第十四話 ナイフ÷友達

ハルヒさん小説の表紙 【涼宮ハルヒ】をやらないといけない涼宮ハルヒさんは憂鬱

緑のカーテンがひらひらと。淡い光で包まれる、保健室。ヤスリで削った陽光を宙にばらまいたかのような柔らかさの中で、朝倉さんは大きく素直な形のナイフをひゅんと軽く投げ上げたわ。
危ない、と私が口にする前に、三回転くらいしてから戻ってきたその柄を掴んで、彼女は微笑んだの。驚いた私の顔が、刃に映り込んだわ。ほっとする私を、朝倉さんの瞳が更に写し込んでいく。
そういえば、随分寝ていたのでしょうけれど、今は何時かしら。時計が見当たらないの。いいえ、見て取れているはずの壁に掛かった時計がぐにゃりと歪んでる。ちくたくは聞こえず、ただ風の動きばかりを感じるというのは実におかしいわね。
けれど、それを当たり前にしているのでしょう、とつとつと、朝倉さんは語りはじめたわ。

「……とある、女の子がいたの。その子は大きな者と繋がることで安堵していた。そして、同種と居を近くすることで確かに互いに信を感じてもいたわ」

朝倉さんの陶磁の紅を貼り付けたような口元が動いて語られるは、女の子の話。大きな者は大人、同種はお友達と取ってもいいのかしらね。なら短いその中で分かるのは、彼女が一人ぼっちではない、そこらに居るような境遇の子というだけ。
当たり前に幸せで、それでも物足りない。そんな普通。そこにあるのは、見逃されてしまうような不満くらいだと思うわ。
けれども、私は気になった人にくらいはなるだけ、幸せになって欲しかった。

「彼女は決して孤独ではなかった。それでもあの子……長門さんは、涼宮さんと出会って変わった」

目を瞑りながら、朝倉さんは言ったわ。私も、不可思議な空間にて無防備にも目を閉じ、彼女に倣って有希のことを思ったの。
有希は無垢だった。刺激を受けずにありすぎたの。だから、私は彼女が変わってしまっても仕方ないというくらいに無遠慮に触れたわ。
だって、彼女はきっと、熱に触れた覚えが殆どなかっただろうから。それを愛として、私は触れ合いの温もりを伝えようとしていたの。

「他にも理由はあるけれど、一番は――――きっと、ずっと寂しかったのね」

大きく息を吐き捨てながら、朝倉さんは零した。力なく降りた彼女の手に未だある金属が、光を受けて瞬いたわ。私は、その決して向けられることのないだろう尖りを見て、美しさを感じるだけ。
そして、保健室の私が乗っかったベッドと朝倉さんが座る丸椅子以外の全てが粒子と散って瓦礫に変じても、私の心はさざなみ立たなかった。だって、ここの変化はきっと彼女が望んだもの。そこに、危険はないでしょう。
でも、そんな決めつけてしまっている私の内心を知らない朝倉さんは、怪訝そうな表情をして、言ったわ。

「それにしても、分からないなぁ。どうして、涼宮さんは、私が凶器を持っていて、さらには貴女には不明であるだろう周囲の変貌を受けて、それでも何の逃避行動を行わないの?」
「決まっているじゃない」
「何? 涼宮さんが全てに立ち向かえる自力を確信しているから、というのが答えだったら私には嬉しいのだけれど」

少し身を乗り出して、朝倉さんはにこりと笑う。近寄り、そのナイフの刃が克明に映って、けれども、身震い一つしない私は彼女の期待に応えられない。ただ、簡単な事実ばかりを答えるわ。

「そんなのじゃないわ。答えは単純。……だって、朝倉さん、笑ってるじゃないの。なら、こんなの大したことないんだわ」
「そう……なるほどね。呑み込んじゃってるのかな?」
「ええ。だって私は、友達を信じているもの」

そう、私は言い切る。私は、愛すべきものを、決して悪意に染まった何かとは見ないわ。
もし、それで抱きしめてみて、痛みが突き抜けて私の命に通してしまったところで、それは私が間違っていただけ。誰も、間違っていないのだから、それでいい。そんな風にすら思ってしまうわ。
強がり。でも、そんなこんなは、狂気じゃないのと思うの。ただ、普通にあるべきものを大事にしてみただけのこと。ちょっと、他の人より強めかもしれないけれど。でもそれだけでこんなにも安心出来るのだから、皆に推奨したいと思ってしまうくらい。
平然と私は、大っきなよく磨かれた金属って、てかてかしていて綺麗ね、と言ったら、朝倉さんはそれこそ破顔したわ。

「ふふ。そう――だったら、私も貴女を信じて、こんな強がり止めてしまいましょうか」

言い、穏やかに、少女は何時もの彼女に戻った。目を瞑って開けて、そうしたらもう、そこにナイフの姿はなかったわ。朝倉さんの手のひらにあるのは、一株の花ばかり。
そう、凶器は紫色のパンジー――いえ、花の多さを見るとビオラかしら――に変わったの。そして、それを再び彼女は風に吹かせて粒子と化さして散らばらせた。
私は、そんな有為転変の凄まじさに舌を巻いたわ。でも、こんなのが朝倉さんにとって当たり前の力の行使なのね。息一つきらせることなく、彼女は私と目を合わせて言うの。

「涼宮さん。貴女は思わずほっとするほどの暖かさを持っているわ。複雑さを、その熱で溶かしてしまうことだって、出来るでしょう。それを受けるのは嬉しい――――でも、ちょっと困りもするのよね。私達は、仲良しこよしのお遊戯会が見たいわけじゃなくって」

私達、のところにことさら力を篭めて、朝倉さんは言ったわ。近くの私を遠く見て、彼女はそして目を瞑り、どこか渋々と続きを口にする。

「世の中は、綺麗事ばかりで出来ている訳じゃないの。むしろ、大体は押し曲がった何か。私みたいに、上から押しつぶされて、やりたくないことをやることになるのだって往々にしてあるものよ」
「朝倉、さん?」
「私は別に、この世界を自由にしたいとか、全てを大いに変革したいとか、そんな大それた野望を持っていないの。でも、じれったいのは嫌い」

急発進、そしてドカンとぶつかってしまうのは冗談じゃないけれど、それでも私は急進派に属しているものだから、その性質が出てしまうのかしらね。と朝倉さんは眦を下げた。
何となく、その笑みに寂しさを覚えた私は、彼女に向かって手を伸ばしたわ。けれども、それは途中で止まった。今再びの、問のために。

「結論が欲しいから、単刀直入に、訊くわ。ねえ――――【貴女】は、神?」

青い、碧すぎる視線が私を捉えて離さない。真を見逃すものかと、この子は私を見定めようとしている。
そんな視線に数多の情報と三年の歳月で汚れてしまったばかりの無垢を覗いて、私は苦く笑ったわ。そして、答える。

「違うわ」

そうだったら、とどんなに思うけれど。でも私はカミサマではないの。力を蔵しているばかりの、世界を愛したい、何者でもなし。
【涼宮ハルヒ】の犠牲の上に立つ、模造品。偽物が間違っているとは言わないけれど、けれども私は違うの。だから、間違いない皆は、幸せになって欲しいと思っちゃう。そんな、私は、神に似ても似つかない、代物なのよ。
むしろ、歪んだ悪魔と取られるのが普通じゃないかしら、と思いながら、私は諦めの笑みを漏らすわ。でも、超常現象そのものな、彼女はそれを認めなかった。

「それはおかしいのよね。私の考えだと…………あら、早いのね」

そして、せっかくの可愛い面を崩すように眉を寄せて、朝倉さんは、空を見たわ。すると、本来天井に塞がれて窺えないはずの蒼穹に罅が入っていく。
それは、まるで角にぶつかった卵の殻。情報によって改竄された空間は、どんどんと崩れていく。そして、崩落が起きたわ。

「……」
「どわっ」

天から降ってきたのは大小二つの人の形。小柄な片方はすとんとつま先から降りて、大柄の方はどすんとお尻から私の隣に落ちてきたわ。
その二つが、見知った顔をしていたことに、私はびっくり。そう、彼らは有希とキョンくんだったのだから。
目を白黒させる私に、ずいと朝倉さんとの間に割って入った有希は言ったわ。

「――朝倉涼子。私は、涼宮ハルヒに敵意が向けられることを許容しない」

それ以上余計は述べずに、押し黙る。ただその沈黙は雄弁。有希からは、普段からは信じられないくらいの憤りを感じるわ。みしみしと、空間がひしゃげるような怒気を感じる。
いけないわね。私は何もされていないというのにこれでは下手をしたら、何だか宇宙人っぽかった朝倉さんと仲間割れが始まってしまいそう。
何らかの声をかけなければいけないのに、私の口から出たのは間抜けな疑問だった。

「どうして、キョンくんが?」

そう、この場には相応しくないだろう普通人代表がしれっと隣に紛れ込んでいる、という不思議。でも、それほど慌てふためいていないということは、何らかの確信を持って来てくれたということなのかしらね。
そうして、キョンくんはちょっと、有希と距離を取っているような節があったのに、どうして一緒に? その答えは、さらさらした地面を踏んで確かめながら零された彼の言葉でよく分かったわ。

「涼宮。お前が長門のことをあれだけ信じているのを直に見ていたんだ。なら、俺も少しはハルヒが危ないから一緒に来て、っていったあいつの真剣さを信じてみたいと気の迷いを覚えたりもするだろう。まあ……この状況は、理解不能の予想外だったが」

痛めたのだろうお尻を抑えながら、キョンくんは言ったわ。ちょっと、三メートル近いダイブは痛かったのでしょう。
でも続けて、それにしてもどうして気付いたら学校がこうも前衛的に駆逐されていたのかはよく分からん、かもしたら不真面目な学生たちの願いが叶っちまったのか、とか溢す余裕はあるみたい。
しかし、心配ありがたいわ。何だか、皆の優しさに、私泣いてしまいそう。そうして感慨に朝倉さんを庇うための言葉を遅らせていると、朝倉さんはおもむろに両手を上げたわ。

「降参するわ」

そうして彼女は何することなく白旗を揚げた。やがて、世界は美しく逆回転していく。先の普通へ。当たり前の平和に事態は治まっていく。
さらさらと保健室に変貌していく空間に、ぽかんと口を開けながら嘆息するキョンくん。素直な疑問が開いた彼の口から流れ出ていったわ。

「はぁ。とんでもない光景だな……もしかしたらこれ朝倉がやってるのかよ。にしても、朝倉。お前この奇々怪々な力で涼宮に手を出そうとしてたんじゃないのか? 俺らは慌てて止めに来たんだが……」
「私は長門さんと鏡合わせ。それでも繋がりがあるのは確か。だからね、私も涼宮さんを大切に思うのは当たり前なのよ。私はね、友達に向けてもう刃を向けられないわ」
「そう」
「くたびれもうけ、ってところか。やれやれ」

ちょっと恥ずかしい言葉を紡ぎながら、素直に微笑む朝倉さん。それを見て、有希とキョンくんはようやく事態を呑み込んでくれたみたい。
有希も何やら向けていたその手を降ろし、そうして鳥の鳴き声と学生の轟き聞こえる保健室に安堵が出来るようになったわ。私はほっと一息。

「一件落着ね……おっと」
「涼宮、大丈夫か?」
「わわっ! ち、近い。近いわキョンくん!」
「お、おいまた倒れるなよっ」

そして、ふらっとしてしまった私を支えるその手に、胸元は大暴れ。うう、恋する女の子は、気になる男の子を側に置いたらときめかずにはいられないものなのよ。思わず、てれてれしてしまうわ。
でも慌てて離れるキョンくんに、ついつい、あっ、と零してしたら、どうしてだか今度はキョンくんが片手で顔を押さえて挙動不審に。どうしたのかしら? そして、相変わらず片手はお尻を抑えているのね。よっぽどの痛みだったに違いないわ。
痛いの痛いの飛んでけー、って後でしてあげようかしら。

そんなこんなで私が彼のお尻ばかりを注視していた残念なその時、宇宙的な二人にこんな会話があったみたい。

「それにしても、長門さんったら、スペアキーの方にばかり肩入れするのね。本来の彼は、どうしたの?」
「彼は、こんなガキが強く引っ掻いてみただけのこと、俺らの出る幕ではない、と言った」
「……ちょっとじれったくない?」
「……【まだ】、私には分からない」
「そう……」

それを知らずに、私はのほほんと距離狭まった二人の方に向かい、そして、私はもがもがする羽目になったわ。あれ。ふかふかした柔らかさの中に埋もれる、これって前にもあったわよね?
大いに朝倉さんの胸元に抱かれながら、私はちょっともがいたわ。

「むぐっ! く、苦しいわ……」
「ならいいわ、私は私で、私の神様を守るように動くから!」
「…………そう」

う、何だか無表情している有希から不満が覗けるのは何故かしら。というか、抱擁きついわ。朝倉さんに神様って何よ、って言う余裕もないわね。
何だか目眩が……これは、酸欠?

「おい、朝倉。神様だか何だか知らんが、お前が守るべき涼宮、今度は青くなってるぞ?」
「あ、ごめんなさい、涼宮さん!」

そして、しめつけるを止めてくれた朝倉さんをぼうっと私は見るわ。
おかしいわね。シリアスではなくコメディに殺されかけるなんて。困ったものね。しかし、それもこれも私らしいのかもしれなくって。

「ふふ。別に良いのよ」

私は、笑って済ましたわ。


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