったが、しかしそろそろ伝手を用いて何らかの「魔砲」でも得なければと悩みつつ。
「私は咲夜の足手まといにだけは、なりたくない」
「……っ」
共に夜空を見上げた憶えを忘れて銀の輝きの前に、金色がくすんで傾ぐ。
そう。何を隠そう魔理沙こそ咲夜ばかりが【完璧で瀟洒な巫女】なのだと信じ切っているのだから。
「ふわぁ」
「霊夢ったらまた門前でシエスタしちゃって……これ、怒ったほうがいいのかしら?」
ちなみに幻想郷の人間たちの悲喜こもごもそんなこんな全てを他所にして、運命歪められた結果に悪魔のお隣さんな少女は暇な昼に寝入るばかり。
「すやぁ……」
「あはは……困ったなあ……」
逆鱗持つメイド長が苦笑いする中日差しの中でぽかぽか一人。
暢気も結界に封じられた中で、《《十六夜》》霊夢と名付けられた捨て子の少女はただの平メイドとして一人ゆっくりしていた。
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