今日も今日とて私がよく通うボロアパートのサンマルニ号室には、何かドカンとキュインとズガーンな電子音が響きます。
「ちっ。体力ばかりあるデカブツが……リアルより動けないのがもどかしい」
「あー。ガチ善人だったらこんなゴテゴテしてるけどただの異世界侵略者的存在なんてワンパンですもんねぇ」
「だがそれがいいのだけれどな……ふん。世界を滅ぼすなんて、このオレがさせるわけないだろう」
「現実のラスボスがゲームの新章ボスに勇者として立ちふさがるなんて、もう訳わかんないですねー」
人を駄目にするともっぱらの噂のソファでゴロゴロしながら私がぼやっと見ているの複数画面に映る戦闘シーン。
はい。それは善人が、覇権まで昇り詰められたのはオレの課金のためだとまで豪語する、とある有名ネットゲームの効果音でした。
壮大なBGM台無しじゃないかなと思えるくらいに、ボスに集っている数多のプレイヤーたちが忙しなく行うそれぞれの操作によって発生する効果の多重音が、今日もラスボスたる善人の鼓膜を楽しませているようでした。
ファンタジー的世界観に侵入してきたロボ的な強そうなヤツ(でも多分ミュートより弱いと思います)の前に立ちふさがりスタイリッシュなアクションを披露しているのは善人のアバター。
こいつ嫌に顔面と体格本人に似ているのに選択すること全部が光属性なのが気持ち悪いですね。
今も、行動値(他のゲームのえむぴーとかスタミナみたいなものです)がギリギリまで下がったからと味方の後ろに周ったと思えば、途端に妙にかっこいいポーズで鼓舞をしています。
こいつ背中から刺すの好き過ぎだろとまで言われた「錆色の~」シリーズきっての悪者が、ゲーム中とはいえフレンドさん達の後ろでダンスパフォーマンスしているのは冗談みたいな光景でした。
まあ、その光属性のダンス、めちゃ攻撃あがって持続回復まで付くので、あった方がいいのでしょうが。
とはいえ、操作複雑すぎなこのネットゲームにて、ずっと動き続けること自体が大変なのです。私は、チュートリアルで指を攣らして投げ出したこともあるゲームの観る専を続けながらこう溢しました。
「善人ったら、ゲームだと変に献身的ですよねー」
「こんなの、ただの貢献値稼ぎさ。それに別段フレンドの好感度を下げる理由もないからね」
「そうですか……お」
「やったか」
善人の声には、相応の喜色が宿っています。まあ、そうですよね。私が訪れる前だからかれこれ2時間近くこの幾つ体力ゲージあったんだよなインフレ極まりない敵と戦っていたのですから。
彼はなんだかゴテゴテ極まりない、さっきからずっと皆さん縛りギミックの縄跳びしてるんじゃないかな、な強敵がコズミックな爆発を披露したことに満足して、味方のロストもなしという結果に頷きながらこう小さく呟きます。
「他愛ないな」
「それは、運営から一時入力速度がチート扱いされてアカウント停止にさせられた程の腕前の善人が、100万単位の課金がないと揃えられないような装備で固めてたら、それは新規ボスも音を上げますよ。帯同したフレンドさんも沢山ですし」
「ふん。平和を買うためなら数千万だろうが安い、安い」
「うわあ……悪の組織のもとトップが放つ台詞ですか、それ?」
ドン引きする私の隣で、何これハイエンドな肉体性能の無駄遣いと思えてしまうくらいにコントローラーの上で動き回る善人の指。
このヒトちょっと曲がっちゃいけないんじゃないかな、な方にも平気で動かすので見ていて中々気持ち悪いです。
また私としては、スマホゲーのフリック操作の方が慣れているので、このぴこぴこ操作の楽しさが今ひとつ分からないですね。
いや、そもそも技能全てどころか移動ジャンプにまで格闘ゲーム的なコマンド入力が必要なこのゲームの難易度が意味不明なのですが。
私は善人が水を飲むだけの操作をコマンド入力失敗した結果セーブ削除したとみなされキャラロストと相成った時、運営へと彼が怒りの電話突撃を行う横でこのクソゲーだけは二度とやるまいと心に決めていたりします。
「ふん……」
さて、そんなゲーム好きお兄ちゃんな45歳児こと上水善人とてしかし最悪とはいえ人間枠なのですね。それこそゲームボスやミュートと違って、ちゃんと赤い血が流れているらしいのでした。
だからまあ、飲食は普通に好みますし、私の手作りにはスパイシーな嫌がらせをすること多々ですが何だかんだ最後まで食べてくれます。
今日も私お手製の特にひねりのない冷やし中華を、もう吉見は冷やし中華はじめましたなのか、と首を傾げながらカレー粉を掛けてから食べ始めたのですね。
そこで練り辛子を選ばないあたり相変わらず、善人は人間性がひねくれ過ぎだなあという私の感想を無視して、これならまあまあだとまで言い出します。
こいつ本当に私のこと好きなんですかね、と好感度メーターを今日もまた一つ下げる私を他所に、善人はこんな今更な問いをします。
「しかし……どうして、吉見がオレに提供する際のメシはそこそこ美味いんだ?」
「それはきっと、仲間にデバフに最悪毒殺はダメでしょ、ってわらびが都度味見してくれるからですかね」
「なるほど……あの娘は流石の有能さだな。あとで何かこれで二人で美味いものでも食べるといい」
ちゅるんと黄色い麺を吸い込みながら善人がそう言うやいなや宙に発生した扉が開き、すっと私の手の中に渋沢翁かける百の塊が落っこちてくるのでした。
いや、渋沢栄一さんとか生まれ近しいので嫌いではないですが、ぺらっぺらじゃなければこんなにずっしりなのですか。
まったく、平たく言えば恐らく百万円なんてものを放ってくるなんて。こんなだからゲームアカウントが晒された掲示板で謎の石油王扱いにされてしまうですよね。
特にお金とかに興味ない私は、やれやれとなってしまうのでした。
「わらびが褒められるのは嬉しいですが……善人。札束ぽんと渡されても困りますよ……こんなの私たちの食費1年分以上になっちゃいます」
「ふん。これくらいでは、満足な足装備を揃えるにも足らないが……」
「もうっ。善人がそんなぽんぽんと課金するから、運営も調子に乗って課金装備を充実させるのですよ? それでご新規さんがついて行けなくなって、ネットゲームとして続けられなくなったらどうするのですか?」
「その時は世界でも滅ぼすか……っと」
「全く……このゲーム脳ったらダメですねえ。そんなイチゼロが許されるのは、ビットな仮想の世界だけですよ?」
私はつい手近な万札で善人の頭をはたいてしまいます。
無能の金満なだけの攻撃に流石のラスボスは痛くも痒くもなさそうでしたが、それでも窘めの言葉に彼も耳を貸してくれたようでした。
そのまま私には身に過ぎたお金を返すと、まず仕方ないとつまらなそうにしてから善人は素直にもこう溢します。
「……面倒だな」
「ええ。この世は汚れて歪んでいて、そのために強く結びつき終わらず永らえて、だからこそいいのです」
「全知からすると全ては良くも悪くもあっていいということか?」
「ええ。ただ鬼は外ですが」
「ふん……君はやはり面白い」
これまで私と会うまでは退屈ばかりしていたという善人。そんなものも私は物語の設定として既知。
ただ前々から私は幾ら悪いやつでも、他人の不幸でしか楽しくなれないくらいなんて勿体ないなとは思っていました。
だからゲーム教えたり色々と頑張った結果の、偶には微笑みすらしてくれる今です。
「ふっ。だからまあ……」
まあ、先のボス撃破の際の方がちょっと楽しそうではありましたが、でもまあ会話一つで喜色を浮かべてくれるなんてありがたいものです。
なぜならば。
「今日も少しで我慢するさ」
私は上水善人というラスボスという舞台装置の一つの根本を何一つ変えられていないのですから。
戯れに広げた男の手の中には黒。そこには数多の命の鍵があります。それを弄ぶことこそ宿命であり彼の役割。そんな道理を変えるには、善人を殺す以外に方法はありません。
つまり、彼が生きればそれだけ人は死に、善は挫けて、悪は蔓延ります。実際に、彼の手足たる怪人の手による通り魔的な悪さは今も世界中のどこかで起きているのでした。
「全く。君が死ねと一言でも告げさえすれオレも死ぬんだがなあ」
ただ、それでも私は。彼に我慢して欲しくてもそれだけは言えずに。
「いいえ……あなたは生きていて、下さい」
私は今日もこの強烈で限りある命の一つに頷きます。
善人のストレスが少しでも減ってさえいてくれれば、このラスボスの手により不幸になる人が減る。とはいえ、そんな対症療法はこの世の救いになりはしません。
でも悪の首領たる私は、万の他人と一人の悪たれを天秤にかけつづけながら、その重みに迷いつつ。
「ああ。オレは何時かこの世の主人公とやらに殺されるまで、生きてやるさ」
そんな残酷なこの世のネタバレを私伝手に知りながらも刹那的にしか生きれない壊れた/壊された存在を前に、私は何時だって。
「ごめんなさい、ね」
誤りながら謝る他にないのでした。
この世がゲームみたいに善悪二つ綺麗に分けられればよかったのに。
ああ、どうしても私の心だけが余ってしまう。
上水善人という存在は最悪だ。
善性という柵を持つよう丁寧にデザインされたその全てを裏切った上で、想定を外れるどころか神域に足を踏み入れてしまうレベルで優秀に誕生した存在。
だがイザナミ研究所が保有する孵卵器にて年の頃14、5歳の姿に整えられてから目を覚ました善人が最初にやったことは。
「そんな……」
「ははっ。オレも名に違わぬ善きことをした」
親殺し。そして、眼前に積まれた知恵の破壊。
その二つこそが、善であるとされた彼は判断したのだ。何せ、イザナミ研究所に巣食う存在たちに救いなどなかったから。
魔女、上水愛。彼女は名前にそぐう自己愛を持っていたが、いささかそれは大きすぎていた。
それこそ世界を蝕むレベルであれば、何は兎も角として善人はそれを殺さざるを得ず。
しかし、その薬液と見分けがつかないレベルに手入れされた血液を頭から浴びた、彼女の遺伝学的な一人息子である彼は。
「生まれた端から、母の腹を破って泣かず騒がず、後悔もない……なるほどオレは鬼子のようなものだったのか」
自業に昏く滅びる研究上の中で端からその手の中にあった《《マスターキー》》を弄びながら、こう結論づけてしまった。
美しくデザインされた親の愛を得られない異形の生まれ。なるほどそれを指して鬼子と見捨てることは出来るかもしれない。
だが、愛すべきだった親を善のためにと殺した自虐のために己をそう卑下するのは、許されるべきではなかった。
彼だって本来愛されるべきであって然るべきだったし、愛を知って善悪に悩むのが自然であったのに、側にはもう黒く染まった死しかなければ結論は勝手に急いだ。
孤独が正解を生むはずがなければ、その結論のためには人生を材料に焚べるべきである。
けれども、知らず弱っていた最悪の最高傑作は、神域に手を伸ばせるその上背を丸めてこう続けてしまう。
「つまり悪だ」
その時じゃらりと、鎖は善人の心に。親すら認めてくれなかった浮いた立ち位置をその独り言は決定づけてしまった。
彼は何をしても痛くない。それは、そうあれば強靭さがより純粋になるからという理由のデザイン。
だが、そのせいで、悪たる産み出した者たちを殺すという罪を負ってまで痛痒を得られなかった事実もあり、彼は己を誤認してしまう。
「はは……ハハッハハハ!」
だから善人はちっとも愉快でなかろうとも、己の過ちに笑うしかなかった。
彼はこの時、この世の全てに救いがなければ尽く滅びればいいという、生じて直ぐに発生したこの思考だって、善ではなく悪だから生まれたものなのだと、心よりほっとしたから。
以降、男は悪だった。
ただ生きることに、意味はない。
むしろ天蓋の存在たる彼がふんぞり返り続けていたらそこを目指すものの邪魔になる。
しかしそうだからこそ、善人は意気揚々と生き続けた。
「大したことがないな」
本来上水善人の能力は、一つ。《《ありとあらゆる全ての所有権》》をその手に持ち続けられるということ。
人外の身体能力や扉にマスターキーなどの能力は、その理屈に見合うように自然と得られたもの。
そして、彼はあえて所有権を手放すことで魔法少女埼東ハルにしたように《《格下の対象をこの世になかったことに出来る》》。
そんな悪辣な業を奮うのに躊躇ない心まで備えているのだから正しく善人は最悪に違いなかった。
「つまらん」
生きる内に彼は本物の鬼を知り、そこから距離を取る。
戦う内に、これは特に面白くないと勝ち続けることを止めた。
そして悪たる内に、善人は悪はそこそこで満足できるものだと理解したのだ。
以降、世界を滅ぼすでもなく世界を征服するでもなくこの世に嫌がらせするだけで満たされる程度の器だった彼は、鬼のような同格からも見逃されることとなる。
やがて悪の組織『テュポエウス』を手足として怪人などに日々悪行を行わせることを実感するばかりで満足する彼はそのまま40年以上。
「……まだいいか」
一度もその手のひらを閉じて、《《ありとあらゆるものをなかったことに》》しなかったのだった。
さて。そんな二次創作の中の突飛な悪役は、偶に。いや運命的にもそれと遭う。
天国にあと一歩。それくらいに己は逸脱した存在であると、上水善人は自覚している。
しかし、一歩空を踏むには階段が一つは必要だというのは道理。戯れがてらそうなるかもしれない相手を善人は変わったものとの面談をしばしば行っていたのだが。
「あなたは、悪くないです!」
「……何を、言っている?」
襲った研究所にて最悪の己をすら恐れぬ、ノイズが一つ。
善人にとってそれが言い張ったことは、あまりに認めがたい。何しろ、自分が悪くないのが本当ならば、つまり初動から今までの何もかもが間違っていたということになる。
無駄こそ命と豪語する男であっても、今更に人生を翻すというのは難しい。
《《光り輝く》》少女の隣のいっそ《《見窄らしい程に揺れない》》少女に彼は苛立たしくこう問わざるを得なかった。
「お前は、何だ?」
「私は……善人あなたを止めたくて……っ」
それは、子供である。そして何より弱々しくも物足りない。
しかし《《母と言えるあの女と正反対の瞳》》を持ってこちらを認めていた。
それが、彼の理解の外の感情を喚起させる。そのために起きた間隙のために彼女川島吉見はその場で消されることだけはなく。
「ヨシミンっ」
「ふん」
訳知り顔をしているだけの、無能。光り輝く少女の必死の刃を配下の他人で止めた後に、彼はひと目で彼女をそう評価した。
それに、何の間違いもないと、彼は思ったのだが、つい善人は問ってしまう。
それは彼が酷く乾いていたが故に。しかし干からびきってしまう前に、上水善人は奇跡的にも吉見に手を伸ばせたのだった。
「お前は、何を知っている?」
「……何でも」
「ふん。なら、お前はどうしてオレが今更止められると思う? 余計な知恵を得た程度で神にでもなったつもりか?」
「ッ!」
上水善人は全能に近い。故に、怒る彼のその時の威はきっとカミサマのものと大差ないものだったのかもしれなかった。
最低でも、最高段であるアリスすら崩れ落ちるレベルではあったのだが。
「――いいえ」
だが、そんな大差の前でも無能は決して傅くことはない。
それは、どうしようもないからといって、棄てることすらこの子は出来ないから。
でも、そんな無能だからこそ有能とは破れ鍋に綴じ蓋。ぴたりとその言葉は彼のためになる。
「何でも知っているということは、つまりこの世の全ての悪を是認していることでもあります」
そう、少女はこの男が何より悪だと知っている。物語のところだけでもなくその一目瞭然に。
だが、諦めるのは、無理なのだ。何せ一度亡くしたはずの自分のための命がもし続いたのならば。
「故に、全知と優しき神様はあまりに似合わない。むしろ、私のような悪どい無能にこそぴったりなのでしょうね」
今度こそ見知った誰かのために次はそれを使ってもいいだろうと、全知を掲げる彼女は考えていたから。
吉見の傷跡だらけのその手は、確かに何もかもを得ていながらそれを大事にできずとも捨てることだけは出来なかった彼の大きな手のひらを包んで。
「そうか……だが、お前に何が出来る?」
「私はきっと何も出来やしない……だから、私はあなたを見捨てることも出来ないのです」
「…………」
どうしてか、善人はうんともすんとも、言えない。
その時の彼はまるで《《最愛のもの》》から沙汰を待つ子供のようで。
「よしよし」
そして、少女の愛は乾いた心に降り注ぐ。
「大丈夫。私があなたの終わり方を教えてあげます」
これはそんな、終わりの始まりの話。


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