★ルート第三話 来たから行くよ

いいこちゃん いいこ・ざ・ろっく()

喜多郁代は、好きで陽キャをやっている、それ以外の自分を考えられない女の子だ。
父から学び、母の小言から目を背け続けた結果、郁代が座すのは一軍女子の最前線。
きらきらきららとした日々を維持するのって意外と大変だなと思いながらもそれをなるべく楽しみつつ、携帯端末に何より親しむ今どきの女子高生をやっていたところ。

『くんくん』
『わきゃっ!』

なんかわんころみたいに可愛らしい同級生にぶつかった挙げ句くんくんとされてしまったのだった。

秀華高校の社会科のおじいさん先生は、厳しい。
郁代はそんなのを受験生時代に先輩から聞いた憶えがあった。
なんかメガネかけた老オランウータンみたいとか影で言われる彼は、彼女の体感でも実際シルバーバックならぬ総白髪を蓄えて陽キャ陰キャ関係なく厳し目に指導をする人に間違いない。
だから、そんな先生がこの井伊直子というどこまでも緩い生徒に準備室なんて大事なところの鍵を渡しているというのは郁代にとっては少なからぬ驚きがあった。

『ギタ男、貸してあげるよ』

だが、彼女いわくほいほいその誘いに乗って恩を受けたことで、郁代もようやく彼女の冗談で隠した底に触れられた気がしたのだ。
直子は紅の斜光差し込む室内で何時も笑みとして細めた目を開いて郁代にこう告げる。

『大丈夫。あたしはあんまり人がどうとか拘んないから』

少ない時間に郁代から何を見たのか、直子はそんな曖昧を語った。
人間だって愛らしい動物さんだしね。とかその後に続けて戯ける緑の少女。

『そう、なの……』

口をぽかんと開けて、郁代は社会科の先生の信頼を今更ながらに理解した。
なるほど、この子はきっと悪い子ではない。

以降は殆ど毎日準備室でギターの授業を受け、また時にお昼したりして、暇な時にベースってどこで売れるのかしらと相談してみたり。
郁代からしたら、少しベッタリしすぎかしらと思えるような距離感を、しかし直子は上手に乗りこなす。

ある日、二組にお弁当持ってやって来た郁代の手を引きなんかこっちは危険だ戻ろうぜ、とか叫んだと思うとそのまま五組へとずかずか彼女は進む。
そうして、のけぞるくらいに薄い胸を張り、直子は郁代の手を取ったままこう宣言するのだった。

「へい、五組の皆! 今日はここをあたしと喜多さんはここでランチとするよー。シェフはどこです? パイ作りましょうか?」
「うわ、またうるせーの来た……喜多ー、うちらのクラスにこんなの連れてくんなってー」
「えー? さっつー、こんなのって井伊さんって楽しい子じゃない! まあ、確かにうるさくないってことはないけど……」
「えー? どっちかというと、あたしに対する皆のツッコミのほうがデシベル数高めな気がするけどー?」
「井伊がツッコミどころだらけなボロボロ会話繰り広げるほうが問題だってのー」
「そっかなー? あ、佐々木っちめちゃ美味しそうな唐揚げさんで」
「やんねーよ……あ、仕方ないなって土下座はじめようとすんなって! どんだけ飢えてんだっつーの!」
「あはは……井伊さん、大人しくしてね?」
「ちぇー」

現れた途端はうるさいが一度たしなめると、以降はそれなり。
直子がそんな習性を持つことは二組周辺だけでなく頻繁に訪れる五組でも知られている。
やり過ぎなくて、だからまあ仕方ないかと受けいられる彼女。当人がそういう態度を選んでいるだろうところは、郁代にとっては真似できないと思えるところだ。

その後複数人で席をくっつけもぐもぐしていると、仲良しの上郁代的に妙に縁を感じる佐々木次子(さっつー)がふと、こう零した。

「にしても、最近喜多付き合い悪いなって言ってたとこに井伊が連れてきたから、こいつエスパーかってちょっと思ったわ」
「さっつー……」
「明日の天気は晴れ!」
「ん……予報だと百パー雨だな。やっぱ違ったわ」
「がーん」

ショックをわざと言葉で表現しようとする、どこまでもふざけている様子の直子。
それが、照れ隠しというか、評価を低くコントロールしようとするための行為であるのは、何となく郁代も分かってきていた。
だって、この子は。

「ま、人気者の喜多さんの独り占めは良くないさんだよねー」

ふざけて笑顔しているときより、楽しそうな人を見ている時の方がよっぽど嬉しそうなのだ。

 

「なあ、喜多さんよ……ちょっと話聞いてくんね?」
「えっと、貴女は……志井さん? 勿論、いいわよ」
「助かるわー」

さて直子も郁代も、人望が相当に高い方である。
だから、別にこんな風に相手のクラスに向かった際にあまり知らぬ相手に友達の友達だからと声をかけられることだってありはする。

志井、というのは時に直子が時に栃木っ子とあだ名して話題に挙げる子だ。
野暮ったいくらいの長髪にかけるメガネが厚めなどこか文学少女然としながら、バスケ部所属。
郁代も、付き合いで向かった部活見学で見かけたことはあり、何となく口調と容姿と部活がチグハグだなあ、と感じたものだった。

彼女は、休み時間教室の後ろまで郁代を連れ、一度直子が何か男子の前で変なポーズをしてることを確認してから話しを切り出す。

「あー。喜多さんも分かってると思うけどさ。井伊ってまあ、悪い奴じゃないどころか大分いい奴だろ?」
「そうね。本人はそう思われたくない感じだけれど、井伊さんってそういう人よね」
「だよなー……アイツ、なんかクラスの輪からちょっと外れてた私らを集めて出身ネタで盛り上げたりして何か他の奴らと繋げてくれたりしてたっての、結構バレバレだってのになー……その癖直子キライなやつめっちゃいい子ちゃんって陰口言ってんの知ってる癖に、そいつらと絡むのも止めねえでさ……しょーじき心配だわ」
「そう、なのね……」

志井は直子が今も暇そうな男子たちの話をとても楽しそうに聞いている様子を見ながら、眼鏡の奥の目を細める。
彼女が彼女が友としてとても好き、なのだ。それが同じ気持ちである郁代にはよく分かった。
そして、だからこそ郁代も胸が苦しくなる。人気者の彼女だって誰からも好かれる人間なんていないって分かるのに、嫌われても好きであることを諦めないなんて、それは。

何となく、井伊直子はただのいい子というには少し歪ではないかと、ようやく気づいたのだった。
志井は、最初はケン●ンショー好きの変なやつと思ってたけど情移っちまったから、と照れて。

「喜多さんは大分悪いやつじゃなさそうだからさ、ちょっと私の見てないところでのアイツのこと、頼んだわ」
「任せて……って言いたいけれど……ちょっと不安ね」
「大丈夫だって。私の見立てだとさ」

大好きの前に、好きは怖じる。
郁代とて決して薄情ではなく、むしろ情に溢れた方だ。だが、それでも眼の前のまるで一等星に心奪われた様子の少女を前に、期待に答えられるかどうか不安にはなった。

志井は思わず言葉を切る。
それは、空気に合わせることが好きなだけという自認しかしていない郁代に、自分はいい子じゃないからいい子していると思い込んでいるような直子が重なったからだ。
認めたくないけれど、という言葉は飲み込んで。

「お似合いだって、あんたら」

そう、きらきらきららとした彼女らを評するのだった。

そんな色々があって、少し。
心は変わらず関係も変更しておらずとも、しかし日にちとともに教本のページは進む。
難度が変わった二冊目。あまり直子が語りたがらないひとりちゃんという子の細かい書き込みにも目を配りながら郁代は今日もギターを弾く。
しかし、遠慮なく苦手を弾かせる譜面にそろそろ文句をつけたくなり、彼女ははじめて十分の頃になってこうぶつくさ言うのだった。

「えっと……こう? やっぱり押さえづらいわね、このコード……」
「そうだねー。Fコードは初心者の壁かもしんないよ? ま、ここをこうして……」
「井伊さん!? ち、ちょっと近くないかしら?」
「んー? でも触れなきゃ教えにくくて……嫌?」
「嫌……な訳じゃないわ」
「なら、このままで……えーと、そう、この人差し指の角度が大事だったりして……」

勉強って結構楽しいよね、とか抜かすなんで秀華高校になんて居るのと問いたくなる地頭の優れた秀才の方である直子は、存外教え方が上手かった。
それは前から感じていたが、しかし今日はどうにも、近い。
何時も笑顔で細まっているが、本当はぱちりとした赤の瞳は綺麗であり整いも十分。同性とは言え面食いの気のある郁代は、どきりとする。
だがそんな情動など知ったことかと、触れる先端に硬さのある指は優しく重なり彼女を先へと導く。

それに従い弾いてみれば、特に負担なく狙った音を奏でることに成功した。
二度三度、確かめ。そうして楽しいと元気が湧いた郁代は間近の直子に感謝を告げる。

「ありがとう、井伊さん! これなら、ずっと前より楽に……うん。ちょっとまだ大変かもしれないけれど、でも慣れたら気にならなくなりそうよ!」
「おー。そりゃ良かった! 成功なら、あたしが喜多さんへのくんかくんか我慢して教えたげたの報われるね」
「も、もうっ……井伊さんそんなこと考えてたの? 体育があったから少し汗臭いか心配……」
「ううん。むしろフローラル。喜多さんは春の香りだよねー」
「っ、からかうのは止めて」
「あ、ごめんごめん」

感謝をからかいで逸らす。そんな何時ものことにしかし郁代はどうにも胸元のドキドキを隠せない。
これは、変である。優しく向けられた瞳、そして離れた手のつまらなさ、それを覚えた郁代は。

「ねえ、井伊さん」
「なあに、喜多さん?」
「何か、あったの?」

後ろで支えてくれていた彼女が嘘でも笑っていないことに今更ながら気付いたのだった。

「あはは。そーみえる?」
「ええ。そう見えてしまうわ」
「……困ったなー」

指摘し、途端に細まった瞳。それが何時もより更に仮面っぽい。
どこかどうしようと頭を掻くことすら億劫そうな直子に、郁代はギターを置いて正対する。
そして、あの距離感は自分を誰かと錯覚したからだったのかもと察し、彼女から寄ってきた先の距離に倣ったように彼女は近づきこう問った。

「ねえ。井伊さんが困ってるのって、ひとりちゃんって子のこと?」

心優しき少女はこう思う。

助けになりたいと貴女から来たのだ、なら私も貴女の助けになりたいと行くつもりなのだけれど。

「ごめんね」

つれなく、伸ばした指先は退けられて。

「これは、私のための傷だから」

一言。

彼女は縄張りに侵入された柴犬みたいに、強い警戒感を示したのだった。


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